カテゴリ:「簡単な惑星旅行」( 28 )

簡単な宇宙旅行 18

人工衛星が空に打ち上げられると、子供はその背後に科学的な頭脳があることを理解できないかもしれませんが、知性ある大人は地上の科学的な頭脳が人工衛星を制御していることを認識しています。同様に、知性の低い人々は創造者および私たちの視覚的な認知の範囲をはるかに超えた霊的な宇宙にある創造者の永遠の御住まいについて、何の情報も持っていません。しかし、霊的な宇宙は実際にあり。物質的な宇宙のそれよりも大きくて数も多い霊的な天体も実際にあるのです。私たちはバガヴァッド・ギーターから物質宇宙は創造全体の一部(4分の1)に過ぎないという情報を得ています。そのような情報はシュリマッド・バーガヴァタムや他のヴェーダ文献に詳しく述べられています。

もしも生命エネルギーが科学者の実験室の中で「ある特定の物理的および化学的な組み合わせによる反応」によって作られ得るなら、なぜ高慢な物質科学者たちはいまだに生命を作り出していないのでしょう。霊的な力は物体とは明らかに異なっていて、そのようなエネルギーはどのように物質的な操作をしても作り出せないことを彼らははっきりと知るべきです。現在のところ、ロシア人とアメリカ人は疑いもなく技術科学の様々な分野で非常に高度な発達を遂げています。しかし、彼らはいまだに霊的な科学には無知なままです。完全で前向きに進歩する人間社会を作るために、彼らは優れた知性から学ぶ必要があります。

シュリマッド・バーガヴァタムで社会主義哲学が全く完璧に描写されていることにロシア人たちは気づいていません。シュリマッド・バーガヴァタムは、あらゆる富、あらゆる天然資源(農業、鉱業その他)は、究極の創造者によって作られたものであり、したがってすべての生命体が自分の分け前を受け取る権利を持つ、と教えています。さらに、人は自分の体を維持するのに十分な富より多くを保有すべきではなく、それより多くを望んだり分け前以上を取ったりすると罰せられる、と言います。また、動物は我々の子供たちとして取り扱うべきだと述べられています。

私たちは、シュリマッド・バーガヴァタム以上に社会主義を正しく論じることのできる国家はないと信じています。また、人は創造者および生命体の本来的な性質について完全に理解して初めて人間以外の生命体を兄弟や子供たちとして取り扱うことができます。

死にたくない、という人間の望みは、霊的世界でのみ実現できます。この文章の初めで述べたように、永遠の生命への望みは休眠状態にある霊的生命のしるしなのです。人間の文明の目的は、それを焦点とすべきです。ここで述べたように、すべての人がバークティ・ヨガの過程によって自己を霊的な領域に移動させることができます。それは偉大な科学であり、インドには人生の完成を実現するための科学的な書物がたくさんあります。

バークティ・ヨガは人類の永遠の宗教です。物質的な科学が宗教の教義も含めてすべての学問分野を支配しているとき、現代の科学者たちの視点から人間の永遠の宗教の原理が語られるのを見るのは心躍ります。世界宗教会議において、S.ラダークリシュナン博士でさえも、現代の文明では科学的な視点から受け入れられなければ宗教は受け入れられないだろう、と認めています。返答として、私たちは真実を愛する人々へここに喜んで表明します。バークティ・ヨガは世界の永遠の宗教であり、至高主と永遠の関係を持つすべての生命体のためにあるものです。

シュリーパーダ・ラーマーヌジャーチャーリャは、永遠という意味のサナータナという語を「始まりも終わりもないもの」と定義しています。永遠の宗教、サナータナ・ダールマについて考えるとき、この定義はまさに真実を表しています。始まりもなく終わりもないものは、限界や境界のあるどのような宗派とも異なります。現代科学に照らすと、サナータナ・ダールマは世界のすべての人々の、いや、宇宙のすべての生命体の主要な職務であると見ることができます。サナータナでない宗教信条は、人間の下らない思いつきに端を発しているものもあるかもしれませんが、サナータナ・ダールマは生命体と永遠に共にあるもので、歴史的な始まりはないのです。

ヒンズー教徒であれ、イスラム教、キリスト教、仏教その他何であれ、人が何か特定の宗教の信者であると言うとき、そして出生の時間や状況について語るとき、そのような自己認識はサナータナ・ダールマとは言えません。ヒンズー教徒はイスラム教徒になるかもしれず、イスラム教徒がヒンズー教徒やキリスト教徒になるかもしれないからです。しかし、どのような状況でも変わらないことが一つあります。それは、いついかなるときも誰かのために何かしている、ということです。ヒンズー教徒もイスラム教徒も仏教徒もキリスト教徒も、常に変わらず誰かの従者です。特定の信仰はサナータナ・ダールマではありません。サナータナ・ダールマは生命体と常に共にあるものであり、すべての宗教を統一するものです。サナータナ・ダールマは、誰かのために何かをする、ということなのです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:01 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 17

他の生命体も同様です。性交の直後に母親の子宮の中で有機的な形をとり、少しずつ育ち、生まれ、成長を続けて幼児になり、少年、若者、大人、老人、と変化して、ついにはしなびていって死を迎えます。どんな祈りや祝福も、フィクション作家の希望的な夢物語も、死を阻むことはできません。比較してみると、人と果物の間に違いはないのです。果物と同様に人も多くの子供を残すかもしれませんが、物質自然の法則により、物質の体の中に永遠に存在することはできません。

