「霊的なヨガ」第8章

第8章 「性が呪縛の主な原因である。」

第1段落

(サンスクリット引用)

「男性と女性が互いにひきつけられることは、物質的な存在の基本的な原則です。男性と女性の心を結びつけるこの誤った考えに基づいて、人は自分の体、家、所有物、子供、親族、および富に惹きつけられます。このようにして人は人生の幻惑を増し、「私と私のもの」という考え方をします。」(SB5.5.8)

第2段落

性は男と女の間の自然な魅力として働き、彼らが結婚すると彼らの関係はもっと深くなります。男と女の間のからまって動きを取れなくするような関係のせいで、幻惑の感覚が生じ、人は「この男は私の夫である」あるいは「この女は私の妻である」と考えます。これはフリダヤ・グランシ、「心の中の堅い結び目」と呼ばれます。この結び目は、男と女がヴァルナースラマの原則に基づいて分かれる場合でも、単に離婚する場合でも、ほどくのが非常に難しいものです。どちらにしても、男はいつも女のことを考え、女はいつも男のことを考えます。こうして人は、家族や所有物や子供たちに物質的に執着するようになります。これらのすべては一時的であるにもかかわらずです。所有者は不幸にして自分の財産と富を自分だと考えます。時として、放棄階級となった後でさえ、人は寺院や、サンニャースィーの財産を構成する数少ないものに執着します。しかし、そのような執着は家族の執着ほど強くありません。家族への執着は、最も強い幻想です。サテャ・サムヒターには次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

時として、主ブラーマーのような卓越した人々の間では、妻や子が呪縛の原因とならない場合も見受けられます。対照的に、妻は実際に霊的な人生と解放を進めるのを助けます。ともあれ、ほとんどの人は物質的な関係の結び目で縛り付けられ、結果として彼らはクリシュナとの関係を忘れます。

第3段落

つまり、性的に惹きつけられることはアハム・マメティ、「私は私の体であり、私の肉体と関係のあるものすべては私のものである」という句に要約される幻想の始まりです。男は女を捜し求め、女は男を捜し求めます。そして彼らが性交を通して結びつくとき、物質的な幻想は非常に強くなります。これは制約された魂を厳格な法律の下に保つための自然の配剤です。以下のような記述があります。

(サンスクリット引用)

「人がクリシュナに対して有害となって感覚の満足を求めると同時に、その人は主の幻想エネルギーによって直ちに打ち負かされます。」これは国家の法律を破るようなものです。私たちには実際的な経験があります。国家の法律に従うことを拒否すれば、直ちに私たちは犯罪者となり、起訴と禁固刑の影響の下に置かれます。あなたが政府によって罰せられることなく国家の法律を無視することができないのと同じように、あなたは自然の法律によって罰せられることなくクリシュナの法律を無視することはできません。しかし、私たちは幻想の中にいるので、この懲罰を減らす努力が文明の進歩だと考えます。

第4段落

物質世界全体が男性と女性が互いに惹かれあうことに基づいています。この原則は人間の社会だけでなく鳥や獣や水中の生物や虫、、、どこででも機能しています。あなたは、オスの鳩がメスの鳩を見ると同時にオスが直ちに「来てください。結びつきましょう」と誘いを始めるのを見ます。これが自然のやり方なのです。したがって人間の社会ではヴェーダの知識によって、教育によって、私たちは性的な魅惑によってこの物質世界に縛りつけられているということを人々が理解しなければなりません。男性も女性も、どちらも享楽者でありたいと望みます。誰も「私は楽しまれよう」とは考えていません。誰もが「私が楽しもう」と考えています。誰も支配されたくはなく、誰もが支配者でありたいと望みます。これは幻想です。

第5段落

クリシュナ意識運動は、この「支配者になる」という考えを放棄して至高主クリシュナによって支配されるための方法を学ぶことを人々に教えています。幻想的な物質仕儀の考え方の正反対です。クリシュナは個人的においでになっておっしゃいます。「なぜあなたは支配者になろうとしているのですか。それは可能ではありません。私が支配者です。ただ私に服従しなさい。そうすればあなたは幸せになります。」(サンスクリット引用)しかし、もしもあなたが人工的に支配者でありたいと望むなら、そうすれば直ちにクリシュナの幻想エネルギー(マーヤー)があなたを罠にはめるために現れます。

