カテゴリ:「生は生より来たる」( 28 )

朝の散策5

朝の散策―――5

1973年5月3日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シングとブラーマーナンダ・スヴァーミー。

1.「目に見えないパイロット」

SP:世界のほとんどの人は生命が物質から生じるという誤った印象の下にあります。私たちは、この無意味なりろんを挑戦されないままにさせておくことはできません。物質は生命から発生させられます。これは理論ではありません。これは事実です。科学は不正確な理論に基づいています。したがって、そのすべての計算と結論は誤っており、人々はこのために苦しんでいます。これらすべての誤った現代の科学的な理論が修正されるとき、人々は幸せになります。ですから私たちは科学者に挑戦して彼らを打ち負かさなければなりません。そうでなければ、彼らは社会全体を誤って導くでしょう。物質は6つの段階で変化します。誕生、成長、現状維持、副産物の生産、衰退、そして死です。しかし、物質の中の生命、霊魂は永遠です。それはそのような変化を経験しません。生命は一見すると成長して衰退しているように見えますが、実際はそれは単にこれらの6つの段階のそれぞれを物質的な体がもはや維持できなくなるまで通り過ぎているだけです。それから古い体は死に、魂は新しい体に入ります。私たちの衣服が古くなって擦り切れると、私たちはそれを取り替えます。同様に、いつの日か私たちの体は古くなって役に立たなくなり、そして私たちは新しい体に移ります。

クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.13)で次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「体に閉じ込められた魂がこの体の中を少年時代から若者から老齢へと通るように、魂は同様に死に際して別の体に移ります。」そして、その少しあとには(2.18)こう書かれています。(サンスクリット引用)これは、 破壊されることのない永遠なる生命体の、単に物質的な体だけが破壊の影響を受ける、という意味です。物質的な体は滅亡し得ますが、体の中の生命はニッチャ、永遠です。

すべてはこの生命力を基本として働きます。これは太平洋であり、これらの高い波は生命力によって操作されています。この飛行機は(シュリーラ・プラブパーダ、通過する飛行機を指す)飛んでいますが、それは指揮されずに飛んでいますか?

DS:誰かがそれを指揮しています。

SP:そうです。すべては誰かの指揮の下で働いています。なぜ悪者たる科学者たちはこれを否定するのですか?飛行機は大きな機械です。しかし、それは小さな霊的な火花、パイロットの指揮の下で飛んでいます。科学者たちは、この大きな747型飛行機が小さな霊的な火花無くして飛ぶことができると証明することはできません。ですから、小さな火花が大きな飛行機を指揮することができるように、大きな霊的な火花は宇宙の顕現全体を指揮するのです。

2.「本当の問題を脇に置く」

SP:シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッドには、次のように書かれています。

(サンスクリット引用)

この節によれば、体の所有者である魂の大きさは、髪の毛の先の千分の一の大きさです。これはとても小さく、原子的です。しかし、その原子サイズの霊的エネルギーが原因で私の体は働いています。その原子サイズの霊的エネルギーは体の中にあり、そのため体は機能し、飛行機は飛びます。それはそれほど理解するのが難しいことですか?

例えば、ある男が自分はとても頑強で強いと考えていると仮定しましょう。いったいなぜ彼はがっしりして強いのでしょうか?それは彼の中に霊的な火花が存在しているからに他なりません。小さな霊的な火花が去れば直ちに、彼の力と活力は消え去り、ハゲタカが来て彼の死体を食べます。もしも科学者たちが物質が生命の起源であると言うなら、では彼らに一人の死人を、アインシュタイン教授のような一人の偉大な人物を生き返らせるように頼みましょう。一人の死人が生き返って再び機能するように、彼らに何かの化学物質を注射させましょう。しかし、彼らにはこれはできません。彼らの知らないことは非常にたくさんありますが、それでも彼らは科学者と呼ばれます。

DS:時として、問題があまりにも手に負えないほど深刻なとき、私たちはそれを軽く受け取ります。

SP:そうです。猿が虎に出会うとき、猿は目を閉じ、虎は直ちに襲い掛かります。同様に、もしも科学者が問題を解決できないなら、彼らは「いいでしょう。そのままにしておきましょう」と考えるかもしれません。これが実際に彼らがしていることです。私たちの本当の問題は死だからです。誰も死にたくありませんが、科学者は死を止めることはできません。彼らは死について表面的に語ります。彼らは死からの救いを全く与えることができないからです。私たちは死にたくなく、年を取りたくなく、病気をしたくもありません。しかし、科学者が何の助けを提供できるでしょうか?彼らはそれについて何もすることができません。彼らは大きな問題を脇に置いたのです。

3.「ジャッカル大統領」

SP:ベンガル地方には、ジャンガル・キー・ラージャーというお話があります。森の王様になったジャッカルの話です。ジャッカルはそのずる賢さで知られています。ある日、このジャッカルは村にやってきて、青い染料が入った桶に落ちました。彼は森に逃げ帰りましたが、青くなってしまいました。そのため、すべての動物たちが「これは何ですか?これは何ですか?この動物は何ですか?」と言いました。ライオンでさえ驚きました。「私たちはこれまでにあなたにお目にかかったことはありません。あなたはどなたですか?」ジャッカルは答えました。「私は神によって送られてきました。」そのため、彼らは彼を神として拝み始めました。しかし、ある夜、他のジャッカルたちがほえ始めました。「ワン、ワン、ワン!」そして、ジャッカルたちは他のジャッカルからの呼びかけに答えることを抑えられないので、この青いジャッカルも吠えはじめました。「ワン、ワン、ワン!」そして、こうして彼は他の動物たちの前で自分がただのジャッカルでしかないことを晒してしまいました。多くのジャッカルたちが逮捕されて、あなたの政府を辞めていきました。

ブラーマーナンダ:ウォーターゲート事件です。それはウォーターゲート・スキャンダルと呼ばれます。

SP:現実的に言って、現在では正直な人は政府の役人になれません。これはどこにおいても事実です。詐欺師、不正直な人でなければ、自分の政府の地位を維持できません。したがって、高潔な人は誰も政府に入りません。しかし、あなたに何ができるでしょう?(訳注:この場合の「あなたに」というのは英語の特徴的な表現で、実際の意味は「人に、私たちに」というあいまいな主語です。話相手の「あなた」を指しているわけではありません。このような表現は多いですが、私の翻訳文では基本的に直訳していますので、前後の文脈から判断してください。)

DS:政治家たちは最大のペテン師です。

SP:そうです。彼らは無頼漢です。ある哲学者は、政治は無頼漢たちの最後の頼みの綱であると言いました。

4.「科学は死を止めるべきである」

ブラーマーナンダ:科学者たちは癌の原因を知っていますか?

DS:いくつかの理論があります。

SP:例えば、あなたが癌の原因を知っていると仮定しましょう。その利益は何ですか?たとえあなたが癌を止めることができても、あなたは人を永遠に生きさせることはできません。それは可能ではありません。癌であろうがなかろうが、人は死なねばなりません。人は死を止めることはできません。死は、もしも癌によってではなかったにしても、単に事故によってでも招かれ得ます。本当の科学的な研究は、死を止めることを目的とすべきです。これが本当の科学であり、それがクリシュナ意識です。単に病気を治す何かの薬を見つけることは勝利ではありません。本当の勝利は、全くすべての病気を止めることです。バガヴァッド・ギーター(8.16)は、本当の問題は誕生と死と老いと病であると断言しています。(サンスクリット引用)「物質世界の最も高位の惑星から低位のそれまで、すべては生と死が繰り返す悲惨な場所です。」生と死の繰り返しという問題の解決策はクリシュナ意識です。私たちはそれを実行しており、すべての人に提供しています。これを実行することの完全な結果は、現在の体が役に立たなくなって死んだ後、人はもはや生と死と病と老いの影響を受ける物質的な体を受け入れることを強いられないということです。これがまさに本当の科学です。
by ammolitering4 | 2009-09-15 11:20 | 「生は生より来たる」

朝の散策4

朝の散策―――4

1973年4月29日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、ブラーマーナンダ・スヴァーミー、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリーおよび他の生徒たち。

1.「ロバの進歩」

SP:誰もがこの物質世界で苦しんでいます。そして科学的な発展とは、科学者たちが更なる苦しみの状況を作り出していることを意味します。それだけです。彼らは事態を改善してはいません。バクティヴィノダ・タークラ(脚注6)は、次のように述べてこれを確認していらっしゃいます。(サンスクリット引用)「いわゆる科学的な発展によって、科学者はロバになりました。」(訳注:ロバは愚かな者の代名詞)そして、科学者はもっともっと立派なロバになりつつあり、ただそれだけです。例えば、ロバのように大変懸命に働いて、人が高層ビルを立てるとしましょう。彼は一生涯このために働くかもしれませんが、究極的には彼は死なねばなりません。彼は留まることはできません。物質的な人生は非永遠なので、彼は自分の高層ビルから追い出されます。科学者たちは常に研究をしています。そしてもしもあなたが彼らに彼らは何をしているのかと尋ねれば、彼らは「ああ、これは次の世代のため、未来のためです」と言います。しかし、私は言います。「あなた自身はどうなのですか?あなたの高層ビルはどうなのですか?もしもあなたが来世において木になるならば、そのときあなたはあなたの次の世代をどうしますか?」しかし、彼はロバです。彼は自分が自分の高層ビルの前に一万年の間立ち続けることになると知りません。そして次の世代はどうでしょうか?もしも石油がなければ、次の世代はどうするでしょうか?そして、もしも彼が猫や犬や木になれば、次の世代はどうやって彼を助けるでしょうか?