物質自然の法則を無視できるものがいるでしょうか。どんなに高慢であっても、物質科学者は自然の厳格な法則を変えることはできません。天文学者も他の科学者も、天体の軌道を変えることはできません。できるのはせいぜい彼らが人工衛星と呼ぶちゃちでおもちゃのような天体を作ることだけです。あまり知恵のない子供たちは、こうした現代の人工衛星その他に感銘を受けて、それを発明した人たちを大層偉大だと思うでしょう。しかし、人類のうちでも彼らよりもっと正気な人々は、太陽や星々などの巨大な衛星を、物質科学者がその果てを見ることもできない衛星群を、それを作った人の方をより偉大だと評価するのです。小さなおもちゃの衛星にもロシアやアメリカなどに作った人がいるのなら、巨大な衛星たちは霊的宇宙に作った人がいると考えるのは妥当です。おもちゃの衛星を作って飛ばすのに多数の科学的な頭脳が必要なら、星の集まった銀河を作って軌道から外れないように動かしているのはいかなる微細にして完璧な頭脳でしょうか。これまでのところ、無神論者たちはこの問いに答えることができないでいます。

信仰なき人々は、様々に独自の創造理論を作り出します。それはたいてい「それは理解しがたい」とか「我々の想像力で捕らえられる範囲を超えているが、可能性としては大いに有りうる」とか、「それは理解不能である」などの結論に終わります。これはつまり、彼らの情報には何ら正統的で権威ある土台がなく、科学的なデータに基づいていないということでしかないのです。彼らに単に推察しているのです。しかし、正統的な情報はバガヴァッド・ギーターに示されています。例えば、バガヴァッド・ギーターには寿命が4,300,000x1,000x2x30x12x100太陽年に及ぶ生命体がいると書いてあります。この知識の書はインドの偉大な聖人であるシャンカラーチャーリャ、シュリー・ラーマーヌジャーチャーリャ、シュリー・マドヴァーチャーリャ、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブーなどの人々によって正統な権威であるとして受け入れられているので、私たちはそれに倣うのです。バガヴァッド・ギーターには、この物質の世界では存在しているあらゆる形は寿命の長短に関わらず腐朽と死を迎えると示されています。

したがって、潜在的には物質的なエネルギーは保存されているとは言え、すべての物質的な形は変化の法則の下にあります。潜在的にはすべてのものは永遠ですが、物質的な世界では物体は形を取り、しばらくその形を維持し、成熟し、年老いて、しなび始めて最後には再び消えうせます。すべての物質的な物体はこうなるのです。物質主義者が、この物質宇宙の向こうに「何か別の形」があって、それは視覚的に認識できる範囲を超えていて、奇妙で理解しがたい、と言うのは、霊的宇宙のことをかすかに示しているに過ぎません。しかし、霊の基本的な原理はもっとずっと近くにあります。それは生命体の内部で機能しているからです。その霊的原理が物質の体から出ていると、体には生命がありません。例えば、子供の体の内部には霊的原理があり、したがって体に変化が生じて成長します。しかし、もしも霊が体を離れれば成長は止まります。この法則はすべての物質的な物体に当てはまります。物体は霊と触れていると一つの形から別の形に変化します。霊がないと形の変化はありません。宇宙全体がこのように発達します。それは神の霊的な力によって超越エネルギーから放射され、太陽、月、地球などの巨大な形へと発達します。天体系は14に分かれており、それぞれに大きさと性質は違いますが同じ発達の原理がすべてに当てはまります。霊的な力が創造者であり、その霊的な原理によってもに、変化や移行や発達が生じるのです。

生命は、多くの知恵の足りない人々が主張するように単なる化学的な組み合わせなどの物質的な反応によって生じるものでは断じてありません。物質的な相互作用は霊的な生命力を受け入れるにふさわしい状況を作る優性な存在によって始動させられます。優生的なエネルギーは、霊的存在の自由意志によって決定されたところに従って適切に物体を取り扱います。例えば、建築材料は自動的に「反応」して突然住宅の形を取ることはありません。生きた霊的存在が自由意志で物体を適切に取り扱うことによって家を作ります。同様に、物体は材料に過ぎず、霊が創造者なのです。この結論を避けるのは、知識の乏しい者たちだけです。創造者は隠れたところにいて見えないかもしれませんが、それで創造者がいないということにはなりません。物質の宇宙の巨大な形だけで惑わされてはなりません。むしろ、これらすべての物質的な顕現の背後にある至高の知性の存在を感知することを学ぶべきであるのです。至高の知性である至高の存在は、究極の創造者、すべてを魅了する至高の人格神シュリー・クリシュナなのです。人がこのことに気づいていなくても、バガヴァッド・ギーターや、殊にシュリマッド・バーガヴァタムなどのヴェーダ文献には、創造者に関する確固たる情報が与えられています。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:00 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 16

