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こんにちは。BGの変更については、やっぱり関心が高いんだなと実感しています。英語圏でもずっと前から議論が続いている事柄なので、日本でも知られるようになれば議論が生じるのは当然のことで、予想しておくべきだったなと思っています。念のために改訂版に載せてある編集者の言葉をご紹介します。私は著作権の詳しいことは知らなかったのですが、どうも変だなと思う点はあるので、これからもう少し詳しい事情を知りたいなと思っています。
腑に落ちない点というのは、前にも書きましたが、生前に書籍が完成しているのに、なぜ死後に原稿に戻るのかということ。これが一番です。1972年に出された本はプラブパーダご本人が亡くなるまでギータのクラスで使用なさっていました。つまり、別にこのままで良いということではないでしょうか。それに、そもそも古い原稿と書籍は違っているものですし、それは著者が原稿に目を通して変えながら最終原稿を作るからそうなるのです。だから、、、やっぱり不思議です。 また、「変えるな」ということを常々強調なさっている方の本であるということ。編集責任者の名前がないこと。それともう一つ、この短い文章の中に「サンスクリット語の編集者たちは今では学識豊かな学者になりました」とあります。それはきっとそうなのだろうと思いますが、もうちょっと公けに認識された資格や業績などを表示できないものかなと思います。サンスクリットだと、そういうのはないのかな。まあ、15年の実績こそが資格である、という考え方もできますが。。。 「第2版の出版にあたって」 BG As It Isの初版に馴染んだ読者の利益のために、この第2版について少々の説明が必要だと思われます。 両者は全体的にはほとんど同じですが、BBTの編集者は書庫に保管してある中で一番古い原稿に戻り、シュリーラ・プラブパーダのもともとの文章にさらに忠実になるように第2版を編集しました。 シュリーラ・プラブパーダは、1967年にBG As It Isを完成しました。インドからアメリカに来て2年後のことです。マクミラン社は、1968年に縮約版を刊行し、1972年に最初の非縮約版を刊行しました。 シュリーラ・プラブパーダが出版のために原稿を用意するのを手伝った新しいアメリカ人の献身者たちは、幾つかの困難を経験しました。プラブパーダがテープに吹き込んだ文章を文字に起こした者は、時としてプラブパーダの訛りの強い英語を理解するのに困難を感じました。サンスクリットによる引用文も聞きなれないものでした。サンスクリット語を編集した者は、隙間や大まかな発音表記が随所に見られる原稿に取り組むに当たって最善を尽くしました。それでも、シュリーラ・プラブパーダの作品を出版するための彼らの努力は成功裡に終わり、BG As It Isは世界中の学者や献身者のための標準書籍となりました。 しかし、この第2版に当たっては、シュリーラ・プラブパーダの弟子たちには彼の本を15年間取り扱ってきたという利点がありました。英語の編集者たちはプラブパーダの哲学と言語に親しんでおり、サンスクリット語の編集者たちは今では学識豊かな学者になりました。そして、今では彼らは、プラブパーダがBG As It Isを書いていたときに参照していたのと同じサンスクリットの解説を参照することによって、原稿の中の不明確な箇所(perplexity)を明確に理解できるようになりました。 その結果、深みと正統性において、より素晴らしい作品ができました。サンスクリットと英語を対照する単語ごとの解説は、今ではシュリーラ・プラブパーダの他の書籍の水準により近いものとなっており、従ってもっと明らかで正確です。ところどころ、既に正確ではありましたが、翻訳も改訂されており、もともとのサンスクリットおよびプラブパーダのもともとのテープの録音により近くなっています。当社の 版の解説では(In the Bhaktivedanta surports)、もともとの版には欠けていた多くの文章が、もともとあったところに修復されています。そして、最初の版では引用元が明示されていなかったサンスクリットの引用文は、今ではどれも章と節が明示されています。 編集者 ▲
by ammolitering4
| 2010-02-24 08:43
| ハレ・クリシュナ運動