科学者たち―――そして他のすべての者たち―――は、繰り返す生と死からの自由を得ようと努力すべきです。しかし、その代わりに誰もが生と死の循環にますます深く絡まりつつあります。(サンスクリット引用)これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.8.35)からの引用です。ここで、一行の中に物質存在のすべてが説明されています。これこそが文献です。この一行は、何千年分もの研究の価値があります。それは、生命体がいかにしてこの世界に生まれるか、彼がどこから来るか、彼がどこに行くのか、彼の行いは何であるべきか、そして他の多くの非常に重要なことを説明しています。バーヴ・スミン・クリシャマーナームという言葉は、存在のための苦闘を指します。なぜこの苦闘が存在するのでしょうか?アヴィデャー、無明のためです。そして、その無明の性質は何でしょうか?カーマ・カルマービー、単に感覚のために働くことを強いられること、言い換えると、物質的な感覚の満足にとらわれることです。

生徒:では、科学者は究極的には自分の感覚を満足させるために働いているので、現代の科学的な研究は体の要求を増加させるというのは本当ですか?

SP:本当です。

2.「言葉を巧みに操ることと世界の危機」

SP:ヴェーダには(サンスクリット引用)と書かれています。「もしも人が完全真理を知るなら、そうすれば他のすべてのことも知ることができる。」私は博士ではありませんが、それでも私は科学者たちに挑戦することができます。なぜでしょうか?私はクリシュナを、完全真理を知っているからです。(サンスクリット引用)「もしも人がクリシュナ意識にあるなら、そうすれば最もひどい苦難の中にあっても、彼は平安を妨げされません。」(BG6.22)シュリマッド・バーガヴァタム(1.5.22)には、(サンスクリット引用)と宣言されています。「偉大な人々が、クリシュナ意識は人生の完成である、と断定しました。」このような知識が必要とされています。私たちがいくらかの研究をして理論を思いつき、15年後には「いやいや、それは正しくない―――もっと別のものだ」というようなものではないのです。それは科学ではありません。それは子供の遊びです。

DS:それが彼らが物事を発見する方法です―――研究によってです。

SP:そして、その研究の費用とは何ですか?それは他者からお金を引き寄せるための科学的な方法、それだけです。言い換えると、それは騙すことです。科学者たちは、プルトニウムや光中性子や水素や酸素などの言葉を巧みに操りますが、人々はこれから何の益を得るでしょうか?人々がこの言葉の操りを聞くとき、彼らは何と言えるでしょう?ある科学者が別の科学者に何かを説明し、そして別の者がやってきて、それをもう一度、しかし異なるふうに、違う言葉で説明します。そしてその間ずっと現象は変わらないままです。どのような発展があったでしょうか?彼らは単に何巻もの本を作り出しただけです。現在は石油の問題があります。科学者たちが作り出したのです。もしも石油の供給が少なくなれば、これらの悪者たる科学者たちは何をするでしょう?彼らにはどうすることもできないのです。

3.「10億ドルの埃の山」

SP:今はインドには水が不足していますが、科学者たちはそれについて何をしていますか?世界には十分な量の水があります。それでは、なぜ科学者たちは緊急に必要とされているところへ水を持っていかないのですか?彼らは直ちに灌漑をすべきです。しかし、その代わりに彼らは月へ、埃の多い惑星へ、それを肥沃にするために向かっています。なぜ彼らは他ならぬこの惑星を灌漑しないのですか?十分な量の海水が存在します。では、なぜ彼らはサハラやアラビアやラジャスタニの砂漠を灌漑しないのですか?「はい」と彼らは言います。「未来においてそうします。私たちは努力しています。」誇りがあるので、彼らは直ちに「はい、はい。私たちは努力しています」と言います。バガヴァッド・ギーターには、人が不必要な欲求を満足させることに携わるとき、その人はすべての知性を失うようになる、(サンスクリット引用)と書かれています。

この月の計画は子供じみています。月へ行きたがる人は、泣いている子供のようなものです。子供が「お母さん、月をちょうだい」と泣きます。そこで母親が子供に鏡を与え、「ここに月がありますよ、坊や」と言います。そして子供は鏡を受け取って、「やあ、月を手に入れた」と言います。不幸にして、これは単なるお話ではありません。

カランダーラ:月へ行っていくつかの岩を持ってくるのに多額のお金を費やしたあと、宇宙計画に携わった人々は、そこでは他にすることは何もないと判断しました。

ブラーマーナンダ:今では彼らは別の惑星へ行こうとしていますが、お金が足りません。他の惑星に行くには、何十億ドルというお金がかかるのです。

SP:人々は一生懸命に働き、その一方で悪者たる政府は税金を集めて不必要にお金を使います。それほど多くの一生懸命に稼いだお金が市民から集められて、それほど愚かに費やされるとき、同情するべきではありません。今では、指導者たちは別のはったりを提示しています。「ご心配なく。私たちは別の惑星へいきます。そして私たちは更にもっと埃を持ち帰ります。私たちは山ほどの埃を持ってきます。そうですとも。今度は私たちは山ほどの埃を持ち帰ってきます。」

DS:彼らは火星に生命がいるかもしれないと信じているのです。

SP:彼らは信じるかもしれず、信じないかもしれません。何の違いがあるでしょう?他ならぬここに生命が存在しており、人々は戦っています。そこで、火星に生命がいると仮定しましょう。疑いもなく、火星には確かに生命が存在します。しかし、私たちはこのことから何の益を得るでしょうか?

DS:人々はそこで何が起こっているかについて好奇心を持っているのです。

SP:それは、彼らの子供じみた好奇心のために彼らが巨額のお金を費やさねばならないことを意味します。この滑稽さを御覧なさい。そして、彼らが多くの貧困なる国々の一つを助けるように頼まれると、彼らは「いいえ。お金がありません」と言います。分かりますか?

4.「サーンキャー哲学と現代科学」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、サーンキャー哲学について私たちに少し聞かせてくださいませんか?

SP:実際には、2種類のサーンキャー哲学が存在します。もともと主カピラデヴァによって教えられた古代のサーンキャー哲学と、もっと近年に無神論者であるカピラによって教えられた近代的なサーンキャー哲学です。主カピラのサーンキャーは、いかにして物質から非執着となって心の中に主ヴィシュヌを探すかを説明します。このサーンキャーは、実際には献身奉仕の過程です。しかし、新しいサーンキャー哲学は、単に物質世界を様々な要素に解析します。その点に関して、それはちょうど現代の科学的な研究のようです。サーンキャーは「数える」を意味します。私たちもまた、ある程度はサーンキャー哲学者です。なぜなら、私たちは物質的な要素を数えるからです。これは土、これは水、これは火、これは空気、これはエーテル。さらに、私は私の心、私の知性、そして私の自我を数えることができます。しかしクリシュナは、自我の先に何かが確かに存在しており、それは生命力である、とおっしゃいます。これが科学が知らないことです。彼らは生命は単に物質的な要素の組み合わせであると考えますが、クリシュナはこれをバガヴァッド・ギーターにおいて否定なさいます。(7.5)

(サンスクリット引用)

「この劣性の自然(土、水、火、空気、エーテル、心、知性、および偽りの自我)のほかに、私の優性なるエネルギーが存在します。それは、物質自然に苦しみ宇宙を維持している、すべての生命体から成ります。」

DS:劣性と優性の両方のエネルギーが近代のサーンキャー哲学で研究されているのですか?

SP:いいえ。近代のサーンキャー哲学者たちは、優性エネルギーを研究しません。彼らは、ちょうど科学者たちがしているように、単に物質的な要素を解析します。科学者たちは霊魂が存在すると知りません。サーンキャー哲学者たちも知りません。

DS:彼らは創造的な物質要素を解析しているのですか?

SP:物質的な要素は創造的ではありません!魂だけが創造的なのです。生命は物質からは創造され得ず、物質はそれ自身を創造することはできません。あなた、すなわち生命体は、水素と酸素を混ぜて水を作ることができます。しかし、物質そのものには創造する力はありません。もしもあなたが水素の瓶を酸素の瓶の近くに置けば、それらはあなたの助けなく自動的に混ざりますか?

