クリシュナ意識への上昇

途中までですが、どうぞご覧ください。原文はこちらにあります。
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クリシュナ意識への上昇
Elevation to Krishna Conciousness

第一章「人間の生活と動物の生活から選択する」

第一段落

(サンスクリット引用)

「私は霊的指導者に謹んで敬意を捧げます。彼は無明の闇で閉じられていた私の目を知識の松明の灯りで開いて下さいました。」

第二段落

超越的な知識の事柄について弟子を啓蒙する霊的指導者に対しては、この節と共に敬意を表する習慣があります。ヴェーダのプロセスは調査研究を必要としません。世俗的な学問においては、私たちは何らかの研究によって理論的な学識を証明しなければなりませんが、ヴェーダのプロセスは違います。ヴェーダのプロセスにおいては、調査研究は既になされています。それは完全であり、単に師から生徒へと師弟継承によって手渡されるのです。調査研究の余地は全くありません。人がそのような研究を行うのに用いる機器や手段は、鈍くて不完全だからです。

第三段落

私たちの物質的な存在の現在の段階では、私たちは多くの自然の法則によって制約されています。すべての制約された魂は、感覚の不完全さに起因する四つの欠陥を運命づけられています。一つの欠陥は、制約された魂は必ず間違いを犯すということです。間違いを犯さない人はいません。たとえば、インドではマハートマー・ガンディーは大変素晴らしい名士であると考えられていましたが、彼も間違いを犯しました。殺されることになった会合へ行く5分前に、彼は信任の厚い仲間から行かないように警告されました。しかし、彼はどうしても行くと言い張りました。間違いを犯すのは、生命の制約された状態においては大変自然なことです。実際、よく使われる「過ちを犯すは人の常」という表現が生まれたほどです。

第四段落

制約された魂のもう一つの不完全さは、必ず幻惑されるということです。幻惑されるというのは、そうでないものをそうであるとして受け入れること、去来する幻想を事実と考えることを意味します。私たちの一人一人は、自分はこの体であると思っています。しかし、実際には私たちは体ではありません。体を自己として受け入れることは、幻想、すなわちマーヤーと呼ばれます。

第三の不完全さは、制約された魂は騙す傾向があるということです。私たちは、店の主人が次のように言うのをよく耳にします。「あなたは私の友人ですから、私はあなたからは利益を上げません。」しかし、実際には私たちは彼が少なくとも50%の利益を上げていることを知っています。この騙す傾向の例は非常にたくさんあります。また、本当は何も知らないのに「多分」や「かもしれない」などの言葉を使って理論を発表する教師の例もたくさんあります。実際には、彼らは単に生徒を騙しているのです。

第四の不完全さは、生命体の感覚は完全ではないということです。私たちの視力はとても限られているので、あまり遠いところやあまり近いところは見えません。目はある条件の下でのみ見ることができるのです。したがって、私たちの視力は限られていると理解できます。同様に、私たちの他のすべての感覚もまた限られています。無限なるものをこれらの不完全で限られた感覚によって理解することは不可能です。結論は、ヴェーダのプロセスは私たちが自分の様々に制約された現在の感覚を使って完全真理を学ぼうと努力することを奨励しない、ということです。もし私たちが何がしかの知識を得るなら、それはこれらの四つの不完全さによって制約されていない優位の源から来るものでなければなりません。その源がクリシュナです。主はバガヴァッド・ギーターの至高の権威であり、非常の多くの聖者や賢者によって完璧な権威として受け入れられています。

第五段落

ヴェーダ文献を真剣に学ぶ者は、権威を受け入れます。たとえば、バガヴァッド・ギーターは多大な調査研究の成果として形成された学究的な発表作品ではありません。それはクルクシェトラの戦場で主クリシュナがアルジュナにお教えになった完全な知識であり、私たちはそこから次のことを知ります。すなわち、(現在のカリの時代よりも)以前の時代において、シュリー・クリシュナはバガヴァッド・ギーターを太陽神ヴィヴァスヴァーンにお教えになり、それははるかなる太古からヴィヴァスヴァーンに始まる師弟継承によって伝えられてきました。