こんにちは。ご無沙汰しております。最近はどうも怠けムードで、翻訳は進んでいません。いずれ再開します。ご了承ください。ところで、、、プラブパーダのご本に多くの変更が加えられていることをご存知でしたか?プラブパーダはインドの方ですので、英語は母国語ではありません。でも、イギリスの植民地だったので、古き良き家庭のご出身であるプラブパーダは英語による教育を受けていらっしゃいます。スコットランド系の学校を出られたと聞いたことがあります。プラブパーダの英語は極めて格調高いものです。もちろん文法の崩壊も見られません。分かりにくいなと思うときは、格調が高すぎて古典的な表現をなさっている場合がほとんどです。私はカナダの英語に親しんでいますが、現代の北米の英語には見られない、つまり普通の辞書に載っていない語句が使われていることはたまにありますが、それでも十分に理解可能なものです。一言で言うと、プラブパーダの英語は完璧で、全く何の問題もありません。
バガヴァッド・ギーターが最初に出版されたのは1972年だそうです。1983年には新しい版が出されていますが、それには細かい変化が5千箇所くらい加えられています。重箱の隅を不必要につつくような、どうでもいい変更がほとんどですが、中には「それは全然意味が違うでしょう」というものもあります。もちろん、こういう変更を加えた人たちにはそれなりに理屈がおありなのだろうと思いますが、わりと原理主義的な私としては、こういう内容の本は一言一句そのままにしておくべきだと思うのです。 一般的な理解のために噛み砕いた解説本を出すのは、また別の話です。原典に変化を加えるべきではありません。プラブパーダに対して、ものすごく僭越というか、失礼なことだと思います。変更された分のリストはこちらにあります。 変更リストがあります 原文はこちらにあります。 原文があります ギーターは、去年あたりまた新しいのが出ました。それは手元にないのですが、黄色っぽい本です。それにはどれくらいの変更が加えられているのでしょう。想像すると怖いです。。。 ▲
by ammolitering4
| 2010-02-13 22:23
| ハレ・クリシュナ運動
もうご覧になった方もあると思いますが、よろしかったらご覧ください。ただし、注意書き付きです。覚悟して見てくださいね。人間はこういうふうに死ぬこともできるのだなと思いました。どう生きるか、どう死ぬか、プラブパーダは完全なお手本を最後の最後まで示して下さるのですね。
プラブパーダの最期 ▲
by ammolitering4
| 2009-10-21 09:05
| ハレ・クリシュナ運動
こんにちは。今日は新しく知ったサイトの紹介です。もうよく知ってる方も多いのかもしれませんが、私たちは今日お寺で初めて聞いたのです。こちらです。
クリシュナチューブ YouTubeみたいなものですが、ハレ・クリシュナのビデオばかりです。日本語もあるのかな?どうでしょう。私が好きなのはSupersoul Connectionという東欧のバンドです。私は全然音楽に詳しくないので、これもたまたまD君が好きで聞いていただけで、なんというスタイルなのかも知りませんが、結構音がうるさいです。でもなぜか好きです。これでもかというほどの、畳み掛けるようなボーカルが好きです。単なる東欧好み、ということもあるかもしれないけど。。。スロベニアのバンドだったような覚えがありますが、違ったかも。 ロシアに行ったこともないしロシア語も話せないのに、私はなぜか東欧趣味なのです。得意料理はボルシチ、好きなソフトドリンク(いや、それほどソフトでもないか)はクヴァス。アルコールが入っていません、と書かれたクヴァスでグルグルに酔っ払った苦い思い出があるのですが、それさえなければフルーティーな甘酸っぱい黒ビールみたいでおいしいです。私の飲んだボトルはたまたま発酵が進みすぎていたのでした。そうでない安全なクヴァスはいくらでも飲めるおいしさです。ロシア食料品店で売ってます。ぜひ一度(気をつけて)お試しください。 ▲
by ammolitering4
| 2009-10-05 14:14
| ハレ・クリシュナ運動
プラブパーダの肖像画
プラブパーダの肖像画です。私のガラス絵サイトは何百枚もごちゃごちゃと入ってて、自分でもどこに何があるのか分かりません。他の人はもっと分からないだろうと思うので、がんばって探しました。どうぞご覧ください。この絵は今はハリファックスの伝道所にあります。ハリファックスというのは、カナダの東の端っこの小さな町です。お友達の修道僧ニタイさんが頑張って伝道活動をしていらっしゃいます。 ▲