DS:いいえ。それらは誰かによって混ぜられなければなりません。

SP:もちろんです。酸素と水素はクリシュナの劣性のエネルギーです。しかし、あなた、すなわち優性エネルギーがそれらを混ぜると、そうすればそれらは水になります。

5.「遠い原因とすぐ近くの原因」

SP:優性エネルギーが関わらない限り、劣性エネルギーには何の力もありません。この海(太平洋を指して)は穏やかで静かです。しかし、優性な力、空気がそれを押すとき、それは高い波を作り出します。海は空気という優性の力がなければ動く力はありません。同様に、空気より優性の力があり、その上にもその上にもあり、究極的に私たちはクリシュナに至ります。これが本当の研究です。

クリシュナは、ちょうどエンジニアが列車をコントロールするように自然をコントロールします。エンジニアは一つの車両を引っ張る機関車をコントロールし、その車両は次に別の車両を引っ張り、それが更に別のを引っ張り、そしてそのため列車全体が動いています。同様に、創造によってクリシュナが最初の一押しをし、そして次に次々と順に押すことによって宇宙の顕現の全体が現れ、維持されています。これはバガヴァッド・ギーターに説明されています。(9.10)(サンスクリット引用)「この物質自然は私の指揮の下で働いており、すべての動く存在と動かない存在を作り出しています。」そして14章(14.4)ではクリシュナは次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。すべての種類の生命はこの物質自然の中に生まれさせられたのであり(made possible by birth)、私が命を与えた父です。」例えば、もしも私たちがバンヤンの種をまけば、やがて巨大な木が育ち、それとともに無数の新しい種が現れます。これらの種のそれぞれが次には無数の新しい種を持った木となり、それが続いていきます。これが、いかにしてクリシュナ、原初の命を与える父が、私たちの見るすべてのものの最初の原因であるのか、ということです。

不幸にして、科学者たちは直接的な原因だけを観察します。彼らは遠因を近くすることができません。クリシュナはヴェーダにおいてサルヴァ・カーラナ・カーラナム、すべての原因の原因、と描写されています。もしも人がすべての原因の原因を理解するなら、そうすればその人はすべてを理解します。(サンスクリット引用)「もしも人が原初の原因を知るなら、従属する原因は自動的に知られます。」科学者たちはもともとの原因を探していますが、ヴェーダ、完璧な知識が原初の原因は至高の人格神である、と宣言するとき、科学者たちはそれを受け入れません。彼らは自分たちの部分的で不完全な知識に固執するのです。これが彼らの病気です。

6.「宇宙という機械」

SP:科学者たちは、劣性と優性という2種類のエネルギーが存在することを知りません。彼らは実際には毎日これらの二つのエネルギーを使って働いているにも関わらずです。物質エネルギーは決して独立して働くことはできません。それはまず霊的なエネルギーと接触しなければなりません。ですから、どうして人々は物質に過ぎない宇宙顕現全体が自動的に生じたと受け入れることができるでしょうか?有能な機械は、それを動かす方法を知っている人がボタンを押さない限り動きません。キャデラックは良い車ですが、もしも運転手がいないならば、それが何の役に立つでしょう?つまり、物質宇宙もまた機械なのです。

非常に多くの部品のある大きな機械を見て、人々は驚嘆します。しかし、知性のある人は、ある機械がいかに素晴らしくても操作する人が来て正しいボタンを押さなければそれは動かないということを知っています。したがって、どちらがより重要でしょうか?操作する人でしょうか、機械でしょうか?ですから私たちは、物質的な機械―――この宇宙の顕現―――ではなく、それを操作する人、クリシュナについて考慮します。さて、あなたはこう言うかもしれません。「では、どうやって私は主が操作する人であると本当に知ることができるのですか?」クリシュナはこうおっしゃいます。(サンスクリット引用)「私の指揮の下で宇宙の顕現のすべてが動いています。」もしもあなたが「いいえ。クリシュナは宇宙の背後で操作している人ではありません」と言うなら、それならあなたは別の操作する人を受け入れなくてはならず、そしてあなたはその人を提示して見せなければならないのです。しかし。これはあなたにはできません。したがって、あなたの証拠が欠落している状態では、あなたは私のを受け入れるべきです。
by ammolitering4 | 2009-09-15 06:51 | 「生は生より来たる」

朝の散策3

Dear Friends, Hare Krishna!

Thank you for visiting my web site. Here, I have been posting the translations of Prabhupada's books.

The titles are as follows:

1.Easy Journey to Other Planets
2.Beyond Birth and Death
3.Perfect Questions, Perfect Answers
4.Matchless Gift
5.Elevation to Krishna Consciousness
6.Spiritual Yoga
7.Life Comes From Life

And this is what I'm working on right now.
8.Teachings of Lord Caitanya

As you may have noticed already... yes, the contents here are in Japanese, exclusively. Also, I'm afraid I'm not accepting any comments in English due to high volume of spam messages.

I imagine that I will be working on Teachings of Lord Caitanya for the next several months. After that, I'd like to start working on Shrimad Bhagavatam, as it is a very important work that needs to be translated. I learnt that the project has already started, but since it is a huge literature, there may be room for my contribution.

I translate on my spare time, so the progress is slow. I would very much appreciate any financial support so that I can concentrate on my translations for the service of Srila Prabhupada.

Please e-mail me with any comments at leafyone55*yahoo.co.jp
(please change * to @)

P.S.

I am also an artist, mostly working on reversed glass paintings. My artworks are on display at the address below. There are several hundred photos, including the portrait of Prabhupada.
glass painting site
Prabhupada's portrait

Yoko Nishiyama, Vancouver
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1973年4月28日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリーおよび他の生徒たち。

1.「泥棒としての科学者」

SP:(手にバラの花をもって)このような花を実験室で作ることのできる科学者はいますか?

DS:それは可能ではありません。

SP.その通りです。不可能です。御覧なさい、クリシュナのエネルギーのなんとすばらしく働いていることか!このような花を実験室で作ることのできる科学者はいません。彼らは砂の二粒三粒さえ作ることができません。それにも関わらず彼らは宇宙の中で最も進んだ知性を持っていると主張します。これは愚かです。

DS:彼らはクリシュナから物質を取り、それを操作して、そして他ならぬ自分たちが何か素晴らしいものを作り出したと主張します。

SP:少なくとも、もしも彼らが自分たちはクリシュナから物質を取ったのだと認めるなら、それは良いことです。私たちは、すべてはクリシュナから生じたと理解しています。

DS:しかし、彼らはクリシュナから何かを取っていると認めません。その代わり、彼らは自分たちこそが創造者であると言います。

SP:どうやって彼らが何かを作り出したというのでしょう?彼らは砂を取り、何かの化学物質と混ぜてガラスを作ります。彼らは砂も化学物質も作りませんでした。彼らはそれを地球から取ったのです。彼らがどうやって何かを作り出したというのでしょう?

DS:彼らは「私たちは自然から材料を取った」と言います。

SP:「自然から」とは、人格のある者から、ということを意味します。彼らは自然から取りましたが、自然の中のすべてはクリシュナに所属するので、彼らは泥棒です。(サンスクリット引用)「すべては神の創造である。」(イショパニシャッド1)バガヴァッド・ギーターにおいてクリシュナは、もしも人がヤジナ(犠牲)を行わないならその人は泥棒である、とおっしゃいます。ヤジナとは、物がクリシュナから取られたことを認めることを意味します。私たちは次のように考えるべきです。「クリシュナ、あなたは私たちの維持のために非常に多くのものを下さいました。」ただこれだけの認識をクリシュナは欲していらっしゃいます。それだけです。そうでなければ、主は他ならぬあなたから何を期待することができるでしょうか?主の臨在にあって、あなたは何ですか?私たちはクリシュナの慈悲を認めるべきです。したがって、私たちは食べる前に食べ物をクリシュナに捧げ、「クリシュナ、あなたは私たちにこのおいしい食べ物を下さいました。だから、まずあなたが味わってください。」と言います。それから私たちはそれを食べます。

クリシュナはおなかを空かせてはいらっしゃいません。それでも主は、全世界を食べて、そしてそれを再び全く元通りに作り出すことがおできになります。(サンスクリット引用)(イショパニシャッド、祈り)クリシュナはとても完璧なので、もしもあなたがクリシュナから主のエネルギーのすべてをとっても、もともとのエネルギーのすべてはクリシュナの元に残ります。それこそが完全なエネルギーの保存です。

2.「自然の源」

DS:「Nature(ネイチャー)」という科学雑誌があります。そこには植物や花や鉱物などの自然な物質に関する記事がありますが、神に言及することはありません。

SP:私たちは、植物は自然によって作られたと正しく観察するかもしれません。しかし、私たちが尋ねなければならない次の問いは、「誰が自然を作ったのか」というものです。他ならぬこのことを問うことが本当の知性です。

DS:彼らは一般にこのことについて考えません。

SP:では、彼らは愚かです。自然はどこから来るのですか?私たちが自然について語れば直ちに、次の問いは「いったい誰の自然なのか」であるべきです。そうではありませんか?例えば、私は私自身の自然(訳注:原語はnature、性質、自然、などを意味する)について語り、あなたはあなた自身の自然について語ります。したがって、私たちが自然について語れば直ちに、次の質問は「いったい誰の自然なのか」であるべきです。自然とはエネルギーを意味します。そして、私たちがエネルギーについて語れば直ちに、私たちはそのエネルギーの源について問わねばなりません。例えば、もしもあなたが電気エネルギーについて語るなら、あなたはその源、発電所を受け入れなければなりません。どうしてあなたはそれを否定できるでしょうか?電力は自動的に私たちのもとへ来るのではありません。同様に、自然は自動的に働いてはいません。それはクリシュナの統御の下にあります。