(サンスクリット引用)

「聖なる主はおっしゃいました。“私はこの不滅のヨガの科学を太陽神ヴィヴァスヴァーンに伝えました。そしてヴィヴァスヴァーンはそれを人類の父であるマヌに教え、次にマヌはそれをイクシュヴァークに教えました。”」(BG4.1)

第六段落

もし私たちがバガヴァッド・ギーターを学究的な知識や自分の精神的な推量によって学ぶなら、私たちは必ず間違いを犯します。バガヴァッド・ギーターをそのような方法で学ぶのは不可能なのです。注意深くアルジュナの足跡を辿ることが必要です。以前の時代には、解釈と精神的な推量によって、バガヴァッド・ギーターの本当の意味が見失われました。そのため、クリシュナはそれをアルジュナに与えることで再び教えを確立なさいました。

(サンスクリット引用)

「この至高の科学は、このように師弟継承によって受容されました。そして、聖人的な王たちは、そのようにして理解しました。しかし、時が経って継承は途切れ、そのためありのままの科学は失われたように見えます。至高存在との関係という非常に古い科学が、今日、私からあなたに語られます。あなたは私の献身者であり、私の友でもあるからです。したがって、あなたはこの科学の超越的な神秘を理解することができます。」(BG4.2.3)

第七段落

このように、アルジュナの足跡を辿り、献身の念を持ってクリシュナに近づく者は、バガヴァッド・ギーター並びに他のすべてのヴェーダ文献の目的を理解することができます。

第八段落

ヴェーダには四つあります。サーマ、リク、ヤジュール、そしてアサルヴァです。そして、イソパニシャッド、カサ・ウパニシャッド、およびタイティリヤ・ウパニシャッドを含む108のウパニシャッドがあります。また、ヴェダーンタスートラ、シュリマッド・バーガヴァタム、およびバガヴァッド・ギーターがあります。これらの文献は、ある特定の階級の人々のためのものではなく、人類の社会のすべてのために存在します。すべての社会が人間の人生を完全なものとするためにヴェーダの知識を利用することができます。前に指摘したように、人間の人生は感覚を満足させるためにあるのではなく、神と宇宙と、自分が誰であるかを理解するためにあります。

第九段落

ヴェーダ文献から、この物質世界は単に神の創造全体の一部の顕現に過ぎないことを理解することができます。神の創造の大部分は、ヴァイクンサという霊的な世界に見られます。シュリー・クリシュナがバガヴァッド・ギーターにおいて述べておられるように、この物質的な自然を超えたところに優性なる霊的な自然が存在します。

(サンスクリット引用)

「土、水、火、空気、エーテル、精神、知性、および虚偽の自己、これらの八つが私の離れた物質エネルギーを形成します。この劣性の自然のほかに、おお、強大なるアルジュナよ、私の優性なるエネルギーがあります。それは物質自然の中で苦しみ、宇宙の重さに耐えているすべての生命体です。」(BG7.4.5)(訳注、最後の一文は「宇宙を維持している(sustain)すべての生命体」とも読めますが、文脈からいって「sustaining (the weight of ) the universe, 宇宙(の重さ)に耐える」としたほうが意味が通じるように思います。)

第十段落

多くの物質的な宇宙が群れをなして存在し、これらすべての宇宙が物質的な創造を形成しています。これらの無数の物質宇宙群の向こうにあるのが霊的な天空であり、それはバガヴァッド・ギーターにも記述があります。

(サンスクリット引用)

「その私の住処は太陽や月で照らされてはおらず、電気でも照らされていません。そして、そこに至った者は誰であれ二度とこの物質世界には戻りません。」(BG15.6)

第11段落

この物質自然を超えたところにあるその優性の自然は永遠です。それが始まったという歴史はありません。それは始まりも終わりもないのです。

(サンスクリット引用)