第6段落

私たちは、この享楽者であって支配者であろうとする傾向が私たちのこの物質世界における呪縛の原因であることを知るべきです。私たちは、自分は生も死もない霊である(アハム・ブラーマースミ)ことを知るべきです。そして私たちは本来制約されるべきではありません。私たちはクリシュナの欠かすべからざる小片だからです。クリシュナには何らの制約もなく、本来の状態においては私たちにもまた何らの制約もありません。私たちはクリシュナのとても小さな粒子であるかもしれませんが、金の粒が金鉱の金塊の全ての性質を備えているように、私たちもクリシュナの性質のすべてを微量に備えています。私たちは、ヴェダーンタ・スートラの教えに従うとき、これらすべてのことに関する知識を得ることができます。(サンスクリット引用)「だから今、人は完全真理について問うべきです。」

第7段落

完全真理について問うて人生の問題への完全な解決策を見出す方法を学ばなければ、人の人生は動物のそれに優るものではありません。言い換えると、もしも人が人生の悲惨な状態に満足しているなら、その人は動物でしかありません。動物はなぜ自分が苦しんでいるのか理解できません。動物が屠殺場に連れて行かれるとき、もしも一頭の動物が屠殺場に入れば、全部の動物が簡単に入ります。彼らは自分たちが屠殺されるために入るのだと理解できません。これが幻想です。

第8段落

ここで主リシャバーデヴァは、人間にとって性が最も強大な幻想の原因であると教えていらっしゃいます。したがって、伝統的なヴェーダの教育は若い少年たちに性生活を避けること、ブラーマチャルヤの価値を教えました。「性生活にからまって動きが取れなくなってはいけません。それは良くありません。童貞でいるほうがよいのです。あなたは幸せになります。」しかし、もしも童貞のままでいることができないのなら、人は妻を娶り、猫や犬のようではなく紳士として、規制された家庭人として、すなわちグリハスサとして生きるのがよいのです。制限されない性の人生は人間の文明ではありません。

第9段落

グリハスサの人生には多くの規則や規制があります。グリハスサの人生はあなたがいつでも好きなときに性交することを許しません。そうではなく、月に一度、最も妊娠の可能性が高いときにします。そして、もしも妻が妊娠中であれば、それ以上の性交はありません。それがグリハスサの人生です。男と女が単に結びついて動物のように暮らすのではありません。それはグリハスサの人生ではなく、グリハメディーの人生です。グリハメディーは、結婚生活の規制と規律に従わない者です。彼は自分が妻と子供と家から得る喜びがすべてだと考えます。しかし、本物のグリハスサはサンニャースィー(放棄階級者)と同じくらいに良いのです。そのため、規律の規則に従う家庭人はグリハスサ・アースラマにあると言われます。アースラマとは霊的な人生が育まれるところです。グリハスサ・アースラマと普通の家の違いは何でしょうか。普通の家では、人はなんらの規律的な原則にも従いません。人の唯一の目的は性交と家庭生活などを楽しむことだからです。しかし、グリハスサ・アースラマにおいては人は規律された人生を送ります。人の本当の目的は自己認識、すなわちクリシュナ意識を培うことだからです。

第10段落

ですから、可能な限り私たちは性生活に絡まって動きが取れなくなることを避けるべきです。この避けることが本当の禁欲(タパシャ)です。主リシャバーデヴァは、禁欲を薦めることで説法を始められました。(サンスクリット引用)「おお、私の息子たちよ。超越的な禁欲を行いなさい。それによってあなたがたの存在は浄化されます。」そのような禁欲は性生活を避けることから始まります。(タパシャ・ブラーマチャーリェナ)しかし、クリシュナ意識はとてもすばらしいので、もしも人がその原則を非常に真剣に受け入れるなら、そうすれば誰もが、、、男も女も、結婚していてもいなくても、、、クリシュナをその人の主人、息子、友人、夫、あるいは恋人として、とても幸せでいることができます。このようにして、クリシュナ意識を培うにつれて、私たちは自分をこの物質世界として知られる幻想の銀河から救い出すことができます。そこには単に次から次へと苦しみだけがあるのです。
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by ammolitering4 | 2009-07-04 10:12 | 「霊的なヨガ」


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