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朝の散策15

朝の散策――-15

1973年12月7日、ロサンゼルス近くの太平洋岸で録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、Dr.W.H.ウルフ・ロットケイ、および他の生徒たち。

1.「神を見るための目を得る」

生徒:過去150年の間、西洋の神学者の主な問題の一つは、条理と信仰の間の関係でした。彼らは条理を通して信仰を理解しようと模索していますが、彼らは条理を構築する能力(reasoning ability)と信仰の間の関係を見つけることができないでいます。彼らの一部は神に信仰は持っていますが、彼らの条理の方は、彼らに神はいないと言います。たとえば、私たちが主にプラサーダを捧げるとき、主がそれを受け入れると考えるのは単に信仰でしかない、なぜなら私たちは主を見ることができないからだ、と彼らは言います。

SP:彼らは主を見ることができませんが、私には主を見ることができます。私は神を見て、したがって私は主にプラサーダを捧げます。彼らは主を見ることができないので、私が彼らの目を開けてあげられるように、彼らは私のところへ来なくてはなりません。彼らは盲目です―――白内障に苦しんでいます―――ですから私は手術をし、そして彼らは見えるようになります。それが私たちのプログラムです。

生徒:科学者たちは、彼らの客観性という共通基盤は、彼らが自分たちの感覚で知覚できるものである、と言います。

SP:たしかに、彼らは自分たちの感覚で物事を知覚することができます。しかし大変不完全にです。彼らは自分たちの感覚で砂を知覚しますが、彼らは誰が砂を作ったか見ることができますか?ここに砂があり、ここに海があります。それらは直接的な知覚によって見られ得ます。しかし、どうやって人が砂と海の源なるものを直接的に知覚できるでしょうか?

生徒:科学者たちは、もしも砂と海が神によって作られたのなら、ちょうど私たちが砂と海そのものを見ることができるように、私たちは主を見ることができるはずだ、と言います。

SP:たしかに、彼らは神を見ることができます。しかし、彼らは主を見るための目を得なければなりません。彼らは盲目なのです。したがって、彼らはまず私のところに治療を受けに来なければなりません。シャーストラには、神を理解することができるように、人は治療を受けるためにグルのところへ行かねばならない、と書いてあります。どうやって彼は盲目の目で神を見ることができるでしょうか?

生徒:しかし、神を見ることは超俗的です。科学者たちは俗世的な視覚だけを考慮します。

SP:すべては超俗的です。たとえばあなたは、透き通った空には何もない―――それは空白だ、と考えるかもしれません。しかし、あなたの目には欠陥があります。空には、あなたの目が有限であるためにあなたには見ることのできない無数の惑星があります。したがって、それはあなたの知覚する力の範囲にないので、あなたは私の「はい、あそこには無数の星があります」という言葉を受け入れなくてはなりません。あなたが星を見ることができないから宇宙空間は空白なのですか?いいえ。単にあなたの感覚の不備だけがあなたにそう考えさせるのです。

生徒:科学者たちは、いくらかのことについて自分たちの無知を認めるでしょう。しかし、彼らは自分たちの見ることのできないものを受け入れることができません。

SP:もしも彼らが無知であれば、彼らは真実を知っている誰かから知識を受け入れねばなりません。

生徒:しかし彼らは「もしも私たちが言われたことが間違っていたらどうするのですか」と言います。

SP:それなら、それは彼らの不運です。彼らの不完全な感覚は神を知覚することができないので、彼らは権威者からそれを聞かねばなりません。それが過程です。もしも彼らが権威者に近づかないなら―――もしも彼らが騙す人に近づくなら―――それは彼らの不運です。しかし、過程とは、あなたの感覚が活動できないときはいつでも、あなたは事実を学ぶために権威者に近づかねばならない、ということです。

2.「無神論者の苛立ち」


DS:難しいのは、無神論者の集団の中において、人が神の存在を証明することができない、ということです。

SP:無神論者たちは悪者です。他の人たち―――話の通じる人たちに教えましょう。すべてのものは誰かによって作られました。砂は誰かによって作られ、水は誰かによって作られ、空は誰かによって作られました。クリシュナ意識とは、その誰かとは誰であるのかを学ぶことを意味します。

DS:科学者たちは、「その誰かを私が見ることができるように提示してください」と言うでしょう。

SP:そして私は彼らに答えます。「私はその誰かをあなたの前に提示しています。しかしあなたもまた訓練を受けねばなりません。」あなたは、その誰かを見るためにあなたの目に視覚を与えねばなりません。もしもあなたの目が盲目であって、しかし医者にかかりたくなかったら、どうして目が治って見えるようになるでしょう?あなたは治療を受けねばなりません。それが勧告です。

生徒:その段階には信仰が必要です。

SP:はい。しかし、盲目的な信仰ではありません―――実際的な信仰です。もしも何であれあなたが学びたいと思うなら、あなたは専門家のところへ行かねばなりません。それは盲目的な信仰ではありません。それは実際的な信仰です。あなたは何事も自分だけでは学ぶことができません。

生徒:もしも誰かが実際に真摯であるなら、彼はいつも真正なるグルに出会いますか?

SP:はい。(サンスクリット引用)クリシュナはあなたの中にいらっしゃいます。そして、主があなたが真剣であるとご覧になると、主は直ちにあなたに正しい人を送ってくださいます。

生徒:そしてもしも人が完全に真剣でなかったならば、人は騙す人を教師として得るのですか?

SP:そうです。もしもあなたが騙されたいなら、クリシュナはあなたに騙す人をお送りになります。クリシュナは超絶的な知性をお持ちなのです。もしもあなたが騙す人であれば、主はあなたを完全に騙します。しかしもしもあなたが本当に真摯であれば、主はあなたに正しい指示を下さいます。バガヴァッド・ギーター(15.15)において、クリシュナはこうおっしゃいます。(サンスクリット引用)「私はすべての者の心臓に座しています。そして私から記憶と知性と忘却が生じます。」クリシュナは記憶と忘却の両方に言及なさいます。もしもあなたが騙す人であれば、クリシュナはあなたに永遠に主を忘れるための知性をお与えになります。

生徒:しかし、無神論者が権力を握っています。彼らが支配権を持っています。

SP:マーヤーが一蹴りすると、彼らの支配権のすべては一瞬で終わります。それがマーヤーの性質です。無神論者は統御されているのですが、マーヤー、すなわち幻想のために、彼らは自分たちが自由だと考えるのです。

(サンスクリット引用)

「幻惑されている者は、悪魔的および無神論的な見方に魅了されます。その惑わすような状態において、彼らの解放への望み、彼らの結果を求める活動、および彼らの知識の文化はすべて敗北します。」(BG9.12)

彼らは幻惑されているので、彼らの望みのすべては苛立ちに終わります。それはここでバガヴァッド・ギーターの中に述べられており、それは実際に起こっています。この月計画のような彼らの大きな計画の非常に多くは苛立ちを伴いますが、彼らはそれでも自分たちが自然を支配できると主張するのです。

DS:彼らは理性的になりたくないのです。(訳注:原文はThey do not want to come to their senses. 冷静で理性的な状態に立ち戻りたくない、という意味。)

SP:だから彼らは悪者なのです。

3.「科学者たちは勇敢に地獄に行く」

SP:分別のある人は良い教えを受け入れますが、悪者は決して良い教えを受け入れません。カリダーサという名前の偉大な詩人の話があります。彼もまた、大変な悪者でした。あるとき、カリダーサは木の枝に座り、同時にそれを切っていました。紳士が彼に尋ねました。「なぜあなたはこの木の枝を切っているのですか?あなたは落ちます。」

カリダーサは答えました。「いいえ、いいえ。私は落ちません。」そして彼は枝を切り続け、そして落ちました。結論は、良い助言を受け入れなかったので、彼は悪者であるというものです。彼らのいわゆる科学的な発展によって、科学者たちは地獄に向かっています。しかし、彼らは教えられたときに聞きません。したがって彼らは悪者なのです。悪者は繰り返し計画を立て、それが行き詰るのを見て、そして再び別の計画を立てます。この計画もまた行き詰まり、そのため彼らはさらにまだ別の計画を立てます。それでも、私たちは彼らに、彼らの物質主義的な計画のすべては不成功で無用になる、と説明しようとするとき、彼らは聞くことを拒否します。それは悪者らしさです。悪者は繰り返し既に噛まれたものを噛みます。(訳注:ことわざ)家で、道で、ナイトクラブで、劇場で―――どこにいようと、様々に異なる性交が彼の唯一の喜びです。

生徒:シュリーラ・プラブパーダ、人はそれが勇気であると言うかもしれません。

SP:はい。そう言うことはできますが、その勇気は彼らの悪者らしさです。彼らは勇敢に地獄に向かっています。それだけです。あるとき、ある男が別の男を追っていました。そして、追いかけていた男が聞きました。なぜあなたは逃げているのですか?あなたは私を恐れているのですか?」

もう一人の男が答えました。「私はあなたを恐れてはいません。なぜ私は走らないでいるべきでしょうか?なぜ私は止まるべきですか?」

同じように、根っからの物質主義者たちは勇敢に地獄に向かっています。「私はなぜ私の罪深い行いを止めるべきでしょうか?」と彼は言います。「私は勇敢にどのような反応(結果)にも直面します。」

DS:彼らは狂っています。

SP:そう、狂っています。ヴェーダには、いったん人が狂うと、あるいは幽霊に取り付かれると、彼は様々な無意味なことを言う、と書かれています。同様に、物質エネルギーの影響の下にある人は、誰でも狂っています。したがって、彼は無意味なことだけを話します。それだけです。科学者たちは科学の専門家ではありませんが、彼らは他の人たちに虚勢を張ることと言葉を巧みに操ることにかけては専門家なのです。

4.「神秘的なテレビ」

DS:彼らは今では、前は持っていなかったものを持っています。電話、テレビ、飛行機、ミサイル、そして他の多くの新しい発明などです。

SP:しかし、彼らが知らないより良い電話があります。バガヴァッド・ギーターにおいて、サンジャヤはこれを、彼の主人であるドーリタラーシュトラと一緒に座って遠く離れたクルクシェトラの戦争で起こっていた出来事をすべて描写していたときに示しました。サンジャヤの視野は、実際に電話よりも偉大なのです。それは神秘的なテレビでした。彼は戦場から遠く離れた部屋に座っていて、それでもそこで起こっているすべてのことを見ていたからです。バガヴァッド・ギーターにおいて、ドーリタラーシュトラはサンジャヤに尋ねました。「私の息子たちと甥たちはどうしていますか?彼らは何をしていますか?」するとサンジャヤは、どうやってドゥルヨダーナがドロナーチャーリャのところに行ったか、ドロナーチャーリャが何と言ったか、ドゥルヨダーナがどんなふうに答えたか、などを描写しました。これらの活動は、普通の目で見るには離れすぎていたにも関わらず、サンジャヤは彼の神秘的な力を通してそれらを見て描写することができました。それは本当の科学です。

DS:一部の科学者たちは、プラスチックや薬などを作ることで私たちが自然を改良したのだと言います。

SP:ヴェーダの時代には、人々は銀や金の皿で食べていましたが、今、科学者たちはプラスチックの皿で物事を改良しました。(笑)

DS:プラスチックは大きな問題になりました。彼らはそれを捨てることができないからです。それを捨てる方法はありません。それはただ積み重なり続けるのです。

5.「ここに証拠がある」

DWR:物質主義者たちは、もしもこのように言えばもっと誠実でしょう:「私たちは、私たちの夢から引き出されたくありません。私たちは、私たちのすべての機械を使って自分たちの感覚を楽しもうとし続けたいのです。」しかし、彼らは自分たちの楽しもうとする試みがいつも失敗することを認めません。

SP:それは彼らの愚かさです。やがて彼らは認めなければなりません。

DWR:しかし、彼らは「やってみよう、もう一度やってみよう」と言います。(訳注:原文はTry, try again.)

SP:どうやって彼らはやってみることができるでしょう?たとえば、あなたが白内障に苦しんでいるために見ることができないと仮定しましょう。もしもあなたが見ようとすれば―――あなたはやってみる、やってみる、やってみる、やってみる、やってみる。それは白内障を治しますか?いいえ。そんなふうにしては、あなたは決して治りません。あなたはあなたの視力を回復させるために医者に行かねばなりません。あなあは何度もやってみることで見ることはできません。

DWR:それがまさに彼らが受け入れたくないことなのです―――物質主義的な科学によって真実を知ろうという彼らのすべての努力が失敗に終わったことが。

SP:彼らは愚かなのです。彼らは良い助言を受け入れません。もしもあなたが悪者に何かの良い助言をすると、彼らはちょうど蛇のように怒ります。たとえば、あなたが蛇を家に連れてきて、「私の愛しい蛇よ、どうぞ私と一緒に住んでください。毎日私はあなたにおいしい食べ物を―――牛乳とバナナをあげます」と言うと仮定しましょう。蛇はとても喜びますが、結果は蛇の毒が増して、ある日あなたは「ああ!」と言うのです。(噛まれた人の真似をする)

DWR:しかし、科学者たちは決して望みを捨てないでしょう。

SP:彼らの計画は毎瞬行き詰っていますが、それでも彼らは希望を持っています。

生徒:シュリーラ・プラブパーダ、ある司書が私に、バガヴァッド・ギーターが五千年前にものである、と証明してもらいたがりました。彼は五千年前に書かれた書物(原本)を見たがりました。

SP:たとえば、私が暗い部屋に行って、中にいる人に「太陽が昇りました。出てきなさい」と言うと仮定しましょう。暗闇の中の人は「光があるという証拠はどこですか?まずそれを私に証明しなさい。そうすれば私は出てきます」と言うかもしれません。私は彼に頼み込むでしょう。「どうか、どうか、ただ出てきて見てください。」しかし、もしも彼が出てきて見ないならば、彼は証拠を待って無明に留まるのです。ですから、もしもあなたが単にバガヴァッド・ギーターを読めば、あなたはすべてを見るでしょう。来て見なさい。ここに証拠があります。
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by ammolitering4 | 2009-09-21 03:13 | 「生は生より来たる」

朝の散策14

朝の散策―――14

1973年12月3日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、Dr. W.H.ウルフ・ロットケイ(以後、DWR)、および他の生徒たち。

1.「惑星間のガスの源」

DS:科学者たちは、ある時点において地球は何らかのガス状の物質の中に漂う埃の粒から形成されていたと言います。それから時間が経って、このコロイド状の懸濁物質が凝固して地球を形作りました。

SP:そうかもしれません。しかし、ガスはどこから来たのですか?

DS:彼らは、それはただ存在したのだと言います!

