霊的なヨガ 第10章 第4段落より

第4段落

シュリー・マドヴァーチャーリャが指摘なさるように、これらの四つのシュロカの要点は、人は感覚の満足のための欲望から行動するのではなく、かわりにいつも主への愛情を込めた奉仕にいそしむべきであるということです。言い換えると、バークティ・ヨガは解放への承認された道です。シュリーラ・マドヴァーチャーリャは次のようにアドヒャートマから引用なさいます。

(サンスクリット引用)

人は魂の利益のためだけに行動すべきです。ほかのあらゆる行いは放棄されるべきです。人がこのような状態にあるとき、その人は欲望がないと言われます。実際には、生命体は完全に欲望をなくすことはできません。しかし人が他のものではなく、ただ魂だけの利益を欲するとき、その人は欲望がないと言われます。

第5段落

霊的な知識はジナーナ・ヴィジナーナ・サマンヴィタムです。人が完全にジナーナとヴィジナーナを備えているとき、その人は完全です。ジナーナは人が至高の人格神ヴィシュヌを至高存在であると理解することを意味します。ヴィジナーナは、人を物質的な存在の無明から解放する行いを指します。シュリマッド・バーガヴァタムには次のように述べられています。(2.9.31)(サンスクリット引用)至高主に関する知識はとても頼りになるものであり(confidential, 秘密の、内々の、部下などが腹心の、打ち解けた)、それによって人が主を理解するところの至高の知識はすべての生命体の解放を促します。この知識がヴィジナーナです。主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(4.9)において確認しておられます。

(サンスクリット引用)

「私の現れと活動の超越的な性質を知る者は、体を去った後、この物質世界で再び生を受けることはありません。そのかわり、私の永遠なる住処に至ります、おお、アルジュナよ。」

第6段落

第9節において、主リシャバーデヴァは人が心の中の執着の結び目を緩めることを薦めておられます。そして、これらの説に列挙されている事柄はそれをするための方法です。不幸にして現代の世界ではほとんどすべての人が朝から夜までこれらの執着を強めるために忙しくしています。大きな大きな工場で昼も夜も際限なく(one shift after another)、、、この不必要に大変な重労働(ウグラ・カルマ)は、現代の文明の最も目立った特徴になりました。私たちはデトロイトでそのようなウグラ・カルマを見たことがあります。フォードの自動車を製造する組み立て工場で、ある男は単に自動車のハンドルを取り付けています。彼のそばには山のようにハンドルがあります。そshして他の人はタイヤを取り付けています。彼のそばにもタイヤが山積みです。自動車の部品はたくさんあります、、、3000個です。他のところには、人々が昼も夜も働いて自動車の様々な部品を作っている工場があるのです。そして最終的に部品はデトロイトの工場に送られ、そこで彼らは次から次へと車を組み立て、人々は大量の車を使っています。工場で昼も夜も働いたあと、人々は陶酔物を摂取することと不正な性交をすることによって自分自身をなだめようとします。これらのウグラ・カルマのすべてが人を無限の物質的な執着によって呪縛されたままにします。

第7段落

しかし、これらすべてのウグラ・カルマにも関わらず、人々は幸せではありません。彼らはウグラ・カルマからは幸せは得られないことを知りません。したがって、ここで主リシャバーデヴァは、発達の原則のひとつは(サンスクリット引用)、「物質世界ではどこにでも、高位の惑星にさえ悲惨さがあるのを見ることである」とおっしゃいます。クリシュナはバガヴァッド・ギーターで次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「最高位の惑星から最低位のそれまで、すべては悲惨な場所です。」そして(サンスクリット引用)とも言われます。「この物質世界は悲惨な場所であり、そこでは人生は一時的です。」

第8段落

ですから、私たちは自分の物質的な状態を様々な方法で向上させようとしていますが、それは究極的には不可能であることを知るべきです。もしも貧しい男が一生懸命に働いて莫大な富を築いても、それは彼が人生の危険な状態から自由であることを意味するのではありません。三重の悲惨さは、どこにでも存在しているからです。体と心に関係のある悲惨さがあり、他の生命体に起因する悲惨さがあり、自然の力によってもたらされる悲惨さがあります。そしてもちろんいつも生老病死という悲惨さがあります。

第9段落

これらの悲惨さはどれも物質的な体によって引き起こされ、その体の根源は偽りの自我です。この偽りの自我は、もしも私たちが主リシャバーデヴァがここに描写なさる方法を習慣付ければ、放棄することができます。(サンスクリット引用)最初の方法は、高度に発達した霊的指導者に服従することです。(サンスクリット引用)これが本当の宗教の始まりです。もしもあなたが資格のあるぐるを得ないならば、そうすればすべては偽物です。しかし、もしも幸運にもあなたが資格のあるグルと関わることができるなら、そうすればあなたは献身の念というつる草の種を受け取ることができます。主チャイタンニャは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「霊的指導者とクリシュナ両者の慈悲によって、幸運な魂は心の中に献身の念というつる草の種を受け取ります。」したがって、ここでクリシュナの化身であるリシャバーデヴァはおっしゃいます。(サンスクリット引用)「人は献身奉仕をまず霊的指導者に、そして次に私にささげねばなりません。」あなたは、霊的指導者をとばしてクリシュナに行くことはできません。中には、「私はクリシュナを知っている。グルは無しで、直接クリシュナのところに行こう」と言う悪者もいます。いいえ、それは可能ではありません。まずグル、それからクリシュナです。そして、もしも人が実際にグルと聖典によって与えられた教えに従うなら、そうすればこの物質世界を楽しもうという強い欲望は緩み、その人の物質的な悲惨さからの解放は保証されます。
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by ammolitering4 | 2009-07-06 08:48 | 「霊的なヨガ」


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