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クリシュナ意識への上昇 第4章12段落途中から

第12段落途中から

クリシュナはプータナーに大変親切でいらしたので、彼女が乳を与えることを湯rしました。しかし、彼女の乳房を含んだとき、主は毒だけでなく彼女の命をも飲み込まれました。プータナーは死んで地に倒れ、直ちに本来の悪魔的な姿に変わりました。つまり、これが神なのです。母の膝の上にあって、主は神でいらっしゃいます。主は瞑想や苦行や禁欲や規律や規制に従うことで神になる必要はありません。主は本質的に(substantially、実質的に、大いに)、かつ永遠に神であり、主は何もすることがありません。もしも誰かががあれやこれやの神像を崇拝したり瞑想したりして神になれると主張するなら、私たちは直ちにその人は神(GOD)ではなく犬(DOG)であると理解するべきです。神を理解するうえで、私たちはヴェーダの結論だけを受け入れるように注意を払わなければなりません。(サンスクリット引用)「主には何もすることがない。」なぜ神が神になるために何かをしなければならないでしょう。もしも私たちが金を作り出すなら、それは人工的な金です。本物の金ではありません。金は自然なものであり、同様に神も自然なものです。子供時代の娯楽において、母の膝の上で、主は神であられます。友人の男の子たちと遊んでいらっしゃるとき、主は神でいらっしゃいます。踊っておいでになるとき、主は神でおられます。クルクセトラで戦われているとき、主は神でおわします。妃たちと結婚なさったとき、主は神でおいでになります。そして、お話しになっているとき、主は神です。神を理解するのに難しいことはありません。私たちがしなければならないのは、クリシュナのおっしゃることに耳を傾けることだけです。

第13段落

バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナはアルジュナにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「私はすべてのものの源です。私から創造全体が流れ出ます。これを知り、賢い者は心のすべてをもって私を崇拝します。」(BG10.8)

第14段落

これは、シュリー・クリシュナが主シヴァの源泉であって、ヴィシュヌとブラーマーと、もちろん他の半神たちと他の生物たちの源であるということを意味します。主はさらにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「この制約された世界にいる生命体は私の微細な一部であり、彼らは永遠です。しかし、制約された生活のために彼らは心を含む六つの感覚に大変な苦労をしています。」(BG15.7)

第15段落

ブラーマ・サムヒターの中で、主ブラーマーは、もしも私たちが主を探しているなら、ここに神がおいでになる、と説明なさいます。

(サンスクリット引用)

「私は太古の主ゴヴィンダを崇拝します。主はシャーマスンダラ、クリシュナご自身であり、計り知れない無数の特質をお持ちです。純粋な献身者は、愛の膏薬を塗られた献身の目で、心の奥底に主を見ます。」(Bs 5.38)

第16段落

ヴェーダ文献の中には、あちこちに同様の描写があります。しかし、クリシュナが至高神であることは12人の基準となるアーチャーリャたち(ブラーマー、ナーラダ、シヴァ、ビーシュマ、クマーラたち、カピラ、マヌなど)およびヴャーサ、デヴァラその他多くの献身者たちによって確認されているにも関わらず、悪人たちや悪魔たちはとても頑固なので、主を受け入れることを拒否します。主チャイタンニャ・マハープラブもまた、クリシュナが至高神であると確認しています。また、シュリマッド・バーガヴァタムには神のすべての化身が列記されており、最後には、この表に現れるクリシュナという名前が至高の人格神を指しており、他のすべての名前は顕現あるいは化身を表すのである、と結論づけられています。(サンスクリット引用)他のすべての神の名前は、神の一部であるか、一部のさらにその一部です。部分はアムサと呼ばれ、部分の部分はカラーと夜bれます。生命体として、私たちはアムサです。しかし、私たちはとても微細なアムサです。他のすべてはアムサかカラーですが、クリシュナはバーガヴァーン・スヴァヤム、至高の人格神です。

第17段落

私たちの祈りは、他の誰でもなく、至高の人格神に向けられるべきです。したがって、私たちはブラーマーと共に祈ります。

(サンスクリット引用)

「私は太古の主ゴヴィンダ、最初の先祖を崇拝します。主は牛の世話をなさっており、すべての望みを叶え、霊的な宝石で建てられたお住まいにおいて、無数の「望みを叶える木」に囲まれ、いつも大いなる崇敬と愛情をもって何百人何千人ものラクシュミー、あるいはゴピーたちが仕えています。」(Bs5.29)

第18段落

ここでクリシュナは最初の人格(アーディスルシャム)と呼ばれています。私たちは皆、人格(person)です。私たちの父は人格でした。ですから私たちも人格です。もしも私たちが自分の父の父へと遡れば、その人もまた人格であったことが分かります。そして、その人の父もまた人格であり、このようにして、この宇宙で初めて作られた人格である主ブラーマーに至るまで、皆が人格であったことが分かります。さらに、私たちは主ブラーマーの父ヴィシュヌもまた人格であることを知ります。皆が人格であり、クリシュナは至高の人格です。
by ammolitering4 | 2009-05-30 12:13 | 「クリシュナ意識への上昇」


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