SP:クリシュナはバガヴァッド・ギーター(7.4)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「土、水、火、空気、エーテル、心、知性、および偽りの自己―――これらの8つの要素が一体となって、私の離れたエネルギーを形成しています。」ここでクリシュナはヴァーユ(ガス)はご自分から生じたと説明なさいます。そしてヴァーユよりかすかなのはカーム(エーテル)、エーテルよりもかすかなのは心、心よりもかすかなのは知性、知性よりもかすかなのは偽りの自我、そして偽りの自我よりもかすかなのは魂です。しかし、科学者たちはこれを知りません。彼らは密度の濃いものだけを理解します。彼らはガスに言及しますが、ガスはどこから来るのですか?

DS:それは彼らには答えられません。

SP:しかし、私たちには答えられます。シュリマッド・バーガヴァタムから、私たちはガスはカーム、すなわちエーテルから生じ、エーテルは心から生じ、心は知性から生じ、知性は偽りの自我から生じ、偽りの自我は魂から生じます。

DS:科学者たちは、ダーウィンの生物理学的な種類の進化が起こり得る前には、彼らが言うところの前生物学的な化学、すなわち化学的な進化がなければならなかった、と議論します。

SP:そうです。そして「化学的な進化」という言葉は化学物質に源があることを意味し、そしてその源は霊、すなわち生命です。レモンはクエン酸を作り出し、そして私たちの体は尿や血や体の分泌液の中に多くの化学物質を作り出します。これは生命が化学物質を作り出すのであって化学物質が生命を作り出すのではないという証拠です。

DS:科学者たちは、いったん生命の種が細胞の中に存在すると、生命体は自動的に発達し、機能する、と言います。

SP:はい。しかし、誰が種を与えるのですか?バガヴァッド・ギーター(7.10)において、クリシュナはこの問いに答えられます。(サンスクリット引用)「おお、プリサーの息子よ。私がすべての存在のもともとの種であると知りなさい。」そしてその後(14.4)ではこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。すべての種の生命はこの自然の中に生まれさせられ、そして私が種を与える父であると理解されるべきです。」

2.「太古の創造者に栄誉を捧げる」

DWR:しかし、慎んでお伺いしますが、シュリーラ・プラブパーダ、たとえば科学者たちが実際に生きた細胞を人工的に作り出すことに成功したと仮定しましょう。あなたはどうおっしゃいますか?

SP:彼らの功績は何だというのでしょう?彼らは単に既に自然の中に存在するものを模倣しているだけです。人々は模倣されたものを非常に好みます。もしも誰かがナイトクラブで犬の真似をすれば、人々は彼を見に行ってお金を払います。しかし、本物の犬が吠えているのを見るとき、彼らはそれに何の注意も払いません。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、化学的な進化という考えは、1920年にロシアの生物学者から出されました。彼は、生化学的な進化の前に地球の大気は還元の状態にあったということを論証しました。言い換えると、それはほとんど全て水素で、酸素はほとんどありませんでした。そして、やがて時間が経って、太陽光線がこれらの水素分子を異なる化学物質に変えました。

SP:それは副次的な研究です。まず、水素はどこから来たのですか?科学者たちは単に過程の中間を研究します。彼らは源を研究しません。私たちは始まりを知らねばなりません。あそこに飛行機があります。(水平線の上に現れる飛行機を指す)あなたは、あの飛行機の源は海であると言いますか?愚かな人は、突然海に光が現れて、そうやって飛行機は作られたのだと言うかもしれません。しかし、それは科学的な説明ですか?科学者たちの説明は似ています。彼らは、「これが存在した。そして突然、偶然に、あれが起こった」と言います。これは科学ではありません。科学とは、もともとの原因を説明することを意味します。

おそらく、科学者たちは自然の模造品を作ることができるでしょう。しかし、なぜ私たちは彼らに栄誉を与えるべきでしょうか?私たちは、もともとの創造者、神に栄誉を捧げるべきです。それが私たちの哲学です。

DS:科学者が何かの自然の法則を見つけるとき、彼は普通、それに自分の名前をつけます。

SP:そう、その通りです。法則はすでに自然の中にありますが、悪者たちはそれに対して栄誉を取りたがるのです。

3.「老人学:苦しみを長引かせる」

DS:彼らは実際は自然の法則に逆らっていますが、往々にして彼らは苦闘に喜びを感じます。

SP:その喜びは子供じみています。たとえば、子供が大変な苦労をして砂浜に砂のお城を建てたと仮定しましょう。彼はそれに喜びを感じるかもしれませんが、それは子供じみた喜びです。それは大人の喜びではありません。物質主義的な人々は、偽りの幸せのための水準を作り上げました。彼らは快適な文明のための豪華な配剤を作り上げましたが、それはすべて偽りです。彼らはその中で楽しむことのできる状況を作ることができないからです。いつであれ、誰であれ、死によって蹴り出され得ます。そして彼の楽しみのすべては終わります。

DS:それが、神は私たちにすべてを与えては下さらなかった、と人々が言う理由です―――私たちはここに永遠に住むことができないからです。

SP:しかし、神は彼らに平和に生きるために必要なものすべてと、主を理解するのに必要なものすべてをお与えになりました。それでは、なぜ彼らは神について問わないのですか?その代わり、彼らは自分たちが神を忘れる助けとなることをします。

DS:今では、科学者たちは科学の中に老人学と呼ばれる独立した分野を組織しました。それにおいて、彼らはいかにして寿命を延ばすかを研究します。

SP:彼らの本当の目的は、苦しみを止めることであるべきです。たとえば、老人がひどい痛みを感じ、多くの病気に苦しんでおり、そして突然医者たちが彼の寿命を延ばすと仮定しましょう。その利益は何でしょうか?

DS:それが彼らが心臓移植ですることです。

SP:それは無意味です!彼らに死を止めさせなさい。それこそが達成です。彼らにすべての病気を止めさせなさい。ああ、それこそが達成です。彼らはこれらのことをすることができません!したがって私は、彼らの研究のすべては単に生存のための苦闘であると言います。バガヴァッド・ギーター(15.7)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「この制約された世界にいる生命体は、私の永遠の微細な小片です。制約された人生が原因で、彼らは心を含む6つの感覚で大変な苦労をしています。」

生徒:今では石油が不足しています。

SP:そうです。私たちは石油に依存した文明を築きました。これは自然の法則に反しているため、したがって今では石油の不足があります。自然の法則によって、冬が今、近づいています。科学者たちはそれを止めて季節を夏にすることはできません。彼らは誤って自分たちが自然を統御していると考えます。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは、生命体は自らを活動の行為者であると考えるが、その活動は実際は自然によってなされるのである、と私たちにお教えになります。太陽が今、昇っています。彼らは空を暗くすることができますか?そして、暗いとき、彼らは太陽に「起きなさい!」と命令することができますか?

彼らは、もしも彼らが本当に自然を征服したいなら、彼らは誕生と死、老齢と病気を征服しようとすべきであるということに気づいていません。バガヴァッド・ギーター(7.14)において、クリシュナは次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「物質自然の三つの相から成る私のこの聖なるエネルギーは、克服するのが困難です。しかし、私に服従した者は簡単にそれを越えることができます。」

DS:それでは、自然の法則を克服するのは大変難しいのですか?

SP:物質主義者にとっては、それは不可能です。しかし、もしも人がクリシュナに服従するなら、それは容易になります。

4.「種の本当の起源」

DS:なぜこれほど多くの種類の生命体が存在するのかを説明するために、科学者たちは、進化の間のある時点において、普通は次の世代のために完全に自己を再生産する細胞の遺伝子が時として複写に間違いを犯すのだ――-時として間違いをする印刷所のように―--、と言います。ある状況においては、これらの間違い、あるいは変異は生存し、遺伝子における違いのために異なる種の生命体が形成されました。

SP:しかし、その「間違い」は記憶にないほどの太古から続いています。すべての種類の生命体はいつも存在していたということは事実だからです。(訳注:原文を直訳すると「---ということをあなたは見出すことになるからです」)したがって、「間違い」は永遠です。しかし、「間違い」が永続的であるとき、それは間違いではありません。それは知性です!

DS:しかし科学者たちは、もしも変異がなければ宇宙全体にたった一つの種類の生命体しかなかっただろう、と言います。

SP:いいえ。すべての生命体は異なる心を持っており、したがって、異なる精神性を収容するために非常に多くの異なる種の生命が存在するのです。たとえば、私たちがここで歩いていますが、ほとんどの人は来て私たちに加わることをしません。なぜこの違いが存在するのですか?

DS:たぶんそれは間違いです。

SP:それは間違いではありません。それは彼らの欲望であり、死のときにすべての人は正確に彼の欲望に添った体を得ます。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(8.6)において次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「何であれ、人が自分の体を去るときに覚えている心のあり方を、彼は間違いなく得ます。」あなたが死のときに考えていることが正確にあなたの次の体を決定します。自然があなたに体を与えます。その決定はあなたの手中にはありません。自然の手中にあるのです。そして彼女は(訳注:自然は)神の指示の下で働いています。

DS:しかし、科学は生命の異なる種が確かに間違いによって生じるという証拠を持っているように見えます。

SP:それは彼ら自身の間違いなのです!自然の法には間違いはありません。鉄道の列車には、一等車、二等車、三等車、という区分があります。もしもあなたが三等車の切符を買って、間違って一等車に行ったら、あなたはそこに留まることを許されません。区分があるということは間違いではありません。それは配剤なのです。しかし、あなたが間違った部分に行ったのは、あなたの間違いです。神はとても完全でいらっしゃるので、主は犯されることになるすべての間違いをご存知です。したがって、あなたが犯す間違いにしたがって、あなたは特定の体に入ります。「さあ、ここに来なさい。体の用意ができています。」840万種の生命が存在し、そして自然は数学的な精確さで働いて異なる体をあてがいます。政府が町を作るとき、そこには町が完成する前でさえ、既に刑務所が作られます。政府は、刑務所に行かねばならない犯罪者がたくさんいるであろうことを知っているからです。これは政府の間違いではありません。それは犯罪者の間違いです。彼らが犯罪者になるので、彼らはそこに行かねばなりません。それは彼ら自身の間違いです。

自然には間違いはありません。クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。この物質自然は私の指示のもとで働き、すべての動くものと動かないものを作り出しています。」(BG9.10)自然は、神、クリシュナの監督の下で働きます。それでは、どうして彼女が間違いをし得るでしょうか?しかし、私たち自身は間違いを犯し、私たちは幻惑されており、私たちの感覚は不完全であり、そして私たちは騙します。それが神と人の違いです。神は不完全な感覚をお持ちではありません。主の感覚は完全です。

5.「満足した動物たち」

DWR:私たちの感覚は欠陥があるので、もちろん私たちの感覚の技術的な拡大にも必ず欠陥があるのに違いありませんね。

DS:私たちがそれを使って物を探知するところの顕微鏡にもまた欠陥があります。

SP:物質的な存在とは、欠陥のある存在を意味するものであるのです。もしもあなたが欠陥のある知識と不完全な感覚で何かを構築すれば、あなたが構築するものも何であれ必ず欠陥があるに違いありません。

DS:たとえ科学者たちが完璧な顕微鏡を作り出しても、彼らはそれを欠陥のある目で覗かなければなりません。

SP:そうです。その通りです。したがって私たちは、何であれ科学者たちが言うかもしれないことは欠陥がある、と結論します。

DS:しかし、彼らはとても満足しているように見えます。

SP:ロバもまた満足しています。ロバは洗濯屋の荷物を担ぐのに満足しています。誰もが満足しています。糞の中のウジでさえです。それが自然の法です。

DWR:貧困者でさえ自分の小銭に満足していると言われます。

SP:そうです。インドのある地域では、人は時として飢えて死にそうな犬を見かけるかもしれません。しかし、その犬がメスの犬を得れば直ちに、性交をして満足します。それは満足さですか?犬は飢えています。しかし、それでもその犬は性交をして満足しているのです。
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さてさて。。。私のつたない自己流の翻訳を我慢して読んでくださってありがとうございます。できるだけ正確に、ということを優先して訳していますが、お気づきの点などありましたらお知らせください。なお、表現によっては意味を変えないで分かりやすくするために変えている場合もあります。マイルはキロメートル、ポンドはキログラム、などです。

それから、翻訳は基本的に一人でやっていますが、たまに「???」という箇所があったりします。そういうときは歩く英語辞書とも言うべきD君に確認しています。彼の趣味はニューヨークタイムズのクロスワードとシュリマッド・バーガヴァタムなので、何かと便利です。
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by ammolitering4 | 2009-09-20 14:01 | 「生は生より来たる」

朝の散策13

朝の散策―――13

1973年12月2日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、フリダヤーナンダ・ダーサ・ゴスヴァーミー、クリシュナカーンティ・ダーサ・アディーカーリーおよび他の生徒たち。

1.「欲望を超えた献身者たち」

SP:さて、誰かカルミーとジナーニとヨギーとバークタの違いを知っていますか?

フリダヤーナンダ:カルミーは物質的な感覚を楽しみたいと欲し、ジナーニーはかすかな心―――精神的な推察―――を楽しみたいと欲し、ヨギーは神秘的な力で宇宙を操作したいと望みます。

SP:これらはすべて物質的な力です。

フリダヤーナンダ:そして、バークタは物質的な欲望を持ちません。

SP:そうです。そして、人が実際に欲望のない状態にない限り、彼は幸せではあり得ません。カルミーとジナーニーとヨギーは欲望に満ちています。したがって彼らは不幸です。カルミーは最も不幸せで、ジナーニーはそれよりは少し不幸せではなく、そしてヨギーはさらにもっと発達しています。しかし、バークタ、献身者は完全に幸せです。一部のヨギーは、何千キロも離れた他の国からザクロの実を採ってくることができるような神秘的な力を持っています。飛行機を使わずに飛ぶことができるような者もいます。そして、誰でも催眠術にかけることのできるヨギーもいます。そうして彼らは、ある人を指して「この人が神です」と言い、彼らの被害者は彼らを信じます。私は実際にそのような魔術的な無意味な行いを見ました。
(訳注とは言えませんが、、、私もすごいのを目の前で見たことがあります。現実と思い込んでいたものなんて何てあっけないのだろう、と思ったのを鮮烈に覚えています。)

クリシュナカーンティ:純粋な献身者はクリシュナよりも慈悲深いですか?