生徒:ヴェーダには、物質エネルギーはクリシュナの指揮の下で働くと書いてあります。

SP:そうです。あなたがエネルギーについて語れば直ちに、源が存在しなければなりません。

3.「物質世界の蜃気楼」

カランダーラ:地質学者たちは、地球の源を突き止めるために、地球の地殻の地層を研究します。

SP:しかし、これらの地層は毎瞬作られては破壊されています。今はそれらはある状態にありますが、今から30分すれば異なります。それらはジャガット、いつも変化しているのです。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(8.4)において(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「物理的な自然は、終わりなく変化しうるものとして知られます。」したがって、人は単にエネルギーそのものを観察することによってすべてのエネルギーの源を見つけることはできません。今は地球の地層は黒であるかもしれず、のちにはそれは白であるかもしれず、そしてまた黒となるかもしれません。そこで、地質学者は黒色を、そして白色を、そして再び黒を、等々と調べます。これは(サンスクリット引用)、「すでに噛まれたものを噛む」(脚注5)と呼ばれます。今は寒く、昼間は暖かくなり、そして夜にはまた寒くなります。このように、物質的な宇宙の顕現全体が異なる種類の変化の影響の下にあります。私たちの体さえも変化しています。すべてが変化しています。しかし、この変化の背後の永遠性は何ですか?それが本当の知識の主題なのです。科学者たちは、その永遠性を見つけません。そしてそのために彼らは落胆します。彼らは、すべてのものの背景は虚無、ゼロであると考えます。彼らは永遠性とはゼロであると考えるのです。そして、このゼロはどこから来るのかと尋ねられると、彼らは「それは無から来ます」と言います。ですから私たちは彼らに「多様性はどうして生じたのですか?」と尋ねなければなりません。ヴェーダの結論は、科学者たちが物質世界で調べる変化する多様性は一時的であるけれど、多様性そのものは永遠である、というものです。物質世界の多様性は影の多様性です。本当の多様性は永遠に霊的な世界に存在します。

DS:では、物質的な宇宙は蜃気楼のようなものですか?

SP:そうです。例えば、水のない時に私が砂漠で水を見ると仮定しましょう。これは幻想です。水は存在しますが、蜃気楼の中にではありません。同様に、私たちが見る物質的な多様性―――多様な楽しみ―――は、蜃気楼のようなものです。私たち生命体は、本来楽しむべき存在ですが、私たちは楽しみを誤ったところに―――幻想の中に探しています。私たちは、蜃気楼の中の水を追いかけて、やがて喉が渇いて死ぬ砂漠の動物のようなものです。彼らはそのような幻想の水では渇きを癒すことができません。同様に、私たちは自分たちの楽しみへの渇きを満足させるために多くのものを作り出そうとしていますが、物質存在は幻想であるため、至るところにおいて当惑させられています。したがって、本当の知性とは「現実はどこにあるのか、幻想の背後の永遠なる本質はどこにあるのか」と問うことを意味します。もしも私たちがそれこそを見つけることができれば、私たちは本当の楽しみを経験することができます。
by ammolitering4 | 2009-09-15 04:21 | 「生は生より来たる」

朝の散策2

お待たせしました。朝の散策、二日目です。休みの日などに一日分ずつタイプしていけば3週間くらいでおわるはず、というのを何とかの皮算用と言ったような。。。

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朝の散策―――2

1973年4月19日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリー、ブラーマーナンダ・スヴァーミーおよび他の生徒たち。

1.「ダーウィン主義の絶滅」

SP:この物質世界は、どこででも働いている3つの性質―――サットヴァ、ラジャス。およびタマス(徳、熱情、無明)の組み合わせです。これらの三つの性質は、すべての種の生命において様々な割合で存在しています。たとえば、ある種の木々はおいしい果物を実らせますが、他のものは単に薪に向いているだけです。これは自然の特定の性質との関わりによるものです。動物の中においても、これらの三つの性質は存在します。牛は徳の性質にあり、ライオンは熱情の性質にあり、猿は無明の性質にあります。ダーウィンによれば、ダーウィンの父親は猿です。(笑)彼は愚かな理論付けをしました。

DS:ダーウィンは、一部の種は生存のための苦闘の中で絶滅すると言いました。生き延びる力のある者は生き延びますが、そうでないものは絶滅します。ですから彼は生存と絶滅は表裏一体であるといいます。

SP:絶滅したものはありません。猿は絶滅していません。ダーウィンの直径の先祖である猿は今も存在しています。

カランダーラ:ダーウィンは、自然の選択があるに違いないと言いました。shかし、選択とは選ぶことを意味します。では、誰が選んでいるのですか?

SP:それは人格(のある存在)でなければなりません。ある者は生存して別の者は殺されることを、誰が許しているのでしょうか。そのような命令をする、思慮分別を備えたなんらかの権威が存在しなければなりません。それが私たちの最初の提案です。その権威が誰であるかは、バガヴァッド・ギーターに説明されています。クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「自然は私の指揮監督の下で働いています。」(BG9.10)

DS:ダーウィンはまた、異なる種は同時に作られたのではなく、徐々に進化した、とも言いました。

SP:では、進化の過程がどのように始まったかということに関する彼の説明は何ですか?

カランダーラ:ダーウィン主義の現代の支持者は、最初の生命体(living organism)は化学的に作られたと言います。

SP:そして私は彼らにこう言います。「もしも生命が化学物質から生じたのならば、そしてもしもあなたがたの科学がそれほど進歩しているのであれば、ではなぜあなたがたが自分の実験室で生化学的に生命を作り出すことができないのですか?」

2.「未来において」

カランダーラ:彼らは、未来において生命を作り出すと言います。

SP:いつの未来ですか?この大変重要な点が挙げられるとき、彼らは「私たちは未来においてそうします」と答えます。なぜ未来なのですか?それは無意味です。「未来を信用するな。それがいかに素敵なものであっても。」(ことわざ)もしも彼らがそんなに発達しているなら、彼らは生命がいかにして化学物質から作られるか、今やってみせなければなりません。そうでなければ、彼らの発達の意味は何でしょうか?彼らは無意味なことを話しているのです。

カランダーラ:彼らは、自分たちは創造のほんの一歩手前にいると言います。

SP:それは単に同じことの、「未来において」ということの、異なる言い方でしかありません。科学者たちは、自分たちがいまだに生命の起源を知らないということを認めなければなりません。すぐに生命の化学的な起源を証明するという彼らの主張は、誰かに後付けの小切手を切るようなものです。例えば、私があなたの1万ドルの後付け小切手を切るけれど、実際は私は全くお金を持っていないと仮定しましょう。その小切手の価値は何でしょうか?科学者たちは、自分たちの科学はすばらしいと主張していますが、現実的な例が求められるとき、彼らはそれを未来において提供すると言います。

例えば、次のように仮定しましょう。私が何百万ドルも持っていると言って、あなたが私にいくらかのお金を求めるとき、私は「はい、今、私はあなたに巨額の後付け小切手を切ってあげます。それでいいですか?」と言います。もしもあなたが知性的であるなら、あなたはこう答えます。「今は、少なくとも現金で5ドルをください。実体のなる何かを見ることができるように。」同様に、科学者たちは実験室の中で草の葉の一枚も作り出せません。それなのに、彼らは生命は化学物質から作られると言うのです。この無意味な話は何ですか?誰もこれに疑問を持たないのですか?

(訳注:日本では小切手は一般的ではありませんが、西洋では小額の支払いの方法として一般的です。通常はその日の日付を書き、受け取った人は銀行などに持っていって換金します。そのときに額面の分のお金が引き落とされるので、当然、小切手を書いた人の口座にお金が入っていなければなりません。しかし、例えば今はお金がないけれど2週間後にはお金が入るということが分かっている場合には、あらかじめ2週間後の日付を書いて渡します。これを後付け小切手といいます。)

カランダーラ:彼らは、生命は科学の法則によって作られると言います。

SP:法則(法律)が存在するときは直ちに、私たちはだれかがその法を作ったということを考慮しなければなりません。彼らのすべてのいわゆる発展にも関わらず、実験室にいる科学者たちは草の葉の一枚さえ作り出すことができません。彼らは一体どんな科学者なのですか?

DS:彼らは、究極の解析においてはすべてが物質から生じた、と言います。生命のある物質は生命のない物質から生じたと言うのです。

SP:では、今は生命のある物質はどこから来ていますか?科学者たちは、過去においては生命は物質から生じたけれど、今はそうではないと言うのですか?今はアリはどこから来るのですか―――土からですか?

3.「欠けた継ぎ目」(missing link)

DS:実際のところ、生命がいかにして物質から生じたか、生命のある物質がいかにして生命のない物質から生じたかについては、いくつかの理論があります。

SP:(Dr.シングを物質主義的な科学者の役割にあてはめて)いいでしょう、科学者さん。なぜ今、生命は物質から生じていないのですか?あなたは悪者(rascal)です。なぜ生命は今は物質から生じているのですか?