したがって、すべての人間にとって、人生の完成のためにこれらの霊的な認識の原理を受け入れることが重要です。人間の唯一の義務は霊的な認識です。不幸にして、現代の文明では人間の社会は国家の義務を果たすのに忙殺されています。実際には、国家的、社会的、人道的な義務は、霊的な義務を忘れた者だけのためにある義務なのです。人は地上に生を受けると同時に国家的、社会的、人道的な義務だけでなく、空気や光や水などを供給する半神たちにも義務が生じます。また、人生を通して導いてくれる多いなる知識の宝殿を残してくれた聖人たちに対しても義務が生じます。あらゆる生物、先祖、家族等々にも義務が生じます。しかし、ただ一つの特定の義務、霊的な完成という義務を果たすことに取り組むと同時に、自動的に他のすべての義務がそれぞれ別の努力をすることなしに解除されます。

主の献身者は、社会にとって決して迷惑の元となる要素ではありません。その反対に、社会にとって大いに益となる存在なのです。誠実な献身者には罪深い活動に惹かれる者はいません。そのため、ある人が純粋な献身者になれば、その人は直ちに今世でも来世でも、すべての者のために、平和と繁栄のために、社会のために、計り知れない無私の奉仕をすることができるのです。しかし、たとえそのような献身者が何らかの無礼を犯したとしても、主御自身が直ちにそれを改正してくださいます。したがって、献身者には物質的な知識を集める必要はなく、かといってすべてを捨てて隠遁者として生きる必要もありません。単に、家に在って、人生のどのような区分や階級にあっても、滞りなく献身奉仕をすることができます。そして、歴史上には極端に冷酷な人々が単に献身奉仕をすることによって心優しい人になった例があります。純粋な献身者の人生では、とりたててわざわざ努力することなくして自動的に知識が身につき、劣性な生き方を放棄するようになるのです。

この献身奉仕の霊的なアートと科学は、世界に対してインドの聖人たちがなした最高の貢献です。したがって、インドに生まれた者は誰でも、この偉大なアートと科学の原理を取り入れて自分の人生を完成させ、さらにそれを、世界の他の場所に住んでいるいまだに人生の究極の目的を知らない人々に広める義務があるのです。人間の社会は、徐々に知識を培うことによってこの完璧な段階に至るように運命付けられています。しかし、インドの聖人たちはすでにその場所に至りました。なぜ他の人たちはその高みに達するのに何千年も何千年も待たなければならないのでしょう。なぜ彼らに情報をたった今、系統立てて与えてあげないのでしょう。そうすれば彼らは時間と労力を節約できます。何百万年と苦労を重ねなければ得られなかったはずの人生を得られるチャンスを逃すべきではないのです。

ロシアのフィクション作家は今、世界に対して「科学的な発展によって人は永遠に生きられるようになるかもしれない」と述べています。もちろん彼は創造主である至高の存在を信じていません。それでも私たちは彼の説を歓迎するのです。科学的な知識が本当に発達すると、人は霊的な宇宙に到達できるし、科学者たちにいかなる科学的な概念をも超えた完全な力を持った至高の創造主がいることを教えてくれるからです。

すでに述べたように、すべての生物は永遠の何らかの形を持っていますが、密度の濃い部分と薄い部分から成る覆いを取り替えねばならず、この変化の過程は厳密には生と死として知られています。生物が物質の鎖に縛られている限り、この変化の過程から逃れることはできません。物質の人生の最高の段階においてもそれは続くのです。ロシアのフィクション作家は、フィクション作家にありがちなように推察をするかもしれませんが、自然の法則に関して幾らかの知識を持っていて、彼よりも正気な人々は、人がこの物質の世界で永遠に生きられるということには賛成しません。

自然主義者は、単に果物を一つを観察することで物質自然の一般的な成り行きを見ることができます。花が咲いて小さな果物ができ、それが大きくなり始め、しばらく枝に成っていて、やがて成長が止まり、熟れていき、そして日に日にしおれていき、最後には木から落ちて腐って土に返り始め、ついには土と同化してしまいます。今度は残された種が成長して木になり、やがて多くの実をつけます。そしてそれらもすべて先の果物と同じ運命を辿り、この成り行きが延々と続きます。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 10:59 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行15

霊的宇宙へ自分自身を移動させるためのプロセスの全体は、霊的な魂が被っている「密度が濃い部分と薄い部分の両方の覆い」という物質的な成分を徐々に失くしていくことに関わっています。上記の5つの献身奉仕活動は、霊的に大変強力なので、たとえ献身者が初歩的な段階にあっても、その実践は誠実な実行者を急速にバーヴァ(至高主への愛の直前の段階)に引き上げます。これは霊的な水準にある感情であり、精神的および知性的な働きを超越しています。バーヴァや神への愛に没頭している者は、物質の神殿(体のこと)を離れた直後に霊的な宇宙に移動される資格を得ます。献身者が神への愛を完成させることは、彼を実際に霊的な次元に置きます。たとえ密度の濃い物質の体を持っている間であっても。彼は熱く焼けた鉄のような存在になるのです。鉄は火に交わることで鉄のような性質を失い、火のような働きをするようにまります。これらの事柄は、主の計り知れない、想像も及ばないほどのエネルギーによって可能になります。そのような神のエネルギーについて、物質的な科学は計算するすべを持ちません。したがって、人は完全な信頼をもって献身奉仕に取り組むべきです。そして信頼を確固たるものにするために、(可能であれば)個人的な交友によって、そうでなければ彼らのことを考えることによって、主の正統なる献身者の交友を求めるべきです。この交友は、主に対する実際の献身奉仕を育む助けとなります。主に対する献身奉仕は、すべての物質的な恐れを稲妻のように失わせます。これらの異なる霊的認識の段階は、候補者によって個人的に感じられます。そして、こうして個人的に感じることは、自分が霊的な宇宙への道を前向きに進歩しているというしっかりした信念を築きます。そして、主とその御住まいに誠実に執着するようになります。神への愛はこのようにして徐々に進歩していき、それこそが人間の形をした人生における最大の必要事項なのです。