SP:はい。本当のヴァイシュナヴァ、本当の献身者は、クリシュナよりももっと慈悲深いのです。たとえば、主イエス・キリストを御覧なさい。主イエスはすべての人の罪をその身に被ったと言われています。それでも彼は十字架に架けられました。私たちは、彼がいかに慈悲深かったかを見ることができます。今日では、悪者たちがこう考えます。「罪深い行いを続けよう。キリストが私たちのために苦しむという契約をしてくれた。」(長い、思いにふけった静寂あり。)

2.「物質と霊の違い」

DS:科学者たちは、木にもまた意識があると言います。

SP:そうです。それは本当です。しかし、木の意識と私の意識は違います。私の意識はもっと発達しています。もしもあなたが私の体をつねれば、私は直ちに抗議します。しかし、もしもあなたが木を切れば、それは抗議しません。本当は、すべてのものがその中に意識を持っています。それは単に程度の問題なのです。意識が物質によって覆われていればいるほど、それはより物質的であると考えられます。そして、意識が発達していればいるほど、それはより霊的であると考えられます。これが物質と霊の違いです。

霊魂はどこにでもあります。彼らは土から出てこようとしているのです。(草を指し示す)機会があれば直ちに彼らは自分たちの意識を表現したいと望みます。より高位の惑星からこの惑星に降りてくる魂は、時として雨粒に入って地面に落ちます。それから彼らは草になり、徐々により高位の形の生命へと進化します。

DS:おお、それはひどい。

SP:これらは、密度の薄いエネルギーの働きです。科学者たちは、これらについて何を知っていますか?実際には、彼らの知識はマーヤー、幻想によって奪い去られています。そして彼らは「おお、私は非常に学識のある学者だ」と考えているのです。

3.「魂の移植?」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、心臓移植についてはどうですか?私たちは、霊魂は心臓の中にあると知っています。しかし、昨今では医者たちは古い心臓を新しい心臓と入れ替えることができます。それぞれの心臓の中の霊魂には何が起こるのですか?新しい心臓を受け取る人は、新しい人格も得るのですか?

SP:いいえ。

DS:なぜそうではないのですか?

SP:たとえば、私が一つの椅子から降りて別の椅子に座るとしましょう。私の人格は変わりますか?私は席を替わるかもしれませんが、それは私が変わったということを意味しますか?

DS:しかし、心臓が取り替えられます。そして心臓は霊魂を内包しています。

SP:ヴェーダは心臓を霊魂の座る場所として描写します。そのため、心臓が移植されるとき、彼らは単に魂の席を替えるのです。同じ魂が留まります。もしも彼らが心臓を取り替えることによって患者の寿命を延ばしたと証明することができれば、そうすれば彼らは霊魂を捉えたと証明できます。しかし、彼らは寿命を延ばすことはできません。人々は高位の配剤(訳注:原語はsuperior arrangement、人間より優れた誰かが取り決めること)によってそれぞれの体を得たからです。あなたはこの体を持っています。そしてあなたは、ある一定の期間その中で生きなければなりません。もしもあなたが単にあなたの体のある部分を取り替えるならば、それはあなたの人生を長くする助けにはなりません。それは不可能なのです。医者たちは心臓を取り替えることによって寿命を延ばすと考えますが、それは可能ではありません。

DS:それでは、心臓移植は古い心臓から新しいそれへの、魂の一種の人工的な転生なのですか?

SP:そうです。それはクリシュナがバガヴァッド・ギーター(2.13)において説明なさるようなものです。

(サンスクリット引用)

「体に閉じ込められた魂が継続的にこの体の中を少年時代から若者から老齢へと通り過ぎるように、魂は同様に死のときに別の体に入ります。自己を認識した魂は、そのような変化によって惑わされません。」心臓を取り替えることは、単なる物質的な身体の内臓の変化です。心臓は本当の生命の源ではありません。そして、そのため心臓を取り替えることは寿命を延ばしません。

DS:はい。心臓移植患者のほとんどは、手術の後、ほんの短い時間しか生きません。しかし、魂を一つの体から別の体に移植することができる可能性はありますか?

SP:時として、一部のヨギーはそうすることができます。彼らはより良い体を見つけて自分をその中に移すことができます。

DS:医者たちが心臓移植をするとき、彼らは死んだばかりの人から心臓を取って、別の人の体の中の弱い心臓と取り替えます。死んだ心臓の魂は、弱い生きた心臓の中の魂と場所を替わるのですか?

SP:いいえ。魂はすでに死んだ心臓を去っています。別の魂を持ってくるということはあり得ません。

DS:私があなたのおっしゃることを正しく理解しているかどうか、確認させてください。医者たちが死んだばかりの人の心臓を取り除くとき、魂はすでに彼の心臓を去っています。そして、彼らが彼の死んだ心臓を患者の体に移植するとき、患者の魂が移植された心臓に入ります。

SP:そうです。魂は、ある特定の体の中である特定の年数を生きるように運命づけられています。あなたはどれでも体の好きな部分を取り替えるかもしれませんが、あなたはその体の寿命を変えることはできません。

DS:それでは、心臓は単なる機械―――道具なのですか?(訳注:原語は、前者がmachine, 後者がinstrument)

SP:そうです。それは魂の座する場所です。

4.「からし種の袋の中のからし種」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、生物学者たちは私たちに、性交せずに再生産することのできる種がたくさんあると言います。ヴェーダはこれに同意しますか?

SP:もちろんです。

DS:それでは、私たちは彼らの再生産を削減することはできないのですか?

SP:できません。どうして私たちがそうできるでしょうか?この物質世界に人生を楽しみにきた生命体がたくさんあります。そして、そのため再生産は継続しなければなりません。この物質世界は牢獄のようなものです。あなたは牢獄を終わらせることはできません。一人が牢獄を去れば、直ちに別の人が入る用意があります。この同じ問いは、主チャイタンニャ・マハープラブ(脚注21)によって論じられました。主の献身者の一人、ヴァースデヴァ・ダッタが言いました。「この宇宙全体のすべての生命体をお連れになり、彼らを物質的な呪縛から解放してください。そして、もしもあなたが彼らが改められるにはあまりにも罪深いとお考えになるのであれば、彼らの罪のすべてを私に与えてください。」しかし、チャイタンニャ・マハープラブはおっしゃいました。「たとえば、私がこの宇宙全体とその中のすべての生命体をつれていると仮定しましょう。これは単に無数の宇宙の中の一つに過ぎません。それはちょうど、とても大きなカラシ種の袋の中の一粒のカラシ種のようなものなのです。もしもあなたが袋から一粒を取り去れば、それで何の違いがあるでしょうか?」(訳注:この場合のカラシ種は、唐辛子ではなくてマスタード。一ミリくらいと小さいので、とても小さいものの例えとして使われることが多い。)再生産は、実際には止められないのです。生命体は無数にあり、そしてそのため、それは継続しなければなりません。

DS:あなたは、この物質世界は人に物質的な呪縛と繰り返す生と死の循環から抜け出る方法を教える更正施設のようなものである、とおっしゃいました。

SP:そうです。したがってあなたはクリシュナ意識を実行しなければなりません。
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by ammolitering4 | 2009-09-20 09:28 | 「生は生より来たる」

朝の散策12

朝の散策―――12

1973年5月17日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園で霧のある朝に録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリー、クリシュナカーンティ・ダーサ・アディーカーリーと他の生徒たち。

1.「ヨガの武器」

SP:あなたには霧を消し去る力はありません。科学者たちは、かろうじてそれをいくらかの言葉を巧みに操ることで、それには何か特定の化学物質が含まれていると言って説明するだけです。(プラブパーダ、笑う)しかし、彼らはそれを消し去ることはできません。

DS:彼らはいかにして霧が形成されるかということについては説明することができます。

SP:それはそうかもしれません。そして私もそうできるかもしれません。しかし、それはあまり大した栄誉ではないのです。もしもあなたが本当にそれがどうやって形成されるのかを知っているなら、それならあなたはそれを相殺することができるべきです。

DS:私たちはそれがどうやって形成されるかを知っています。

SP:それでは、どうやってそれを相殺するかを発見しなさい。かつて、ヴェーダの時代の戦争では、原子的なブラーマーストラが使われました。(脚注19)そしてそれを相殺するために、対する軍はそれを水に変化させる武器を使わねばなりませんでした。しかし、今日そのような科学はどこにありますか?

DS:霧は牛乳のようなものです。牛乳は白く見えますが、それは実際は特定のたんぱく質の分子のコロイド状の懸濁液(けんだくえき)です。同様に、霧は水のコロイド状の懸濁液です。

SP:それでは、もしもあなたがある種類の火を創り出せれば、霧は直ちに消し去られるでしょう。水は火によって消し去られます。しかしそれはあなたにはできません。もしもあなたが爆弾を爆発させるなら、それは熱を発生させ、すべての霧は消えるでしょう。

カランダーラ:それは町全体に危害を加えるかもしれません。

SP:火が水を相殺することができるということは誰もが知っていますが、あなたは人々を殺したり不動産を破壊したりすることなく霧を消し去ることはできません。しかし、自然の方法によって、太陽が昇れば直ちに霧は消え失せます。太陽の力はあなたの力より偉大なのです。したがって、あなたは計り知れない力が存在することを受け入れなくてはなりません。

2.「神の兆候」

SP:計り知れない力の原則を受け入れること無くしては、誰も神を理解することはできません。神は、どんないわゆるヨギーでも神になれる、というほど安くはないのです。そのような模造品の神は、悪者と愚か者のためのものです。知性のある者は、そのような人が計り知れない力を持っているかどうかを試します。私たちは、クリシュナを神として受け入れます。主はご自分の計り知れない力をお見せになったからです。子供の頃、クリシュナは大きな丘を持ち上げられました。そして、クリシュナの化身である主ラーマは、水の上に石を浮かばせることで、脚柱のない橋を作りました。つまり、人は神を安っぽく受け入れるべきではないのです。今日では、ある悪者たちがやってきて、「私は神の化身です」と言い、別の悪者が彼を受け入れます。しかし、主ラーマと主クリシュナは、実際に彼らの計り知れない力をお見せになりました。時として、人々は、彼らの活動の描写は単なる作り話や神話であると言います。しかし、これらの文献はヴァールミーキ(脚注20)、ヴャーサデヴァ、および他のアーチャーリャたちによって編纂されました。彼らは皆、偉大で大変に学識のある賢者たちです。なぜこれらの偉大な賢者たちが単に神話を書くことで彼らの時間を無駄にするでしょうか?彼らは、決してそれが神話であるとは言いませんでした。彼らは出来事(の記述)を実際の事実として取り扱いました。たとえば、シュリマッド・バーガヴァタムの10巻において、ヴャーサデヴァはヴリンダーヴァンにおける山火事について語っています。クリシュナの牛飼い少年の友人たちは、皆恐れ、助けを求めてクリシュナのほうを見ました。主は単にすべての火を飲み込まれました。それは計り知れない神秘的な力です。それが神です。私たちは神すなわちクリシュナの微細な小片なので、わたしたちもまた自分たちの体の中に計り知れない神秘的な力を持っています―――しかし、ほんの少しの量なのです。

3.「科学的な知識はクリシュナから来る」

クリシュナカーンティ:医者たちは人間の脳の複雑な性質に驚嘆します。

SP:はい。しかし、体を働かせるのは脳ではありません。それは霊魂です。コンピューターはそれ自体で動きますか?いいえ。人間が動かします。彼がボタンを押します。そうするとそれから何かが起こるのです。そうでなければ、機械の価値は何ですか?あなたは機械を何千年も持っておくことができますが、それは人間が来てボタンを押すまで動きません。しかし、誰が働いているのですか?機械ですか?それとも人間ですか?同様に、人間の脳もまた機械です。そしてそれはパラマートマー、誰もの心臓にいらっしゃる神の拡張体の指揮の下で動いているのです。

科学者たちは、神と主の神秘的な力を受け入れるべきです。もしも彼らがそうしないなら、彼らは愚かであると考えられるべきです。超越的な知識に基づいて、私たちは多くの有力な科学者や哲学者たちに直接的に挑戦しています。先日、あなたはあの化学者を連れてきました。そして私は彼に「あなたは愚かです」と言いました。しかし、彼は怒りませんでした。彼はそれを認め、私は彼の議論のすべてを破りました。おそらくあなたは覚えているでしょう。

DS:はい。事実、彼は、自分の実験を行うのに必要なすべての手続き上の段階をおそらくクリシュナが自分に与えて下さらなかったのだろう、と認めました。

SP:彼はクリシュナに反抗しています。ですから、なぜクリシュナは彼に何らの便宜も与えるべきでしょうか?もしもあなたがクリシュナに反抗していて、あなたがクリシュナ抜きで栄誉を欲するなら、あなたは失敗します。あなたはまず従順でなければなりません。そして、そうすればクリシュナにあなたにすべての便宜をくださいます。私たちは大胆にいかなる科学者や哲学者とも対面し、彼に挑戦します。どうやって?クリシュナの力によってです。私が彼らと話すとき、クリシュナは私に彼らを破るのに必要な知性を下さることを私は知っています。そうでなければ、科学的な資格という視点からは、彼らは私たちよりもずっと優れた資格があります。私たちは、彼らの前では俗人です。しかし、私たちはクリシュナを知っており、クリシュナはすべてを知っておいでです。したがって、私たちはいかなる科学者にも挑戦することができます。ちょうど、小さな子供がとても大きな人に挑戦できるようなものです。彼は「僕のお父さんがここにいる」と知っているからです。彼は自分の父親の手をしっかりと握り締めます。父は決して誰も彼を傷つけないようにします。

DS:クリシュナ意識を理解しようとしない者にとって、人間の形の人生は駄目にされるのですか?

SP:そうです。自分の神との関係を理解しようとしない人々は、単に動物―――犬や猫のように死にます。彼らは生まれ、食べ、眠り、子供をもうけ、そして死にます。これが彼らの人生の総計です。これらの悪者たちは、「私はこの体だ」と考えます。彼らはアートマーについて何も知りません。アートマーは、自己、すなわち個々の魂を意味します。シュリマッド・バーガヴァタムとバガヴァッド・ギーターは私たちにアートマーに関する知識を与えますが、人々はこれに気づいていません。

人々はヴェーダ文献の中で人間社会に与えられた知識に気づいていません。たとえば、ヴェーダは私たちに牛の糞は純粋であると教えます。特にここアメリカでは、人々は糞をさせるために犬を道に連れ出します。もちろん、犬の糞は大変不潔です―――ばい菌が大繁殖しています。しかし、人々は大変な悪者なので、彼らはこれを考慮しません。その代わり、彼らは犬の糞をそこここに撒き散らしました。しかし、どこにも牛の糞は見当たりません。ヴェーダが牛の糞は純粋であると言うにも関わらずです。ここに看板があります。「ゴミを捨てることは違法です。」しかし、犬の糞は許されています。人々がいかに愚かであるか、見ても御覧なさい。草の上に紙切れを落とすのは非合法ですが、あなたの犬は糞をしてもかまわないのです。政府の権威者は、あなたに他の国から一個のマンゴーを持ってくることさえ許しません。しかし、彼らはあなたの犬にどこにでも糞を撒き散らすことを許すのです。この糞は感染性のばい菌にあふれているにも関わらずです。(訳注:現在では市町村の条例で犬の糞は飼い主が回収することが義務づけられている場合が多いです。実行していないケースも多いですけど。)

4.「宇宙計画:時間とお金の子供じみた無駄遣い」

DS:宇宙飛行士たちが月から地表に戻ったとき、宇宙計画の科学者たちは非常に注意深く行動しました。彼らは、宇宙飛行士たちが未知の何か新しいばい菌を持ってきたかもしれないと考えました。

そのため、彼らは宇宙飛行士たちを数日間隔離施設に入れました。念のために―――

SP:まず、彼らが月に行ったかどうかを確認しなさい。私はそう確信がありません。16年前、私が「Easy Journey to Other Planets(訳注:このサイトに邦訳あり)」を書いたとき、私は、宇宙を探査しようという科学者たちの試みは子供じみており、決して成功しないだろう、と書きました。何年もあとでサンフランシスコを訪れたとき、新聞の記者が私に聞きました。「月の探査に関するあなたの意見は何ですか?」私は彼に言いました。「それは、単に時間とお金の無駄遣いです。それだけです。」

クリシュナカーンティ:宇宙計画は最近別の失敗をしました。

SP:それはいつも起こっています。何だったのですか?