by ammolitering4
| 2009-05-20 13:41
| ハレ・クリシュナ運動
先日お話ししていた論文から、一部をご紹介しようと思います。「姿を変えたハレ・クリシュナ」という論文です。
'Hare Krishna Transformed' by E.Burke Rochford Jr. , 2007, New York University Press 本文だけで200ページ以上あるので、もちろんここで何行かで説明することはできません。でも、女性に関しては主にどういうことを述べているのか、考えてみました。プラブパーダがアメリカに渡り、霊的にすっかり迷っていたヒッピーたちを虜にしました。それですっかり汚れたヒッピーの生活から立ち直った人たちも多くいました。 霊的な進歩のためには男女が互いに惹かれあっているのは妨げになるので、男性と女性が当たり前に交じり合うアメリカ文化の人々に対して、プラブパーダは「女性と男性は火とバターのようなもの。関わることで霊的な進歩が妨げられないように、何らかの規制が必要だ」と考えておられました。(P.55) プラブパーダは教えに対してこれほど多くの女性たちから反響があるとは予期していらっしゃいませんでした。考えてみたら、仏教だってキリスト教だって厳しい修行をするお坊さんは男性が多いし、女性の修道僧は尼寺に行きます。でも、ハレ・クリシュナのお寺は大勢の女性たちで埋まるようになり、せっかくドラッグもフリーセックスも絶って清らかな修行に励もうと思っていた男性たちから不満の声が上がりました。 これに対して、プラブパーダは答えました。「感覚を制御できないなら、一人で森に住むべきである。彼女らもまた生命体である。クリシュナのもとにやってくる者を退けることはできない。男性信者たちがクリシュナ意識を強固にすれば何も問題はない。」(P.129) 多くの女性が寺院にやってくることについて、プラブパーダは「どうしたものか」とも思っていらしたようです。皆受け入れなければならないが、彼女たちには守ってくれる人が必要だ、すなわち、夫が必要だ、という懸念です。女性にとっては、信心深い男性と結婚することはクリシュナ意識に’おいて進歩するための助けとなることでした。でも、男性にとってはそれは霊的な弱さを意味したのです。これが問題の根源にありました。「もちろん、(男性信者は)結婚しないほうがいい。しかし、多くの女性がやってくる。彼女らを退けることはできない。」(P.57) プラブパーダが「女性と関わると男性は感覚をコントロールできなくなる」というお話をなさったあと、ある寺院では男性信者が女性信者に対して非常に意地の悪い態度をとるようになりました。短絡的というか、何と言うか、、、ともあれ、女性信者たちがプラブパーダに不満を訴えると、プラブパーダは男性信者たちを呼んで説教なさいました。「あれは物質的なことにとらわれている女性たちの話だ。ここにいる信者の女性たちの話ではない。彼女たちは天使だ。」(P.131) プラブパーダの文章や発言には、女性差別と受け取られても仕方のない内容が多いことは確かです。ある女性信者の在席している前で、プラブパーダは「女性と政治家を信用するな」という節を引用なさいました。それは4回の別々の説教においてなされ、どのときもプラブパーダは彼女を見て反応を見るような素振りをなさいました。4回目のとき、とうとうプラブパーダは彼女に直接「どう思う?」と聞かれました。彼女が「もちろんその通りです」と答えると、プラブパーダは暗い顔になって「 しかし、あなたは女性ではない。ヴァイシュナヴァ(クリシュナに仕える魂)だ。」とおっしゃいました。(P.131) 1974年、まだプラブパーダがご存命のとき、ある寺院では女性がギータのクラスを開くことが禁止されました。女性信者たちはプラブパーダに手紙を書き、次のような返答をもらいました。「女性もクラスを開いてよい。女性も上手に説教をする。女性の体も男性の体も、外側の区別に過ぎない。主チャイタンニャは、誰であれクリシュナの科学を知る者はグルとして受け入れられるべきだ、とおっしゃいました。クラスをする資格があるかどうかは、その人がクリシュナをどれくらい理解して教えに従っているかによる。