聖人たちや王たちを含む偉大な人物の歴史の中では、このプロセスで完成に至った人々がいます。幾人かの人々は、信頼と不屈の努力をもって献身奉仕のただ一つの項目を固守したことで成功しました。以下に例を示します。
1.パリークシット皇帝は、単にシュリー・シュカデヴァ・ゴスワーミーのような権威者から聞くことによって霊的な次元に至りました。
2.シュリー・シュカデヴァ・ゴスワーミーは、偉大なる父シュリー・ヴャーサデヴァから受け取った超越的なメッセージを単に一字一句忠実に詠じることで同じ結果を得ました。
3.プラーラーダ皇帝は、偉大な聖人であり献身者であるシュリー・ナーラダ・ムニに与えられた指示を遂行して常に主を覚えていることで霊的な成功を得ました。
4.幸運の女神ラクシュミージーは、単に座って主の蓮の御足をなでさすることで成功しました。
5.プリス王は、単に主を崇拝することで成功しました。
6.御者アルクーラは、単に主への祈りを唱えることで成功しました。
7.主シュリー・ラーマチャンドラの有名な献身者ハヌマーン(マハーヴィーラ)は、人間ではありませんが、単に主の命令を遂行することで成功しました。
8.偉大な戦士アルジュナは、単に主と友人になることで同じ完成を見ました。主は、友人アルジュナと彼に続く人々を啓発するためにバガヴァッド・ギーターのメッセージを届けてくださいました。
9.バリ皇帝は、自分自身の体までも含めて、すべてを主に捧げることで成功しました。

これらは、主への献身奉仕の9つの標準的な項目です。候補者は、その一つでも二つでも、三つでも四つでも、あるいはすべてでも、好きなように取り入れられます。完全なる者に捧げられた奉仕は、すべてそれ自身完全であり、物質的な水準に見られるような質的、量的な違いはありません。霊的な水準では、すべては他のすべてと完全に同一です。ただし、超越的な多様性はあります。アムバリーシャ皇帝は、上記の9つの項目をすべて取り入れ、完全な成功を得ました。心は主の蓮の御足に、声は霊的世界を描写することに、手は主の寺を清めることに、耳は主シュリー・クリシュナの言葉を受動的に聞くことに、目は主の神像を見ることに、体は献身者の体に触れることに、鼻腔は主に捧げられた花の匂いをかぐことに、舌は主に捧げられた食物を味わうことに、足は主の寺を訪れることに。そして、自分自身の感覚の満足を全く求めずに人生のすべてのエネルギーを主へ奉仕することに使いました。これらのすべての活動によって、彼は物質科学のすべての巧妙さを打ち負かす人生の完全な状態に至りました。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 10:58 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 14

他に真剣な候補者が従うべき24の項目がありますが、主チャイタンニャはそのうち以下に挙げる5つを最も重要であるとして選択しました。これらは現在の文明生活の状態に照らして選ばれたものです。
1.献身者と交友すべきです。献身者との交友は、彼らの発言を注意深く聞くこと、適切な質問をすること、食物を与えること、彼らに与えられた食物を受け取ること、贈り物をすること、彼らから贈られたものを受け取ること、によって成り立ちます。
2.いついかなるときでも主の御名を唱えるべきです。主の御名を唱えることは、簡単で安価な自己認識のための方法です。主の無数の名前のいずれをいつ唱えても構いません。無礼のないように気をつけなければなりません。超越的な名前を唱えるときに犯しかねない無礼には10種類ありますが、これは最善の注意を払って避けねばなりません。しかし、どうであれ、常に主の御名を唱えるよう努めるべきです。
3.シュリマッド・バーガヴァタムに記されている超越的な事柄について聞くべきです。これは正統な献身者がバーガヴァタムの正統な翻訳に基づいて行う講義によって可能となります。
4.主クリシュナの生誕地であるマスラーに住むべきです。それができないなら、霊的指導者から正式な洗礼を受けた後で、家族みんなが礼拝できるように主の神像を安置して自宅をマスラーと同じくらい良い場所にすべきです。
5.家全体の雰囲気が主の御住まいの模倣となるように、安置された神像を注意と献愛の心をもって崇拝すべきです。これは、超越的な技芸(アート)を知っていて候補者に正しい方法を示してくれる霊的指導者の指示によって可能になります。

上記の5つの項目は世界中の誰でも実行できます。したがって、今の時代の堕落した魂を救い出すために特に降臨した主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブーなどの正統な人々によって認証された簡単な方法によって、誰もが家へ、至高主のところへ、帰る準備をすることができます。

