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カテゴリ:「ハレ・クリシュナの挑戦」( 27 )

第16章

第16章 教育と「良い人生」について

シュリーラ・プラブパーダ、新しい献身者の母親、そしてイエズス会の神父との間の次の対話は、1973年7月にロンドンのラーダー・クリシュナ寺院において交わされました。

SP:  (母親に向かって)私たちのヴェーダの理解によれば、罪深い生活の4つの柱があります。不正な性交、不必要に動物を殺すこと、陶酔物の摂取、および賭け事です。私たちの生徒たちは、これらを放棄するように訓練されています。

そして、あなたがご自分の息子さんから見ることができるように、彼らは幸せで、野菜と牛乳から作られたおいしい食べ物を食べることと、ハレ・クリシュナ、すなわち神の聖なる御名を唱えることによって満足しています。

母親:  私は彼が幸せであるのを見てとれます。しかし、お分かりと思いますが(you know)、彼は非常に幸せな家庭の出身です。ですから、彼は幸せであって当然なのです(should)。そうでしょう?

SP:  はい。しかし今では彼はもっと幸せです。彼は幸せでしたが、今では彼はもっと幸せです。

母親:  私はマイケルの幸せを嬉しく思っています。しかし、彼が自分の大学教育を続けないことについて、非常に落胆しています。

SP:  私たちのクリシュナ意識運動は、人々から彼らの教育を奪うことはしません。私たちはこう言います。「あなたの大学教育を続けなさい。しかし同時に、神を知り、主を愛することが十分にできるようになりなさい。そうすればあなたの人生は完璧です。」

(改行)しかし、どちらにしても、教育の目的は何ですか?私たちのヴェーダ文化は、教育の最高点は神を理解することであると教えます。それが教育です。そうでなければ、いかにして良く食べるか、いかによく眠るか、いかに良く性交するか、およびいかに良く身を守るか、ということのための教育、この教育は動物の間にさえあります。

動物たちもまた、いかに食べるか、いかに眠るか、いかに性交するか、そしていかに身を守るかを知っています。教育のこれらの4つの部門は、人間には十分ではありません。人間はいかに神を愛するかを知らねばなりません。それが教育です。

母親:  はい。私は完全にあなたに賛成します。私は科学の分野にいる多くの素晴らしい人々の名を挙げることができます。彼らは科学者でありながら(still)、非常に神に近いのです。私たちはどこにいることでしょう(訳注:「私たちはどうなっていることでしょう」)、私たちの科学者たちがいなければ、私たちの医者たちがいなければ、、、

SP:  しかし、単に医学の分野で医者になることは、人を救いません。不幸にして、ほとんどの医者たちは来世を信じません。

母親:  おお、彼らはもちろん信じています(Oh, yes they do.)。私は毎週日曜日に教会に来る医者を知っています。そしてマイケルも彼を知っています。彼も来世を信じています。彼は本当にとても良い人です。

SP:  一般に、来世を信じる西洋の人は、それをあまり真剣に信じていません。もしも彼らが実際に来世を信じているなら、彼らは自分が一体どんな種類の来世を持つことになるかについて、もっと気にするでしょう。840万種類の生命の形が存在します。木は生命の形であり、猫や犬もまた生命の形です。ですから、全部で840万種類あります。

私たちは来世を持つことになるので、(そして)私たちは今の体を去って別の体を受け入れなければならないので、私たちの主な関心事は、自分は次にどんな種類の体を持つことになるか、ということであるべきです。しかし、学生を来世のために準備するために教育する大学がどこにありますか?

神父:  世界中のカトリックの大学はそれをしています。そしてそれが私たちの主な目的です。若い男性、あるいは若い女性を、この世界で成功するために教えること、そして何よりも来世での成功、つまり永遠に神と結びつくこと。それが最優先事項です。

SP:  では、どうやって私たちは来世においてどんな種類の体を得るのかを知ることができますか?

神父:  私が知っているのは、滅亡はない、ということだけです。私は神と一緒になります。(joined with God)

母親:  私たちは万能の神と一緒になるのです。それだけです。私たちは死ぬときに万能の神のところに行きます。私たちは心配する必要はありません。

SP:  しかし、神のところへ行く資格は何ですか?誰もが神のところへ行くのですか?

母親と神父:  はい。はい。

神父:  誰であれ、神を信じ、良い人生を送り、この世において最善を尽くす者は、、、

SP:  それなら次の問いはこれです。良い人生とは何ですか?

神父:  神の戒めに従うことです。

SP:  戒めの一つは、「汝、殺すなかれ」というものです。それでは、もしも誰かが罪のない動物を殺して彼らを食べるなら、彼は良い人生を送っていますか?

神父:  睨下(Father)、あなたは多少理不尽でいらっしゃいます。(訳注: Fatherは、通常はカトリックの聖職者への呼びかけに使われる。「神父様」、という感じの言葉。 睨下(げいか)は最高位の聖職者の敬称。)「汝、殺すなかれ」は、「汝、不必要に命を取るなかれ」を意味します。もしも肉を食べないのなら、どうやって私たちは生きることができるでしょうか?

SP:  私たちはどうやって生きていますか?私たちは野菜と穀物と果物と牛乳から作られたおいしい食べ物を食べています。私たちは肉を必要としません。

神父:  このように考えてください。あなたはほんの2-3分前に、800万だかの異なる生命の種類が存在するとおっしゃいました。あなたは、ジャガイモ、キャベツ、そして他の野菜もまた生命を持っているということに同意なさいますか?

SP:  はい。

神父:  では、これらの野菜をゆでるとき、あなたは彼らの命を取っています。

SP:  あなたの哲学は何ですか?ジャガイモを殺すことと罪のない動物を殺すことは等しいというものですか?

神父:  あなたは「汝、殺すなかれ」とおっしゃいました。しかし、あなたはジャガイモを殺します。

SP:  私たちは皆、他の生命体を食べることによって生きなければなりません。(サンスクリット引用)しかし、ジャガイモを食べることと何らかの動物を食べることは同じではありません。あなたはそれらが等しいと思いますか?

神父:  はい。

SP:  それなら、なぜあなたは子供を殺してそれを食べないのですか?

神父:  私は一瞬たりとも子供を殺すことは考えません。

SP:  しかし、動物と子供はどちらも無力で無知だという点で似ています。子供が無知だからといって、それは私たちが彼を殺して良いということを意味するのではありません。同様に、動物は無知、あるいは非知性的ですが、私たちは彼らを不必要に殺すべきではありません。分別のある者、宗教的な者は、区別をつけるべきです。

彼はこう考えるべきです。「もしも私が野菜、果物、そして牛乳から自分の食べ物を得られるなら、なぜ私は動物を殺して食べるべきだろうか?」それに、あなたが木から果物を取るとき、殺すことはありません。同様に、牛から牛乳を取るとき、私たちは牛を殺しません。ですから、もしも殺すことなく、そのように生きられるのなら、なぜ私たちは動物を殺すべきでしょうか?

神父:  あなたはどう思われますか?私は肉とベーコンなどを食べるので、、、それは私を罪深い者にしますか?もしもそれらを食べないなら、私の罪深さは減るのでしょうか?

SP:  はい。(校正:原文はピリオドが抜けている。)

神父:  では、もしも私が肉とベーコンとソーセージを食べることを放棄するなら、私は違う人になるのですか?

SP:  あなたは浄化されます。

神父:  それは非常に興味深いことです。

SP:  動物を殺す者は、神を理解することができません。私はこれを見たことがあります。それは事実です。彼らは神を理解するための脳を持ちません。
by ammolitering4 | 2011-04-16 03:01 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第15章

第15章 科学と信仰について

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の一人との間の次の会話は、1975年5月にオーストラリアのパースにおいて早朝の散策の間に録音されました。

弟子:  (物質主義的な科学者の役割をとって)なぜあなたはクリシュナ意識を科学と呼ぶのですか?それは単に信仰であるように見えます。

SP:  あなたのいわゆる科学もまた信仰です。もしもあなたが自分の方法を科学と呼ぶなら、それなら私たちの方法もまた科学です。

弟子:  しかし、私たちの科学では、私たちは自分たちの信仰(訳注:信じていること)を証明することができます。

SP:  それなら、化学物質が生命を作ると証明しなさい。あなたの信仰は、生命は化学物質から作られているというものです。ですから、それを証明しなさい。そうすればそれは科学です。しかし、あなたはそれを証明することができません。したがって、それは信仰でありつづけます。

弟子:  しかし(Well)、あなたは魂を信じていますが、あなたはそれが存在すると証明することができません。私たちは魂を見ることができないので、生命は物質から生じると結論しなければなりません。

SP:  あなたは自分の鈍感な感覚で魂を見ることはできませんが、それは知覚され得ます。意識は知覚されることができ、そして意識は魂の徴候です。しかし、もしもあなたが言うように生命が物質から生じるのなら、それならあなたは、死体が再び生きるようにするために、欠けている化学物質を提示することによって、それを立証しなければなりません。これが私の挑戦です。

弟子:  正しい化学物質を見つけるには、しばらく時間がかかります。

SP:  それはあなたが無意味なことを話しているということを意味します。あなたの信仰は、生命は化学物質から生じる、というものです。しかし、あなたはそれを証明することができません。したがってあなたは自分自身を悪者であると証明します。

弟子:  しかし、あなたはバガヴァッド・ギーターを信仰に基づいて受け入れます。どうしてそれが科学的なのですか?それは単にあなたの信仰です。そうではありませんか?

SP:  なぜそれが科学的でないでしょうか?バガヴァッド・ギーターには(サンスクリット引用)とあります。「すべての生命体は十分な穀物(訳注:food grains、この場合は広く「食物」を指すものと考えるできでしょう)を食べることによって生存し、そして穀物は雨から作られます。」それは信仰ですか?