クリシュナカーンティ:彼らは、地球の周りを回って宇宙前哨地として機能するように、宇宙船を打ち上げました。しかし、それは失敗しました。それは20億ドルかかりました。

SP:なぜ彼らはそのように時間とお金を無駄にしているのですか?

クリシュナカーンティ:彼らは新聞で非難されていました。

SP:彼らは単に子供じみた愚か者たちです。彼らは何を得たでしょう?過去の―――何年ですか?何年の間彼らは月へ行こうとしているのですか?

DS:10年以上です。ロシアは1957年にスプートニクで始めました。

SP:しかし、彼らはその前も試みていました。ですから、仮に25年の間彼らが試みていると仮定しましょう。彼らは埃以外何も得ていませんが、それでも彼らは試み続けています。なんと執拗なのでしょう!宇宙計画は決して成功しません。

DS:彼らは、未来には火星の地表に行きたいと言います。

SP:彼らは皆、未来に関する彼らの言明で「偉人」になりつつあります。

DS:彼らは、それは約10年後に起こると言います。

SP:では、もしも彼らが1年と言えばどうでしょうか?彼らは10年あるいは1年と言うかもしれませんが、私たちはそのような提言は受け入れません。私たちは、彼らが今現在何をしているかを見たいのです。

DS:彼らは、小型の模型を作って技術を開発しています。

SP:彼らは単に子供じみています。子供の頃、私はトロッコが線路を走るのを見ていました。一度、私は考えました。「僕は棒を持ってきて電線を触ろう。そうすれば僕も線路を走れるだろう。」これらすべての計画を立てる科学者たちは、ちょうどこれと同じように子供じみています。彼らは非常に多くの時間とお金を使いますが、彼らの目的は何ですか?彼らの努力は救いがありません。彼らは実際には人生の目的を知らないからです。科学者たちは多額のお金を使っており、政治家は彼らに資金を提供していますが、結果はゼロです。彼らは、ある特定の病気を理解していないのに、それでも自分の患者にこう言う医者のようなものです:「いいでしょう、まずこの薬を試してみなさい。そして、もしもその薬が効かないなら、それならこの薬を試してみなさい。」医者は決して自分が病気の治療法を知らないとは認めません。科学者たちは単に虚勢を張り、騙しています。彼らは人生の本当の問題―――生、死、老、および病―――を解決することができません。そしてそのため、彼らの計画のすべては非実際的な水準で行われています。それはサンスクリットではアーカーシャ・プーシュパと呼ばれます。アーカーシャ・プーシュパとは、「空からの花」を意味します。宇宙を探査することで真実を知ろうとする彼らの努力のすべては、空からの花を摘もうとするようなものです。もう一つの例を挙げると、科学者たちは愚かな鴨のように行動します。インドでは、私たちは時として鴨が一日中雄牛の後をついて回っているのを見かけることがあります。鴨は、雄牛の睾丸を魚だと思っています。インドではこれはありふれた光景です。雄牛は歩き、一日中鴨はその後ろを歩いています。その大きな魚を追いかけ、「あれは落ちてくるだろう。そしたら食べよう」と考えているのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そうだったのか、、、さすがインドのカモは違います。うちの田舎ではトラクターの後ろを白鷺が歩いてますが、彼らはトラクターが掘り返した土の中のミミズなどを食べているようです、念のため。。。
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by ammolitering4 | 2009-09-20 08:08 | 「生は生より来たる」

朝の散策11

朝の散策―――11

1973年5月15日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シングと他の生徒たち。

1.「霊魂を探知する」

DS:科学者たちは霊魂を見るのに大変な困難を感じています。彼らは、その存在は大変疑わしいと言います。

SP:彼らはどうしてそれを見ることができるでしょうか?それは見るには小さすぎるのです。誰がその見る力を持っているでしょう?

DS:それでも彼らはそれを何らかの方法で感知したいのです。

SP:もしもあなたが誰かにほんの一粒の100分の1の非常に有毒な毒を注射すれば、彼は直ちに死にます。誰も毒やそれがどのように働くかを見ることはできませんが、それにも関わらず、それは働いています。では、なぜ科学者たちは魂をその働きによって見ないのですか?そのような場合には、私たちは効果によって見なければなりません。ヴェーダには、魂と呼ばれる微細な粒が原因で体全体がうまく機能している、と書かれています。もしも私が自分自身をつねれば、私はそれを直ちに感じます。私は体中の皮膚に意識が行き渡っているからです。しかし、魂が体を去れば直ちに、私の体が死ぬときはそうなるのですが、あなたは同じ皮膚を取って切り刻むことができますが、誰も文句を言いません。なぜこの単純なことがそれほど理解し難いのですか?これは霊を探知しているのではありませんか?

DS:私たちは霊をこの方法で探知するかもしれませんが、神についてはどうですか?

SP:まず、魂を理解しましょう。魂は神の小片です。もしもあなたが小片を理解することができれば、そうすればあなたは全体を理解することができます。

2.「現代科学:助けか、危害か」

DS:科学者たちは、生命を作り出そうという努力の過程にあります。

SP:「過程」!「努力」!それを私たちは蹴り出します。それは私たちは認めません。物乞いが「私は億万長者になろうと努力しています」と言います。私たちは「あなたが億万長者になったとき、そのときに語りなさい。今はあなたは貧しい物乞いです。それだけです」と言います。科学者たちは、自分たちは努力していると言います。しかし、私があなたに「あなたは何ですか」と尋ねると仮定しましょう。あなたは、「私は何々になろうと努力しています」と言いますか?あなたは今は何ですか?それが問いです。「私たちは努力しています」は正しい答えではなく、科学的な提言でないことは言うまでもありません。

DS:ああ、彼らは今のところ生命を作り出していませんが、彼らはすぐにそうできるであろうと言います。

SP:どの悪者であってもそう言うかもしれません。もしもあなたが「未来において私は何か非常にすばらしいことをすることができるでしょう」と言うなら、なぜ私はあなたを信用したり信頼したりすべきでしょうか?

DS:ああ、科学者たちは自分たちが過去において多くを為し、未来にはもっと多くを達成するであろうと言うのです。

SP:過去において死が存在し、人々は今も死んでいます。では、科学者は何をしたでしょうか?

DS:彼らを助けました。

SP:科学者たちは寿命を縮める助けをしたのです!かつて人間は100年生きていました。今では彼らは滅多に60年や70年以上は生きません。そして科学者たちは原子エネルギーを発見しました。今では彼らは何百万人もの人を殺すことができます。そのため、彼らは死ぬことだけ助けたのです。彼らは生きることは助けていません。そして、それでも彼らは図々しくも自分たちが創り出すと宣言するのです。

DS:しかし、今では私たちは飛行機を持ち、そして―――

SP:科学者たちは死を止めることができません。彼らは誕生を止めることができません。彼らは病を止めることができません。彼らは老齢を止めることができません。それでは、彼らは何をしたでしょうか?かつて、人々は老いていました。そして、今でも人々は老いています。かつて、人々は病んでいました。今でも彼らは病んでいます。今はもっと多くの薬があり―――そして、もっと多くの病があります。それでは彼らは何を達成したでしょう?科学者たちは世界の秩序を改善する手助けをしてはいません。私たちは、生命が物質から生じたというすべての悪者たる科学者に挑戦します。事実は、物質が生命から生じたのです。

3.「進歩という幻想」

SP:科学はどれくらいの間人々を騙すことができるでしょうか?100年、それとも200年くらいでしょうか?彼らはずっと人々を騙すことはできません。

DS:騙すことは、記憶にないほどの太古から続いています。ですからおそらく彼らは自分たちが永遠に騙し続けられると考えるでしょう。

SP:記憶にないほどの太古からではありません!科学は人々を過去の200-300年の間だけ騙しているのです。その前ではありません。

DS:おお、そうですか?

SP:そうです。過去200年の間、彼らは生命は物質から生じると布教しています―――何千年もの間ではありません。そして、欺きは今後50年で終わるでしょう。

DS:はい。今は反知性主義運動があります。人々は科学と現代的な進歩に反抗しているのです。

SP:そして、その科学とは何ですか?それは科学ではありません!それは無明です。無明が科学として通用しており、非宗教が宗教として通用しているのです。しかし、この欺きは長続きすることはできません。一部の人々は知性的になりつつあるからです。

DS:米国で一番大きな雑誌の一つであるニューズウィーク誌の中に、キリスト教の堕落に関する記事がありました。その記事の中に、悪魔が地震を起こしている漫画がありました。最近、南アメリカで大きな地震があり、何千人もの人が死にました。その漫画はそのようなことを悪魔のせいと考えていました。悪魔のすぐ横にはリチャード・ニクソンが描かれ、彼は自分をキリストの信者であるとしつつも東南アジアを爆撃していました。この漫画の中で、悪魔はリチャード・ニクソンのほうを向いて「キリスト教徒についていくのは全く大仕事だ」と言いました。

SP:そうです。人々はそのように非難するでしょう。人々は発達しつつあるのです。どれくらい長く彼らはいわゆる科学やいわゆる宗教によって騙され得るでしょうか?もしもニクソン氏が自分の同胞を愛しているなら、なぜ彼は自分の国の牛たちを愛さないのですか?彼らもまた同じ土地に生まれ、同じ生きる権利を持っています。なぜ彼らは殺されるのですか?「汝、殺すべからず。」しかし、動物たちは殺されています。それは不完全さです。クリシュナは牛とラーダーラーニー(脚注18)の両方を抱きしめられます。それこそが完成です。クリシュナは鳥とさえもお話になります。あるとき、ヤムナー川の河岸において、主は鳥と話しておいでになりました。主は鳥たちの言葉でさえお話しになるからです。ある老女がこれを見て驚嘆しました。「おお、主は鳥とお話しになっている!」

DS:あなたは主が実際に鳥が話すようにお話しになっていたとおっしゃるのですか?

SP:そうです。ヴェーダに描写されているクリシュナの性質の一つは、主がどんな言語でもお話しになれるというものです。主はすべての生命体の父であり、父は自分の子供たちの言葉を理解することができます。

クリシュナは至高の享楽者です。実際には、クリシュナ意識である者以外は、誰も本当の知識を持つこともできず、楽しむこともできません。人は単に苦しみます。しかし彼は、苦しみが楽しみだと考えるのです。これはマーヤー、すなわち幻想と呼ばれます。アメリカでは、人々は日夜懸命に働き、そして彼らは「私は楽しんでいる」と考えます。これはマーヤーです。制約された魂は、何も楽しむことはできません。彼は単に苦しみます。しかし、彼は自分が楽しんでいると考えるのです。

したがって、シュリマッド・バーガヴァタムの中で、制約された魂はラクダと比べられています。ラクダは、彼の舌を切るトゲのある小枝を食べるのを非常に好みます。彼がそれを食べている間、彼の舌から血が出てトゲのある小枝と混じります。それらは少しおいしくなり、彼は「おお、これらの小枝はとても良い」と考えているのです。それはマーヤーと呼ばれます。マーヤーとは「それでないもの」を意味します。「マー」は「―――でない」を意味し、「ヤー」は「これ」を意味します。そのため、マーヤーは「これでない」を意味します。それがマーヤー、すなわち幻想の本当の説明です。科学者たちはマーヤーの中にいます。彼らは、自分たちが物事を改良して幸せになりつつある、と考えるからです。しかし、この世界とその中にあるすべては、やがて終わります。それはマーヤーだからです。それは私たちがそれと考えるものではありません。シュリマッド・バーガヴァタムに説明されているように、物質主義者たちは自分たちは勝利しつつあると考えていますが、彼らは実際は敗北しているのです。
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by ammolitering4 | 2009-09-19 13:03 | 「生は生より来たる」

朝の散策10

朝の散策---10

1973年5月14日、ロサンゼルス近くのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シングと他の生徒たち。

1.「科学者たちの誤り」

SP:科学者たちの誤りは、彼らが二つのエネルギー---物質的および霊的なそれについて無知であることです。彼らは、すべては物質的であってすべては物質から生じると言います。彼らの理論の欠陥は、彼らが霊ではなく物質から始めることです。物質は霊から生じるので、ある意味ではすべては霊的です。霊的なエネルギーは源であり、物質的なエネルギー無くして存在することができます。しかし、物質エネルギーは霊的エネルギー無くしては存在しません。暗闇が光から始まるというのは正しいのです。光が暗闇から始まるのではありません。科学者たちは、意識が物質から生じると考えます。実際は、意識は常に存在していますが、それが無明によって覆われている、あるいは曇らされているとき、それは無意識という形にあるのです。

そのため、「物質的」とはクリシュナを忘れていることを意味し、「霊的」とはクリシュナを完全に意識していることを意味します。これがはっきりと分かりますか?理解しようとしなさい。暗闇は光から生じるのです。光が視界にないとき、そのときは私たちは闇にあります。太陽には雲は見つけられません。それは太陽の性質に反するのです。しかし、太陽のエネルギー(訳注:「エネルギー」を強調)によって霧や雲や暗闇などの他のものが一時的に作られます。これらの創造は一時的ですが、太陽はそのままであり続けます。同様に、物質自然は一時的ですが、霊的な自然は永久的です。クリシュナ意識とは、この一時的な自然から抜け出て、永遠で霊的な自然に至ることを意味します。誰も本当はこの一時的な自然を望んではいません。誰もこの曇った環境を好んではいないのです。

DS:この曇った意識は霊的なエネルギーから作られているのですか?

