完璧な問い、完璧な答え 第7章 -2

SP同様に、創造全体の中心的な胃は神、すなわちクリシュナです。彼が享楽者であり、友であり、至高の所有者としてすべての者を維持しています。ちょうど王が所有者なので国全体の国民を維持できるようなものです。所有者でなくして、どうしてすべての人の友になれるでしょう。これらのことを理解しなければなりません。クリシュナは享楽者であり、クリシュナは所有者であり、クリシュナは友です。もしあなたがこれらの三つのことを知っているなら、あなたの知識は完全です。それ以上のことを知る必要はありません。(サンスクリット引用)もしあなたがクリシュナを単にこれらの三つの公式によって理解するなら、あなたの知識は完全です。あなたにはそれ以上の知識は必要ありません。しかし人々は同意しません。「なぜクリシュナが所有者であるべきでしょう。ヒトラーが所有者であるべきです、ニクソンが、、、」そういうことが起こっているのです。だからあなた方は苦労しています。しかしこれらの三つのことだけを理解するなら、あなたの知識は完全です。しかしあなたは受け入れません―――あなたはこれらの三つのことを理解するのにたくさんの妨害物を差し出します。そしてそれが私たちの苦労の原因なのです。しかし、バガヴァッド・ギーターにはそのことは明白に述べられています。(サンスクリット引用)「私をすべての犠牲と苦行の至高の目的として、すべての惑星と半神たちの至高主として、そしてすべての生命体に恩恵を施して幸せを望む者として知っている賢人たちは、物質的な惨めさの苦しみから逃れて平安を得ることができる」しかし私たちはこの方法を取りません。私たちは非常に多くの偽りの所有者、偽りの友、偽りの享楽者を差し出し、彼らは互いに争います。これが世界の状況なのです。もしも教育がなされて人々がこの知識を受け入れれば、ただちに平和が訪れます。(サンスクリット引用)これが知識であり、もし人がこの原則に従うなら、それは正直な人です。その人は「これは私のものです」と主張しません。彼はすべてを知っています。「ああ、これはクリシュナのものだ。だから何でもクリシュナへの奉仕のために使われるべきだ」それが正直さです。もしこの鉛筆が私のものであれば、エチケットは―――私の生徒たちはときどき「この鉛筆を使ってもよろしいですか」と尋ねます。すると私は「どうぞ」と答えます。同様に、もし私がすべてはクリシュナのものだと知っていれば、私はクリシュナの許可を得ずしては何も使いません。それが正直さです。そしてそれが知識です。知らない者は無明です。愚かなのです。そして愚かな者は犯罪行為をします。すべての犯罪者は愚かな者です。無明であるから法律を破るのです。無知は幸せではありません。(訳注、英語には「無知は幸せ」という諺があり、それを否定した表現です。「知らぬが仏」にあたります)しかし、無知が幸せであるところでは知恵ある者であることは愚かです。それが難しいところです。世界中が無明を楽しんでいます。そしてクリシュナ意識について語るとき人々はあまり喜びません。もし私が「クリシュナが所有者です。あなたは所有者ではありません」と言うと、あなたはあまり満足しないでしょう。(人々、笑う)御覧なさい―――無知は幸せなのです。ですから本当のことを言うのは私の愚かさです。したがって、無知が幸せであるところでは知恵ある者であることは愚かです。私は人々の気分を害する危険を冒しており、人々は私たちが愚か者であると思います。もし私が金持ちの人に「あなたは所有者ではありません。クリシュナが所有者です。だからあなたが持っているお金はすべてクリシュナのために使いなさい」と言うと、その人は怒るでしょう。(サンスクリット引用)「もしあなたが悪党に説教をすると、その人は腹を立てるでしょう」だから私たちは物乞いとして行くのです。「旦那様、あなたは大変素晴らしい方です。私はサンニャーシー(放棄階級)の物乞いです。私は寺を建てたいのです。いくらかのお金を恵んでくださいませんか?」そうすると彼は「おや、物乞いがやって来た。いくらかのお金を恵んでやろう」と考えます。(人々、笑う)しかし、もし私が「旦那様、あなたは好きなようにできるお金を山ほど持っておいでです。それはクリシュナのお金です。私に渡しなさい。私はクリシュナの従者です」と言えば、おお、彼は一体どんな、、、(皆、笑う)彼はあまり満足しないでしょう。一方で、もし私が物乞いとして行けば、彼は何かくれるでしょう。そしてもし私が彼に本当のことを言えば、彼はビタ一文くれないでしょう。(人々、笑う)私たちは彼に私たちは物乞いだと思いこませます。私たちは物乞いではありません。私たちはクリシュナの従者です。私たちは誰からも何も求めません。クリシュナがすべてを与えてくださると知っているからです。
Bおお、、、
SPこれが知識です。例えば、子供はときどき大切なものを取ってしまいます。だから私たちは子供にお世辞を言わねばなりません。「おお、あなたはとても良い子です。このノドアメをあげるから、その紙を私にくださいな。それはつまらない物、ただの紙切れです。」すると子供は「はい、どうぞ。おいしそうだ」と言うでしょう。2パイサ(訳注、1パイサは百分の一ルピー、極めて小額)のノドアメ―――とてもおいしくて甘い。こういうことをしなければならないのです。なぜでしょうか?なぜなら、人はクリシュナのお金を取ることで地獄へ行くからです。なんらかの方法でその人からお金を取り、クリシュナ意識の運動に参加させるのです。
Bそして、そうすればその人は地獄へ行かずにすむのですか?