弟子:  それは本当のことに違いありません。

SP:  同様に、バガヴァッド・ギーターの中のすべてのものは真実です。もしもあなたがそれについて注意深く考えるなら、あなたはそれがすべて本当であることを知るでしょう。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは、社会には魂と神を知っているブラーマナ、知的な階層の人々がいなければならない、とおっしゃいます。それが文明化された人類(man)です。しかし、今日の社会において、そのような階層の人々がどこにいますか?

弟子:  多くのラビ(訳注:ユダヤ教の聖職者)、神父、そして牧師がいます。

SP:  しかし、彼らは神について何を知っていますか?ただ、この一点を明らかに見ようとしなさい。至高の権威が存在します。あなたは独立してはいません。したがって、あなたは至高の権威が存在するということを受け入れなくてはなりません。しかし、あなたはその至高の権威が誰か知りません。ですから、もしもあなたが至高の権威を知らないなら、あなたの知識の価値は何ですか?

(改行)たとえば、ある人が自分の国の政府について知らないと仮定しましょう。彼はどんな人でしょうか?彼は単に三流の人物、ろくでなし(訳注:rascal)です。文明化された人は、自分の国の政府について知っています。同様に、宇宙全体の政府が存在します。しかし、もしもあなたがそれを知らないなら、あなたは三流の非文明人です。

したがって主クリシュナはバガヴァッド・ギーターにおいて、人間の社会には、神を知り、宇宙全体の管理について、それがいかに神の命令の下で働いているかを理解している、知性的な階層の人々がいなければならない、とお教えになります。私たちクリシュナ意識の献身者は、これらのことを知っています。したがって私たちは文明化されています。

弟子:  しかし、バガヴァッド・ギーターは五千年前に書かれました。ですから、それは今日とは関係ありません。

SP:  バガヴァッド・ギーターは五千年前に書かれたのではありません。それは既にそこにありました。それはいつも存在していました。あなたはバガヴァッド・ギーターを学んでいますか?

弟子:  はい。

SP:  それでは、あなたはバガヴァッド・ギーターのどこに、それが五千年前に書かれたということを見出すのですか?それは1億2000万年以上前に最初に語られました。クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「私はこの科学を1億2000万年以上前にヴィヴァスヴァーンに語りました。」

あなたはこれを知らないのですか?あなたはどういうバガヴァッド・ギーターの読者なのですか?(訳注:あなたはそれでもバガヴァッド・ギーターの読者なのですか?)バガヴァッド・ギーターはアヴャヤムです。それは永遠に存在しています。ですから、どうしてあなたはそれが五千年前に書かれたと言えるのですか?

(改行)(シュリーラ・プラブパーダ、ご自分の杖で昇る朝日を指す)ここに私たちは太陽がちょうど昇っているのを見ます。(訳注:「ごらんなさい。太陽が昇っています。」)しかし、それはいつもそこに、宇宙空間にあります。バガヴァッド・ギーターはそのようなものです。それは永遠の真理です。太陽が昇っているとき、私たちはそれがちょうど今存在し始めているとは言いません。

それはいつもそこにあります。しかし、私たちはそれが昇るまで見ることができません。人間は、夜には、太陽は死に、朝には新しい太陽が作られるのだと考えていました。彼らはまた、地球は平らであるとも信じていました。これがあなた方の科学的な知識です。毎日、新しい知識です。

弟子: これは、私たちが真実を発見しているということを意味します。

SP:  いいえ。それはあなた方が真実とは何かを知らないということを意味します。あなた方は単に推量しています。今はあなた方は何かを真実として受け入れます。しかし、2-3日するとあなた方は、それは真実ではない、と言います。そして、あなた方はこれを科学と呼びます!

弟子:はい、おっしゃるとおりです。わずか2-3年前に書かれた科学的な教科書の多くは、今では古びています。

SP:  そして、あなた方が今使っている科学的な教科書は、2-3年すると役に立たなくなります。これがあなた方の科学です。

弟子:  しかし、少なくとも私たちが今知っていることは、私たちがかつて知っていたことよりも真実に近く、そしてもしも私たちが努力を続けるなら、私たちはより多くを知るでしょう。

SP:  これはあなた方がいつも無明の内にあるということを意味します。しかし、バガヴァッド・ギーターはそのようなものではありません。クリシュナはアルジュナにおっしゃいます。「私はこの科学を最初に1億2000万年前に教えました。そして今日、私はあなたに同じことを教えています。」

それが科学的な知識です。真実はいつも同じです。しかし、あなた方科学者たちは、いつも変化しています。「真実を発見している」と、あなた方はそれを呼びます。それは、あなた方が真実とは何かを知らないということを意味します。

弟子:  (自分自身として)問題は、 すべての人が詐欺師であるということです。誰もが推量しており、自分の結論を真理として提示しています。

SP:  そうです。したがって私たちは、騙さない人であるクリシュナを受け入れなければなりません。そして私はクリシュナがおっしゃったことだけを提示しているので、私もまた、詐欺師ではないのです。それが私たちと科学者たちとの間の違いです。
by ammolitering4 | 2011-04-16 02:00 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第14章

第14章 技術と失業について

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の一人との間のこの対話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブで交わされました。

弟子:  最近の講演で、インドの政治家がインドの人々の80%は田舎の村に住んでいると言いました。彼の提案は、農場での技術を増やすことでした(訳注:農業の工業化を進めること)。手で麦を刈り取らなければならない代わりに、人々は動力設備のついた刈り取り機を持つでしょう。そして、鋤(すき)を引くために(去勢した)雄牛を使わなければならない代わりに、彼らは耕運機を使うでしょう。

SP:  インドでは、多くの人が既に失業しています。ですから、そこにもっと多くの機械を導入することは、あまり良い提案ではありません。100人の人の仕事が、機械を使う一人の人によってなされ得ます。しかし、なぜそれほど多くの人々が失業しているべきなのですか?なぜ一人の代わりに100人の人を働かせないのですか?

ここ西洋でも、多くの失業者がいます。あなた方の西洋の国々では、すべては機械によってなされるので、あなた方は多くのヒッピーたちを、イライラが募って何もすることのない若者たちを作り出しています。それは別の種類の失業です。ですから、多くの場合、機械は失業を生じさせます。

(改行)すべての人が仕事を持っているべきです。そうでなければ、問題が生じます。「怠惰な脳は悪魔の作業場だ。」何もすることのない人々が非常にたくさんいるとき、なぜ私たちはもっと多くの失業を生じさせるために機械を導入すべきなのですか?最良の方針は、誰も失業しているべきではない、というものです。誰もが忙しくしているべきなのです。

弟子:  しかし、こう言って議論する者もいるかもしれません。「機械は私たちを非常に多くの時間のかかる労働から自由にします。」

SP:  何のために自由にするのですか?お酒を飲むことと、様々な無意味なことをするためにです。この自由の意味は何ですか?もしもあなたがクリシュナ意識を培うために人々を自由にするなら、それは話が別です。もちろん、誰かが私たちのクリシュナ運動のところに来るときは、彼もまた、いつも何らかの仕事をしているべきです(He should also be fully engaged.)。

この運動は、食べることと眠ることのためではなく、クリシュナのために働くことのためにあります。ですから、このクリシュナ意識においてであろうが、外の社会においてであろうが、方針は、誰もが仕事を与えられて忙しくしているべきである、というものです。そうすれば良い文明が生じるでしょう。

(改行)ヴェーダ文明では、すべての人がブラーマナ(識者、あるいは教師)、クシャトリヤ(軍事的あるいは政治的な指導者)、ヴァイシャ(農民あるいは商人)、あるいはシュードラ(労働者)として働いているようにするのは、社会の長の義務でした。

すべての人が働かねばなりません。そうすれば平和が訪れるでしょう。現時点では、非常の多くの技術が原因で失業があり、多くの怠惰な人々がいます。ヒッピーたちは怠惰です。それだけです。彼らは何もしたくありません。

弟子:  もう一つ、「技術があれば、私たちはもっとずっと良く、もっとずっと効果的に働くことができるので、働いている人の生産性が格段に向上する」という議論もあるかもしれません。

SP:  もっと多くの人が仕事を与えられて、もっと非効率的に働くほうがいいのです。バガヴァッド・ギーター(18.48)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「すべての努力は何らかの欠陥によって覆われています。ちょうど、火が煙によって覆われているようなものです。したがって、人は自分の生来の性質に添った仕事(the work which is born of his nature)を放棄すべきではありません、おお、クンティーの息子よ。たとえそのような仕事が欠陥に満ちていたとしてもです。」

そして、ヒンディー語の諺はこう言います。(サンスクリット引用)「ベカーリー」は、「仕事が無い」を意味します。そして「ベガーリー」は「給料無しで働く」を意味します。インドでは、私たちは多くの村人がやってきて商店主や紳士にこう頼むのを見ました。

「どうか私に何らかの仕事をください。私は給料は望みません。あなたがそうしたいなら、あなたは私に幾らかの食べ物を与えることができます。そうでなければ、私はそれさえ望みません。」それでは、どの紳士が、もしもあなたが彼のところで働くなら、あなたに何か食べるものを与えないでしょうか?