SP:そうです。

DS:そして、物質もまた優性エネルギーから作られているのですか?

SP:(サンスクリット引用)クリシュナはおっしゃいます。「私はすべての霊的および物質的な世界の源です。すべては私から生じます。」(BG10.8)クリシュナは、良いもの悪いものすべての創造者です。本当は、「良し悪し」は物質的な創造です。クリシュナの創造は善です。神は善なのです。あなたが悪と考えるものは、神にとっては善なのです。したがって、私たちはクリシュナを理解できません。主は、私たちの考えにおいては悪であるかもしれないことをしていらっしゃいますが、主にとっては善悪などというものはないのです。たとえば、クリシュナは一万六千人の妻と結婚なさいました。ある人々は「ああ、主は全くの女狂いだ」と非難するかもしれません。しかし、彼らは全体像を見ません。クリシュナの力はとても偉大なので、主はご自身を一万六千の異なる夫に拡張なさったのです。

2.「{すべては一つ}は無意味である」

DS:あなたは、この物質自然という霧は一時的だとおっしゃいました。しかし、私たちはなぜそもそも、やがて過ぎ去るものから自分自身を解き放とうとすべきなのですか?

SP:なぜあなたは自分の体を覆うのですか?あなたは裸で歩いても良いのです。2-3時間もすれば天気も晴れるでしょう。なぜあなたは自分自身を覆うのですか?

DS:危険は今なのです。

SP:それがいつであれ、なぜあなたはこの、自分の体を覆うという段階を経るのですか?

DS:不快さを避けるためです。

SP:そうです。そうしなければあなたは不快でしょう。わざわざ衣類をまとうことをしない、というのは、マーヤーヴァーダ理論です。「すべては自動的に来たる。だから、なぜわざわざする必要があるだろうか?」それは無意味な理論です。マーヤーヴァーダ哲学は、神は一つであり、すべてのものとすべての生命体は神と同等である、というものです。

私たちは、もしも化学者たちが生命から始めるのであれば彼らと何の論争もしません。しかし、不幸にして彼らはすべては暗闇---死んだ物質から始まると言います。それが私たちが異議を唱える点です。私たちは「生命から始めなさい」と言い、そして彼らは「いいえ、物質――-、暗闇から始めなさい」と言います。なぜ彼らが暗闇にいるのかという理由は単純です。もしも人が暗闇から光に至れば、彼は暗闇が始まりだと考えます。たとえば、あなたが一生暗闇の中にいて、今突然光の中に来たと仮定しましょう。あなたは、「おお、暗闇から光が生じた」と考えるでしょう。実際には、暗闇は光が暗くなるときに生じるのです。暗闇は光を作り出しません。

DS:それでは、暗闇は光に依存しているのですか?

SP:そうです。あるいは言い換えると、光の中には暗闇はありません。光が暗いとき―――そのときに私たちは暗闇を経験します。同様に、私たちの霊的な意識、すなわちクリシュナ意識が暗いとき、私たちの意識は物質的です。朝には私たちは目覚め、一日の終わりには私たちは疲れて眠ります。生活がなんらかの理由で中断されるとき、私たちは眠ります。私たちは夜には眠り、そして私たちが朝目覚めるとき、私たちは自分の覚醒、すなわち「命」が眠い状態から生じたのではないことを理解します。私は眠っていた間も生きていました。そして、目覚めてもまだ私は生きています。これははっきりと理解されるべきです。赤ん坊は彼の母親の子宮から来ます。彼は自分の人生は自分が子宮から出てきた日に始まったと考えます。しかしそれは事実ではありません。実際は、彼は永遠なのです。彼は無意識でいた間に彼の母親の子宮の中で自分の物質的な体を作りました。そして自分の身体的な機能が十分に発達すると、直ちに彼は子宮から出てきて再び意識を持つに至りました。

DS:そして彼は死のときに再び眠りに落ちるのですね。

SP:そうです。それはバガヴァッド・ギーターに描写されています。(8.19)

(サンスクリット引用)

「何度も何度も朝が来て、このおびただしい存在は活動的になり、そして、おお、パールサよ。再び夜がやってきて、彼らは無力にも消滅させられます。」

3.「私たちはこの体ではない」

SP:この花が見えますか?これは意識のある状態に戻りました。そして、まもなく乾いて死にます。これが物質的な人生です。しかし、霊的な人生とは花咲くことだけを意味します。消滅はありません。それが物質と霊の違いです。私はこの体を私の以前の人生における意識に応じて得ました。そして私はこの人生における私の意識に応じて自分の次の体を受け取ります。これもまたバガヴァッド・ギーター(8.6)において確認されています。

(サンスクリット引用)

「何であれ、人が自分の体を去るときに覚えている心の状態(state of being、存在のあり方)を、彼は間違いなく得ます。」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、もしも私たちの次の体がいつもこの人生における私たちの意識によって得られるのであれば、どうして私は自分の過去の人生を覚えていないのですか?

SP:あなたは自分が去年したことや、昨日したことでさえ、すべてを覚えていますか?

DS:いいえ、覚えていません。

SP:それがあなたの性質です。あなたは忘れるのです。

DS:いくらかのことなら、忘れます。

SP:そして、ある人々は他の人々よりももっと忘れます。しかし、私たちは皆忘れます。

DS:それは物質自然の原則なのですか?

SP:そうです。それは盗みのようなものです。ある人はスリであり、別の人は銀行強盗です。しかし、どちらも盗んでいます。

DS:私たちが夢を見るとき、私たちは密度の薄い要素によって運び去られているのですか?

SP:あなたは自然によって運び去られています。クリシュナはバガヴァッド・ギーターにおいて(3.27)おっしゃいます。

(サンスクリット引用)物質自然の三つの相の影響の下で幻惑されている霊魂は、自分が活動の行為者であると考えます。その活動は、実際は自然によって実行されています。」私たちは自分の本当の自己認識を忘れます。私たちは物質自然の支配の下にあるからです。

霊的な人生における最初の教えは、私たちはこの体ではなく永遠なる霊魂であるということです。かつて、あなたは子供でした。今ではあなたは成長した大人です。あなたの子供時代の体はどこにあるのですか?その体は存在しませんが、あなたはまだ存在しています。あなたは永遠だからです。二義的な体は変化しましたが、あなたそのものは変わっていません。これが永遠性の証拠です。あなたは、自分が昨日あることをして今日別のあることをしたということを覚えていますが、あなたは他のことは忘れます。昨日のあなたの体は、今日の体ではありません。あなたはそれを認めますか?それとも認めませんか?あなたは今日が1973年の5月13日であるということはできません。13日は昨日でした。日付が変わったのです。しかし、あなた自身は昨日を覚えています。そして、その覚えているということ自体があなたの永遠性の証拠なのです。体は変化しましたが、あなたはそれを覚えています。したがって、体は一時的であるにもかかわらず、あなたは永遠です。この証拠はとても単純です。子供でさえそれを理解することができます。それは理解するのが難しいですか?

4.「変化する体」

DS:人々はもっと多くの証拠を欲します。

SP:これ以上、何が必要とされるでしょうか?魂の永遠性は単純な事実です。私は永遠なる魂です。私の体は変化しつつありますが、私自身は変化していません。たとえば、私は今では老人です。ときどき、私は考えます。「おお、私はかつては飛び跳ねて遊んでいた。しかし今では私は飛び跳ねることができない。私の体が変化してしまったからだ。」私は飛び跳ねたいと欲しているのです。しかし、私にはそうできません。その飛び跳ねるという傾向は永遠ですが、私の老いた体のため、私にはそうすることができません。

DS:反論者たちは、自分たちの観察によれば「意識の性質はひとつの体の間だけ存続する」というものだ、と言うでしょう。

SP:それは愚かさです。バガヴァッド・ギーター(2.13)において、クリシュナは説明なさいます。

(サンスクリット引用)

「体に閉じ込められた魂がこの体の中を少年時代から若者から老齢へと永続的に通り過ぎるように、同様に魂は死のときに別の体に入ります。自己を認識した魂は、そのような変化によって幻惑されません。」ちょうどこの体がいつも変化しているように(私が自分の毎日の経験で見ることができるように)、死のときには同じような変化があるのです。

DS:しかし、科学者たちによれば、私たちは実際にこの最後の変化を観察するということができません。

SP:彼らの目はとても不完全なので、彼らは非常に多くのことを観察できません。彼らの無明がバガヴァッド・ギーターを非科学的にするということはありません。なぜ科学者たちは自分たちの感覚の不完全さを認めないのですか?彼らはまず自分たちの感覚の不完全さを認めなくてはありません。彼らの見る力は、何が科学であって何が科学でないかを規定しません。犬は自然の法則を理解できません。これは自然の法則が存在しないことを意味しますか?

DS:ああ、科学者たちはその論点を認めますが、彼らは完全になるための方法は客観的な情報と経験を通してであると言うのです。

SP:違います。それは完全になるための方法ではありません。誰も不完全な思考を通して完全になることはできません。そして、私たちの思考は必ず不完全です。私たちの感覚と心は不完全だからです。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、もうひとつの問いが挙げられます。魂が三つや四つや五つの体を受け入れ、それから死ぬということは可能ではありませんか?

SP:あなたは無数の体を受け入れています。綿非は、昨日のあなたの体は今日のあなたの体ではないと言います。それでは、もしもあなたが100年生きるなら、あなたは何回体を変えましたか?計算してみなさい。

DS:13回です。

SP:なぜ13回なのですか?

DS:医学によれば、すべての身体的な細胞は7年ごとに入れ替わるからです。

SP:違います。7年ごとではありません。毎瞬間なのです。毎瞬、血液の遊離細胞は変化しています。そうではありませんか?

DS:そうです。

SP:そして血液の遊離細胞が変われば、直ちにあなたは自分の体を変えます。

DS:科学的な用語では、魂の永遠性はエネルギーの保存と比較することができますか?

SP:エネルギーを保存するということはありえません。エネルギーは常に存在しているからです。

DS:しかし、科学的な用語によれば、エネルギーの保存の法則とはエネルギーは作り出されることはなく、滅ぼされることもない、ということです。それは、それが永遠であるということを意味すると私は考えるのです。

SP:おお、はい、それは私たちは認めます。クリシュナは永遠です。したがって、主のエネルギーのすべては永遠です。

DS:それが生命体もまた永遠である理由ですか?

SP:そうです。もしも太陽が永遠であれば、そのエネルギー、、、熱と光、、、もまた永遠です。

DS:では、このことから生命は作り出されたり滅ぼされたりしないということにつながりますか?

SP:そうです。生命は永遠です。それは作り出されたり滅ぼされたりしません。それは単に一時的に覆われているのです。私は永遠ですが、昨夜、私は眠りによって覆われていました。だから私は昨日と今日ということを考えます。これが物質世界の制約なのです。

5.「すべては霊的である」

DS:物質的な意識とはクリシュナ意識の欠落ですか?

SP:そうです。

DS:そして、クリシュナ意識があるとき、物質自然はどこにあるのですか?

SP:もしもあなたがクリシュナ意識を継続すれば、あなたは何ものも物質的ではないことを見出すでしょう。クリシュナは、物質的なものは何もお受け取りになりません。そしてこれは、花は木に咲いているときは物質的であって、あなたがそれをクリシュナに捧げるときに霊的になる、ということを意味するのではありません。違います。花は、あなたがそれがあなたの楽しみのために作られたと考えている限り「物質的なのです。しかし、あなたがそれがクリシュナの楽しみのためにあると見れば直ちに、あなたはそれをその本当の姿―――霊的な姿として見るのです。

DS:では、世界全体は実際は霊的なのですか?

SP:そうです。したがって、私たちはすべてをクリシュナへの奉仕のために使いたいのです。それが霊的な世界です。

DS:私たちはその見方においてクリシュナの創造のすばらしさを味わう(訳注:言語はappreciate、価値を認めて感謝する)こともできますか?たとえば、私たちは「この木はとても美しい。それはクリシュナの所有物だからだ」と考えることはできますか?

SP:はい。それがクリシュナ意識です。

DS:もしも誰かが寺院の中のクリシュナの神像を見て、それが単に石や木であると考えるなら、それは何を意味しますか?

SP:彼は事実について無知なのです。どうして神像が物質的でありうるでしょうか?石もまたクリシュナのエネルギーです。ちょうど電気エネルギーがどこにでもあるのに電気技師だけがそれをどう利用するかを知っているように、同じくクリシュナはどこにでもおいでになり―――石の中にさえ―――しかし、主の献身者だけがクリシュナのすばらしさを味わうために石をどう利用すればよいかを知っているのです。献身者は、クリシュナ無くして石は存在し得ないことを知っています。したがって、献身者が神像を見るとき、彼らは「ここにクリシュナがいらっしゃる」と言います。彼らはクリシュナと主のエネルギーとの真の一体性を見るのです。

6.「同時に一つであり異なる」

DS:クリシュナ意識の人は、石に彫られた神像におけるのと同じくらいに、ただの石のなかにクリシュナを知覚するというのは本当ですか?

SP:はい。

DS:全く同じくらいにですか?

SP:はい。なぜそうでないことがあるでしょうか?バガヴァッド・ギーター(9.4)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

これはクリシュナのエネルギーが―――つまり、特定の顕現した形におけるクリシュナが―――宇宙のすべての原子に行き渡っていることを意味します。しかし、主の完全に顕現した個人的な形は、主の指示に従って形作られた神像の中に存在します。これがアチンテャ・ベーダーベーダ・タットヴァ、神と主のエネルギーの同時の一体性と相違です。たとえば、あなたの部屋に太陽光があるとき、それは太陽それ自体があなたの部屋にあることを意味するのではありません。太陽とその離れたエネルギー、熱や光などは、性質においては同じですが、量においては違うのです。

DS:しかし、それでも、あなたは人がクリシュナを普通の石の中に見ることができるとおっしゃるのですか?

SP:そうです。なぜそうでないことがあるでしょうか?私たちは石をクリシュナのエネルギーとして見ます。

DS:しかし、私たちは石の中の主を崇拝することができますか?

