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「姿を変えたハレ・クリシュナ」より

先日お話ししていた論文から、一部をご紹介しようと思います。「姿を変えたハレ・クリシュナ」という論文です。
'Hare Krishna Transformed' by E.Burke Rochford Jr. , 2007, New York University Press

本文だけで200ページ以上あるので、もちろんここで何行かで説明することはできません。でも、女性に関しては主にどういうことを述べているのか、考えてみました。プラブパーダがアメリカに渡り、霊的にすっかり迷っていたヒッピーたちを虜にしました。それですっかり汚れたヒッピーの生活から立ち直った人たちも多くいました。

霊的な進歩のためには男女が互いに惹かれあっているのは妨げになるので、男性と女性が当たり前に交じり合うアメリカ文化の人々に対して、プラブパーダは「女性と男性は火とバターのようなもの。関わることで霊的な進歩が妨げられないように、何らかの規制が必要だ」と考えておられました。(P.55)

プラブパーダは教えに対してこれほど多くの女性たちから反響があるとは予期していらっしゃいませんでした。考えてみたら、仏教だってキリスト教だって厳しい修行をするお坊さんは男性が多いし、女性の修道僧は尼寺に行きます。でも、ハレ・クリシュナのお寺は大勢の女性たちで埋まるようになり、せっかくドラッグもフリーセックスも絶って清らかな修行に励もうと思っていた男性たちから不満の声が上がりました。

これに対して、プラブパーダは答えました。「感覚を制御できないなら、一人で森に住むべきである。彼女らもまた生命体である。クリシュナのもとにやってくる者を退けることはできない。男性信者たちがクリシュナ意識を強固にすれば何も問題はない。」(P.129)

多くの女性が寺院にやってくることについて、プラブパーダは「どうしたものか」とも思っていらしたようです。皆受け入れなければならないが、彼女たちには守ってくれる人が必要だ、すなわち、夫が必要だ、という懸念です。女性にとっては、信心深い男性と結婚することはクリシュナ意識に’おいて進歩するための助けとなることでした。でも、男性にとってはそれは霊的な弱さを意味したのです。これが問題の根源にありました。「もちろん、(男性信者は)結婚しないほうがいい。しかし、多くの女性がやってくる。彼女らを退けることはできない。」(P.57)

プラブパーダが「女性と関わると男性は感覚をコントロールできなくなる」というお話をなさったあと、ある寺院では男性信者が女性信者に対して非常に意地の悪い態度をとるようになりました。短絡的というか、何と言うか、、、ともあれ、女性信者たちがプラブパーダに不満を訴えると、プラブパーダは男性信者たちを呼んで説教なさいました。「あれは物質的なことにとらわれている女性たちの話だ。ここにいる信者の女性たちの話ではない。彼女たちは天使だ。」(P.131)

プラブパーダの文章や発言には、女性差別と受け取られても仕方のない内容が多いことは確かです。ある女性信者の在席している前で、プラブパーダは「女性と政治家を信用するな」という節を引用なさいました。それは4回の別々の説教においてなされ、どのときもプラブパーダは彼女を見て反応を見るような素振りをなさいました。4回目のとき、とうとうプラブパーダは彼女に直接「どう思う?」と聞かれました。彼女が「もちろんその通りです」と答えると、プラブパーダは暗い顔になって「 しかし、あなたは女性ではない。ヴァイシュナヴァ(クリシュナに仕える魂)だ。」とおっしゃいました。(P.131)

1974年、まだプラブパーダがご存命のとき、ある寺院では女性がギータのクラスを開くことが禁止されました。女性信者たちはプラブパーダに手紙を書き、次のような返答をもらいました。「女性もクラスを開いてよい。女性も上手に説教をする。女性の体も男性の体も、外側の区別に過ぎない。主チャイタンニャは、誰であれクリシュナの科学を知る者はグルとして受け入れられるべきだ、とおっしゃいました。クラスをする資格があるかどうかは、その人がクリシュナをどれくらい理解して教えに従っているかによる。男か女かではない」(P.129)

プラブパーダご自身が女性に対して深い愛情と尊重を持って接したことは、実際にプラブパーダと直接関わった多くの女性信者たちの証言によって証明されていると思います。女性を見下しているように見える表現は、男性信者たちによって誤解・曲解され、差別に利用された、というのがプラブパーダを直接知る彼女たちの共通する認識であるようです。(P.131)

この矛盾は面白いものだなと思います。普通は、偉そうなことを言ったり書いたりするけど実際の行動が伴わないと思うのです。「女性は男性ほど賢くない」とたびたび発言しておきながら、「それは差別だ」という声に対して、身近にいた女性たち自身から「それはそういう意味ではないのです」と守ってもらっているプラブパーダ。。。

書物の中の差別的な発言については、削除すべきかどうかという議論が今も続いています。でも、削除すると書物の信頼性そのものが損なわれるので、これはプラブパーダの人間としての避けられない不備であったとして容認し、実際のご本人の平等で敬意ある言動を見習うべきだ、という主張があります。

プラブパーダに直接お会いすることのできた人たちって、よっぽど過去に徳を積んでいらしたのでしょう。我が身を振り返ると、御本にめぐり合えただけでも身に余る幸運だなあと、ほんとに思います。。。
by ammolitering4 | 2009-05-19 09:08 | ハレ・クリシュナ運動


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