直ちに労働者は、何らかの仕事、および食べ物と住むところを得ます。それから、彼が働いているとき、もしも紳士が彼が非常に良く働いているのを見れば、彼は「いいでしょう、いくらかの給料を受け取りなさい」と言うでしょう。

したがって、何の仕事もなく怠惰であり続けるよりも、何らの報酬もなく働くほうがいいのです。それ(訳注:何の仕事もなく怠惰でいる状態)は、非常に危険な立場です。しかし、現代の文明においては、多すぎる機械が原因で、非常に多くの失業者がいます。そして、非常に多くの怠け者たちもいます。それは良くありません。

弟子:  ほとんどの人は、この考え方は非常に古臭いと言うでしょう。彼らは、たとえそれが高い失業率を作り出しても、自分たちの技術を持つほうを好むでしょう。なぜなら、彼らはそれを苦役から自由になる方法として、それに、他のものを楽しむ自由としても見るからです。テレビや映画や車や、、、

SP:  技術は自由ではありません。むしろ、それは地獄への「自由の道」(freeway、高速道路)です。それは自由ではありません。すべての人がその能力に応じて働いているべきです。もしもあなたが優れた知性を持っているなら、あなたはブラーマナの仕事を、すなわち聖典を研究し、本を書き、他者に知識を与えることをするのが良いでしょう。

それがブラーマナの仕事です。あなたは自分の生計について気にする必要はありません。社会がそれを供給します。ヴェーダ文明においては、ブラーマナは給料のために働くことをしませんでした。彼らはヴェーダ文献を研究することと、他者に教えることで忙しく、そして社会が彼らに食べ物を与えました。

(改行)クシャトリヤに関して言えば、彼らは社会の他の構成員に保護を与えなければなりません。危険があるでしょうし、攻撃があるでしょう。そして、クシャトリヤは人々を守るべきです。その目的のために、彼らは税金を取り立てることが許されています。

それから、クシャトリヤよりも知性において劣る者は、ヴァイシャ、すなわち商業層(mercantile、商業の、経済の)です。彼らは食べ物を作ることと牛を守ることに携わります。これらのことが必要とされます。そして最後に、他の三つの、より高い階層を助けるシュードラがいます。

(改行)これは社会の自然な区分です。そしてそれは非常に良いものです。なぜなら、それはクリシュナご自身によって作られたからです。(サンスクリット引用)すべての人が仕事を持っています。知性的な階層は仕事を持ち、軍事的な階層は仕事を持ち、商業的な階層は仕事を持ち、そして残りの者たち、シュードラもまた、仕事を持っています。

政党を作って戦う必要はありません。ヴェーダの時代には、そのようなものはありませんでした。王が統治者であり、彼は誰もがそれぞれの義務において仕事を持っているようにしていました。ですから人々は、偽りの政党を作って社会不安を募り、互いに争う時間がなかったのです。そのような機会はありませんでした。

(改行)しかし、すべてのことの初めは、「私はこの体ではない」ということを理解することです。そしてこれは、クリシュナによってバガヴァッド・ギーターの中で繰り返し繰り返し強調されています。


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訳注:ヴァイシャは「農民」と訳していますが、農業労働者というより農場経営者を指すものであると思います。でも、クリシュナも牛飼いの仕事をしていましたし、自ら労働にいそしむものでもあるようです。大勢のシュードラが農業労働者としてヴァイシャのもとで働いていたのだろうと私は想像していますが、これは英語で言う「farmer」と日本語の「農夫」や「百姓」や「小作人」が必ずしも符合しないことと似ているのではなかと思います。

その昔、母の祖父母の家は大きな農家でした。暦や土地や作物のことを知り、大勢の小作人や季節労働者を使って広い農地を運営するのが彼らの仕事でした。でも、自分はじっと座って人に働かせるのではなく、彼ら自身も労働者でもあったのです。なお、彼らのところには「山のおじさん」とか「山のおばさん」とかの呼び方で呼ばれていた人たちが毎年、特定の季節になるとやってきていたそうです。彼らは人里離れた山の中で暮らしていた移動生活者たちで、今では定住化がすすんだのでいなくなってしまいました。彼らのことをサンカと言うそうです。こういう人たちに仕事を提供することも日本版のヴァイシャの仕事でした。

この方式は、連合軍の目には耐え難い封建制に映ったらしく、ご存知のように彼らは強引な土地改革を行って日本の文化の基盤を根っこから破壊しました。確かに、農地の持ち主が一人で全部の土地を耕しているのでないなら、実際耕している人たちに分けるべきだ、というのはもっともらしく聞こえます。そして実際に、庄屋が小作に重税を課して自分は遊んで暮らす、ということもあったでしょう。でも、それはプラブパーダがときどきおっしゃるように、「白内障になったら目をくり抜けばいいというものではない」、という例えがそのままに当てはまるのではないかと思うのです。

連合軍の人たちには分からなかったのかもしれませんが、庄屋が土地を管理して小作人を雇うというシステムは、理想どおりにうまく運ぶのであれば、実によくできたシステムだと思うのです。小作人に息子が何人いようが、長男だけに相続権があるとか、6人の息子たちで狭い土地を分けて争うとか、そういう問題が起きません。みんなまとめて雇えばいいからです。また、大きな農家は地元の文化を継承するための学校のような機能も持っていました。国に首長がいてまとまっているように、フラクタルで小さなところまで細胞と細胞核の関係のようなことが保たれれば、それがやっぱり一番自然なんじゃないかなと思います。

現代の社会では民主主義が最高の理念のように言われています。たしかに、独裁者による粛清だの弾圧だの、民主主義が輝いて見えるのも仕方が無いような事例も数限りなくありますし、民主主義の理念の素晴らしさもあります。ただ、民主主義の基本は多数決です。これはかなり絶望的です。はっきり言って、私に選挙権を与えるのは無駄です。候補者を見ても「この人は顔が気に食わん」とか「なんとなく」とかいう基準で選ぶしかありません。以前、北方領土だかに関する自民党と共産党の相反する意見広告を読んだことがあるのですが、まず一方を読んで「うむ、さすがは自民党。政権を持つだけのことはある」と納得し、続けてもう一方を読んで「なるほど、全くその通り。さすがは気骨の共産党」と思った自分にきっぱりと見切りをつけました。そんな私の一票など、短冊一枚の重さもないのです。それなのに、そういう「成人」がネクタイの柄で選んだ候補者が国家の運命を左右したりします。ただ二十歳になりさえすれば馬鹿でも女性でも自動的に選挙権を与える民主主義は、結構なように見えて実はかなり空恐ろしいものだったりします。

同じことが女性問題にも言えます。男女平等は素晴らしいものであるような気がしますし、女性の抑圧や虐待などが続いてきた歴史もあります。でも、男と対等に争って勝つなど、そんなにたくましく生きる意欲がそもそもない、という私のような女性もいます。(現実には必要に迫られて家計を支えてますけど。)女性は男性に服従すべきだという点も、「服従」ではなく「頼り切る」という意味であるかもしれません。そして、男性がクリシュナのような人で、完全に女性を守ってくれるのであれば、喜んで頼り切る幸せがあるかもしれません。陰と陽の関係のようなものです。女性の本来の素晴らしさは、しっかりと守ってくれる者があってこそ最大に発揮できるんじゃないかなと思うのです。そして逆もまたしかり。

とても難しい問題は右を見ても左を見ても山ほどあるのですが、だからこそ私たちは一度立ち止まって神様が作られたオリジナルなシステムをじっくり検証してみる必要があると思うのです。身の回りの例を見て「到底受け入れられない」と思うのは、その例が白内障の目のようなものだからかもしれません。例えば、横暴な王様や独裁者を見れば、「王政などとんでもない」と思うかもしれません。でも、実際はシステムの問題というより、横暴に走る王様を止められないというところに問題があるのかもしれません。つまり、ブラーマナの不在です。理想と現実は違う、と思われるでしょう。たしかにそうです。それは骨身に染みて分かっています。でも、だからこそあえて理想の姿をよく知ることは、方向性を見失わないようにするうえで大切なのではないかなと思います。

なお、これはあくまで私見です。このことに関して詳しくご存知の方はコメント欄で教えてください。それと、私は一応アーティストですが、これはシュードラに入ります。芸術・工芸などの技術者はすべてシュードラなのです。じゃあ医者は何かな。アーユルヴェーダを学ぶのだろうから、ブラーマナかな。科学者はどうでしょう。これも多分、本来はブラーマナなのかな。今はかなり狂ってますけど。郵便配達はどうかな。大工さんは、あるいは発明家はどうかな。4つの区分の中には出てこない、不可触賎民と言われる人たちはどういう理由で存在するのかな。私は翻訳なんかやってますが、これは一種のブラーマナの仕事なのでしょうか。しかし、機械的に翻訳しているだけで、聖典を学んでいるとは言えません。よく分からないことばかりです。。。
by ammolitering4 | 2011-04-12 15:05 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第13章

第13章 性交と苦しみについて

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間の次の会話は、1974年1月にカリフォルニア州のヴェニス海岸での早朝の散策において交わされました。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、ここカリフォルニアでは、離婚率はほぼ50%です。なぜそうなのだと思われますか?