(訳注:ラスカルというのは、ろくでもない人を指す言葉です。やや古びた言い方で、あまり一般的ではありませんが、プラブパーダは好んでお使いになります。翻訳では一様に「悪者」としています。)

実際にそのような科学者たちは悪者です。彼らは、なんとも子供じみたことにも、生命は物質から生じたと言います。彼らには全くそれを証明することができないにも関わらずです。私たちのクリシュナ意識運動は、これらすべての悪者たちを暴露すべきです。彼らは単にはったりで騙しているのです。なぜ彼らは直ちに生命を作り出さないのですか?彼らは、過去において生命が物質から生じたといいます。そして彼らは、これがまた未来において生じるとも言います。彼らは自分たちが物質から生命を作り出すとも言います。これは一体、何という理論ですか?彼らはすでに生命は物質から生じたと表明しました。「生じた」―――これは過去に言及するものです。では、なぜ彼らは今、未来のことを語るのですか?それは矛盾ではありませんか?彼は過去が未来に起こることを期待しているのです。これは子供じみた無意味な話です。

カランダーラ:彼らは、過去において生命は物質から生じ、彼らはそのようにして未来において生命を作り出すと言います。

SP:この無意味なことは一体何ですか?もしも彼らが生命は現在において物質から生じると証明できないなら、どうやって彼らは生命が過去においてそのように生じたと知るのですか?

DS:彼らは推察しているのです。。。

SP:誰でも推察することができます。しかし、これは科学ではありません。誰もが何かを推察することができます。あなたは何かを推察でき、私も何かを推察できます。しかし、証拠が存在しなければなりません。私たちは生命は生命から生じると証明することができるのです。例えば、父親は子供をもうけます。父親は生きており、子供も生きています。しかし、父親が死んだ石でありうるという証拠はどこですか?彼らの証拠は一体どこにあるというのですか?私たちは、生命は生命から始まると容易に証明することができます。そして、原初の生命はクリシュナです。それもまた証明され得ます。しかし、子供が石から生まれるということにどんな証拠があるのですか?彼らは、生命が物質から来たるということを実際に証明することはできません。彼らはそれを未来に後延ばしにしているのです。(笑)

カランダーラ:科学者たちは、彼らは今では酸を、アミノ酸を編み出すことができると言います。それはほとんど単細胞生物のようなものです。彼らは、これらの酸は生命に非常によく似ているので、彼らが生命を作り出せる前には単に一つの継ぎ目が欠けているだけだと言います。

SP:無意味なことです!欠けている継ぎ目。私は彼らに面と向かって挑戦しましょう!(笑)彼らに欠けているのは、この挑戦です。欠けている継ぎ目は、面と向かって彼らに向けられるこの挑戦です。

4.「ロバのためのノーベル賞」

DS.ある科学者たちは、未来において彼らは試験管の中で赤ん坊を作ることができるようになると望んでいます。

SP.試験管?

DS.そうです。彼らは男性と女性の要素を生物学的な実験室の中で組み合わせようとしているのです。

SP.もしも彼らが生命体を使って始めるなら、この試験管の目的は何ですか?それは単なる組み合わせの場所です。しかし、子宮もそうです。もしもこれがすでに自然の試験管の中でなされているなら、科学者たちの栄誉はどこにあるのですか?

カランダーラ:それはすでに自然によってなされていますが、誰か科学者がそれをすると、人々は彼にノーベル賞を与えるのです。

SP.そうです。それはシュリマッド・バーガヴァタムに述べられています。9サンスクリット引用)(脚注4)この節は、動物のような者たちを称える者は犬や豚やラクダやロバより優れた者ではない、ということを示しています。「シュヴァ」は「犬」を意味し、「ヴィドヴァラーハ」は「フンを食べる豚」を意味し、「ウシュトラ」は「ラクダ」を意味し、「カーラ」は「ロバ」を意味します。もしもノーベル賞が悪者である科学者に与えられるならば、彼にその賞を与える委員会の人々は、犬や豚やラクダやロバよりも優れたものではありません。私は彼らを人間としては受け入れません。ある動物が別の動物によって称えられているのです。それのどこに栄誉があるのですか?もしも委員会の人々が動物よりも優れたものでないなら、科学でノーベル賞を受賞する人は誰であれ一番の愚か者です。人間ではなく動物たちが彼を称えているからです。

DS:一部の科学者にとって、ノーベル賞は究極です。

SP:彼らは悪者です。彼らは無意味なことを話しており、彼らが言葉を巧みに操っているので、他の者たちは誤って導かれているのです。

ブラーマナンダ:ノーベルはダイナマイトを発明した人です。

SP:彼は大きな不幸を作り出し、自分のお金を更なる不幸を作るために残しました。(笑)

ブラーマナンダ:ギーターには、悪魔的な人々は世界を滅ぼすことになる活動をする、と書かれています。

SP:そうです。(サンスクリット引用)(BG16.9)彼らは、不運と世界の滅亡につながる行いをするのです。

5.「生きているものと生きていないものの違い」

(シュリーラ・プラブパーダ、杖で枯れた枝を指す)
SP:かつて、この木から葉や小枝が育っていました。今は育っていません。科学者たちはこれをどう説明しますか?

カランダーラ:彼らは、木の化学的な組成が変化したのだと言うでしょう。

SP:その理論を証明するためには、彼らは葉や小枝が再び育つことができるように、正しい化学物質を注入することができなくてはなりません。科学的な方法には、観察、仮説、そしてその後に実証が含まれます。そうすれば、それは完璧です。しかし、科学者たちは生命が物質から来たるということを彼らの実験室において実際に実証することができません。彼らは単に観察して、そして無意味なことを話します。彼らは子供のようなものです。私たちの子供時代において、私たちは蓄音機を観察し、箱の中には歌を歌う人が、電気人間が入っていると考えました。私たちは、その中には電気人間か、何かの幽霊が入っているに違いないと考えていました。(笑)

DS:私たちが生物学を学び始めるとき、よく浮かぶ疑問の一つは「生きた体と生きていないものの違いは何か」というものです。教科書には、両者を区別する主要な特徴は、生命体は動いて再生産することができ、一方で死んだ物質はどちらもできないということだ、と書いてあります。しかし、本には決して魂の特徴や生命体の意識については書いてありません。

SP:しかし、意識は生命が存在することの主要な指標です。意識があればこそ生命体は動いて再生産をすることができます。人は意識があるので結婚することや子供をもうけることを考えます。そして原初の意識はヴェーダに描写されています。(サンスクリット引用)(チャーンドグヤ・ウパニシャッド6.2.3)これは、神、すなわち原初の意識ある存在が「私は多くになるであろう」と言ったということを意味します。意識なくしては、副産物の可能性はありません。

6.「個々の生命力」

SP:庭師は緑の木に水をやります。では、なぜ彼らはこの枯れた木に水を与えて緑にしないのですか?

DS:経験から、彼らはそれが育たないと知っているんどえす。

SP:それでは、欠けている要素は何ですか?科学者たちは、化学物質が生命の根源であると言います。しかし、この木が生きていたときに存在していたすべての化学物質はまだそこにあります。そしてこれらの化学物質は、今も微生物や虫などの多くの生命体の命を支えています。ですから、彼らは木の体の中に生命エネルギーが欠けているということはできません。生命エネルギーはそこにあります。

DS:しかし、木そのものの生命エネルギーについてはどうですか?

SP:そうです。それが違いです。生命力は独立した存在であり、木であった特定の個たる生命体は去りました。そうでなければならないのです。生命を支えるのに必要なすべての化学物質はまだそこにあり、それにも関わらず木は枯れています。

ここにもう一つの例があります。私がアパートに住んでいて、それからそこを出ると仮定しましょう。私はいなくなりましたが、他の多くの生命体はそこに留まります―――アリ、クモなどです。ですから、単に私がアパートを去ったからそれはもはや生命を維持することができないというのは真実ではありません。他の生命体はまだそこに住んでいます。ただ単に私が―――一つの独立した生命体が―――去ったというだけなのです。木の中の化学物質はアパートのようなものです。それらは単に個々の生命力―――魂―――がそれを通して活動するところの環境に過ぎません。そして魂は個別の存在です。私は個人であり、そのため私はアパートを出るかもしれません。同様に、微生物もまた個人です。彼らには個々の意識があります。もしも彼らがある方向に向かって動いていて、しかし何らかの原因でさえぎられるなら、彼らは「別の方向に行こう」と考えます。彼らには人格があるのです。

カランダーラ:しかし、死体には人格はありません。

SP:これは個別の存在である魂がその体を去ったことを示しています。魂が去り、したがって木は育ちません。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、生きた体の中には無数の小さな生命体がいます。しかし、その体を所有する個別の自我もまたそこに住んでいます。これは正しいですか?