SP:私たちは主を石の中の主のエネルギーを通して崇拝することができます。しかし私たちは石をクリシュナであるとして崇拝することはできません。私たちはこの長椅子をクリシュナであるとして崇拝することはできません。しかし、私たちはすべてを崇拝することができます。私たちはすべてをクリシュナのエネルギーであるとして見るからです。この木は崇拝の対象となり得ます。クリシュナと主のエネルギーは、どちらも崇拝の対象であるからです。しかし、それは私たちが木を私たちが寺院においてクリシュナの神像を崇拝するのと同じような方法で崇拝するということを意味するのではありません。

子供の頃、私は両親に決してクリシュナのエネルギーを無駄にしないように教えられました。彼らは私に、もしもたとえ小さな米粒が床板の間に挟まっていても、それを無駄にしないように私はそれを拾って額に当て、食べるようにと教えられました。私はいかにしてすべてをクリシュナとのかかわりの中で見るかを教えられました。それがクリシュナ意識です。したがって私たちは、何物も無駄にされたり誤って使われたりするのを見るのを好みません。私たちは弟子たちに、いかにしてすべてをクリシュナのために使うか、そしていかにしてすべてはクリシュナであると理解するかを教えています。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(6.30)において、次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「すべてのところに私を見て、私の中にすべてを見る者にとって、私は決して失われず、私にとっても彼は決して失われません。」
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by ammolitering4 | 2009-09-19 07:34 | 「生は生より来たる」

朝の散策9

朝の散策―――9
1973年5月13日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ・パークにて録音。シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリーと他の生徒たち。

1.「人間から犬への進化」

SP:いわゆる科学者たちは、誤った理論に彼らの信頼を置いています。クリシュナは(サンスクリット引用)「私がすべての源です」(BG10.8)とおっしゃいます。クリシュナは生命です。クリシュナは死んだ石ではありません。

DS:では物質は生命に起因するのですか?

SP:そうです。そして物質は生命の上に育ちます。私の体は、私、霊魂の上に育ちます。たとえば、私はこのコートを着ました。これは私の体の大きさに合わせて作られています。しかし、もしも私が「私はこのコートである」と考えたならば、私は愚かです。

生徒:シュリーラ・プラブパーダ、鉱山学者は、山は堆積性の活動によって成長しているのであると証明しました。この成長は霊魂の存在によるものですか?

SP:そうです。シュリマッド・バーガヴァタムは、山を神の骨として、そして草を主の体の毛として描写しています。つまり、この意味では主は最も大きな体をお持ちです。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、動物の体における魂の転生と人間の魂の転生との違いは何ですか?

SP:動物は一方向―――上向きにだけ転生しますが、人間はより高い生命の形へも、より低いものへも転生することができます。体は生命体の欲求に応じて授けられます。低位の動物たちは一つの種類の欲求を持っていますが、人間は何千何百万もの欲求―――動物的な欲求および人間的な欲求を持っています。自然の法によって、低位の種は動物の体からより高い人間の体へと上がってきます。しかし、いったんあなたが人間の形へ来ると、もしもあなたがクリシュナ意識を培わないならば、あなたは猫や犬の体へ戻るかもしれません。

2.「ニルヴァーナ」(涅槃)

DS:科学者たちは、人間の水準から上、あるいは下への進化があるということについて、何の情報も持ちません。

SP:したがって私は、彼らは悪者であると言います。彼らは何の知識も持ちません。それなのに彼は科学者であると主張します。本当の科学はバガヴァッド・ギーターの中にあります。その中でクリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。(BG9.25)これは、何であれ人がこの人生において崇拝しているものが、彼が次の人生において得る体を決定するという意味です。しかし、もしも人がクリシュナを崇拝するなら、彼は転生の過程を完全に終了します。(サンスクリット引用)「人が私の至高の住処に至るとき、彼は決して(この生と死の物質世界に)戻りません。」(BG8.21)霊的な世界に昇格されること(サムスィッディーム・パラマーム)は、人間の人生の究極の完成です。バガヴァッド・ギーターを読みなさい。すべてはそこにあります。しかし、科学者たちはここ完成について何も知りません。彼らは密度の濃い体とは別の、生命体の存在さえ信じません。

生徒:彼らの概念は仏教に近いものです。仏教徒は、体は家のようなものだと言います。ちょうど家が木でできているように、体は化学物質でできています。そして体が死ぬときは、それはちょうど家が木切れになってもはや家が無くなるように、体は単に化学物質になって、もはや体もなく、生命もないのです。

SP:その状態はニルヴァーナと呼ばれます。そしてそれから、その材料を使って、あなたは別の家や別の体を作ることができます。それが仏教です。仏教徒は魂に関して何の情報も持ちません。

3.「運命とカルマ」

生徒:一部の科学者たちは、それぞれの体の中にいくつかの魂があるという議論をします。彼らはミミズを例として使います。もしも人がそれを半分に切れば、両方の部分が生きます。彼らは、もともとのミミズの体に二つの魂が住んでいたことをこれが証明すると言います。

SP:違います。それは単に新しい魂がミミズの体の半分に入ってきたのです。

DS:魂は、霊的、あるいは物質的どちらかの体を必ず持たねばならないのですか?

SP:魂は既に霊的な体を持っています。それを物質の体が覆っているのです。私の物質的な体は、私―――私の霊的な体―――の上に育ちますが、私の物質的な体は不自然です。本当の体は霊的です。私は私の本来の姿にとって不自然な様々な体を受け入れています。私の本当の本来的な立場は、クリシュナの従者であるというものです。私がその立場に至らない限り、私は物質の従者として留まり、物質エネルギーの法則に従って多くの物質的な体を得ます。私はある体を得て、そしてそれを放棄します。私は他の何かを欲し、再び別の体を得ます。この過程が物質自然の厳格な法律の下で続いています。人々は、自分たちが自分の運命を完全に統御していると考えますが、彼らはいつもカルマという自然の法則の下にあるのです。

(サンスクリット引用)

「幻惑された霊魂は、物質自然の三つの相の影響の下で自分は活動の主体だと考えますが、実際はそれは自然によって実行されます。」(BG3.27)この幻惑の源は、生命体が「自分はこの体である」と考えることです。

(サンスクリット引用)

この節において、ヤントラ、すなわち「機械」という言葉は、どの生命の種においても私たちは物質自然によって提供された機械のような体をまとって旅している、ということを意味します。時として私たちはより高い種へ、時々はより低い種へと旅します。しかし、もしも霊的指導者とクリシュナの慈悲によって人が献身奉仕の種を得て、それを育むなら、彼は生と死の循環から自由になることができます。そうすれば彼の人生は成功します。さもなければ、彼は時にはライオンになったりなどしながら生命の異なる種の間を上へ下へと旅しなければなりません。

4.「無明を知識であると広告する」

生徒:それでは、これらの物質的な体を取る原因となるのが「楽しみたい」という私たちの欲望であり、私たちを自分たちの自然な立場に戻すのが「クリシュナを得たい」という欲望なのですか?(訳注:原文はちょっとややこしいので、意味をはっきりさせるために括弧を付けています)

SP:そうです。

DS:しかし、私たちの低位の性質との継続的な苦闘があるように見えます。私たちはクリシュナに奉仕したいと思いつつも、いつも感覚の満足のための自分たちの欲望と戦っています。これはいつまで続くのですか?

生徒:体は、ほとんど内からの独裁者のようです。

SP:はい。それはあなたが物質エネルギー、すなわちマーヤーに強く統御されているということです。

DS:私たちがクリシュナに奉仕したいと思っているにもかかわらずですか?

SP:そうです。泥棒は、もしも自分が盗めば逮捕されて牢屋に入れられるだろうと知っているかもしれません―――彼は他の人が逮捕されるのさえ見たことがあるかもしれません―――それでも彼は盗みます。彼は自分が国家の権威の下にあると知っているにも関わらず、それでも自分の欲望に従って行動するのです。これはタマス、すなわち無明と呼ばれます。したがって、知識は霊的な人生の始まりです。バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナはアルジュナに知識を授けられます。主は「あなたはこの体ではありません」と教えられ、これが知識の始まりです。しかし、この知識を教える大学はどこにありますか?シング博士、この知識を教える大学がどこにあるか、私に教えてくれませんか?

DS:一つもありません。

SP:それが教育の現状(position)です。知識がないのです。彼らは単に無明を知識として広告します。

DS:しかし、もしも科学者たちが自分たちが体でないと知れば、彼らの見解全体が変わるでしょう。

SP:はい。私たちはそれを望んでいます。

生徒:しかし、彼らは自分たちの失敗を認めたくありません。

SP:それなら、それは更なる愚かさです。もしもあなたが愚か者であり、そして知性的である振りをするなら、それは更なる愚かさです。そうするとあなたは進歩することができません。そしてもしもあなたが無明の内に留まり、自分自身を知識ある者として広告するなら、あなたは偉大なペテン師です。あなたは自分自身と他者を騙しています。人々は文明の物質的な発展を狂気のように求めているので、彼らはちょうど猫や犬のようになります。たとえば、彼らは移民局を作りました。そしてあなたがどこかの国へ入れば直ちに、これらの犬たちが「わん!わん!わん!なぜ来たのか?何の用事だ?」と騒ぎます。これは番犬の活動です。一流の紳士がリボルバー(訳注:銃の一種)を持っていないかと調べられます。人々は信用ならず、今では非常に多くの教育のある無頼漢や泥棒がいます。それでは、発展の意味は何ですか?私たちは教育が発展を意味すると言えますか?これが文明ですか?

5.「議論と知識をもって無明と戦う」

生徒:ある人々は、ベトナム戦争の原因の一つは共産主義者たちが無神論者であることだと言います。それは有神論者と無神論者の間の論争でした。少なくとも、それが戦争に対して出された弁明の一つでした。

SP:私たちもまた、無神論者を殺す用意ができています。しかし、その殺しは伝道によってです。もしも私があなたの無明を殺せば、それもまた殺しと呼ばれます。殺すことは、必ずしも誰もが剣を手にしなければならないことを意味するのではありません。

DS:戦争の新しい方法ですか?

SP:いいえ。議論と知識で無明と戦うことは、いつも存在していました。体の概念に基づいた人生は動物の人生です。そして、体の概念に基づいた人生のもとにある者は、動物より優れているわけではありません。動物が「語る」とき、知性ある人は笑います。そのような語りは無意味です。動物は知識を語っていません。

生徒:少なくとも、動物はある特定の基準に沿って生きます。彼らは不必要に殺さず、そして彼らは必要なときだけ食べます。他方で、人間は不必要に殺し、不必要に食べます。そのため、ある意味では人間は動物に劣ります。

SP:したがって、私たちは動物よりももっと苦しまねばなりません。クリシュナ意識は、偽物で感傷的な宗教運動ではありません。それは人間の苦しみを和らげるために設計された科学的な運動です。

DS:科学者たちと他の人々は、宇宙の中のすべては偶然によって起こっていると言います。

SP:それでは、彼もまたその主題について偶然本を書いているのですか?

カランダーラ:彼らは、本もまた偶然に書かれると言います。

SP:では、彼らの栄誉は何なのですか?偶然によって、何でも書かれ得ます。

DS:フランスの科学者、Dr. J.モノッドは、1965年にノーベル賞を受賞しました。彼は、すべては偶然に始まったと---偶然によってある特定の化学物質が組み合わさり、基本的な分子を作ったと言います。

SP:しかし、それらの化学物質はどこから来たのですか?

DS:彼らによれば、それらは単に偶然によって作られ、必要性が生じたときに化学物質の分子がそれ自身を新しい環境に適応させました。

SP:もしもすべてが偶然によって起こっていたのであれば、どうして必要性があり得るでしょうか?どうして彼は偶然と必要性を同時に語れるのですか?(訳注:原文はin one breath、直訳すると「一つの息の中で」)それは無意味です。もしもすべてが偶然によって指揮されているなら、なぜ人々は自分の子供たちを学校に送るのですか?なぜ偶然育つに任せないのですか?たとえば、私が法律を破ると仮定しましょう。もしも私が「まあ、それはただ偶然起こったのです」と言えば、私は許してもらえますか?

DS:では、犯罪は無明によって犯されるのですか?

SP:そうです。それこそが原因です。私の無明です。

生徒:バイオリンのような美しい楽器が偶然作られたというのは、確かに馬鹿げています。

SP:そうです。そのような悪者が評価を得ることができるというのは、この上なく残念なことです。彼は愚かさを語り、評価を得ているのです。

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うーん、ほんとにその通りです。私が苦労して下手なタイプをしているからこの文章が出来上がるのです。偶然たまたま、「あっ、しまった」と思ったら全部タイプされていた、という偶然だって、起こったっていいはずなのに、なぜかそうならない。モノッド博士の説は私には当てはまらないのです。まあ、そういうのを奇跡と呼ぶのでしょうが、宝くじで一等賞が当たる確率より絶対に少ないと思います。。。
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by ammolitering4 | 2009-09-19 05:29 | 「生は生より来たる」

朝の散策8

朝の散策―――8

1973年5月11日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シングと他の生徒たち。

1.「意識の進化」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、私はバガヴァッド・ギーターの中に840万種の生命体が同時に作られたという趣旨の言明を見つけました。これは正しいですか?

SP:はい。

DS:それは、一部の生命体は進化の過程を経ることなく直接人間という種に至るということを意味するのですか?

SP:そうです。生命体は、ある身体的な形から別のそれへと移動します。形は既に存在しています。生命体は単に自分自身を移動させるのです。ちょうど人が自分自身を一つのアパートから別のそれへと移動させるようなものです。あるアパートは高級であり、別のは中級であり、もっと別のは低級です。例えば、ある人が低級なアパートから高級なアパートへ来たと仮定しましょう。その人は同じ人ですが、今では彼の支払い能力、あるいはカルマ(脚注13)に応じて、彼はより高級なアパートに住むことができます。本当の進化とは物理的な発達を意味するのではなく、意識の発達を意味します。分かりますか?

DS:分かると思います。もしも人が生命のより低い水準に落ちれば、彼は一段一段、より高い水準へと進化しなければならない、ということをあなたはおっしゃっているのですか?

SP:そうです。より多くのお金を得るにつれて、あなたはより良いアパートに引っ越すことができます。しかし、アパートは既に存在します。低級なアパートが高級なアパートに変化するわけではないのです。これはダーウィンの無意味な理論です。彼は、アパートが高級になったと言うでしょう。現代の科学者たちは、生命が物質から生じたと考えます。彼らは、はるか大昔には単に物質しかなく、生命は存在しなかったと言います。私たちはそれを受け入れません。二つのエネルギー―――生命と物質―――のうち、生命、すなわち霊は本来的で優性なるエネルギーであり、物質は結果的で劣性なるエネルギーです。

DS:それらは同時に存在しますか?

SP:はい。しかし、霊は独立的であり、物質は依存的です。例えば、私はたとえ手や脚がなくても生きることができます。もしもそれらが切断されても、私は生存できます。したがって、私は私の手や脚に依存した存在ではありません。私の手や脚が私に、私の体の中の霊魂に依存しているのです。

2.「永遠の欲望のための体」

DS:しかし、生命と物質は同時に生じるのですか?