SP:  インドでは、結婚している者は嘆き、結婚していない者も嘆く、という諺があります。結婚している男は嘆きます。「なぜ私は結婚したのだろう?私は自由なままでいられたのに。」そして、結婚していない者は嘆きます。「おお、なぜ私は妻を娶らなかったのだろう?私は幸せになっただろうに。」(笑)

(改行)性交によって人は子供をもうけます。そして子供ができれば直ちに苦しみがあります。子供は苦しみ、彼の世話をするために両親もまた苦しみます。しかし、再び彼らは次の子供を作ります。したがって、シュリマッド・バーガヴァタム(7.9.45)には、(サンスクリット引用)と書かれています。この、子供を作るということに関しては、非常に多くの困難や問題があります。しかし、それを知っているにも関わらず、人はまた同じことをします。

(改行)この物質的な世界では、性交が主要な幸せです。それは主要な幸せであり、そしてそれは非常に忌まわしいものです。幸せとは何でしょうか?(サンスクリット引用)それは、痒みを止めるために両方の手をこするようなものです。性交は非常に多くの悪い結果をもたらしますが、それでも人は満足しません。今では、避妊具や中絶など、非常に多くのものがあります。マーヤー(幻想)は非常に強いのです。彼女は言います。「そうです、これをして巻き込まれなさい。」

(改行)したがって、バーガヴァタムは(サンスクリット引用)と言います。ディーラ、冷静で正気の者は、性の欲求というこの痒みを我慢します。この痒みを我慢することのできる者は、非常に多くの問題をまぬがれることができます。しかし、そうでない者は直ちに巻き込まれます。不正なものであろうが正当なものであろうが、性交は問題です。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、私たちがこちらの方向へ歩いたのは初めてです。すべてが違って新鮮に見えます。

SP:  (笑)これが物質的な人生です。私たちは時としてこっちにさまよい、時としてあっちにさまよいます。そして私たちは考えます。「おお、これは新しい。」ブラーマーンダ・ブラミテ。私は何か新しいものを見つけようとして宇宙全体をさまよっています。しかし、新しいものは何もありません。すべてが古いのです。

(改行)年をとると、人は一般的に「おお、この人生は非常に問題が多い」と考えます。ですから彼は新しい体に、子供の体に着替えることを許されます。子供は世話をされ、彼は「今では僕はとても快適な人生を送っている」と考えます。しかし、再び彼は年を取り、うんざりします。ですからクリシュナは親切にも「いいでしょう、体を替えなさい」とおっしゃいます。

これは(サンスクリット引用)、既に噛まれた物を噛むことです。クリシュナは生命体に多くの設備を与えられます。「いいでしょう、木になりなさい。いいでしょう、ヘビになりなさい。いいでしょう、半神になりなさい。いいでしょう、王になりなさい。いいでしょう、靴直し職人になりなさい。天国のような惑星に行きなさい。地獄のような惑星に行きなさい。」

非常に多くの種類の生命がありますが、そのすべてにおいて、生命体はこの物質世界の中に閉じ込められています。彼は自由を探し求めていますが、彼は自由はクリシュナの庇護のもとでのみ得られるということを知りません。それを彼は受け入れません。

(改行)この物質世界における苦しみを見て、マーヤーヴァーディー(非人格主義者)たちは生命の種類を無くしたいと願い(ニルヴィセシャ)、仏教徒たちはそれを無にしたいと望みました(シューニャ)。しかし、どちらの提案も可能ではありません。

しばらくの間は種類のない状態に留まるかもしれませんが、再びあなたは種類を欲するようになります。偉い偉いサンニャースィー(放棄階級者)が、(サンスクリット引用)(「非人格の完全存在が実在(true)であり、この宇宙は非実在(false)である」)について非常に多くを教えます。

しかし、再び彼らは政治的および社会的な活動をするためにブラーマンから下りてきます。彼らは長くブラーマンに留まることはできません。ですから彼らはこの物質的な多様性を受け入れなければなりません。なぜなら、多様性が楽しみの母だからです。したがって、私たちの提案はこれです。本当の多様性、クリシュナ意識に至りなさい。そうすればあなたの人生は成功するでしょう。

弟子:  ほとんどの人は、この人生において大いに楽しもうとしているので、彼らは来世のことを考えることさえしません。

SP:  彼らは来世とは何かを知らないので、それを無にします。彼らは言います。「来世は存在しません。」そして、そうすることで彼らは満足しています。ウサギが何らかの危険を見るとき、それは目を閉じて、危険はないと考えます。これらの悪者たちはそのようなものです。それはすべて無明です。

弟子:  ストア哲学と呼ばれる哲学があります。それは、人生は苦しみのためにあるので、人は単に強くなり、大いに苦しむべきである、と言います。

SP:  では、彼らの考え方は、何の抗議もせずに苦しむことができる者、その人が第一級の人物である、というものです。そのような哲学を信じることは、人はどうやって苦しみを止めるかを知らない、ということを意味します。ある部類の哲学者たちは、苦しみは退散させられ得ず(訳注:苦しみを消すことはできず)、したがって私たちはそれに耐えるために強くなければならない、と言います。

そして別の部類の哲学者たちは、人生は苦しみに満ちているので、私たちは人生を無にすべきだ、と言います。しかし、どちらの部類も、苦しみのない本当の人生があるということについて何の情報も持ちません。それがクリシュナ意識です。

人生はあります。しかし苦しみはありません。アナンダマヨ・ビャーサート。単に喜びあるのみ。踊ること、食べること、そして真言を唱えること。苦しみはありません。誰がそれを拒否しますか?そのような愚か者がいますか?

弟子:  人々は、そのような人生が存在することを否定します。

SP:  しかし、そのような人生があると仮定しましょう。そこではあなたは単に踊り、食べ、そして永遠に幸せに生きます。あなたはそれを受け入れたくはないですか?

弟子:  誰もがそれを受け入れたいと思うでしょう。しかし、人々はそれが存在しないと考えます。

SP:  ですから、私たちの最初の提案は、幸せだけがあり苦しみがないという、このような人生がある、ということであるべきです。誰もが「はい、それはいいですね。(Yes, I would like it.)」と言うでしょう。彼らは受け入れます。

不幸にして、人々は繰り返し繰り返し騙されてきたので、彼らはこれはもう一つの詐欺だと考えます。したがって、クリシュナ意識を布教することは、人々に、幸せに満ちて苦しみが無い人生が存在するのだ、ということを納得させることを意味します。

弟子:  私たちもまた騙しているのではない、ということを、何が彼らに納得させるでしょうか。(訳注:何によって納得させたらいいのでしょうか?)

SP:  彼らを私たちの寺院に来て私たちの献身者に会うように招きなさい。(訳注:寺院に招いて献身者に会わせなさい。)私たちは真言を唱え、踊り、そしておいしい食べ物を食べています。これは実際的な証明です。

弟子:  しかし、人はこれらのことを認識する前に浄化されなくてもいいのですか?

SP:  いいえ。私たちは言います。「来て、私たちと一緒にハレ・クリシュナを唱えなさい。あなたは浄化されるでしょう。私たちはあなたから何も望んでいません。私たちはあなたに食べ物をあげます。私たちはあなたにすべてをあげます。単に、来て私たちと一緒に唱えなさい。」これが私たちのメッセージです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
現代の技術は便利なものです。電気があり、インターネットがあり、コンピューターがあるおかげで、こうして翻訳をして遠くの誰かに伝えることができます。飛行機がなければプラブパーダが世界をまわって大勢の人に言葉を伝えてくださることもなかったでしょうし、ビデオやカメラやテープレコーダーがなければ、こうしてプラブパーダの言葉が今の私たちにそのまま伝わることもなかったでしょう。

技術は諸刃の剣だなと思います。とても便利だけれど、とても怖い。頭を切り落とされた社会では、方向性を失った科学技術が肥大して暴走しています。今、第一にすべきことは原子力発電所の状況がこれ以上悪化しないように努力するということであり、運転中の原発をすべて直ちに止めることであり、被災した人を救うことであり、諸外国と連帯しながら最悪の事態に備えて準備をすることでしょう。個人としては、原子力とは何かを学ぶことであり、健康のためにすべきことを模索することなどでしょうか。不安になるからと言って自分で調べることを怠ってしまうことだけは避けなければなりません。おそらくは、みんながそれをしてきた結果が「知らないうちに地震国に原子炉が76個!」という今なのですから。

そして、心の余裕ができたら、プラブパーダのお言葉に耳を傾ける時間をとって欲しいのです。正しく導く人を失った社会で科学が暴走する危険について、プラブパーダはまるで今の私たちの様子を目の前で見ているかのように語ってくださっています。

このサイトを訪れてくださる方はほとんどいません。平均して一日に4人程度です。どうか、その数少ない皆様にお願いします。どうぞこのサイトを印刷して保存してください。そしてできるだけ多くの方に、ちょっとでも興味を持ちそうな方に伝えてください。用語を変更したり、滑らかな日本語にするための編集も、どうぞご自由になさってください。配布にあたっても、私に許可をとる必要はありません。(コピー代などの実費を越える値段での販売は不可。)プリントしてヨガの教室とか自然食のお店などに置いてもらうとか、そんなこともできるかなあと考えています。

今翻訳している小冊子は、今日で半分終わったところです。あと半分は、技術と失業、科学と信仰、教育と「良い暮らし」、中絶、「力が正義」、科学的な発達と誇大妄想的な言動、技術に霊的な光を当てる、神を見失った科学者たち、神にノーベル賞を、社会革命、、、など、こんな現実を招いてしまった私たちの一人一人が考えるべき事柄に満ちています。どうぞ楽しみにしてお待ちください。そして、繰り返しますが、できるだけ多くの方に読んでいただきたいのです。もう間に合わないかもしれません。でも、間に合うかもしれません。私たちはまだやり直せるかもしれません。
by ammolitering4 | 2011-04-10 15:30 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第12章

第12章 キリスト教徒、共産主義者、および牛を殺す者について

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間の次の会話は、1975年3月に(アメリカの)ダラスで早朝の散策のときに交わされました。

SP:  キリスト教徒は言います。「私たちは様々な罪を犯すことができます。しかしキリストが私たちの罪を自分の身に負います。彼は契約したのです。」彼らはこのようなことを言いませんか?