SP:はい。私の体の中には無数の生命体がいます。私の内臓の中には多くの寄生虫がいます。もしも彼らが強くなれば、そうすれば私が食べたものは何でも彼らが食べ、そして私は食べ物から何の利益も得ません。したがって、十二指腸虫を山ほど抱えている人は、たくさん食べますが育ちません。彼らはやせ細り、ひどくおなかを空かせています。これらの小さな生命体が彼らの食物を食べているからです。私の体の中には無数の生命体がいます―――彼らは個別の存在であり、私も個別の存在です―――しかし、私は体の所有者です。ちょうど、私が無数の生命体の住む庭の所有者であるかもしれないようなものです。

生徒:では、もしも私がクリシュナ・プラサーダ(主クリシュナに捧げられた食べ物)を食べれば、私の体の中の生命体もまたプラサーダを食べているのですか?

SP:そうです。あなたは非常に情け深いのです。(笑)あなたは他者のためにクリシュナ・プラサーダを食べます。

カランダーラ:福祉ですね。

SP:そうです。しかし、あなたの中には彼らの食べるものがたくさんあるので、あなたは彼らに食べさせるために別の努力をする必要はありません。

7.「最小限の言葉、最大限の解決策」

SP:個々の魂は決して失われることがありません。彼は死ぬことも生まれることもありません。彼は単にある体から別の体へ移ります。ちょうど人が衣類を変えるようなものです。これは完璧な科学です。

DS:しかし、なぜ科学者たちはこれを受け入れないのですか?

SP:彼らは良い人たちではないのです。彼らは悪者です。彼らは紳士でさえありません。ある状況の下にあっては、紳士はいくらかの慎ましさや、いくらかの羞恥心を持ちます。しかし、これらの人々は恥知らずです。彼らは私たちの挑戦に正しく答えることができず、それでも恥知らずにも自分たちは科学者であって生命を作り出すであろうと主張します。彼らは紳士でさえありません。少なくとも、私は彼らをそのようにみなします。紳士は無意味なことを話すのを恥じるものです。

DS:彼らは話す前に考えません。

SP:それは彼らが人間ではないということを意味します。人間は何か言う前に2度考えます。(訳注:よく考える、という意味の表現)クリシュナは、体の中の生命の存在をとても分かりやすくしてくださいます。主は次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「体に閉じ込められた魂が絶え間なくこの体の中を若者から老齢へと通り過ぎるように、同様に魂は死の際に別の体へ入ります。自己を認識した魂は、そのような変化によって惑わされません。」(BG2.13)これらの2節の中で、クリシュナは生物学的な問題のすべてを解決なさいます。それが知識です。最小限の言葉、最大限の解決策。無意味なことを詳述している何巻もの本は何の意味も持ちません。物質主義的な科学者は、ケロケロと鳴いているカエルのようなものです。ケロケロケロ、ケロケロケロ。(シュリーラ・プラブパーダはカエルの鳴きまねをし、他の者たちは笑う。)カエルたちは、「私たちはとても素敵に話している」と考えています。しかし、その結果、蛇が彼らを見つけて言います。「おお、ここに素敵なカエルがいる!」(シュリーラ・プラブパーダは、蛇がカエルを食べる物音を真似する。)ガブリ!おしまいです。死が来るとき、すべては終わります。物質主義的な科学者たちは、鳴いています―――ケロケロケロ―――しかし、死が来るとき、彼らの化学的な努力は終わります。そして彼らは犬や猫や、そのような何かになるのです。
by ammolitering4 | 2009-09-14 06:24 | 「生は生より来たる」

朝の散策   1

結局第一章までタイプする時間がありました。
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朝の散策―――1

1973年4月18日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、ソーダム・ダーモダラ・シング博士、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリー、ブラーマーナンダ・スヴァーミーおよび他の生徒たち。

1.「他の惑星上の生命」

シュリーラ・プラブパーダ(以下、SP):太陽や月にさえ生命体がいます。科学者の意見は何ですか?

シング博士(以下、Dr.S):彼らは、そこには生命はいないと言います。

SP:それは無意味です。そこには生命が存在しているのです。

Dr.S.:彼らは、月では生命を見つけられなかったから月には生命はいない、と言います。

SP:なぜ彼らはそんなことを信じるのですか?月という星は埃で覆われていますが、その埃の中に生命体は住むことができます。すべての環境は生命に適しています。どんな環境でもです。したがって、ヴェーダ(脚注1)は生命体をサルヴァ・ガターと描写します。「すべての状況において存在する」という意味です。生命体は物質ではありません。物質の体の中に閉じ込められてはいますが、物質ではありません。しかし、私たちが異なる環境のことを語るとき、私たちは異なる物質的な環境を指します。

カランダーラ:彼らは、月の環境は生命には適さない、と言います。しかし、彼らが道理的に言えるのは、それは私たちが知っているような生命には適さないということです。

SP:ヴェーダは、生命体は物質的なものとは何の関係もない、と言います。生命体は焼かれたり切られたり乾燥したりふやけたりすることはありません。これはバガヴァッド・ギーター(脚注2)において論じられています。

Dr.S:科学者たちは、この惑星における生命に関する彼らの知識を拡張します。それは他の惑星の生命にも当てはまるに違いないと考えているのです。

SP:そうです。彼らは何よりもまず自分たち自身のことを考えています。彼らは、自分たちの状況から推し量って、有限な考え方をしているのです。これは私たちが「カエル博士の哲学」と呼ぶものです。(笑)

昔々、井戸にカエルがいました。友達が大西洋の存在について教えたとき、彼は友達に尋ねました。
「ほう、その大西洋というのは何ですか?」
「とても大きな水たまりです」と友達は答えました。
「どれくらい大きいのですか?この井戸の2倍くらいですか?」
「いえ、いえ―――もっともっと大きいのです」と友達は答えました。
「何倍くらい大きいのですか?10倍くらいですか?」
このようにしてカエルは計算を続けました。しかし、こうすることで大洋の広大さを理解できる可能性があるでしょうか。私たちの才能、経験、推察の力は非常に有限です。科学者たちの推察は、そのようなカエルの哲学を生むだけです。

カランダーラ:彼らが「科学的な誠実さ」と呼ぶものの基本は、彼らが直接経験できることだけについて語ることです。

SP:あなたはあなた自身の経験について語るかもしれず、私は私自身の経験について語るかもしれません。しかし、なぜ私はあなたの経験を受け入れるべきでしょうか。あなたは愚か者であるかもしれません。では、なぜ私もまた愚か者になるべきでしょう?あなたはカエルであるかもしれませんが、私はクジラであると仮定しましょう。なぜ私があなたの井戸を存在のすべてとして受け入れるべきでしょうか。あなたはあなたなりの科学的な知識を得る方法を持っています。そして私は私の方法を持っています。

Dr.S.:科学者たちは月の表面に水を見出していないので、彼らはそこでは生命は生存し得ないと結論しました。

SP:彼らは月の表面をすべて見たわけではありません。たとえば、誰かが他の惑星からここに来たとして、アラビア砂漠に着陸してから家に帰ったと仮定しましょう。彼は地球全体の性質について完全な結論に達することができるでしょうか。彼の知識は完全ではあり得ません。

カランダーラ:彼らは水を察知する機器を持っています。彼らはそれを月の軌道に乗せて周回させ、そして月には水がないので従って生命もないと結論しました。

SP:たとえ太陽の上のように水がないように見えるところにも、それでもそこに生命体はいます。サボテンは一見水がないように見える砂漠でどうやって育つのですか?

カランダーラ:大気中から水分を得るのです。

SP:そうです。大気には生命を維持するためのすべての要素―――土、水、火、空気とエーテルが含まれているからです。あらゆる物質的な物の中には、これらの要素のすべてが存在します。たとえば、見ることはできませんが、私の体の中には水があります。同様に、あなたは私の体の中の火を見ることはできませんが、それでも私の体は温かいのです。この温かさはどこから来るのでしょうか。あなたはいかなる火も見ることはできません。あなたは私の体の中で燃えている火を見ることができますか?では、どこから温かさが来るのですか?答えは何ですか?

2.「原子の中の宇宙」

SP:すべての物質は5つの密度の濃い要素(土、水、火、空気、およびエーテル)および3つの密度の薄い要素(心、知性、および偽りの自我)の組み合わせです。

カランダーラ:ヴェーダの科学によると、物質エネルギーは偽りの自我に始まり、それから知性へ、そして心へ、そして密度の濃い要素―――エーテル、空気、火などに発達します。ですから、同じ基本的な要素がすべての物質に存在します。これが正しいですか?

SP:はい。物質宇宙の創造は、偉大なバンヤンの木(脚注3)が小さな種から育つようなものです。誰も種の中に木を見ることはできませんが、木にとって必要な材料のすべてはそこにあります。それには、必要とされる知性も含まれます。実際、すべての者の体は単に宇宙のサンプルなのです。あなたの体と私の体は、異なる宇宙、小さな宇宙なのです。したがって、私たちの体の中には8つの要素のすべてが存在します。それらが宇宙全体に存在するのとちょうど同じように。同様に、虫の体は別の宇宙です。

カランダーラ:原子はどうですか?