SP:いいえ。それらはそもそも「生じる」ことはありません。それらは既に存在しているのです。「生じる」という考えは、私たちの心の中にあります。私たちはこの限られた世界に住んでおり、そこでは私たちはすべてに始まりがあるのを見ます。したがって、私たちは物事を「生じる」という観念に基づいて考えます。しかし実際には物質と霊は既に存在しているのです。私が生まれたとき、私は自分の誕生が世界の始まりであると考えます。しかし、世界は既に存在しています。もう一つの例は火です。あなたが火を灯すとき、光と熱は後から始まりますか?いいえ。火が灯されるときはいつでも、直ちに光と熱が存在します。しかし、例えば私が次のように考えると仮定しましょう。「さあ、火が灯された。しかし、私は光と熱が後からやってくるのを待たねばならない。」それは愚かさではありませんか?

DS:しかし、火は熱と光の源です。

SP:そうです。しかしそれでも熱と光は火と同時に存在します。同様に、永遠なる生命体は多くの異なる永遠の欲望を持っています。そして、様々な種のすべてもまた、これらの様々な永遠の欲望に添うように永遠に存在しています。

DS:そして生命体はこれらの欲望にしたがって異なる体に住むように作られているのですか?

SP:そうです。例えば、政府は刑務所を作ります。犯罪者が現れると知っているからです。そのため、犯罪者が裁判にかけられて有罪とされるとき、刑務所は既に存在しています。判決時の前であってもです。同様に、神はサルヴァ・ジナ、すべてを知る者と描写されています。つまり、主は一部の生命体が犯罪者になって主への奉仕に反抗すると知っておられます。さらに、主は生命体が物質世界において物質自然の三つの相に応じて得る様々な欲望をご存知です。したがって主はすべての制約された魂を収容するために、そもそもの初めから生命のすべての種をお作りになります。

物質自然の三つの相は、サットヴァ・グナ(徳)、ラジョ・グナ(熱情)、およびタモ・グナ(無明)です。これらの三つの性質によって、物質世界の中のすべての異なるものは作られています。ちょうど人が三つの原色(青、赤、黄)を混ぜて非常に多くの色調を作り出すようなものです。この配剤を扱うのに必要とされる大いなる専門知識は、自然の中に存在します。バガヴァッド・ギーター(3.27)には、(サンスクリット引用)と書かれています。「すべての活動は物質自然の相によってなされます。」そして、これらの相は異なる種類の種において顕現しており、種には草、木、水生生物、人類、半身、猫、犬、その他多数、合計840万が含まれます。

至高主は、すべての人の心の中にご自身をパラマートマ、すなわち超魂として拡張なさいます。物質の体の中に住んではいても、この超魂は物質的ではありません。主が物質の体のもともとの源であるにも関わらずです。熱と光は太陽のエネルギーなので、太陽は決して「暑すぎる」とは感じません。同様に、パラマートマーにとっては霊的と物質的の区別はありません。物質的および霊的なエネルギーの両方が主から発しているからです。時として、私たちは雲が太陽を覆うのを見ます。しかし、それは実際は私たちの不完全さです。この地上の私たちは太陽光と曇りの両方を経験しますが、太陽上では、太陽が雲を作り出すにも関わらず、太陽光だけが経験されます。同様に、物質と霊の間の区別は私たちの経験であり、神のそれではありまえん。主がいわゆる物質的な体でおいでになろうが、霊的な体でおいでになろうが、主はいつも霊的でいらっしゃいます。主はエネルギー的(訳注:言語はenergetic、この場合はエネルギー源を指す。Energyに対する源としての表現。)なので、主にとって物質と霊は同じです。主は物質を霊へ、霊を物質へと変えることがおできになります。

3.「水に神秘的な力を加える」

DS:化学者たちと科学者たちは、ある特定の要素が霊魂が物質世界に留まるのを可能にすると考えます。これらの要素は、彼らによれば、炭素、水素、窒素、および酸素―――生命単位を形成する主な要素です。ヴェーダでは、生命あるものが発達するためには霊魂がまずこれらのあらかじめ存在している化学要素の中に入らなければならないと教えている、と私は思います。それは正しいですか?

SP:はい。例えば、土は植物が育つのに必要なすべてのものを含んでいます。しかし、あなたはまず土に種を植えなければなりません。同様に、母親は彼女の子宮の中にもう一つの体を作るのに必要なすべての材料を持っていますが、まず父親が精子、すなわち種を子宮に注入しなければなりません。そうすれば子供が発育します。犬は犬の体を形作り、人間は人間の体を形作ります。なぜでしょうか?それぞれに、必要とされるすべての材料がそこにあるからです。

私たちは、私の体の中にはある特定の量の化学物質を、蟻の体の中にはより少量を、そして象の体の中にはより多くの量を見出します。そのため、もしも私が蟻よりもずっと多くの化学物質を作り出すことができ、象が私がそうできるよりもずっと多くの化学物質を作り出せるのであれば、それなら神はどれほどより多くの化学物質を作りだせるか、考えてもみてください!これこそが基本なのです。それに基づいて、科学者たちはいかにして水素と酸素が組み合わさって水を形づくるかと考えるべきです。そうでなければ、彼らは海を作るのに必要とされる大量の水素と酸素の源を特定することができません。しかし、私たちはできます。この水素と酸素は、ヴィラート・ルーパ、主の偏在的な体の中に存在します。なぜ科学者たちはこの単純な真理を理解し損ねるのですか?水素と酸素が結びついて、海の中の水を形作ります。私たちはどちらもこの事実を受け入れます。しかし、科学者たちはこの大量の水素と酸素の源が実際はアチンテャ・シャクティ、すなわち主の計り知れない神秘的な力であるということを聞いて驚きます。

4.「生命の定義」

DS:私は、科学界の中で「生命」と「非生命」の定義について意見の不一致があるのに気が付きました。ある者は、もしもある存在が再生産をすることができればそれは生きているといいます。したがって、彼らは生命を作り出したと主張します。実験室で作られたある種の大きなDNA分子(脚注14)は、それ自身を複製することができるからです。それはどういうことかというと、それらは自分自身の力によって他の分子の鎖を再生産することができるということです。ある科学者たちはこれらのDNAは生きているといい、他の者たちはそれらが生きてはいないと言います。

SP:ある者はこう言い、別の者はああ言うので、彼らの知識は不完全であるに違いありません。

DS:私たちは「生命」を「意識を含む」と、そして「非生命」を「意識を含まない」と定義することはできますか?

SP:はい。それが違いです。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.17)において、次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「体全体に広がっているものは、滅びることがありません。」誰でも、何が生きた体全体に広がっているか理解することができます。それは意識です。死のときの私たちの意識に合わせて、私たちは特定の身体的な体を授けられます。もしもあなたが犬の意識を持っていれば、あなたは犬の体を得ます。そしてもしもあなたが神のような意識を持っていれば、あなたは半神の体を得ます。(脚注15)クリシュナは誰にでも何でも自分の欲しい体を得る自由を与えるのです。

(サンスクリット引用)

「半神たちを崇拝する者は半神たちの中に生まれます。幽霊や悪霊(spirits)を崇拝する者は、そのような存在の中に生まれます。先祖を崇拝する者は先祖のところへ行きます。そして私を崇拝する者は私と共に暮らします。」(BG9.25)

5.「ダーウィン批判」

DS:もしも人間が解放に到達しないならば、彼はもう一度人間の体に至るまでに840万すべて生命の種類を通らなければならないのですか?

SP:いいえ。低い生命の形においてのみ、生命体は一段一段、自然の法に従って進歩しなければなりません。人間の体の生命においては、彼は発達した意識を授けられています―――彼は自由意志を持っているのです。したがって、もしも彼が意識において発達していれば、彼は犬や猫の体を得ることはありません。彼は別の人間の体を得ます。

(サンスクリット引用)(脚注16)

ヨガ・ブラシャターという言葉は、ヨガを実行していたけれどなぜか十分に成功しなかった人を指します。ここには進化の余地はありません。彼はまた人間の体を与えられます。彼は猫の体や犬の体を得たりしません。私たちが議論していたアパートのように、もしもあなたがより多く支払うことができれば、あなたはより良いアパートを得ます。あなたはまず低級なアパートに来る必要はありません。

DS:あなたがおっしゃっていることは、ダーウィンの進化論と完全に矛盾しています。

SP:ダーウィンは悪者です。彼の理論が何でしょうか?私たちはダーウィンの哲学を蹴りだします。私たちがダーウィンの哲学をもっと蹴り出すほど、私たちはもっと霊的な意識において進歩します。

DS:多くの科学者がダーウィンの理論に疑いを持っています。しかし、ダーウィンの支持者は、生命は物質から始まって単細胞生物から複細胞生物へと進化したと言います。彼らは動物や人間などの高度な種は創造の始めには存在しなかったと信じています。

SP:ダーウィンと彼に従うものたちは悪者です。もしももともと高度な種が存在しなかったのならば、なぜそれらは今は存在しているのですか?たとえば、現時点において私たちは知性ある人と愚かなロバの両方を見ます。なぜこれらの生命体の両方が同時に存在しているのですか?なぜロバの形は上方向に進化して消滅していないのですか?なぜ私たちは決して猿が人間を産むのを見ないのですか?人間の生命がいついつの時代に始まったというダーウィン主義者の理論は無意味です。バガヴァッド・ギーターには、あなたの努力次第であなたは直接どのような生命の種でも好きなものへ転生できると書いてあります。時として私はアメリカへ旅し、ときにはオーストラリアへ、そして時にはアフリカへ旅します。国々はすでに存在しています。私は単にそれらの国々を訪れて通り抜けているだけなのです。私がアメリカに来たから私がアメリカを作り出したとか、アメリカになったとか、そういうわけではありません。そして、私がまだ見たことのない国がたくさんあります。それはそれらが存在しないということを意味しますか?ダーウィンを支える科学者たちは馬鹿げているのです。バガヴァッド・ギーターには、すべての種は同時に存在し、あなたはどの種でも好きなものに行けると、明瞭に書かれています。あなたは、もしもあなたがそう欲するのであれば、神の王国へさえ上がっていくことができます。これらすべてのことはバガヴァッド・ギーターにおいて主クリシュナによって宣言されています。
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by ammolitering4 | 2009-09-19 03:07 | 「生は生より来たる」

朝の散策7

朝の散策―――7

1973年5月8日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シングおよび他の生徒たち。

1・「だます人々とだまされる人々」

SP:重力の法則や重さの無さなどの自然現象は、アチンテャ・シャクティ、計り知れないエネルギーと呼ばれます。そして、本当の科学とはこのアチンテャ・シャクティを理解することを意味します。一連の出来事を単にある時点からのみ観察するのは非科学的であり、不完全な知識だけをもたらします。私たちは、物事がどこから始まっているのかを知らねばなりません。もしも私たちが自分たちの研究を十分に突きつめるならば、私たちは自然の源はアチンテャ・シャクティであることを見出します。例えば、脳と筆と絵の具を使って私たちは花を描くことができます。しかし私たちは地球全体にわたって植生がいかにして自動的に成長して結実しているかを知覚することはできません。私たちは絵に描いた花を説明することはできますが、本当の花を説明することはできません。科学者たちは、実際には生物学的な成長を説明することはできません。彼らは単に「分子」や「染色体」などの言葉を巧みに操りますが、実際に現象を説明することはできません。

いわゆる科学者たちの基本的な欠点は、彼らが自分たちの結論に到達するために帰納法の過程を採用したということです。例えば、もしも科学者が帰納法的な過程によって人間が不死身であるかどうかを見極めようと思えば、彼はすべての人を調べて、そのうちの何人か、あるいは一人が不死身であるかどうかを見出そうとしなければなりません。科学者はこう言います。「私はすべての人間が必ず死ぬという命題を受け入れることはできません。不死身の人もいるかもしれません。私はまだすべての人を調べていません。したがって、私はどうして人が必ず死ぬということを受け入れることができるでしょう?」これが帰納法的な過程と呼ばれます。そして演繹法的な過程とは、あなたの父、あなたの教師、あるいはあなたのグルが人間は必ず死ぬと言い、そしてあなたがそれを受け入れるということを意味します。

DS:では、知識を得るための昇順的な過程と降順的な過程があるのですね?(脚注7)

SP:そうです。昇順的な過程は決して成功しません。なぜなら、それは感覚を通して集められた情報に頼っており、そして感覚は不完全だからです。そのため私たちは降順的な仮定を受け入れます。

神は帰納法的な過程によっては知られ得ません。したがって主はアドークシャジャと呼ばれ、それは「直接的な知覚では知られ得ない」ということを意味します。科学者たちは神はいないと言います。彼らは神を直接的な知覚によって理解しようとしているからです。しかし主はアドークシャジャなのです!したがって、科学者たちは神について無知です。彼らには神を知るための方法が欠けているからです。超越的な科学を理解するためには、人は真正なる霊的指導者に近づき、彼から従順に聞き、彼に奉仕をしなければなりません。主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(4.34)においてそれを次のように説明なさいます。(サンスクリット引用)

私のグル・マハーラージャ(脚注8)は、かつておっしゃいました。「現代の世界は、騙す者と騙される者の社会である。」不幸にして、騙される者は騙す者を賞賛しており、小さな騙す者が大きな騙す者を崇拝しています。例えば、ロバの群れが来て「おお、あなたはジャガッド・グルです(脚注9)」と私を賞賛すると仮定しましょう。彼らの賞賛の価値は何でしょうか?しかし、もしも紳士や学識のある人が来て賞賛すれば、彼の言葉にはいくらかの価値があります。しかし、一般には賞賛している者たちと彼らに賞賛されている者たちは、どちらも無明にあります。ヴェーダはこれを次のように表現しています。(サンスクリット引用)「大きな動物が小さな動物によって称えられている。」

2.「同情」

SP:法律が騙しており、医科学が騙しており、そして政府が騙しています。最高位の政府の役人が賄賂を受け取って有罪となっています。もしも知事が賄賂を受け取り、警察官が賄賂を受け取るならば、それならどこに良い社会があるでしょうか?人々は彼らに幸せを約束する指導者を選出します。しかし、その幸せはマーヤー(すなわち幻想)であるため、彼は決してそれを達成することはできません。そして社会は単に騙す人で満たされるようになります。しかし、人々は実際にこの幻想の幸せを求めているので、彼らはそのような非良心的な指導者を何度も何度も選出し続けます。

ヴァイシュナヴァ(脚注10)の立場とは、これらすべての無明なる人々に同情するというものです。偉大なヴァイシュナヴァ。プラーラーダ・マハーラージャは、かつて主に次のように祈りました。「わが主よ。私自身に関しては、私は何の問題も持ちません。私の意識はいつもあなたの非常に強力な超越的な活動に夢中になっており、そしてそのため私は物事を明瞭に理解しました。しかし、私は幻想的な幸せのための活動にいそしむこれらの悪者たちのために深く心配しています。」

ヴァイシュナヴァは、いかにして人々が幸せになれるのかということだけを考えます。彼は、彼らが決して実現しないものを無駄に捜し求めていることを知っています。40年や50年の間、人々は幻想の幸せを捜し求めます。しかし、それから彼らは仕事を完成させることなく、そして死後に何か起こるかを知ることなく死なねばなりません。実際は、彼らの立場は動物のそれのようなものです。動物もまた、死後に自分に何が起こるかを知らないからです。動物は人生の価値を知らず、なぜ自分がここに来たのかも知りません。マーヤーの影響によって、彼は単に食べ、眠り、性交して、身を守り、死にます。それだけです。人生を通して、無明なる動物―――そして動物的な人間たちは、これらの5つのことだけ―――食べること、眠ること、性交すること、身を守ること、死ぬこと―――をするために、大いなる努力をします。したがって、ヴァイシュナヴァの仕事は人々に「神が存在し、私たちは神の従者であり、そして私たちは主に奉仕をして主への私たちの愛情を育んで、永遠に幸せな人生を楽しむことができる」ということを教えることなのです。

3.「檻の向こうに」

DS:しかし、生命体は物質世界にいる限り物質を必要とするのではありませんか?」

SP:いいえ。生命体は純粋に霊的です。したがって、彼は物質を必要としません。しかし、彼の考えが病んでいるので、彼は自分がそれを必要とすると信じているのです。制約された生命体は、お酒を飲むことを必要としないのにどちらにしても「飲まなければ死んでしまう」と考える酔っ払いのようなものです。こればマーヤー、幻想と呼ばれます。酔っ払いがお酒を飲まなければ死ぬというのは本当ですか?