この議題に関して更なる詳細な知識を求める者は、私たちが「献身の甘露」という題で英語の要約を発表したバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーなどの文書を読むことをお薦めします。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:26 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 13

一般的な方法(肯定的な心得)
1.真剣な生徒は、科学的に訓練を受けるために真正な霊的指導者を受け入れなければなりません。感覚は物質的なものであるため、それによって超越性を認識することは全く不可能です。したがって、霊的指導者の指示のもとで規定の方法で感覚を霊化しなければなりません。
2.霊的指導者を選んだら、その人から正式な洗礼を受けなければなりません。これが霊的な訓練の第一歩になります。
3.候補者は、あらゆる方法で霊的な指導者を満足させる心構えができていなければなりません。霊的な科学の方法に精通していて、バガヴァッド・ギーターやヴェダーンタ、シュリマッド・バーガヴァタムやウパニシャッドなどの霊的な聖典にも明るく、至高主としっかりと結ばれて自己を正しく認識した魂である真正な霊的指導者は、意欲のある候補者がヴァイクンサへの道を導いてもらえる透明な媒介者なのです。霊的指導者は、すべての面で満足させられなくてはなりません。なぜなら、彼の祝福によってのみ候補者は望みの道で素晴らしい前進をすることができるからです。
4.知性ある候補者は、進むべき道からすべての不明瞭な事柄を失くすために霊的指導者に知性ある質問をします。霊的指導者は、思いつきではなく実際にその道を通った正統な人々の原理に基づいて道を示します。これらの正統な人々の名前は聖典に明示されており、人は単に霊的指導者のもとでこれらの人々の足跡を辿ればよいのです。霊的指導者は決して正統な人々の道から外れることはありません。
5.候補者は、この方法を実践して成功を修めた偉大な聖人たちの足跡を常に辿るべきです。これは人生の指針として捉えられるべきものです。人は彼らを表面的に真似ようとするのではなく、それぞれの時と状況に即して誠実に辿るべきです。
6.候補者は、正統な書物に述べられた指導に応じて自分の習慣を変える心づもりをせねばなりません。また、主を満足させるために、アルジュナの例に倣って「感覚的な欲望の充足、および感覚的な理由で義務を放棄すること」を犠牲にする心の準備をする必要があります。
7.候補者は霊的な雰囲気の中で生活すべきです。
8.候補者は必要最低限の富で満足しなければなりません。簡素な生活をするのに必要な以上の富を貯め込もうとしてはなりません。
9.満ち欠けする月の11日目など、断食の日を守らねばなりません。
10.バニャンの木、牛、常識あるブラーマナおよび献身者に敬意を表さねばなりません。

以上は献身奉仕の道の最初の段階です。徐々に以下のような否定的な項目も修めねばなりません。
11.献身奉仕ならびに聖名を唱える上で、無礼のないようにせねばなりません。
12.非献身者との過度の関わりを避けねばなりません。
13.際限もなく弟子をとってはなりません。これはどういうことかというと、先の12の項目を十分に修めた者は自身が霊的指導者になれるということです。学生がクラスで何人かの限定された数の生徒を従える補助教員になるようなものです。
14.単に書物の中の文を引用することで、大いに学識のある人物であるかのようなふりをしてはなりません。必要な書物に関してはしっかりした知識を持ち、それ以外の不必要な知識を掻き集めることのないようにしなければなりません。
15.以上の14の項目を習慣的に実践して修めた者は、物質的な損失と集積の大いなる試練の中にあっても精神の平静を維持することができます。
16.次の段階では、嘆きと幻想に悩まされることがなくなりまs。
17.他者の宗教や崇拝のあり方や、至高の人格神やその献身者をあざけることがありません。
18.主やその献身者に対する侮辱を断固として許しません。
19.男女の関係に関する会話や他者の家庭の内情に関する無益な会話にうつつを抜かすべきではありません。
20.誰であれ、他の生物の体にも精神にも痛みを与えるべきではありません。

以上の20項目のうち、最初の3点は絶対であり、真剣な候補者にとって必要不可欠のものです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:25 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 12

もちろん、人には自由意志が与えられているので、物質界からの解放を望まないならブラーマ・パーダ(ブラーマーの官職)になってスィッダーロカという天体を訪れることもできます。そこには重力や空間や時間などを完全に統御する力を持った物質的に完璧な生命体が住んでいます。これらの物質的な宇宙の高位の天体を訪れるためには、心と知性(密度の薄い物体)を放棄する必要はありません。密度の濃い物体(物質の体)だけを放棄すればよいのです。

人工の衛星や機械的な宇宙船は、人を宇宙の他の天体へ運ぶことはできないでしょう。人はあれほど大々的に宣伝している月への旅行さえできません。すでに述べたように、そのような高位の天体の大気は地球のそれとは違うからです。天体はどれもそれぞれに異なった大気を持っているので、物質宇宙の中のどれか特定の天体を訪れたいなら、人はその天体の気候条件に完全に適応した物質の体を持たねばなりません。例えば、インドからヨーロッパへ行こうと思うなら、気候条件が違うのでそれなりの服装を整えねばなりません。同様に、ヴァイクンサの超越的な天体に行こうと思うなら、体を完全に取り替える必要があるのです。