弟子:  はい。

SP:  気の毒なキリストは彼らのすべての罪深い行いのために苦しまねばなりません。「彼は私たちを罪から救いたかったのです」と彼らは言います。「ですから彼は私たちに、私たちは罪を犯そうが犯すまいが気にしなくてよい、という命令(injunction、通常は禁止命令を指す)を与えました。」これは偽善です。

(改行)メルボルン(オーストラリア)で、私は何人かの神父たちによって、話すために招かれました。(訳注:何人かの神父たちに招かれて話をしました。)彼らは私に尋ねました。「あなたは、なぜキリスト教は衰えているのだと思いますか?私たちは何をしたのでしょうか?」

ですから私は答えました。「あなた方は何をしていないのですか?あなた方は、自分たちはイエス・キリストの信者(follower)であると主張します。それなのに、あなた方は様々な罪深い行いをしています。したがって、あなた方はまもなくこの偽善を終了しなければなりません。」彼らはこの答えをあまり喜びませんでした。

(改行)「私たちは何をしたのでしょうか?」と彼らは尋ねます。彼らは非常に多くの罪深いことをしましたが、彼らは自分たちが罪深いのだと認めません。これは偽善です。十戒において、聖書は明らかに言います。「汝、殺すなかれ。」しかし、彼らは従いません。それは罪深いのです。

(改行)それと知って罪を犯す者。もしも人が無知から罪深い行いをするなら、何らかの譲歩があるかもしれません。しかし、彼らはそれと知って罪を犯しています。彼らは牛を殺すことは罪深いと知っており、それでもそうしているのです。

弟子:  ほとんどのキリスト教徒は、肉を食べることは罪深いと考えません、シュリーラ・プラブパーダ。

SP:  それは、聖書を誤って解釈したことによって、神父たちが悪者であるということを意味します。(訳注:それは神父たちが悪者であるということを意味します。彼らは聖書を誤って解釈したからです。)この偽善が宗教の名のもとで続いているのです。

しかし、そのような考え方を布教する者は、どれだけ長く他者を騙すことができるでしょうか?あなたはすべての人をしばらくの間、騙すことができます。そしてあなたは一部の人をいつも騙すことができます。しかし、あなたはすべての人をいつも騙すことはできません。

弟子:  共産主義者たちもまた、キリスト教は偽善であると議論します。彼らは、それは「人々のアヘン」だと言います。ですから彼らはそれを撲滅したいと思っています。

SP:  共産主義者たちはキリスト教で悪い経験をしました。そして彼らは宗教には「必要性」があるということについて、何の情報も持ちません。ですから彼らは、すべての宗教を撲滅したいと思っています。

弟子:  共産主義者たちは、世界の問題は非常に大きいので、人々が世界政府に忠誠を与えない限り問題は解決しない、と言います。

SP:  私もそう言います。クリシュナが至高主です。主の庇護のもとに入れば、すべての問題は解決します。それを私たちもまた教えています。

弟子:  しかし、共産主義者たちは、クリシュナが至高主として認められなければならない、という点を見落としました。

SP:  (サンスクリット引用)「唯一の主はクリシュナです。他のすべての者は主の従者です。」これがバガヴァッド・ギーターの中心的な原則です。この原則を受け入れれば、すべては良くなります(all right)。直ちに、です。

(改行)もしもバガヴァッド・ギーターを研究するなら、あなたは反論することのできる言葉や、あなたにとって良くない言葉を、一つも見つけられないでしょう。バガヴァッド・ギーター全体が実際的です。人間の文明に非常に適しています。まず、クリシュナはあなたに、自分は誰であるかを学ばねばならない、と教えます。あなたは体ではありません。あなたは体の中にいる霊魂です。

誰がこれを知っていますか?これはクリシュナがバガヴァッド・ギーターにおいて教える最初の教えです。あなたが自分は体ではなく、自分は体の「中に」いるのであるということを理解すれば、直ちにあなたは霊とは何であるかを理解します。そうすれば、あなたの霊的な知識はさらに発達します。しかし、悪者たちは霊とは何なのか知りません。ですから彼らは何らの霊的な知識も持ちません。

弟子:  彼らは、牛は霊を持たない、と考えます。

SP:  どうして彼らは牛には霊がないと言えるでしょうか?あなたは霊です。あなたの体は動いています。あなたは働いています。あなたは食べています。あなたは話しています。そして、霊魂があなたの体から去れば直ちに、体は死んだ物質になります。手や脚はまだそこにありますが、それらは動きません。なぜなら、霊魂が去ったからです。

(改行)では、牛の体とあなたの体の違いは何ですか?人間らしい論理を使いなさい。(Come to human reasoning.)あなたの体の牛の体の間に、根源的な違いがありますか?

弟子:  いいえ。しかし今では(彼らは)人間もまた霊魂を持たないと言います。彼らは、牛は霊魂を持たないので、私たちは牛を食べることができ、そして人間(も)魂を持たないので、、、

SP:  、、、あなたは子宮の中の赤ん坊を殺します。無明の発達が文明の発達として受け入れられます。なぜでしょうか?霊的な知識がないからです。

(シュリーラ・プラブパーダと弟子たち、ゴルフをしている男性の横を通り過ぎる。)

弟子:  あの男性は、自分は一生懸命働くことから引退したと思っています。しかし、彼はまだボールを穴に入れるためだけに一生懸命働いています。

SP:  彼は他に何をすることができるでしょうか?彼は、他に霊的な人生という仕事があることを知りません。それは彼の無知です。ニューヨークで電気的な故障(訳注:electric failure、電気的不全。停電は power failure。しかし現象に違いはないようです。)があったとき、統計は、より多くの女性たちが妊娠したと表しました。(訳注:より多くの女性たちが妊娠したという統計が出ました。)

人々は暗闇の中で他に何をすることができるでしょう?「セックスをしましょう。」それだけです。霊的な知識無しでは、人間はちょうど動物のようになるのです。
by ammolitering4 | 2011-04-10 13:37 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第11章

第11章 仕事はいかにして崇拝たり得るか。(どうしたら仕事を崇拝にすることができるか)

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブでの早朝の散策において交わされました。

弟子:  バガヴァッド・ギーターにおいて、私たちが欲望を失くすべきであるとおっしゃるとき、クリシュナは何を意味していらっしゃるのですか?

SP:  私たちが主に奉仕をすることだけを望むべきである、ということを主は意味していらっしゃいます。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブはおっしゃいました。(サンスクリット引用)「私は富は望みません。私は信者(follower)は望みません。私は美しい女性は望みません。」

それでは、主は何を望んでおられるのでしょうか?「私はクリシュナに奉仕をすることを望みます。」主は「私はこれを望みません。私はあれを望みません。私は無になりたい」と言っておられるのではありません。違います。

弟子:  非献身者もまた、「自分は自分の望むものを知っている」と言います。しかし、彼は「私はクリシュナ無しで同じ良い結果を得ることができる」と言います。

SP:  それなら彼は愚か者です。なぜなら、彼は良い結果とは本当は何なのか知らないからです。今日は彼は、ある「良い結果」を求めて大変な苦労をしていますが、明日は彼は違う何かを欲するでしょう。なぜなら、彼は死ぬときに体の変化を経験しなければならないからです。

時として彼は犬の体をとって、ある「良い結果」を求め、そして時として彼は、半神の体をとって別の「良い結果」を望みます。ブラマターム・ウパリ・アダーハ、「彼は宇宙を上へ下へとさまよっています。ちょうど、、、あれは何ですか?」

弟子:  大観覧車です。

SP:  そうです。時として彼は高位に上げられ、それから再び下りてきて犬や豚の姿にならねばなりません。これが続いているのです。

(サンスクリット引用)

「何度も生まれ変わって宇宙を上へ下へとさまよったあと、非常に幸運な者は、霊的指導者とクリシュナの慈悲によって献身生活に至ります。」(チャイタンニャ・チャリタームリタ、マデャー19.151)

弟子:  非献身者はこう言うでしょう。「私たちもまた、良い奉仕をしています。あなた方は食べ物を配っており、私たちもまた食べ物を配っています。あなた方は学校を開いており、私たちもまた学校を開いています。」

SP:  はい。しかし、私たちはクリシュナ意識を教える学校を開いており、他方であなた方の学校は幻想を教えています。問題は、悪者たちはバークティ(献身奉仕)とカルマ(物質的な活動)の違いを理解することができないということです。バークティはカルマのように見えますが、カルマではありません。バークティにおいて、私たちもまた働きますが、クリシュナのためです。それが違いです。

(改行)例えば、アルジュナはクルクシェトラの戦いで戦いましたが、クリシュナのために戦ったので、彼は偉大な献身者として受け入れられています。クリシュナは彼に言いました。(サンスクリット引用。BG4.3)「アルジュナ、あなたは私の親愛なる献身者です。」

アルジュナは何をしましたか?彼は戦いました。それだけです。しかし彼はクリシュナのために戦いました。それが秘密です。彼は戦士としての戦闘の役割(capacity、機能、役割、能力)は変えませんでしたが、自分の精神性を変えました。最初は彼はこう考えていました。

「なぜ私は自分の親族を殺すのでしょう?戦場を去り、森へ行って物乞いになろう。」しかし、クリシュナは彼に戦うことを望みました。ですからついに彼は服従し、クリシュナへの奉仕としてそれ(戦うこと)を行いました。自分の感覚の満足のためではなく、クリシュナの感覚の満足のためです。

弟子:  では、感覚の満足は献身奉仕の中にさえあるのですか?

