クリシュナ意識への上昇 第4章 24段落から

第24段落

これが祈りの基準であるべきです。私たちは、ただ単にクリシュナの蓮の御足のもとに原子の一つとして置いてもらって主に奉仕ができることを望むべきです。皆が何らかの利益を求めて神に祈っています。たとえ私たちが「お金をください。助けてください。いい家を、いい妻を、いい食べ物をください」と祈っても、それも良いことです。しかし、それは主チャイタンニャ・マハープラブの祈りの基準ではありません。私たちの唯一の祈りは、主が私たちに何度生まれ川っても奉仕をさせてくださることです。私たちの祈りは、次のようであるべきです。「親愛なる主よ。あなたはとても偉大でいらっしゃるので、私はあなたにお仕えしたいと望みます。私はずっと多くの悪人たちに仕えてきましたが、満足していません。今、私はあなたのところに来ました。どうぞ私に奉仕をさせてください。」これが祈りの最後の言葉です。一部の人々は、神に祈るときに主の存在を感じないと不満を言います。私たちは、これは自分の能力のなさが原因であって、主のせいではないことを知るべきです。

存在の形には二つあります。物理的な形と振動の形です。物理的な形は一時的ですが、振動の形は永遠です。私たちがバガヴァッド・ギーターの中のクリシュナの教えの振動を味わうとき、あるいはハレ・クリシュナを’唱えるとき、これらの振動によって主は直ちに存在なさるということを私たちは知るべきです。主は絶対であり、そのため主の振動は主の物理的な存在と全く同じく大切なのです。私たちがクリシュナ、あるいは霊的指導者から離れているのを感じるとき、私たちはただ、彼らの教えの言葉を思い出そうとするべきです。そうすれば、私たちはもはや離れているとは感じません。クリシュナや霊的指導者とのそのような関わりは、振動による関わりであるべきであり、物理的な存在によるべきではありません。それが本当の関わりです。私たちは見ることに大変な重きを置きますが、クリシュナがこの地上においでになったとき、非常に多くの人が主を見ても主が神であると気がつきませんでした。それでは、見ることの利点は何でしょうか。クリシュナを見ても、私たちは主を理解できません。しかし、主の教えを注意深く聞くことによって、私たちは理解の水準に至ることができます。私たちは、音の振動によって直ちにクリシュナに触れることができます。したがって、私たちはクリシュナと霊的指導者の音の振動にもっと重きを置くべきです。そうすれば私たちは幸せに感じ、離れていると感じないでしょう。

第25段落

シュリマッド・バーガヴァタムから、私たちは、クリシュナがこの世界を去っていかれたときにアルジュナがひどく悲しんだけれど、バガヴァッド・ギーターの教えを思い出し始めたら慰められた、ということを理解します。アルジュナはずっとクリシュナの友人でした。ですから、クリシュナが御自分のお住まいにお帰りになったとき、アルジュナは非常に悲しみました。しかし、単に主の教えを思い出しただけで、彼は離別の痛みから救われました。このように、私たちが離別を感じるときはいつでも、教えを思い出すのが一番です。バガヴァッド・ギーターの教えは、彼の幸せのために、そしてすべての人の幸せのためにアルジュナに述べ伝えられました。これはクリシュナによって10章の初めに示されています。

(サンスクリット引用)

「おお、強大なるアルジュナよ。もういちど私の至高の言葉を聞きなさい。私はこれをあなたの利益のために伝えます。それはあなたに大きな喜びをもたらすでしょう。」(BG10.1)

第26段落

主クリシュナの言葉を聞いてそれらに注意深く従うことにより、私たちは世界の平和を得るだけでなく、至高の平和(パラーム・サーンティム)をも得るでしょう。必要とされるのは、私たちがクリシュナの蓮の御足に救いを求め、主の栄光を唱えることと、このクリシュナ意識運動を世界中のすべての町と村に広めることによって主に奉仕することだけです。クリシュナは、そのような服従によって自動的にへ宇和と永遠の生命が得られると約束していらっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、バーラタの末裔よ。主に全面的に服従しなさい。そうすれば、主の恵みによってあなたは超越的な平和と永遠の住処を持つことができます。」(BG18.62)

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やっと第4段落が終わりました。あとは第5段章をタイプするのと、第6章を翻訳・タイプするのが残っています。肩がこるので、休憩しながらやってます。achaさん、お元気ですか。
by ammolitering4 | 2009-06-06 09:53 | 「クリシュナ意識への上昇」


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