高位の物質的な天体に行こうと思うなら、密度の薄い「衣類」である心と知性と自我はまとったままで構いませんが、地、水、火、その他の要素からできている密度の濃い衣類(体)は手放さなければなりません。しかし、超越的な天体へ行くときは、密度の濃いのと薄いのと、両方の体を取り替える必要があります。霊的な宇宙には、完全に霊的な姿で辿りつかねばならないからです。こうした衣服の変化は、人がそう望むなら、死に際して自動的に起こります。しかし、そのような臨終の希望は、それが生きている間に育まれていて初めて可能になります。宝のあるところに心あり。献身的な奉仕を実践するとき、人は神の王国への望みを培います。以下に述べる詳細は、生老病死の苦しみのない人生が待つヴァイクンサ(反物質)の天体への簡単な旅行に向けて準備をするための一般的な方法の概要を示しています。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:24 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 11

シュリマッド・バーガヴァタム(3巻32章)では、月に行くための方法が以下のように描写されています。

「神の王国のことを全く知らない物質的な人々は、富や名声や尊敬など、物質的なものをかき集めるのにいつも無我夢中です。そのような人々は、自己満足のために自分の家族のますますの繁栄を求め、同じく社会と国家の幸せも求めます。これらの人々は望むものを物質的な行いによって得ます。彼らは規定された義務を儀礼的に為すこと機械的に携わり、また、開示された聖典に示されている供え物をすることで、ピター(祖先)を満足させたり半神を思いのままに操ったりするする傾向があります。そのような犠牲の行為や祝祭日の順守などに一生懸命になっている魂たちは、死後は月に行きます。月に上げられると、ソマ・ラサという天界の飲み物を飲むことができるようになります。月の主神はチャンドラという半神です。月の大気と生活環境は地上のそれよりはるかに快適で優れています。月に達した後で、魂がその機会をさらに上位の天体に上げられるために使わないなら、地球か、それに似た下位の天体に下ろされることになります。しかし、物質的な人々は、たとえ最高位の天体系に辿り付いたとしても宇宙の終結のときに確実に破壊されることになっています。」

霊的宇宙の天体系については、パラ・ヴョマに無数のヴァイクンサ天体があります。ヴァイクンサは主の内的な潜在力の顕現である霊的な天体であり、これらの天体と物質的な宇宙の物質的な天体(外的なエネルギー)との比率は3対1です。したがって、みじめな物質主義者たちは神の創造の中で最も取るに足らない天体の上で利益を求めて取り引きに駆けずり回っているのです。この地球という天体は言うに及ばず、無数の銀河と無数の天体を内包する宇宙全体でさえ、カラシ種がたくさん入った袋の中の一粒のようなものに過ぎません。(訳注;カラシ種は大変小さく、聖書でも「とても小さくて取るに足らないもの」という意味で使われています。)しかし、みじめな物質主義者たちはここで快適に暮らす計画をたて、確実に欲求不満が約束されている事柄に貴重な人間エネルギーを無駄にするのです。駆け引きに時間を無駄にするかわりに、簡素な暮らしと高い霊的な思索の人生を求めて、そうして終わりのない物質的な不安から自分自身を救い出すべきであるのです。

物質主義者が物質的に高度な設備を楽しみたいと望んだ場合は、地上で得られるよりはるかに高度な物質的な快楽を経験できる天体に自分を移動させることができます。しかし、最高の計画は体を離れたあとに霊的な宇宙に戻れるように準備をすることです。しかし、物質的な設備を楽しみたいなら、ヨガの力を使って物質宇宙の他の天体に移動できます。宇宙飛行士たちのちゃちな宇宙船は子供じみた娯楽に過ぎず、この目的のためには全く役立ちません。

アシュターンガ・ヨガ体系もまた物質的です。これは物質の体の中の空気の動きを統御する方法を教えるものだからです。霊的な火花、すなわち魂は、体の中の空気の中に浮かんでいます。そして呼気と吸気は魂を含むその空気の波です。したがって、ヨガ体系とは、この空気を胃からヘソへ、胸から鎖骨へ、そして目玉へ、小脳へ、そしてそこからはどの天体でも望むところへ移動させることで統御する物質的な技法なのです。物質的な科学者は空気と光の速度を計算に入れますが、心と知性の速度については何の情報も持っていません。私たちは、心の速度についてはいくらかの経験があります。ほんの一瞬で心を何百何千キロと離れた場所に移動させることができるからです。知性は心よりさらに速く、魂は知性よりも速い速度で動きます。魂は心や知性と違って物体ではなく、霊、すなわち反物質であるのです。魂は知性より何百倍も何千倍も微細で強力です。私たちは魂が天体から天体へと移動する速度がどんなものか、想像することしかできません。言うまでもなく、魂はいかなる物質的な乗り物の助けも借りず、自力で移動します。

食べること、眠ること、恐れること、そして感覚の欲望を満たすことからなる野蛮な文明は、現代の人々に自分がいかに強力な魂を持っているかを忘れさせてしまいました。すでに述べたように、魂は太陽や月や電気よりも何倍も何倍も明るく輝く強力で霊的な火花です。人間の人生は、人が自らを魂であると正しく自己認識しないのならば駄目になってしまうのです。主チャイタンニャは、人をこのように誤った方向に導く文明から人間を救い出すために、弟子であるニチャーナンダと共に現れました。