SP:  そうです。カルミー(物質主義者)は自分の感覚の満足のために働き、そしてバークタはクリシュナの感覚の満足のためにはたらきます。それが非献身者と献身者の違いです。どちらの場合でも感覚の満足はありますが、あなたが自分の個人的な感覚の満足のために働くとき、それはカルマであり、あなたがクリシュナの感覚の満足のために働くとき、それはバークティです。バークティとカルマは似ているように見えますが、質は違います。

(改行)もう一つの例はゴピーたち(クリシュナの牛飼いの女友達)の振る舞いです。クリシュナは美しい少年で、ゴピーたちは主に魅了されていました。彼女らは主を自分の恋人として欲しており、そして彼女らは夜中に主と踊るために家を出ていきました。

ですから、彼らは罪深く振舞ったように見えます。しかしそうではありません。なぜなら、中心はクリシュナだったからです。したがって、チャイタンニャ・マハープラブはお勧めになります。(サンスクリット引用)「ゴピーたちによってなされたよりも優れた崇拝の相はありません。」

(改行)しかし、悪者たちは考えます。「おお、これは非常によろしい。クリシュナは夜中に他の男たちの妻と踊った。だから私たちもまた、何人かの娘たちを集めて踊ろう。そして私たちもまた、クリシュナのように楽しもう。」これはクリシュナのゴピーたちとの娯楽のひどい誤解です。

この誤解を防ぐために、(シュリマッド・バーガヴァタムの著者である)シュリーラ・ヴャーサデヴァは、クリシュナの至高の人格神としての立場を描写するために9巻を捧げました。それから彼はクリシュナのゴピーたちとの振る舞いを描写します。しかし、悪者たちは直ちに10巻へ、クリシュナのゴピーたちとのやりとりへ飛びます。このようにして彼らはサハジヤー(クリシュナを真似る者)になります。

弟子:  そのような人々は、何らかの方法でクリシュナと関わっているので、心の変化を経験しますか?

SP:  いいえ。カムサもまたクリシュナと関わりましたが、敵としてです。それはバークティではありません。バークティは好意的な献身奉仕(サンスクリット引用)でなければなりません。人はクリシュナを真似したり、主を殺そうとしたりするべきではありません。それもまたクリシュナ意識ですが、それは好意的ではなく、したがってバークティではありません。それでも、クリシュナの敵は解放を得ます。

彼らは何らかの方法でクリシュナのことを考えたからです。彼らは非人格的な解放を得ますが、彼らは霊的な世界においてクリシュなの娯楽に入ることは許されません。その恵みは、クリシュナへの純粋な愛情ある奉仕をするものだけに与えられます。
by ammolitering4 | 2011-04-09 01:41 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第10章

第10章 「あなたは至高存在ではない」

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の何人かとの間の次の会話は、1975年9月、インドのヴリンダーヴァンで早朝の散策において交わされました。

SP:  生命体と主クリシュナは、どちらも意識に満ちています。生命体の意識は自分の中にあり、クリシュナの意識は偏在です。それが違いです。

弟子:  マーヤーヴァーディー(非人格主義者)たちは、解放されたときは私たちもまた偏在すると言います。私たちはブラーマンに同化し、私たちの個々の自己認識を失います。

SP:  それはあなたがすべてを忘れることを意味します。あなたが持っていた少々の意識は、すべて終わってしまいます。

弟子:  しかし、私たちが忘れてしまうものは、どのみち幻想です。

SP:  もしもそれが解放なら、今、私があなたを殺してあげましょう。あなたはすべてを忘れます。解放です。(笑)

(改行)(通りすがりの人がヒンディー語で歌っている。)彼は歌っています。これが解放です。「おお、我が主クリシュナよ。私はいつ、あなたの蓮の御足に服従するのですか?」これが解放です。ちょうど、完全に自分の両親に服従した子供のようです。彼は解放されています。

彼には不安はありません。彼は自信を持っています。「おお、僕の両親がここにいます。彼らがすることは何であれ、僕にとって良いことです(all right for me、構わない、それでよい)。誰も僕を傷つけることはできません。」

弟子:  非人格主義者たちは、解放はすべての悲惨さを捨てることだと言います。

SP:  そうです。あなたが不安に満ちているなら、あなたの解放はどこにありますか?(訳注:それのどこが解放ですか?)

弟子:  彼らは、これは私たちが至高存在と一つになるなら達成できると言います。

SP:  クリシュナは至高の意識です。もしもあなたが自分の意識を失うなら、どうやってあなたは主と一つになるのですか?

弟子:  それは必ずしも私たちが自分の意識を失うというわけではなく、私たちが至高の意識と同化するということです。

SP:  それはあなたが神になりたいということを意味します。しかし、なぜ今あなたは神とは違うのですか?

弟子:  それは私のリーラー(娯楽)です。

SP:  しかし、もしもそれがあなたのリーラーなら、なぜあなたは解放を得るためにそれほどの苦行をしているのですか?

弟子:  要点は、至高の意識は体に入っていませんが、私たちはたった今、体に入っている、ということです。ですから、至高の意識を得るとき、私たちもまた体から出ます。

SP:  しかし、もしもあなたが至高存在なら、どうしてあなたは体に入ったのですか?何があなたを体に入れたのですか?あなたは体の中にいることを好みません。体は非常に多くの苦しみをもたらします。ですから、あなたは解放を望みます。しかし、誰であれ、あなたを体に中に入れた者、その方が至高存在です。あなたは至高存在ではありません。

弟子:  私は自分で自分を幻想の中に置いたのです。解放されることを楽しむことができるようにするためです。

SP:  なぜ、どの正気の人が生老病死という形で物質自然によって繰り返し蹴られる状態に自分を置くでしょうか?(訳注:正気の人が~をすると思いますか?)(そうすることの)楽しみは何ですか?

弟子:  痛み無くして、どうしてあなたは喜びを経験できるでしょう?

SP:  では、私があなたを蹴ってあげましょう。そうすれば、私が止めたときにあなたは喜びを経験することができます。

弟子:  要点は、私たちがこの世界の苦しみを経験した後で、解放は非常に甘い、ということです。

SP:  しかし、なぜ苦しみがあるのですか?もしもあなたが至高存在であるなら、なぜあなたに苦しみがあるのですか?この無意味なことは何ですか?「苦しみは私のリーラーである」?

弟子:  それは、自分が至高存在であるということを理解していない者だけのための苦しみです。苦しむのは彼らです。しかし、私は苦しみません。

SP:  それでは、あなたはちょうど豚や犬のようなものです。彼らは、これが苦しみであると理解していません。しかし、私たちは理解することができます。したがって、マーヤーヴァーディーたちはムーダー、すなわち苦しみとは何であるか、あるいは楽しみとは何であるかを知らない愚か者と悪者です。(サンスクリット引用)(BG7.25)クリシュナはおっしゃいます。「愚か者たちと悪者たちは、私が至高存在であると知りません。」

(改行)したがって、何度も生まれ変わって苦しみ、様々な無意味なことを語ったあと、本当の知識を持つ者はクリシュナに服従します。(サンスクリット引用)(BG7.19)それが知識です。「私は単に苦しんできました。そして私は言葉を操ることによって自分を惑わそうとしてきました。」人がこの認識に至ったとき、そのとき彼はクリシュナに服従します。

弟子:  では、マーヤーヴァーディー哲学は実際は至高の幻想なのですか?

SP:  そうです。(サンスクリット引用)(Cc.マデャー 6.169)「マーヤーヴァーディー哲学に従う者は絶望的である。」彼は破滅を運命づけられているのです。彼は誤った哲学にのめりこみ、決して本当の哲学を受け入れることができません。マーヤーヴァーディーたちは無礼を犯しています。したがって彼らは永久に無明のうちに留まり、自分たちを神であると考えます。彼らは堂々と布教します。「なぜあなたは自分が罪深いと思っているのですか?あなたは神です。」

弟子:  キリスト教徒は罪の概念を持っています。マーヤーヴァーディーがアメリカへ行ったとき、彼らはキリスト教徒に言いました。「この、罪という考えを忘れなさい。あなたがすることは何であれ、それはそれでよいのです。あなたは神だからです。」

SP:  キリスト教徒の神父たちは、マーヤーヴァーディーの哲学を好みませんでした。マーヤーヴァーディーは仏教徒よりももっと無神論者です。仏教徒はヴェーダの権威を受け入れません。したがって彼らは無神論者と考えられています。

しかし、マーヤーヴァーディーの悪者たちはヴェーダを受け入れ、無神論を説きます。仏教徒たちは、無神論でありながら主ブッダを崇拝します。主はクリシュナの化身です。ですから、いつか彼らは解放されます。しかしマーヤーヴァーディーは決して解放されません。

(改行)クリシュナはバガヴァッド・ギーター(18.66)において、私たちにこう保証なさいます。「ただ私に服従しなさい。そうすれば私はあなたをすべての危険から自由にします。」そして私たちはクリシュナを受け入れます。それだけです。私たちの方法はとても簡単です。子供が歩こうとしていますが、彼はそうできず、転んでいます。父親が言います。「愛しい我が子よ。ただ、私の手をとりなさい。」そうすれば子供は安全です。

(改行)これらのマーヤーヴァーディーは、神の言葉(verdict、表決、意見)に逆らいます。神は「生命体は私の欠かすべからざる小片です」と言い、マーヤーヴァーディーは「私は神です」と言います。それは彼らの愚かさです。もしも彼らが神と等しいのであれば、なぜ神は「私に服従しなさい」と言うのですか?彼らは神ではありません。彼らは単に、主に服従したくないので自分は神と同等であると主張している悪者です。(校正:him→Him)

(改行)ですから、「私は神に服従しなければならない」というこの知識は、何度も生まれ変わった後でのみ得られます。そのとき人はこの愚かな言葉の操りを放棄し、クリシュナ意識において本当の解放を得ます。
by ammolitering4 | 2011-04-04 02:35 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第9章

第9章 女性の解放 (ウーマン・リブ)

シュリーラ・プラブパーダと女性新聞記者との間のこの対話は、1975年7月にシカゴのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

記者:  男性に従属したくない女性に対して、あなたはどんな助言をお持ちですか?

SP:  私の助言ではありません。ヴェーダ文献の助言です。女性は貞淑で、自分の夫に忠実であるべきです。

記者:  合衆国では、私たちはどうすべきですか?私たちは女性を男性と平等にしようとしています。

SP:  あなた方は、決して男性と平等にはありません。なぜなら、非常に多くの点において、あなた方の機能は異なるからです。なぜあなた方は人工的に女性(の機能)は男性のそれと同じであると言うのですか?妻が妊娠しなければなりません。夫ではありません。あなたはどうやってこれを変えることができますか?夫と妻がどちらも妊娠する、それは可能ですか?