男か女かではない」(P.129) プラブパーダご自身が女性に対して深い愛情と尊重を持って接したことは、実際にプラブパーダと直接関わった多くの女性信者たちの証言によって証明されていると思います。女性を見下しているように見える表現は、男性信者たちによって誤解・曲解され、差別に利用された、というのがプラブパーダを直接知る彼女たちの共通する認識であるようです。(P.131) この矛盾は面白いものだなと思います。普通は、偉そうなことを言ったり書いたりするけど実際の行動が伴わないと思うのです。「女性は男性ほど賢くない」とたびたび発言しておきながら、「それは差別だ」という声に対して、身近にいた女性たち自身から「それはそういう意味ではないのです」と守ってもらっているプラブパーダ。。。 書物の中の差別的な発言については、削除すべきかどうかという議論が今も続いています。でも、削除すると書物の信頼性そのものが損なわれるので、これはプラブパーダの人間としての避けられない不備であったとして容認し、実際のご本人の平等で敬意ある言動を見習うべきだ、という主張があります。 プラブパーダに直接お会いすることのできた人たちって、よっぽど過去に徳を積んでいらしたのでしょう。我が身を振り返ると、御本にめぐり合えただけでも身に余る幸運だなあと、ほんとに思います。。。 ▲
by ammolitering4
| 2009-05-19 09:08
| ハレ・クリシュナ運動
こんにちは。北米におけるハレ・クリシュナの社会問題について、もうちょっと説明を加えようと思います。まず、念のために強調しておきますが、日本のオウム真理教のような問題が起こったわけではありません。私はもう何年も北米に住んでいて、ハレ・クリシュナの活動の様子もわりとよく見ていますので、その点は間違いありません。全く平和な既成宗教だという判断がしっかり定着していますので、ご安心ください。
殺人事件は一般市民を対象としたテロのようなものでもなく、単なる組織内部の人間的な関係から生じた事件です。また、犯人のお坊さんは実は頭にすごくひどい打撲を受けたことのある方でした。幸いにして一命は取り留めたものの、2ヶ月くらいして意識が戻ると、別人のようになっていたそうです。攻撃的になり、性的な欲求を抑えられなくなりました。頭にひどい打撃があると、割と普通のことだそうです。事件はこの事故の後で起こったことなので、犯罪は犯罪ですが、犯人もお気の毒と言えないこともないような。。。 また、女性に対する蔑視の問題については、プラブパーダご自身は女性信者を極めて平等に扱ったことを特記しなければなりません。文書にされたものの中には女性を蔑視するとしか思えないものもたくさんありますが、全体的に理解すると; 1.女性だろうが男性だろうが猿だろうが、それは外側に過ぎない。 2.男性と女性は構造や特質が根本的に違う。平等と区別は矛盾しない。運転している車が違えば役割も違うようなもの。 。。。というようなことが言えると思います。これについては、いずれ本書の内容を一部紹介します。 なお、こうした問題が起こるのは、ある宗教が新しい土地に広まる場合には普通のことで、何もハレ・クリシュナだけのことではありません。ハレ・クリシュナの問題が目立ったのは、プラブパーダの圧倒的なカリスマで教えがあまりにも熱狂的に短期間で受け入れられたからでしょう。当時のアメリカは拠り所を求める若者たちで溢れていました。プラブパーダはヒッピーたちの神様になったのです。でも、こういっては何ですが、ヒッピーたちの多くは頭が雲の間を漂っているというか、あんまり現実的な後先を考えないようなところがあります。プラブパーダの懸念も大きく、亡くなる最後のときまで文化としてのハレ・クリシュナの教えが定着していないことを悔やんでおられました。 現在では、こうした一時的な問題は影をひそめています。ヒッピーの時代も過ぎて、本の販売も落ち込みました。その代わり、かつてハレ・クリシュナの教えに触れた人々が今でも(緩やかでも)ベジタリアンとして老年期を迎えていたりするし、家にハレ・クリシュナの本がなんとなくおいてあるという環境で育った世代も増えています。一時的な熱がさめて、基盤を変えつつ土着化しているのです。 これは植物などとも同じで、すごくもてはやされて一気に広まったけれど世話の仕方が分からずにほとんどの人は枯らしてしまい、でも時間が経つと「なんとなく馴染みの庭木」として愛されるような、そんなものではないでしょうか。 