シュリマッド・バーガヴァタムにも、ヨギーがいかにして宇宙のあらゆる天体に旅することができるのかが描写されています。生命力が小脳に上げられると、この力が目や鼻や耳などから溢れるように飛び出す恐れがあります。これらは生命力の第7軌道と言われる場所だからです。しかしヨギーは空気を完全に止めることでこれらの穴を閉じることができます。ヨギーは次に生命力を真ん中に位置に、すなわち両方の眉の間に集中します。この位置でヨギーは死後に行きたい天体のことを考えます。一度辿りついたら二度と物質界に下りて来る必要のない超越的なヴァイクンサにあるクリシュナの住みかに行きたいか、それとも物質宇宙の中の高位の天体に旅したいか、決めることができるのです。完全なヨギーはどちらでも好きなように決められます。

完全な意識を保ったままで体を離れるのに成功した完全なヨギーによって、ある天体から別の天体に移動するのは普通の人が八百屋に歩いていくほど簡単です。すでに論じたように、物質的な体は霊的な魂を覆うものに過ぎません。心と知性は下着であり、地、水、空気などからなる密度の濃い体は上着です。したがって、ヨガの体系によって自己を認識し、物体と霊の関係を知った高度な魂は、望むままに完璧な秩序をもって、まとっている密度の濃い衣服を脱ぎ捨てることができます。神の望みにより、私たちは完全な自由を持っています。主は慈悲深いので、私たちには霊的な宇宙と物質的な宇宙のどの天体であれ、望む場所に住む自由が与えられています。しかし、この自由を使い損なうと、人は物質の世界に堕ちて来て、様々な制約のある人生で幾重もの悲惨さに苦しむことになります。魂の選択によって物質世界で惨めな人生を送ることについては、ミルトンの「失楽園」に的確に描写されています。同様に、自らの選択によって魂は再び楽園を得ることもできます。家へ、至高神の元へ帰ることができるのです。

死の間際に、人は生命力を二つの眉の間に置いてどこへ行きたいか決めることができます。物質界との関わりを持ち続けたくないなら、一秒もかからずに超越的なヴァイクンサに辿りついて、霊的な大気の中に住むのにふさわしい完全に霊的な体をもってそこに現れることができます。単に、物質的な世界を密度の薄い部分と濃い部分の両方とも捨て去ることを望めばよいのです。そして生命力を頭蓋骨の頂上に動かし、そこにあるブラーマ・ランドラという穴から体を離れます。これがヨガの実践における最高の完成です。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:23 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 10

加えて、1960年2月21日のモスクワニュースは次のように伝えています。
「ロシアの著名な天文学者ボリス・ヴォロンツォフ氏は、宇宙にはそれぞれの環境に適応した能力を持った生物の住む惑星が無数にあるに違いない、と発言した。」

ロシアの天文学者によるこの発言は、ブラーマ・サムヒターに述べられた情報を再確認するものです。(以下、サンスクリットでの引用が4行あります)

この引用によると、ロシアの天文学者の言うように無数の惑星があるだけでなく、同時に無数の宇宙も存在します。これらすべての宇宙とその中の惑星は、マハー・ヴィシュヌの超越的な体から発するブラーマンの光輝から作られてその中に漂っています。マハー・ヴィシュヌは我々の住む宇宙の支配神であるブラーマーが礼拝する存在です。

ロシアの天文学者はまた、すべての惑星に生物がいると言います。ブラーマ・サムヒターには、無数の宇宙のすべてに無数の様々な惑星があると述べられています。

彼の論点は、生物学者であるヴラディミール・アルパトフ氏によって支持されています。氏は「上記の惑星の一部は地球と同程度の発達をしている」という発言で擁護しているのです。モスクワからのニュースは以下のように伝えています。

「おそらくそのような惑星では地球のそれに似た生命が繁栄しているだろう。化学博士ニコライ・ズィーロフ氏は惑星上の大気の問題を研究しており、例えば火星人の体は低い体温で普通に存在できるように完全に順応しているであろう、と指摘している。火星のガス状の大気成分はそれに順応した生物の命を維持するには完全に適しているだろうと氏は考えている。」

様々に異なる惑星に住む生命体の順応性はブラーマ・サムヒターにヴィブーティ・ビナムと表現されています。宇宙にある無数の惑星の一つ一つにそれぞれ独自の大気があり、そこに住む生命体はその大気の優越性や劣等性に応じて科学や心理の面で相応に発達している、という意味です。ヴィブーティは「特定の力」という意味で、ビナムは「様々な」という意味です。

機械的な方法で他の天体にたどり着こうとして宇宙探査をしている科学者たちは、地球の大気に順応している生物は他の天体の大気の中では生存できないということに気がつかなければなりません。すなわち、人間は月や太陽や火星に行こうとしていますが、それらの天体を覆う大気は地球の生物には適さないので、全くの骨折り損なのです。しかし、個人的には人はどこでも好きな天体を目指すことができます。ただし、これは心の中で心理的な変化を起こすことによってのみ可能です。心は物質的な体の中核です。物質の体が徐々に進化するのは、心の中の心理的な変化によるものなのです。毛虫の体の組成が蝶のそれに変わり、近代の医科学で男の体が女のそれになったり(あるいはその逆になったり)するのは、多かれ少なかれ心理的な変化によります。