記者:  (返事無し)

SP:  可能ですか?

記者:  いいえ。可能ではありません。

SP:  それなら本質的に、一方は他方とは異なるように機能しなければなりません。

記者:  なぜこれが女性は(男性に)従属しなければならないことを意味するのですか?女性は子供を産み、男性は産まないというだけで?

SP:  本質的に、子供を得れば直ちにあなたはあなたの夫からの支えを必要とします。そうでなければ、あなたは困難な目に遭います。

記者:  子供を持つ多くの女性は、彼女たちの夫から何の支えも得ていません。彼女らは何も。。。

SP:  (訳注:話を遮って)それなら彼女らは他の人たちから支えを得なければなりません。あなたはそれを否定することはできません。政府が彼女らに支えを与えています。今日では、政府は恥ずかしい思いをしています(embarrassed)。もしも夫が妻と子を支えるなら、政府は非常に多くの福祉の出費から解放されるでしょう。ですから、それが問題です。

記者:  女性が男性を支えるときはどうなりますか?

SP:  まず、あなたは依存していることを理解しなさい。男と女が結びついた後、子供ができます。そして、もしも男が去るなら、あなたは恥ずかしい思いをします。女性が恥ずかしい思いをします。なぜでしょうか?気の毒な女性は、子供を抱えて恥ずかしい思いをします。

彼女は政府から物乞いをしなければなりません。では、あなたはそれはとても良いことだと思いますか?ヴェーダの考え方は、女性は男性と結婚すべきであり、男性はその女性と子供たちの世話を、自分で、みるべきだというものです(訳注:「自分で」が強調されている)。彼らが政府や社会の重荷にならないようにするためです。

記者:  あなたはどうお考えですか?社会的な不安は、、、

SP:  (訳注:話を遮って)私はこのように考えています。答えなさい!あなたはただ質問を続けるばかりです。私があなたに聞きます。あなたは政府と社会へのこの重荷は良いものと思いますか?

記者:  おっしゃることが理解できません。

SP:  毎年、政府は依存している子供たちを支えるために何百万ドルも支出しなければなりません。夫が妻から去るときに生じるこの重荷は、政府と人々へのこの「重荷」は、良いものと思いますか?

記者:  いいえ。

SP:  それは、女性が従属的であることに同意しないから生じました。彼女は「平等な自由」を欲しています。

記者:  そして、もしも女性が男性に従属的であれば、それは私たちの問題のすべてを解決するのでしょうか?

SP:  そうです。夫は自分の妻が自分に従属的であることを、忠実であることを欲しています。そうすれば、彼は責任を取る用意ができます。男性の精神性と女性の精神性は違います。ですから、もしも女性が男性に忠実であって従属的であることに同意するなら、そうすれば家庭生活は平和的です。そうでなければ夫は去り、女性は子供を抱えて恥ずかしい思いをし、それは政府と一般の人々への重荷になります。

記者:  女性が働くとき、何か悪いことがありますか?

SP:  非常に多くの悪いことがあります。しかし、まず最初のことは、なぜある男の妻と子が政府や社会の重荷になるべきなのですか?まず、これに答えなさい。なぜ彼女は重荷になるべきなのですか?

記者:  (返事無し)

SP:  あなたの答えは何ですか?

記者:  しかし、男性も政府の重荷です。

SP:  社会的な視点から見て、あなたはこの、女性と父のない子供という状況は、とても良いことだと思いますか?

記者:  私が言おうとしているのは、、、これは一部の女性に起こるかもしれません、、、私はそうでない女性について話して、、、

SP:  (訳注:話を遮って)これは一般的なパターンです。あなたは「一部の」と言うことはできません。女性は男性に従属的であるべきです。男性が女性の責任を負えるようにするためです。そうすれば女性は社会にとっての問題ではありません。

記者:  これはすべての女性とすべての男性にとって真実なのですか?

SP:  そうです。それが自然の法律です。犬を例に挙げることさえできます。彼らもまた、自分たちの子供の世話をします。トラも、彼らもまた自分たちの子供の世話をします。ですから、人間の社会において、もしも女性が妊娠させられて、そして男性が去るなら、そうすれば彼女は恥ずかしい思いをします。彼女は政府から物乞いせねばなりません。それはあまり良い状況ではありません。

記者:  子供を持たない女性はどうですか?

SP:  それは別の不自然なことです。時として彼らは避妊具を使い、あるいは彼らは自分の子供を殺します。中絶です。それもまた、あまりよくありません。これらはすべて罪深い行いです。

記者:  何とおっしゃいましたか?

SP:  これらは罪深い行いです。中絶という方法を使って子宮の中の子供を殺すことは。これらはすべて罪深い行いです。人はそのために苦しまねばなりません。

記者:  この国の社会的な不安の原因は、、、

SP:  (訳注:話を遮って)これらのことが原因です。彼らはそれを知りません。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
うーん、このおばさん全然話を聞いてないなあ。。。と、思わざるを得ないような対話ですね、残念ながら。女性は男性に従属しなさい、ということは、実際にはどういうことなのかな、と思います。世の中には馬鹿で横暴で怠け者な男も山ほどいるわけで、そういう男に従属してしまった日にはお先真っ暗という気もします。それを立てていけるかどうかが女性の人生の課題ということなのかもしれませんが。。。そう考えると、立派なオスにメスが鈴なり、というハーレム状態は、生命体の本質に叶ったものなのかもしれません。

私が通っているロシア語コーラスには、とにかく一人勝ちしているおじさんがいます。先週のお茶の時間には、彼は一人で8人の女性に囲まれ、血色の良い満面の笑顔で嬉しそうに話をしていました。あぶれたおじさんたちは苦い顔をして2-3人ずつ集まり、つまらなそうに互いの顔を見たり、勝者の方を見やったりしていました。ああ、人生は辛いなあ、と思って私はロシア人たちの様子から目が離せなかったのでした。
by ammolitering4 | 2011-04-04 00:07 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第8章

第8章 肉食の「道徳」

シュリーラ・プラブパーダと(カトリックの)枢機卿(すうきけい・すうききょう)ジャン・ダニエロ猊下(げいか) との間の次の会話は、1973年にパリで交わされました。(訳注:枢機卿は教皇に次ぐ高位)

SP:  イエス・キリストは「汝、殺すなかれ」とおっしゃいました。では、なぜキリスト教徒は動物を殺すことと肉食を行うのですか?

枢機卿:  確かに、キリスト教では殺すことは禁じられています。しかし、私たちは人間の命と動物の命との間には違いがあると信じています。人間の命は神聖です。なぜなら、人は神の姿に似せて作られているからです。したがって、人間を殺すことは聖書において禁じられています。

SP:  しかし、聖書は単に「汝、人間を殺すなかれ」とは言いません。それは広く「汝、殺すなかれ」と言います。

枢機卿:  人間にとって、食べるための食物を得るために動物を殺すことは必要です。

SP:  いいえ。人間は果物と野菜と穀物を食べ、牛乳を飲むことができます。

枢機卿:  肉は無しですか?

SP:  無しです。人間は菜食の食べ物を食べるようにできています。トラはあなたの果物を食べには来ません。彼にあてがわれた食物は肉です。しかし、人間の食物は野菜と果物と穀物と乳製品です。では、どうしてあなたは動物を殺すことが罪ではないと言えるのですか?

枢機卿:  私たちは、それは動機の問題であると信じています。もしも動物を殺すことがお腹を空かせた人に食物を与えるためであれば、それならそれは正当化されます。

SP:  しかし、牛について考えてください。私たちは彼女の乳を飲みます。そして、そのため彼女は私たちの母親です。あなたは同意しますか?

枢機卿:  はい、確かに。

SP:  では、もしも牛があなたの母親であるなら、どうしてあなたは彼女を殺すことを支持することができますか?あなたは彼女から牛乳を取り、そして彼女が年をとってあなたに牛乳を与えることができないとき、あなたは彼女の喉を切ります。それは非常に人道的な提案ですか?

インドでは、肉を食べる人は、ヤギ、豚、あるいは(訳注:どうしてもというなら)水牛など、そのような何らかの低い階層の動物を殺すように助言されます。しかし、牛を殺すことは最も大きな罪です。クリシュナ意識を布教するとき、私たちは人々にどんな種類の肉も食べないように頼みます。

そして私の弟子たちは、この原則に厳密に従います。しかし、もしも特定の状況において、他の者たちが肉を食べることを強いられるなら、それなら彼らは何らかの低い階層の動物の肉を食べるべきです。牛を殺してはいけません。

それは最も大きな罪です。そして、人が罪深い限り、彼は神を理解することができません。人間の仕事は、神を理解して、主を愛することです。しかし、もしもあなたが罪深くあり続けるなら、あなたは決して神を理解することができないでしょう。神を愛することに関しては、何をか言わんやです。

(改行)他に何も食べ物がないときは、誰かは飢えないように肉を食べるかもしれません。それは構いません。しかし、単にあなたの舌を満足させるために日常的に屠殺場を維持するのは、最も罪深いことです。実際は、屠殺場を維持するという、この残酷な慣習が止まるまでは、あなたは人間の社会を持つことさえありません。

そして、生き延びるために動物を殺すことは、時として必要であるかもしれませんが、しかし牛(だけ)は、殺されるべきではありません。それは単に人間の良識です。クリシュナ意識運動においては、私たちの行っていることは、私たちはいかなる動物を殺すことも許さない、というものです。

クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「献身の念を持って、野菜、果物、牛乳、そして穀物が私に捧げられるべきです。」(BG9.26)私たちは、プラサーダ、クリシュナの食べ物の残りだけを食べます。木々は私たちに多くの種類の果物を提供しますが、木は殺されません。

もちろん、ある生命体は他の生命体の食糧です。しかし、それはあなたが食べるために自分の母親を殺すということを意味するのではありません。牛は罪がありません(innocent)。彼らは私たちに牛乳を与えます。あなたは彼らの牛乳を飲みます。そしてそれからあなたは彼らを屠殺場で殺します。これは罪深いことです。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、キリスト教が肉食を認可するのは、生命の低位の種は人間のそれのような魂を持たないという考え方に基づいています。

SP:  それは愚かさです。まず、私たちは体の中の魂の存在の証拠を理解しなければなりません。そうすれば私たちは、人間は魂を持っていて牛は持たないのであるかどうかを知ることができます。牛と人間の異なる特徴は何ですか?もしも私たちが特徴に違いを見つけるなら、それなら私たちは動物には魂がないと言うことができるでしょう。

しかし、もしも私たちが動物と人間は同じ特徴を持っているということを見るなら、それなら、どうしてあなたは動物は魂を持たないと言うことができますか?一般的なしるし(symptom)は、動物は食べ、あなた(も)食べる、動物は眠り、あなた(も)眠る、動物は性交をし、あなた(も)性交をする、動物は身を守り、あなた(も)身を守る、というものです。違いはどこにありますか?

