クリシュナ意識への上昇 第3章13段落より

第13段落

クリシュナに奉仕をすることで物質自然を超越するとき、私たちの位置づけはどうなるでしょうか。私たちはゼロになるのでしょうか。いくつかの哲学は、物質生命から解放された後、すなわちこの物質的な体のニルヴァーナの後、私たちはゼロ、無になると主張します。これは危険な理論です。本質的に生命体は無にはひきつけられません。病気があって様々な症状に苦しんでいても、もし医者が来て「殺して苦しみを終わらせてあげましょう」と言えば、私たちは直ちに「いいえ、いいえ!病気で苦しむほうがマシです」と言います。私たちは、単に苦しみを終わらせるために殺されたくはありません。このように、物質の生命の後には無があるという理論は、まったく魅力的ではありません。事実でもありません。私たちはサック・スィッド・アーナンダ・ヴィグラハ、永遠で喜びに満ちて知識に溢れていて、至高存在の欠かすべからざる小片です。至高主はサック・スィッド・アーナンダ・ヴィグラハであり、私たちは質的には主と同一です。一滴の海水は、とても小さいとはいえ、海と同じ塩辛さをもっています。そして私たちは霊的な原子に過ぎませんが、至高の霊的全体と同じ性質を持っているのです。

無であるということは有り得ません。生命体として、私たちの霊的な性質はすべて無限の多様性の中に存在するからです。しかし、もしも物質存在に於ける苛立ち(フラストレーション)から自殺をすれば、私たちは(それで)自分の悲惨さを終わらせはしません。私たちは単に他の悲惨さを作り出します。もし人が自殺を試みて失敗すれば、あるいは何らかの方法で蘇生されれば、その人は法律によって罰せる対象となります。同様に、自然の法則は自殺を犯罪行為と見なします。私たちは本当の永遠なる喜びに満ちた人生を発見した後にだけ、この物質的な人生を終えることになっているのです。私たちは、単にフラストレーションからこの人生の悲惨さを終わらせようとするべきではありません。そうではなく、私たちは自分を霊的な人生に上昇させる活動にいそしむべきです。

第14段落

人間社会の四つの区分は、この上昇の過程を容易にするためにシュリー・クリシュナによって作られました。学生が初級クラスから上級クラスに上げられるように、労働(チャートゥル・ヴァルニャム)の区分は私たちを一番下の意識の水準からクリシュナ意識の一番上の水準まで引き上げるように作られています。この過程は協調の過程です。人間の体において、最も大切な部分は頭です。そして、腕、胴体、脚があります。頭が最も大切とはいえ、脚や他の部分をおろそかにすることはできません。同様に、人間社会の区分においても、どの一つの部分も他の部分を必要としないほど重要ではありません。これらの区分のうち、ブラーマナは学識のある階級、教師の階級と考えられます。クシャトリヤは管理と軍務の階級です。ヴァイシャは商業と農業の階級です。そしてスードラは一般労働者の階級です。正しく運営される社会には、これらすべての階級が必要とされます。もしも彼らがクリシュナ意識への進歩において協力すれば、彼らの中に葛藤はありません。

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少しずつですみません。今日はここまでです。
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by ammolitering4 | 2009-05-26 07:43 | 「クリシュナ意識への上昇」


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