なお、私はカナダのバンクーバーに住んでいますが、大きなお祭りがあるたびに地元のお偉いさんがこぞってスピーチをしにやってきます。ラサヤトラという一番大きなお祭りのときなどは、何とびっくり、国家主席であるエリザベス女王様から丁寧なお手紙が届きます。カナダはイギリス連邦なのです。もちろん、エリザベス女王に乗り遅れまいとして、首相、州知事、インド大使、市長さん、そのほかのいろんな人から祝辞が届きます。変な宗教でないことだけは、これで証明されたといえるのではないでしょうか。 また、このお祭りは市内の大きな自然公園で大々的に行われ、毎年何万人という人が参加します。女性も歌うし、踊るし。子供も虐待どころか甘やかされてるろくでもないのがうろちょろしています。男女の若者たちが自発的に作っているキールタンのバンドなんかもあって、ほんとに楽しそうです。現在ではすべての全寮制の学校が閉鎖され、一部に通学制の学校があります。寺院での教育も行われています。伝統を守りつつ、全く異質の北米文化に少しずつ、しかし確実に根付いています。 ご意見やご質問があればご連絡ください。 ▲
by ammolitering4
| 2009-05-13 14:44
| ハレ・クリシュナ運動
こんにちは。翻訳も途中だというのに、つい他の本に手を出してしまいました。読んでるだけで翻訳する予定はないのですが、2007年に出された学術論文で、ハレ・クリシュナの体質の変化を追ったものです。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、この哲学が北アメリカに広まったあと、プラブパーダの身体的な衰弱に比例するように様々な問題が生じ始めました。問題は主に3つあり、一つは全寮制の学校での子供の虐待、もう一つは女声の蔑視、そしてもう一つはお金と権力に関することでした。
子供のことと権力争いのことでは、大きな刑事事件に発展したほどです。ハレ・クリシュナ内部での殺人事件も起きました。子供の虐待は慢性的で、身体的、精神的、および性的な虐待がなされました。基礎学習のレベルが極めて低かったこと、生活能力やコミュニケーション能力など、大人になって生きていく上で必要な学習ができない環境だったことも問題でした。虐待によって重度の身体障害を抱えてしまった子供たちもいます。 多額の賠償金を請求され、ISKCONは破産宣告をしなければならないほどに追い詰められました。経緯を考えると自業自得なのですけれど。。。このような犯罪行為の詳細については'Monkey on a Stick'という本に詳しく書かれています。おどろおどろしい内容です。なお、こういう虐待が北米に集中していたのは興味深い事実です。 今読んでる本は'Hare Krishna Transformed'というタイトルです。これはドキュメンタリーとして細かいことを追っているのではなく、なんでこういう問題が起こったのか、これからどうなっていくのか、ということを、子供と女性と家庭生活に焦点を当てて考証したものです。文章は堅苦しくてやや難解ですが、非常に面白い内容なので、手に入るようでしたらぜひ読んでみてください。 随所にプラブパーダの発言が引用されています。文書に収録されていないものもあるので、いつか抜き出してご紹介したいと思います。 ハレ・クリシュナ運動が北米に入ってきたのは1960年代終わり頃のことです。第二次世界大戦の記憶もまだ新しく、ベトナム戦争なんかがリアルタイムで影響していて、友達とかお兄さんとかが戦争に行って帰ってこなかったという人もざらにいた時代です。ヒッピーたちはそんな大人たちの世界に全力で反抗していました。無気力やフリーセックスや薬物などの形をとっていたとはいえ、その根っこは真剣な拒絶だったのではないでしょうか。 彼らの多くが、同じ真剣さでハレ・クリシュナにのめりこみました。インドでは、別にそんなに革命的にのめりこんだりしないでも普通に存在している宗教性があるので、若い男女が大挙して入信するなどというお祭り騒ぎは起こりようがありません。でも、北米は状況が違ったのです。ハレ・クリシュナの戒律は、よーく考えてみるとかなり厳しいです。普通に北米の物質世界にどっぷり漬かって生きていれば、不可能とも思えるものです。正直言って私も全然守れません。 