枢機卿:  私たちは、動物には人間と同じような種類の生物学的な存在があるかもしれないことを認めます。しかし、魂はありません。私たちは、魂とは人間の魂であると信じています。

SP:  私たちのバガヴァッド・ギーターは、サルヴァヨニシュ、「すべての生命の種に魂が存在する」と言います。

枢機卿:  しかし、人間の生命は神聖です。人間は動物がするよりも高い水準で考えます。

SP:  その高い水準とは何ですか?動物は自分の体を維持するために食べ、そしてあなたも自分の体を維持するために食べます。牛は野原の草を食べ、人間は近代的な機械がたくさん入った大きな屠殺場からの肉を食べます。しかし、動物は単に草を食べているだけなのに、あなたは大きな機械とゾッとするような光景を持っているからといって、これは、あなたは非常に発達しているのであなたの体の中だけに魂があり、動物の体の中には魂はない、ということを意味するのではありません。それは非論理的です。私たちは、人間においても、動物においても、基本的な特徴は同じであることを見ることができます。

枢機卿:  しかし、人間においてだけ、私たちは人生の意味のための形而上学的な(訳注:哲学的で抽象的な思考)探索を見出すことができます。

SP:  はい。ですから、形而上学的に、なぜあなたは動物の中には魂がないと信じるのかを探し出してください。それが形而上学です。もしもあなたが形而上学的に考えているなら、それは良いことです(that's all right)。しかし、もしもあなたが動物のように考えているなら、それならあなたの形而上学的な研究が何の役に立つのですか?

「形而上学的な(meta-physical)」という言葉は、「物理的な( physical)ものを超えた」、言い換えれば「霊的な」を意味します。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナはおっしゃいます。サルヴァ・ヨニシュ・コーンテヤ、「すべての生命体の中に霊魂があります。」それが形而上学的な理解です。
by ammolitering4 | 2011-04-03 15:32 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」

第7章

第7章 夜と昼の夢

シュリーラ・プラブパーダと大学生の間のこの会話は、1974年1月にロサンゼルスで交わされました。

学生:  ご本の中で、あなたは「この世界は夢のようなものだ」とおっしゃいます。

SP:  そうです。それは夢です。

学生:  どうして夢なのですか?

SP:  例えば、昨夜あなたは幾らかの夢を見ました。しかし今では、それは何の価値もありません。それは去ってしまいました。そして再び、今夜眠るとき、あなたはこれらすべてのことを忘れて夢を見ます。今夜、夢を見ているとき、あなたは「私はこの家を持っている、私には妻がいる」など覚えていません。あなたはすべてを忘れます。ですから、このすべては夢です。

学生:  それは実在している(true)ですか、それとも実在していないのですか?

SP:  どうして実在しているでしょう?夜にはあなたはそれを忘れます。眠っているとき、あなたは自分には妻がいて、自分はベッドの上で眠っているのだということを覚えていますか?夢の中で三千マイルだか離れたところに行って何か全く違うものを見るとき、あなたは自分には住む家があるということを覚えていますか?

学生:  いいえ。

SP:  ですから、これは夢です。今夜、あなたが見ているものは単なる夢になります。ちょうどあなたが昨夜見たもののように。今では、あなたはそれが単なる夢だったことを知っています。ですから、どちらも夢です。あなたは訪問者であるに過ぎません。それだけです。あなたは、この夢やあの夢を見ています。霊魂であるあなたは現実(factual、事実の)です。しかし、あなたの物質的な体と、あなたが見ている物質的な環境、これは夢です。

学生:  しかし私は、この経験は実在であり、私の夢はそうではない、という気がしてます。(訳注:この二つの間の)違いは何なので。。。

SP:  (訳注:話を遮って)いいえ。この経験はすべて非実在です!どうしてそれが実在であり得るでしょう?もしもそれが実在であるなら、どうしてあなたはそれを夜には忘れるのですか?もしもそれが実在なら、どうしてあなたはそれを忘れられるのですか?夜には、あなたはこれらすべてを覚えていますか?

学生:  私は覚えていません。

SP:  それでは、どうしてそれが実在であり得るでしょう?ちょうどあなたが昨夜見た夢を覚えておらず、そのためそれを「夢」と呼ぶように、同様にこの経験も、あなたはそれを夜には忘れるので、これもまた夢です。

学生:  でも私には(訳注:~という気がするのですが)。。。

SP:  (訳注:話を遮って)これは昼の夢、あれは夜の夢です。それだけです。夜に夢を見るとき、そのときあなたはそれを本当のものとして知覚します。そうです。あなたはそれが本物だと思います。それは夢です。しかし、あなたは叫んでいます。「トラがいる!トラだ!トラだ!」

トラはどこですか?しかしあなたはそれを、トラを事実として見ます。「私はトラに殺されようとしている!」しかし、トラがどこにいますか?あるいは、あなたは誰か美しい娘を抱きしめている夢を見ます。その美しい娘はどこにいますか?しかし、それは実際に起こっています。

学生:  起こっているのですか?

SP:  ある意味では、それは起こっています。なぜなら、精液の放出があるからです。夢精です。しかし、その娘はどこですか?それは夢ではありませんか?しかし同様に、このいわゆる現実の人生という経験もまた夢です。あなたは現実という印象を得ていますが、しかしそれは夢です。

したがってそれはマーヤー・スカーヤ、幻想の幸せと呼ばれます。あなたの夜の間の幸せと、あなたの昼間の幸せは、同じものです。夜にはあなたは素敵な美しい娘を抱きしめている夢を見ていますが、そのようなものはありません。

同様に昼間でも、あなたが達成している「発展」は何であれ、これもまたそのようなものです。マーヤー・スカーヤ、あなたは「この方法は私を幸せにするだろう」とか「あの方法は私を幸せにするだろう」などと夢見ていますが、しかしすべてが(the whole process)が単なる夢です。

あなたはこの昼間の夢を現実として受け止めています。なぜなら、それは長く続くからです。夜に夢を見るとき、長さはたった30分です。しかし、この昼間の夢は12時間かそれ以上続きます。それが違いです。これは12時間の夢で、あれは30分の夢です。しかし実際はどちらも夢です。一方は12時間続く夢なので、あなたはそれを本物として受け入れています。それは幻想と呼ばれます。

学生:  幻想ですか。

SP:  はい。。。あなたは動物と自分の間の区別をつけていますが、しかしあなたは、ちょうど動物が死ぬように自分もまた死ぬのだということを忘れています。では、あなたの発達はどこにありますか?あなたは永遠に留まるのですか?あなたもまた死にます。それでは、動物より優れたあなたの発達はどこにありますか?

それはヴェーダ文献に述べられています。(サンスクリット引用)食べること、眠ること、性交すること、および身を守ることというこの仕事は、これは動物の仕事でもあります。そしてあなたも同じことをしています。では、あなたは動物とはどう違うのですか?あなたは死にます。動物(も)死にます。

しかし、もしもあなたが「私は100年して死に、このアリは一時間して死にます」と言うなら、それは(訳注:アリは非現実であり)あなたは現実の中にいる、ということを意味するのではありません。それは時間の問題です。あるいは、この巨大な宇宙をご覧なさい。それもすべて滅ぼされます。あなたの体が滅ぼされるように、この宇宙もまた滅ぼされます。壊滅、崩壊。自然のあり方、、、すべてが崩壊します。

(改行)したがって、それは夢です。それは長く続く夢です。それだけです。他の何でもありません。しかし、この人間の体を持つことの利点は、この夢の中であなたは現実を、神を認識することができるということです。それが利点です。ですから、もしもあなたがこの夢を利用しないなら、それならあなたはすべてを得損なっています。

学生:  では、私は半分眠っているのですか?

SP:  そうです。これが状況です。したがって、ヴェーダ文献は言います。ウッティスター、「起きなさい!起きなさい!」、ジャーグラタ、「目覚めなさい!」、プラーピャ・ヴァラーン・ニボダータ、「今、あなたは機会を得ました。それを活用しなさい」、タマスィ・マー・ジョテル・ガマ、「暗闇の中に留まっていてはいけません。光のもとに来なさい」。これらがヴェーダの命令です。そして私たちは同じことを教えています。「現実がここにあります。クリシュナです。この暗いところに留まっていてはいけません。この、より高い意識のところに来なさい。」
by ammolitering4 | 2011-04-03 14:39 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」