「もう一つの、永遠の自然が存在します。それは、この顕現したりしなかったりする物質を超越しています。それは至高であり、決して滅びることがありません。この世界のすべてが滅ぼされるとき、その部分はそのままで変わりません。その至高の状態は、非顕現にして決して誤ることがない、と呼ばれ、最高の目的地です。そこに至ると、その私の至高の住処から人は決して戻りません。」(BG8.20.21)

第12段落

ヴェーダの宗教、すなわちヴァルナースラマ・ダールマもまた、永遠と呼ばれます。誰にもその始まりを見つけることができないからです。キリスト教徒の宗教は二千年の歴史があります。イスラム教徒の宗教は千三百年の歴史を持っています。しかし、もし私たちがヴェーダの宗教の始まりを辿ろうとすると、それを見つけることはできません。ヴァルナースラマ・ダールマは生命体の永遠の宗教として受け入れられています。

第13段落
私たちはしばしば神がこの物質世界を創造なさったと言います。そしてこれは神が世界の前に存在していたことを意味します。この物質顕現の前に存在していらしたので、主はこの創造の影響を受けることはありません。もしも物質世界の法則の影響の下にあるなら、どうして神がそれを創造したということがあり得るでしょうか。主が同時に、ご自分の創造と同一であって、なおかつそれから離れてご自身の完全性の中に存在なさる、ということは、バガヴァッド・ギーターに述べられています。

(サンスクリット引用)

「私の超越的な形において、私はこの創造すべてにあまねく存在します。すべてのものは私の中に存在していますが(resting in Me)、私は彼らの中にはありません。しかしまた、創造されたもののすべてが私に拠り頼む(rest on Me)わけではありません。私の神秘的な栄光を見なさい。私はすべての生命体を維持するものであり、あらゆるところに存在しますが、それでも私自身が創造の源そのものなのです。」(BG9.4.5)

第14段落

実際には、私たちは皆霊魂であり、無数の霊的な惑星と無数の霊的な生命体が存在する霊的な天空において神と関わりを持つのが本来の姿です。しかし、その霊的な世界に住むのにふさわしくない者は、この物質世界に送られます。まさにこれと同じ概念がミルトンの「失楽園」にも表されています。霊魂であるにも関わらず、私たちは自発的にこの物質的な体を受け入れました。そして、それを受け入れることによって同時に物質自然の三重の悲惨さをも受け入れました。正確にいつそれを受け入れたのか、そして、どうやってそうするに至ったのかは、辿ることができません。制約された魂が最初にこの物質的な体を受け入れ始めたのはいつなのか、誰にもその歴史を辿ることはできないのです。

第15段落

現在では、高等学習の機関ではダーウィンによる有機物質の進化の理論が非常に突出しています。しかし、パドマ・プラーナや他の権威ある聖典には、生命体が一つの形の体から別の形の体へと霊的な進化をするという情報があります。このプラーナは、生命体には840万の異なる形があり、そのうち90万は水中に棲む、と私たちに知らせています。植物だけでも200万あります。現在では誰もがダーウィンの理論に重点を置いていますが、ヴェーダ文献には異なる種に関する莫大な情報が存在します。ダーウィンは、種は下位の生命体から進化しているという意見を表明していますが、それは真実のすべてではありません。魂は低位の形から高位の形へと向上するかもしれませんが、バガヴァッド・ギーターに示されているように、創造の始まりにおいてすべての種はシュリー・クリシュナによって創造されたのです。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ、(ブラーマの)千年(millennium)の終わりにすべての物質顕現は私の自然の中に入り、そして次の千年の始まりのときに私は自分の力で再び創造します。宇宙秩序の全体が私の下にあります。私の意志によってそれは繰り返し顕現し、私の意志によって最終的に滅亡します。」(BG9.7.8)
by ammolitering4 | 2009-05-13 14:52 | 「クリシュナ意識への上昇」


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