SPそうです。あなたはその人を地獄へ行くことから救います。クリシュナのために使われた一文は数えられるからです。「おお、この人は私に一文をくれた。」これはアジニャータ・スクリティ(知らずに行った霊的な行い)と呼ばれます。彼らは考えが非常に浅いのです。したがって、霊的に秀でた人々は彼らを啓蒙するために動きます。彼らに機会を与えるためです。彼らにクリシュナに仕える機会を与えるのです。それが霊的に秀でた人の義務です。
Bそれが何だとおっしゃいましたか?
SPそれが義務なのです。しかし、もし霊的に秀でた者が誰かからお金を取ってそれを自分の感覚の満足のために使えば、そうすればその人は地獄に行きます。そうなればお終いなのです。彼は詐欺師、本当に犯罪者です。人は誰からでも一文でもお金を取って自分の感覚の満足のために使ってはなりません。
B私はクリシュナ意識でない知人たちのことを考えています。
SPクリシュナとは神を意味します。
B彼はほんの少しだけ神を意識しています。しかし、それでもこの人たちはとても正直で、他の人のものは全く取りません。そして彼らは他の人たちに対して正直であろうと努めます。こういう人たちは、、、
SPその人は他の人たちからは取らなくても神からは取ります。
Bでは、この人たちは半分くらい良いのですか?
SPふむ?
Bこの人たちは、それでは半分くらい良いのですか?
SPよくありません。もし人がこの原則を―――神が所有者であるという原則を学ばないなら、、、他の人の物?「他の人の物」とはどういう意味なのですか?
Bつまり、私が思い浮かべている人々というのは―――その人たちは貧しくてお金と食べ物が必要ですが、しかし―――
SP誰もがお金を必要としてます。皆が必要なのです。誰が貧しくないでしょう。ここにはたくさんの紳士が座っています。誰がお金と食べ物を必要としないでしょう。あなたもまた、お金と食べ物が必要です。では、どうやって貧しい人と豊かな人を区別できるでしょう。皆が必要なのです。もしそれがあなたの定義であれば、、、もし誰かがお金と食べ物を必要とすることが貧しいということであれば、では、すべての人がお金と食べ物を必要とするのです。だから皆が貧しいのです。
Bはい、でも、あの―――私はただ、相対的に貧しい人たちのことを考えていたのです。
SP相対的、相対的、そうかもしれません。あなたが私よりお腹を空かせている。それはあなたが空腹でないとか、私が空腹でないとかいうことを意味するのではありません。私は今は空腹を感じていません。それは私が空腹を感じないとか、空腹でないということを意味するのではありません。今のところはあなたは空腹でないかもしれません。しかし明日にはあなたは空腹になるでしょう。
B私が感じるのは―――なぜかこの人たちは―――その、、、その人たちの周りの人たちは皆盗みを働いているかもしれませんが、でも彼らはそれでも毅然として、盗みません。この人たちには何かしら良いことが起きてしかるべきです。
SPしかし、自分は泥棒ではないと思っている者もまた泥棒です。その人はすべてがクリシュナのものであると知らないからです。したがって、彼が受け取っているものは何であれ盗んでいるのです。
Bその人はあまり泥棒ではないとは言えますか?
SPあなたは私がこの包み紙の所有者であると知らないかもしれません。しかし、もしあなたがそれを持ち去れば、あなたは盗んでいるのではありませんか?
Bしかし、もしかしたら、もし私がそれはあなたの物であると知って取ったら、誰のか知らないで取るときよりも、私はより悪い泥棒であるかもしれません。私はただ、それは誰のものでもないと考えて取るのです。
SPそれもまた盗むことです。誰かのものであるに違いないからです。そしてあなたはその誰かの許可なく取ります。あなたは誰が所有者であるかはっきり知らないかもしれません。しかし、あなたは「誰かのものであるに違いない」と知っています。それが知識です。ときどき私たちは道に多くの貴重なものが放置されているのを見かけます―――道路を補修するための政府の資材や何かの電気器具などです。ある人は「おや、幸いにしてここにこんな物が落ちている。貰っておこう」と思うかもしれません。これは盗むことではありませんか?