DS:いいえ。しかし、人が食べなければ、彼は死にます。

SP:それも事実ではありません。昨夜、私たちはラグーナーサ・ダーサ・ゴスヴァーミー(脚注11)について議論しました。晩年、彼は食べることと眠ることをほとんど完全に断ちました。彼は3日か4日に一度、ほんの少しのバターミルクを飲むだけで、2-3時間眠り、一日に22時間働きました。(訳注:バターミルクは日本では一般的ではありませんが、西洋で市販されているのは甘くない飲むヨーグルトのようなものです。でも、もともとはバターを取った後の牛乳を指す言葉であり、これは質感が全然違うそうです。)そして、全然眠らない日もありました。そのため、あなたは「彼はどうやって生き延びることができたのですか?」と尋ねるかもしれません。実際には、彼は100年生きました。食べること、眠ること、性交すること、および身を守ることは、ラグーナーサ・ダーサ・ゴスヴァーミーにとっては問題ではありませんでした。しかし、それでも彼は生きました。彼はクリシュナの純粋な献身者であったので、彼は魂がこの体という実際には必要としない檻に入れられているにも関わらず永遠であって独立していることに完全に気づいていました。例えば、鳥が籠に入れられていると仮定しましょう。彼は単に籠に入っているから生きているのですか?籠がなければm彼は自由です。人々は、体の中に閉じ込められていることによって自分たちは幸せなのだと考えています。それは無意味なことです。実際は、この体に閉じ込められていることは私たちを臆病にします。しかし、私たちが自分たちの存在を浄化すれば直ちに―――私たちは自分たちの体から出てくる必要さえありません―――私たちは即座にアバーヤ、勇敢になります。

(サンスクリット引用)(脚注12)

私たちは直ちに私たちの本来の霊的な存在を目覚めさせることができます。そこにはもはや恐れはなく、もはや嘆きもなく、そしてもはや物質的な欲望もありません。

DS:しかし、科学者たちは、生命体がいかにして物質から独立していられるかということについて、まだもっと説明を求めるでしょう。

SP:あなたが制約されている限り、あなたは物質に依存しています。例えば、アフリカから来た人は制約されています。彼はこの寒い天気を耐えられないからです。したがって、彼は不快さを感じます。しかし、ここには寒さに影響されない多くの人々がいます。(海辺で遊んでいる子供たちを指して)耐える能力は単に制約の問題なのです。

制約されているとき、あなたは暑さと寒さや痛みと喜びなどの二重性によって考えます。しかし、解放されるときにはあなたはそのような制約された考えは持ちません。霊的な人生とは、制約されていない状態になることを―――ブラーマ・ブータの水準に至ることを―――意味します。これが人生の完成です。制約されているということは、生命体が永遠であるにも関わらず、制約によって彼が自分が生まれ、自分が死に、自分が病気になり、自分が老いると考えることを意味します。しかし、制約されていない人物は老いることさえありません。クリシュナはブラーマ・サムヒターの中で(サンスクリット引用)と描写なさっています。これは、主がもっとも年長の人物、最初の人物であり、しかし主には老齢はない、ということを意味します。主はいつもちょうど二十歳の若者のように見えます。主は完全に霊的であられるからです。
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by ammolitering4 | 2009-09-18 02:21 | 「生は生より来たる」

朝の散策6

朝の散策―――6

1973年5月7日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、ブラーマーナンダ・スヴァーミー、および他の生徒たち。

1.「神秘的な力から生じる化学物質」

SP:科学者たちは生命は化学物質から生じると言います。しかし、本当の問いは「化学物質はどこから来たのか」というものです。化学物質は生命から商事、そしてこれは生命が神秘的な力を持っていることを意味します。例えば、オレンジの木にはたくさんのオレンジが成り、それぞれのオレンジが化学物質を含んでいます―――クエン酸やその他のものです。それでは、これらの化学物質はどこから来たのでしょうか?明らかに、それらは木の中の生命から生じました。科学者たちは化学物質の源を見落としています。彼らは、自分たちの探査を化学物質から始めましたが、彼らは化学物質の源を特定することができません。化学物質は至高の生命―――神より生じます。ちょうど人の生きた体が多くの化学物質を作り出すように、至高の生命(至高主)は大気中と水中と人間の中と動物の中と土の中に見られるすべての化学物質を作り出しています。そして、それは神秘的な力と呼ばれます。主の神秘的な力が受け入れられない限り、生命の起源という問題に対する解答はありません。

DS:科学者たちは、自分tナチは神秘的な力は信じられないと返答するでしょう。

SP:しかし、彼らは化学物質の起源を説明しなければなりません。誰もが普通の木が多くの化学物質を作り出しているのを見ることができます。しかし、それだどうやってそれらを作り出すでしょうか?科学者たちはこれに答えることができないので、彼らは生命体は神秘的な力を持っていることを受け入れなければなりません。私は私の爪がどうやって私の指から伸びているのかさえ説明することができません。それは私の脳の能力を超えています。言い換えると私の爪は、計り知れない力、アチンテャ・シャクティによって伸びています。ですから、もしもアチンテャ・シャクティが普通の人に存在するなら、神はどれほどのアチンテャ・シャクティを持っておいでになるか、想像しなさい。

神と私の違いは、私は神と同じ力を持っているにも関わらず私は少量の化学物質しか作り出せず、一方で主は大量のそれを作り出せるということです。私は発汗という形で少しの水を作り出せますが、神は海を作ることができます。一滴の海水を解析すれば、海の性質的な解析が何の間違いもなく得られます。同様に、普通の生命体は神の欠かすべからざる小片です。そのため、生命体を研究することで私たちは神を理解し始めることができます。神の中には大いなる神秘的な力があります。神の神秘的な力は敏速に働いています。ちょうど電気的な機械のようです。ある種の機械は電力によって機能し、そしてそれらはとても良くできているので、すべての仕事は単にボタンを押すことによってなされます。同様に、神は「創造あれ」とおっしゃいました。そして創造が現れました。このように考えると、自然の働きは理解するのがそれほど難しくありません。神はとてもすばらしい力をお持ちなので、主の命令一つで創造は直ちに現れます。

ブラーマーナンダ:一部の科学者は神もアチンテャ・シャクティも受け入れません。

SP:それは彼らが悪者だからです。神は存在しており、主のアチンテャ・シャクティもまた存在します。鳥の飛ぶ力はどこから来るのでしょうか?あなたも鳥も生命体ですが、鳥はそのアチンテャ・シャクティのために飛ぶことができ、あなたはそうできません。別の例を挙げると、精子は血液から作られます。人は自分の体の中に神秘的な力を持っており、そのため彼には性的な傾向があることから血液が精子に変化させられます。何かの神秘的な力がない限り、どうやってこれがなされるでしょうか?生命体の中にはたくさんの神秘的な力があります。牛は草を食べて牛乳を作り出します。誰もがこれを知っていますが、あなたはいくらかの草を食べて乳を作り出すことができますか?できますか?したがって、牛の中には神秘的な力があります。牛が草を食べれば直ちに彼女はそれを牛乳に変化させます。男と女は基本的に同じですが、男性であるあなたは食物を食べて母乳を作り出すことはできませんが、女性はできます。これらは神秘的な力です。

DS:科学者たちは、異なる種類の体の中には異なる酵素や化学物質があり、そしてこれらが牛が牛乳を作り出せる原因だと言うでしょう。

SP:そうです。しかし、誰がその酵素とその配剤を作り出したのですか?それは神秘的な力によってなされました。あなたはこれらの酵素やその配剤を作り出すことはできません。あなたは実験室において干草から牛乳を作り出すことはできません。あなたの体の中で、神秘的な力によってあなたは食べ物を血と生組織に変化させることができますが、実験室の中では、神秘的な力無くしてはあなたは草を牛乳に変えることさえできません。したがって、あなたは神秘的な力の存在を受け入れなければなりません。

2.「神秘的な力の源」

SP:ヨギーは主に異なる神秘的な力を発達させることに興味があります。ヨギーはおぼれないで水の上を歩くことができます。重力の法則は彼の上には働きません。それはラグヒマーと呼ばれる神秘的な力です。ラグヒマーは、人が綿よりも軽くなって重力の法則を打ち消すことを意味します。ヨガの体系は、単にすでに修験者の内にある計り知れない力を発達させます。これらの男の子たちは泳いでいますが、(サーフボードに乗っている人々を指して)私は泳げません。それでも、その泳ぐ力は私の中にあります。私は単にそれを練習しなければならないだけです。そのため、もしもヨガの力が人間の中にあってそれほど強力であるなら、神がそれよりどれほど多くのヨガの力を持っておいでになるか、考えなさい。したがって、ヴェーダの中で主はヨゲシュヴァラと呼ばれます。それは、「すべての神秘的な力の主」を意味shます。バガヴァッド・ギーター(10.8)において、クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「私は霊的および物質的な世界すべての源です。すべては私から生じます。」私たちが神からのこの言明を受け入れない限り、物質自然の源への結論的な説明はありません。神は神秘的な力の存在を受け入れること無くしては理解され得ません。しかし、もしもあなたが神を科学的に理解するなら、そうすればあなたはすべてを理解するでしょう。

DS:それでは、あなたは科学は最初の地点ではなく中間の地点から始まったとおっしゃるのですか?

SP:そうです。まさにその通りです。彼らは源に関して無知なのです。科学者たちは、ある地点から開始します―――しかし、その地点はどこから来るのですか?それを彼らは知りません。広範な研究にも関わらずです。人は、もともとの源は神秘的な力であるということを受け入れなくてはなりません。神はすべての神秘的な力に満ちており、神からすべてが生じます。主はバガヴァッド・ギーターにおいて自らおっしゃいます。(サンスクリット引用)「私はすべての霊的および物質的な世界の源です。すべては私から生じます。」私たちの結論は、盲目的な信仰に基づいてはいません。それは最も科学的なものです。物質は生命より生じます。生命の中―――源の中には、無限の物質的な資源があります。それが創造の大いなる神秘です。

もしもあなたが針を落とすならば、それは直ちに落ちます。しかし、何キログラムもある鳥は空中に浮かぶことができます。私たちはこの浮かぶことの源こそを立証しなければなりません。もしも私たちが自然を研究すれば、私たちはすべての生命体が何かの神秘的な力を持っていることを見出します。人間は水中では2-3時間以上過ごすことはできませんが、魚はずっとそこで暮らします。それは神秘的な力ではありませんか?

DS:それは私にとっては神秘的な力ですが、魚にとってはそうではありません。

SP:そうです。それは、神秘的な力は平均的に配分されてはいないからです。しかし、すべての神秘的な力は、神、すなわちすべてのものの源の中に存在します。私は主の神秘的な力の一部を得て、あなたも一部を得て、鳥も一部を得ます。しかし、神秘的な力の倉庫は神です。

神秘的な力には、8つの基本的な種類があります。その一部は、ラグヒマー(それによって人は羽よりも軽くなれる)、マヒマー(それによって人は山よりも大きくなれる)、プラープティー(それによって人は他の存在を完全に征服してコントロールすることができる)です。もう一つの種類の神秘的な力は太陽の中に見られます。太陽光からは無数のものが不思議にも作り出されるからです。科学者たちが神秘的な力の存在を受け入れない限り、彼らはこれらの現象を説明することができません。彼らは単に藪の周りを叩いてるのです。(訳注:ことわざ。核心に迫らないでいること)

DS:賢い(訳注:原語はclever、小賢しい、という意味合いがある)科学者たちは、自分の論点を証明するために、実際にそれを証明することなくどんなことでも言うかもしれません。本当の科学者は、究極の、もともとの原因―――最終的な解析に至らねばなりません。

SP:そうです。彼が究極の源を見つけない限り、彼は本当には科学を修めていません。

DS:神秘主義を理解することは、私たちの体が日々死んでいるということを知ることを意味するのですか?

SP:そうです。

DS:しかし、普通の人は自分が死につつある(訳注:原文は「継続的に死んでいる」)とは思いません。

SP:それは愚かさに起因します。毎瞬、人は死んでいます。しかし彼は「私は永遠に生きるだろう」と考えています。実際には、死は誕生の瞬間から始まります。問題に関する私たちの解析は、人々が死んでいるので、私たちは彼らの死を止めるべきである、というものです。しかし、いわゆる科学者たちは死の過程を加速化させているだけではなく、自分たちを修正するための建設的な助言を受け入れることを拒否しています。

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しつこく訳注です。。。プラブパーダのお話の中には「誕生」というのが何度も出てきますが、この場合の誕生は「お誕生日おめでとう」の誕生とはちょっと違います。これは子宮から出てくるという意味での誕生ですが、プラブパーダのおっしゃる誕生は魂が受胎してから母体の外に出てくるまでを指します。つまり、生まれてくるはるか前から体は死につつあるわけです。量子物理学の観点からこの現象を解説した論文などもありますので、興味のある方は参照なさると良いでしょう。すべての物質は毎瞬消滅し、創造されている、というものです。
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by ammolitering4 | 2009-09-17 03:37 | 「生は生より来たる」