熱にうかされたように一生懸命だったとはいえ、もともと宗教的な土壌のないところでヒッピー上がりの若者たちが集まって狂信的なまでに改革を実行したので、彼らの共同体は現実面で極めて不安定でした。頼みの綱のプラブパーダは、農業コミュニティーや学校やお寺が世界に広がる頃には体力も衰弱し、とても隅々まで細かく目を渡らせることはできませんでした。心細さと権力への野望につけこむように、思い込みや精神的な推量が入ってきたのは当然の成り行きだったでしょう。 本書は、ニュー・ブリンダーヴァンでの殺人事件で容疑濃厚とされた人の生徒だった若者へのインタビューで始まります。ハレ・クリシュナ運動の中に生まれた彼の生い立ちと、クリシュナ意識運動への思い、現在の状況など、細かく述べてあってとても興味深いです。とくに、全寮制学校での虐待の様子と、普通の学校と社会に出て行ってからの心の動きなど、一読の価値があります。 この虐待問題がはっきりと表れたのは、プラブパーダの死後に急速に悪化した学校で教育された子供たちが成人してからのことです。ほんとにすごく最近のことなのです。最後の訴訟が片付いたのなんか、たった3年くらい前だし。ともあれ、彼らの声がはっきりして、お母さんたちが怒りました。虐待は主に男の子に対して行われましたが、それはお母さんを息子から引き離すという制度や圧力に起因するところが大きかったのです。 それで性的な差別の問題も浮上し、やがてISCKONは女性信者をもっと尊重するようになりました。前はかなりはっきりと「女性は下、女性は後ろ、女性は静かに」というふうに物事が行われていたのです。それで、女性がもっと平等に扱われるようになると、それに反発する男性信者の声が大きくなりました。彼らの言い分にも、ちゃんとそれなりに筋道があるのです。それなりどころか、彼らは原理主義者でした。ヴェーダによると、プラブパーダによると、というのをよりどころにして発言していたのです。 現在では、性差別主義であるとの非難が圧倒的で、彼らの声はかき消されたようになっています。それがいいのか悪いのか、私には分かりません。女性と男性は元来違うものであり、違う役割を持っています。それで互いが助け合って共に成長しなさい、というのがヴェーダの教えであるのです。プラブパーダもそれを強調なさいます。 男は強く守り、女は優しくはぐくみ、、、というのは、永遠の真理というか、理想ではないでしょうか。あいにく物質的な現実世界は理想的ではないので、何かと問題が起こります。でも、問題が起こったから制度を覆すというのも乱暴な気がします。プラブパーダが時折使われる例ですが、白内障になったら目をえぐり出すというのではなくて手術しなさい、というのは真理だと思うのです。 この本の最後は、経済的に窮地に陥った北米のハレ・クリシュナ運動がインドからの移民を受け入れてインド化しつつ既成宗教への道を歩み始めている、というところで終わっています。それは実際にそう感じます。お寺に行っても、説教の時間にはほとんど誰もいなくて、キールタンになると増えてきて、プラサーダの時間になるとインド人でぎっしり埋まる、という現実があるからです。 それを嫌がる純粋な信者もいるようですが、私はこういうふうに緩やかに根付くのがいいんじゃないかなと思います。当初のカルト的な熱は冷め、一時的にひどく落ち込み、いろんな問題の存在も明らかになり、でも少しずつ影響しながら根付いていく、、、ハレ・クリシュナは辿るべき道をちゃんと辿っているのではないでしょうか。 ▲
by ammolitering4
| 2009-05-10 14:56
| ハレ・クリシュナ運動
カリフォルニアにお住まいの信者の方のサイトです。日本語と英語でプラブパーダのメッセージが紹介されています。
http://www.exblog.jp/myblog/entry/new/?eid=d0152550 こちらもお薦め。スロベニアのラップグループ「スーパーソウル・コネクション」のビデオとか、プラブパーダのお話とか、いろいろあります。 http://www.exblog.jp/myblog/entry/edit/?eid=d0152550&srl=7546227&rtnurl=http%3A%2F%2Fammolite4%2Eexblog%2Ejp ▲
by ammolitering4
| 2008-03-23 12:39
| ハレ・クリシュナ運動
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