SP:同じ公式が当てはまります。これらの構成物質のすべてが原子の中にもあります。(サンスクリット引用))(カサ・ウパニシャッド1.2.20)これは、何かが極度に大きくても微細であっても、それがやはり同じ基本的な要素から作られているということを意味します。これは物質世界のどこにおいても真実なのです。ちょうど女性の小さな腕時計にもそれが滑らかに機能するのに必要なすべての機器が備わっているように、アリにも自分の用事をうまく管理するのに必要な脳の成分があります。どうしてそれが可能でしょうか?これに正しく答えるためには、あなたはアリの脳細胞を精密に調べなければなりません。しかし、あなたにはそれはできません。さらに、アリよりも小さな虫が無数に存在するのです。つまり、これらすべての詳細な活動のための機械的な配剤が存在していなければなりませんが、科学はそれを発見することができません。

3.「相対性と知識」

SP:すべての生命体は、4つの原則―――食べること、眠ること、性交、防衛―――を実行するのに必要な知性を備えています。これらの4つの原則は、原子にさえ存在します。人間における唯一の違いは、人には神を理解するための付加的な知性があるということです。これが違いです。(サンスクリット引用)食べること、眠ること、性生活および防衛はどこででも見られます。あなたは木が育つのを見たことがあります。コブがあるところでは、幹はこっちには行かず、あっちに行きます。(シュリーラ・プラブパーダ、木の幹がコブの上ではなくその周りに育つ仕草をする。)木には知性があります。「もしもこっちに行けば、私は阻まれるだろう。だからあっちに行こう。」しかし、木の目はどこにありますか?どうやって見ることができるのでしょう?木は知性を持っているのです。その知性はあなたのほど良くはないかもしれませんが、それは知性なのです。同様に、子供にも知性があります。しかし、彼の父親のそれほどは発達していません。やがて時が来てその子供が彼の父親のそれに似た体を得るとき、子供の知性は完全に発達して表面化します。

Dr.S:それでは知性は相対的なのですね。

SP:そうです。すべては相対的です。あなたにはあなたの体とあなたの寿命とあなたの知性があり、アリにはアリのそれがあります。私たちもアリも百年生きますが、私たちの百年の寿命は私たちの体に比例したものです。この宇宙で最も寿命の長いブラーマーでさえ、100年生きます。私たちにはアリの寿命はほんの2-3日に見えるかもしれません。同じように、地球とは異なる環境を持つ別の天体には、それらの状況に適した生命形態が存在します。しかし、科学者たちはすべてを地球という天体の相対的な状況に沿って見ようとします。これは無意味なことです。なぜ彼らはそうしているのでしょうか?もしも宇宙の顕現全体が相対性の法則にのっとっているなら、どうして科学者たちはこの天体の状況が他の天体の生命に当てはまるに違いないといえるのでしょうか?

ヴェーダは私たちに、知識は常にデシャ・カーラ・パートラに基づいて考慮されなければならない、と教えます。デシャは「状況」を意味し、カーラは「時間」を意味し、パートラは「対象」を意味します。私たちはすべてのことをこれらの3つの要素を考慮に入れることによって理解しなければなりません。たとえば、魚は水の中でとても快適に暮らしていて、私たちは海岸で凍えています。これは私のデシャ・カーラ・パートラと魚のデシャ・カーラ・パートラが異なるからです。しかし、もしも私たちがカモメもまた水中で凍えると結論付けるなら、それは無意味です。彼らのデシャ・カーラ・パートラもまた異なるのです。物質宇宙の顕現の中には840万の異なる種類の生命が存在します。そしてそれぞれの種が状況に対して異なるふうに適応しなければなりません。この惑星においてさえ、あなたはアラスカに行って快適に暮らすことはできません。そこもアメリカであるにも関わらずです。同様に、アラスカで生活を楽しんでいる生命体はここには来ません。

カランダーラ:では、相対性は私たちの個々の状況に基づいているのですね。

SP:そうです。したがって、ある者にとって食物であるものは別の者にとっては毒である、と言われます。

ブラーマーナンダ:科学者たちは、自分たちが月で生存できないので他の誰も生存できないと考えます。

4.「86億年の一日」

DrS:世界の問題は、ほとんどすべての人が自分自身の状況だけに基づいて考えているということです―――そしてそれは無意味なことです。

生徒:自分の村から一度も出たことのない者は、自分の村が全世界だと考えます。

SP:そうです。カエルはいつも自分の井戸との相対性に基づいて考えています。彼にはそれ以外の方法で考える力がありません。海は巨大ですが、彼は海の巨大さを自分自身の大きさとの相対性に基づいて考えています。同様に、神は偉大ですが、私たちは神を相対的な偉大さ、すなわち私たち自身のそれと相対的な偉大さに基づいて考えています。ある種の虫は夜に生まれ、彼らは朝が来る前に育ち、子供をもうけ、そして死にます。彼らは決して朝を見ることがありません。ですから、もしも彼らが朝は存在しないと結論づけるなら、それは無意味です。同じように、シャーストラ(明かされた聖典)にブラーマーの寿命が私たちの何百万年にも相当すると書いてあるのを知ると、私たちは直ちに不信の念を持ちます。私たちは、「どうしてそんなことがあるでしょうか」と言います。しかし、バガヴァッド・ギーター(8.17)には、(サンスクリット引用)と書いてあります。「地球の43億年がブラーマーの12時間に当たります。」ギーターの偉大な学者として知られていたインドの主要な政治家でさえ、この情報を受け入れることができませんでした。彼はこれが心理的な推察であると言いました。なんという悪者でしょう!それでも彼は重要な学者として通っているのです。悪者と愚かな者たちが学者や科学者や哲学者として通っていて、そのために全世界が誤って導かれているのです。
by ammolitering4 | 2009-08-25 08:43 | 「生は生より来たる」

「生命は生命より来たる」前書き

お待たせしました。私は今日の夜から2週間ほど留守にしますが、今日は昼間は時間があったので前書きのところだけタイプしました。読んでみて、何が言いたいのだろうか、と思うような文章もところどころにあります。特にパスツールのところなどは、直訳すると全く謎かけ文のようになるので、仕方なく単純化しました。詳細は前出の原文を参照してください。なお、続きは帰ってきてからになります。


「生命は生命より来たる」

表紙

生命と宇宙の起源に関する現代の科学的な理論への驚くべき挑戦―――ISKCON創設者、尊師A.C.バクティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下との朝の散策

裏表紙

「私は科学者たちに言います。“もしも生命が化学物質から生じたのであれば、そしてもしもあなたたちの科学がそれほど発達しているのであれば、それならなぜ、あなたがたこそ生化学的にあなたがたの実験室で生命を作り出せないのですか”」

「彼らは原子エネルギーを発見しました。今では彼らは無数(の生命体)を一度に殺すことができます。彼らは単に死への道を整えたのです。そして、それなのに彼らは図太くも自分たちは生命を作るのだと宣言するのです。」

前書き

第1段落

現代科学者のすべての意見を、試験されて証明された真実である、と受け入れるようになった人にとって、この本は目からうろこが落ちるようなものでしょう。「生命は生命より来たる」は、今世紀(20世紀)の最も偉大な哲学者であり、学者の一人である尊師A.C.バクティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下による、現代の科学と科学者のいくつかの支配的な方針、理論、および仮定に関する、即興でありながら見事な批評です。シュリーラ・プラブパーダの鮮やかな分析は、生命の起源と目的に関する現代もてはやされている学説の底流にある、隠れた、そして明らかに根拠のない仮定を露わにします。

第2段落

この本は、シュリーラ・プラブパーダがロサンゼルス地域で1973年に何人かの弟子と朝の散策の折に交わした会話の録音テープに基づいています。科学に焦点を当てた朝には、シュリーラ・プラブパーダは主に弟子のソーダム・D・シング博士と話しました。有機化学者であるシング博士は、現在は、科学、哲学および進学における高度な研究と調査のための国際センターであるバークティヴェダーンタ協会を指揮しています。

第3段落

世界のどこに居合わせようと、シュリーラ・プラブパーダは毎日早朝の肌寒い静けさの中で長い散歩にいらっしゃいました。そして、暖かい毛布にくるまって、少数の生徒、弟子、および特別な客人と一緒に親密な時間を共有なさいました。ときには、彼は沈思黙考や周囲を静かに楽しむことにふけり、ほとんど対話のない朝もありました。別のときには、彼は様々な主題に関して、しばしば相当の熱意をもって、大いに語りました。これらの生き生きとした会話の間に、彼は、哲学的な分析は退屈で難解なものである必要はなく、人生のすべての側面への動的な刃先でありうる、ということを実証なさいました。彼の鋭い知性、深い霊的な理解および非凡な英知を逃れることのできるものはありませんでした。表面的で教条的な考え方を退け、彼は自分の生徒たちを啓発し、挑戦し、おだて、魅了し、教化しました。そして彼は注意深く彼らをより深い洞察と理解に導きました。