バガヴァッド・ギーターでは、人が死のときに心を至高の人格神シュリー・クリシュナに集中し、その状態で体を放棄すれば、ただちに反物質世界の霊的な存在に入ることができると言われています。これは、献身的な奉仕を規定された通りに行うことによって心を物質から至上神の霊的な形に向ける者は誰であっても反物質宇宙にある神の王国に簡単に入ることができる、ということなのです。疑いの余地はありません。

そして、同じようにして、物質宇宙の他のどの天体にでも、現在の体を捨てた直後に(例、死など)行けるのです。つまり、月なり太陽なりに行きたいなら、単にそのための行動をするだけで良いのです。バガヴァッド・ギーターでは、このことを以下のように確認しています。

「死のときに瞑想して想念を集中していた特定の対象を人は死後に得ることになります」

マハラジャ・バーラタは、生涯厳しい苦行をしていたにも関わらず、死のときに鹿(stag, 雄の鶏、七面鳥、キツネ)のことを考え、その結果、死後は鹿になりました。しかし、彼は過去生に関するはっきりした意識を持ち続けていて、自分の犯した間違いに気づきました。死のときに持つことになる考えは人がその生涯に為す事柄に影響されるということを知っておくことが大切です。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:22 | 「簡単な惑星旅行」

簡単な宇宙旅行 9

様々な神々、あるいは強力な管理責任者たちは、宇宙の活動の運営管理をなすべく任命されています。宇宙の管理の複雑さを見通すことのできない愚かな人々は、半神たちが個人的に火や空気や電力や夜や昼などを管理しているという考えをあざ笑います。しかし完璧なヨギーはこれらの目に見えない物質的な業務の管理者たちを満足させる方法を知っています(to satisfy、満足させる、義務を果たす、負債を返済する)。そしてこれらの管理者たちの厚意にあずかって、反物質宇宙や物質空間の最上位の惑星に入るためにアレンジされた適切な瞬間に、自分の意思で物質の体を出ます。物質世界の高位の惑星では、ヨギーはより快適で快楽的な人生を何百年も何千年も(hundreds of thousands of years、慣用的な表現であり、この場合はもっともっと長いと考えられます。)生きることができますが、これらの惑星での人生は永遠ではありません。永遠の生命を欲する者は神秘的な力を使って反物質宇宙に入ります。そのための適切な瞬間は、宇宙の業務の管理者である半神によって作られています。これらの管理者は「地球」と呼ばれるこの第7等級の惑星に住む完全な物質主義者の目には見えません。

ヨギーではないけれど、捧げ物(sacrifice、供え物、犠牲)や慈善や贖罪などの敬虔な行いによって適切な瞬間に死んだ者は、死後高位の惑星に上ることはできるが、その後またこの(地球という)惑星に戻ってくる可能性があります。彼らの旅立ちの瞬間はドゥーマと呼ばれる期間にあたり、一月のうちで月のない暗い闇、あるいは太陽が南の道を通っているときになります。

要約すると、バガヴァッド・ギーターは人が反物質世界に入りたいなら献身的な奉仕すなわち反物質活動をすることを薦めています。道を究めた超越主義者が指示するようにこの献身奉仕をする者は反物質世界に入れなくてがっかりすることはありません。障害はいくらでもありますが、主クリシュナの献身者は超越した献身者がすでに示してくれた道を頑固に辿ることでそれを簡単に克服できます。反物質である神の王国に向かって旅している献身者はたぶらかされることがありません。反物質宇宙に入るための絶対的に保障された道を辿るものは、だまされもしないし落胆することもないのです。バクティ・ヨガとして知られる一方的な献身奉仕をするだけで、ヴェーダを研究したり供え物をしたり贖罪や慈善をしたときと同じ結果を簡単に得ることができるのです。

このようにバクティ・ヨガはすべての人にとってすばらしい万能薬(panacea、あらゆる問題の解決策)であり、現在の「鉄の時代」にあっては特に容易に実行できるように主クリシュナご自身が方法を示されました。クリシュナは、最も気高く、自由で、かつ惜しみなく与える主シュリ・チャイタンニャ(1486-1534)としてベンガル地方に降臨されました。そしてインド全体にサンキールタナという神の御名を歌って踊って唱えて称える方法を広めました。主チャイタンニャの慈悲によって、人はすばやくバクティ・ヨガの原則を会得できます。こうして心の疑いはすべて取り除かれ、物質的な苦難の炎は消され、超越的な喜びが満ちてきます。

ブラーマ・サムヒターの第5章には物質世界に存在する様々な惑星系の描写があります。バガヴァッド・ギーターにも、無数の物質宇宙の中には様々な惑星系があり、これらの宇宙は神の創造エネルギーの一部(4分の1)を構成している、と記されています。大部分(4分の3)は霊的空間に顕現しており、その空間はパラ・ヴョマあるいはヴァイクンサロカと呼ばれます。ブラーマ・サムヒターとバガヴァッド・ギーターにあるこれらの描写は、やがていつの日か物質科学者たちが反物質世界の存在の研究をするときに終に再確認されることになるでしょう。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 09:21 | 「簡単な惑星旅行」