第4段落

シュリーラ・プラブパーダ(1896-1977)は、国際的に認められた著者、学者、ならびに霊的な教授者です。また、彼はインドの世界に対する最も偉大な文化大使であるとして広く尊敬されています。「生命は生命より来たる」の中で、シュリーラ・プラブパーダは哲学者・社会批評家の役割を演じられます。哲学的な厳格さ、卓越した常識、および心を和らげる率直さをもって、彼は現代科学の方法論的な欠点と調査されていない偏見だけでなく、信じやすい大衆に科学者が既知の事実として提供する立証されていない(そして立証され得ない)推察をも白日の下にさらします。こうしてシュリーラ・プラブパーダは、科学と偽って現代の文明を惑わせた、物質的で虚無的な社会通念の魔法を解きます。

―――出版者


はじめに―――科学:真実と虚実

第1段落

「科学の絶え間ない進歩の結果、生命は永遠であるが物質はそうではない、と科学者たちが結論づけることにならないと誰が言えるだろう。今から一万年の後に、物質は生命より生じた可能性が高い、と科学者たちが考えないと誰が言えるだろう。」―――ルイ・パスツール

第2段落

昔々、(おとぎ話のように、)私たちのほとんどは、私たちの食べるものは基本的に健康的で栄養があって、危険な化学物質は含まれない、と、そして広告は信用できる、と、そして製品のラベルは私たちの食べるものの品質と内容物を正しく描写していると信じていました。昔々、世界のほとんどは私たちの国家の指導者たちや位の高い政治的な役人たちや地方の指導者たちの高潔さを信じていました。昔々、私たちは自分たちの子供たちは公共の学校でしっかりした教育を受けていると信じていました。昔々、私たちの多くは、原子力エネルギーは完全に安全で、かつ幸せで健康的な社会と調和した「平和時の用途」があると信じていました。

第3段落

しかし、近年では私たちの幻想は粉々にされました。蔓延した消費者詐欺、大規模な政治スキャンダル、および有害廃棄物の投棄の繰り返しは、私たちのかつての無邪気さを完全に破壊しました。私たちは今では、マスメディアを通じた空前の専門技術によってファンタジーと誤魔化しのヴェールが作られ、実体と仮想、現実と幻想の区別をつけるのを不可能にしていることを知っています。

第4段落

階層としての科学者たちは、長い間不実さから免除されて、自分たちの象牙の塔に守られて座っていました。他のすべての分野の中で、科学は真実を捜し求める者たちと分け与える者たちにとって、究極の会合の場であるとみなされていました。現代の科学の輝かしい技術的な達成は、科学に絶対的な確実性のオーラを与えました。「地上の道」(Passages About earth)の中で、ウィリアム・アーウィン・トンプソンは次のように書いています。「かつて天罰の危険を冒すことなく宗教の力から逃れることができなかったように、今では非合理あるいは狂気の罪という危険を冒すことなく科学の力から逃れることはできない。」しかし、学術界、産業界、および政府の重要な地位にある科学者たちは、彼らが実際に個人的な信念と野心を自分の研究と混同し、そうして結果を変える力があるということを示しました。

第5段落

これが起こるとき、私たちはもはや真実の探求を相手にしているのではなく、偽物の科学とその結果たる様々な歪みや作り事や偽りの情報を相手にしています。不幸にして、この非科学的な方法は科学の最も基礎的な探求―――生命の特質と起源に当てはめられました。しかし、科学者が生命の起源に関する、試験されておらず立証もし得ない推察を提示するとき、人々はそれらを盲目的な信頼をもって受け入れがちです。

第6段落

一部の科学者は、人間は単なる意識のない分子の寄せ集めであるという概念を広めています。しかし彼らは、どうやって単なる分子が愛する人を見て喜びを感じるのか、あるいはその死によって動揺するのかを説明することができません。

第7段落

ロサンゼルス自然歴史博物館における最近の展示会では、それぞれ人体に見られる化学物質を入れたいくつものフラスコとビーカーを展示していました。説明書きには、これらの化学物質は人体のすべての内容物を正しい重さと割合で表しているけれど、それらは生命であるとは考えられず、いかなる科学的な操作をもってしてもこれらに命を吹き込むことはできない、と説明してありました。

第8段落

「原子反応」の著者、マイケル・ポリアンニは次のように述べています。「現在の生物学は、生命の過程を化学と物理学によって説明することができるという仮定に基づいています。そしてもちろん物理学と化学は究極的には原子の粒子間で働く力によって表されています―――これが人間を無感覚な自動装置、あるいは食欲の塊にまで引き下ろした、私たちの人間に関する概念の崩壊の原因です。これが、科学がいともたやすく全体主義的な暴力を支えるように行使される理由です。これが、科学が危険な誤信の最も重大な源になった原因です。」

第9段落

今日では、多くの科学者が生命は物質から生じるという教義を広めています。人気のある研究や教科書は、生命は徐々に化学物質から、アミノ酸とたんぱく質と他の必要不可欠な材料からなる「原初のスープ」から生じた、と断定しています。しかし、科学はこの証拠を実験的にも理論的にも示すことができません。事実、これらの科学者は、様々な科学的な反論を前にしてさえ、彼らの立場を本質的には信仰に基づいて維持します。物理学者ヒューバート・ヨッキーは、情報理論によって、サイトコームなどのたった一つの情報分子でさえ、(複雑な生命体は言わずもがな、)推定された地球の年齢の間に偶然によって生じたことはあり得ないと論証しました。「人は、確立された現在の知恵に反し、信仰ではなく事実に基づいて受け入れられるところの、地球上の生命の起源を偶然と自然な要因によって描写する筋書きは未だ書かれていない、と結論しなければならない。」

第10段落

同様に、一部の科学者たちは太陽や星や惑星や銀河や意識ある生命が突然「ビッグ・バン」から弾け出たという、広く受け入れられた信仰(belief,考え)を奨励しています。プリンストン大学の生物学者エドウィン・ゴッドウィン博士は、私たちのそれのような惑星が「ビッグ・バン」から生じる確率を、印刷工場における爆発の結果として完全な辞書が出来上がる可能性になぞらえています。

第11段落

有名な生物学者W.H.ソープは次のように書いています。「私たちは、宇宙の起源のように、生命の起源が科学にとっての破られえない境界線、および生物学と化学と物理学へ変形させようとするすべての試みに抵抗する障害物になる可能性に直面するかもしれない。」そしてアインシュタインはこう述べます。「科学を追究することに真剣に関わる者は誰しも、宇宙の法則の中に霊が―――人間よりはるかに優れた霊が―――顕現していることを確信するにいたる。そしてそれに対峙したとき、自分たちの慎ましやかな力を前に、私たちは卑小に感じざるを得ない」

第12段落

「生命は生命より来たる」は、生命は原子と分子に変形され得ない、そして物質―――生命力、あるいは霊の無い―――は、いかなる形であれ生命を生じさせることはできないという単純な論理を立証します。また、この本が科学者をして、真実と知識のためのもっと本物で熱心な探求に自らを改めて捧げさせ、そうして彼らの価値ある知性と資源と研究を世界の本当の利益のために向けなおすことも望まれています。

ソーダム・ダモダラ・シング博士
by ammolitering4 | 2009-08-25 05:23 | 「生は生より来たる」

進行状況

こんにちは。長らくお待たせしております。今日、やっと全体の荒訳が終わりました。私の翻訳というのは自己流でいい加減なので、実は単語を調べるのはこれからです。今回のは、本文中はそうでもないのですが、前書きのところと後ろのところに科学者の人たちの手紙などが長々とあって、聞いたことも無い単語のオンパレードです。粒子物理学がどうのこうの、不確実性の原理がどうしたこうした、と、やたらと難しいのです。

しかも、イギリス系の教育を受けたらしい古風な学者さんたちの文章なので、一文がやたらと長くて込み入っています。6行くらいあったりするのです。何が言いたいんだ!と思います、ほんと。なお、ぎこちないのを承知でできるだけ直訳をしていますので、日本語のほうも難解になっています。

まあ、くじけずにこれからぼちぼち単語調べをしますので、恐れ入りますがもうしばらくお待ちください。なお、その後は苦手なタイプを山ほどしなければなりません。タイプしながら編集もするという方法でやっていますので、これまた時間がかかりますが、どうぞご容赦ください。

ハレ・クリシュナ!
by ammolitering4 | 2009-08-20 14:13 | 「生は生より来たる」

こんにちは

ご無沙汰しております。皆様お元気でいらっしゃいますか。こちらバンクーバーでは、30度を超える夏日が続いています。夏もあまり暑くならない街にしては珍しいことです。私は最近はまたぼちぼち絵を描いているので、それと仕事で忙しくしています。でも翻訳も少しずつ進んでいます。Life Comes From Lifeという、大変興味深い作品です。

この本は1970年代にプラブパーダが科学者のシング博士と交わした対話を記録したものですが、当時は冷戦の時代であり、宇宙開発の時代、核による牽制合戦の時代、緑の革命に象徴される遺伝子操作などのSF的な科学技術が無防備なまでに発達した時代でもあります。そういった背景を理解して読むと、プラブパーダの洞察の深さと先見の明が浮き彫りにされるように思います。更新はしばらく先になりますが、どうぞ楽しみにしてお待ちください。

原文はこちらにあります。
Life Comes From Life
by ammolitering4 | 2009-07-29 15:01 | 「生は生より来たる」