Bそれは盗むことです。
SPその通りです。彼はこれがみな政府の資材であると知りません。彼はこれを持ち去ります。それは盗むことです。そして彼は見つかると逮捕され、罰せられます。同様に、何であれあなたが自分のものにする物―――例えば、あなたが川からコップ一杯の水をくんで飲むとしましょう。川はあなたの所有物ですか?
Bいいえ。
SPでは、それは盗むことなのです。あなたは川を作りませんでした。あなたは誰が所有者か知りません。だからそれはあなたの所有物ではありません。たとえコップ一杯の水をそれが誰の物か知らずに飲んでも、あなたは泥棒なのです。あなたは「私は正直だ」と思うかもしれません。しかし本当はあなたは泥棒なのです。あなたはクリシュナを思いださなくてはなりません。「おお、クリシュナよ。これはあなたがお創りになったものです。どうか私が飲むことをお許しください」これが正直さです。したがって、献身者は常にクリシュナのことを考えます。すべての行いにおいてです。「おお、これはクリシュナのものです」これが正直さです。クリシュナ意識なくしては、すべての人が悪党、泥棒、ろくでなし、盗人です。これらの資質を持つのです。したがって私たちの結論は、クリシュナを理解しない者は誰であれどんな良い資質も持たないというものです。正直でもなく、知識もありません。したがって、その人は三流の人物なのです。それは正しいですか?どう考えますか、ギリラージャ?
ギリラージャ(弟子、以下、G)その通りです。
SPこれは教条主義ではありません。事実なのです。(しばらくの時間が経過)さて、あなたは何が知識で何が正直さか、理解しましたか?
B私は―――ある意味では。ある意味では。
SPそれで、他の意味はありますか?(ボブ、笑う)他に何か意味はありますか?あるなら言ってみなさい!(ボブ、再び笑う。プラブパーダも笑う)他にありますか、ギリラージャ?
Gありません。
SP代案はありますか?私たちは誰かによってくつがえされるようなことは何も言いません。そのような経験を私たちは持っているのです。(訳注、誰にも言い負かされることがないという経験)むしろ、私たちは誰をも言い負かします。「何か質問はありますか?」今までクリシュナが私たちを守ってくださっています。大きな大きな国々の大きな大きな会合で、話をした後に私は「何か質問はありますか」と尋ねます。
B今は私は質問はありません。
SPロンドンでは、私たちは―――何日間の講義でしたか、あの何とかいうところで―――コンウェイ・ホール?
献身者12日間、コンウェイ・ホールです。
SPコンウェイ・ホールでしたね。
献身者12日間でした。
SPそう。会合の終わるたびに、私は「何か質問はありますか」と尋ねていたのです。
Bたくさんの質問がありましたか?
SPそれはもう。たくさんの愚かな質問がありました。(皆、笑う)
Bもう一つ質問させてください。愚かであるとはどういうことですか?
SP何の知識も持たない者は愚かであると考えられます。
インド人の紳士プラブパーダ、一つ個人的な質問があります。お尋ねしてもよろしいですか?
SPどうぞ。
紳士しばらく前、カルカッタで「動物への残酷な扱いを防ぐための一週間」という企画がありました。
SPふむ。(プラブパーダ、短く笑う)これはもう一つの愚かさです。彼らは残酷さを防ぐことを宣伝していますが、何千もの屠殺場を維持しています。分かりますか?それはもう一つの愚かさです。
紳士それで、私は一つお尋ねしたかったのです―――
SP尋ねる―――あなたが尋ねる前に私は答えを与えましょう。(皆、笑う)それはもう一つの愚かさです。彼らは日常的に動物を残酷に扱い、そして(動物愛護の)会など作っている、、、
Bもしかしたらこれは―――
SP例えば、盗賊の一味が看板を上げるとしましょう。「善人会社」ときどきそんな看板を見るのです。
Ss私たちのサンフランシスコ寺院の家主はグッドマン(善人)という名前でしたね。
SP動物がきちんと栄養を与えられていなければ、それは残酷だ、というのが哲学です。したがって、飢えさせるより殺すのがよろしい。それが彼らの理論です。そうではありませんか?
Bはい。
SP彼らは「おお、それほどの痛みを与えるよりは殺してあげるほうがいい」と言います。その理論は共産主義者の国々に入ってきつつあります。老いた男―――祖父が―――苦しんでいる。だから殺したほうが良い。そして―――アフリカには祖父たちを殺して祭りを行う一群の人々がいます。そうではありませんか?いるのです。
Ss彼らは祖父たちを食べるのですか?
SPそうです。(シャーマスンダラ、笑う)どうぞ?
献身者私には叔父と叔母がいました。彼らは軍隊に入っていました。それで彼らが外国に行くことになったとき、飼い犬を一緒に連れて行くことができませんでした。それで彼らは「かわいそうな犬。私たちと一緒にいられなくて嘆き悲しむでしょう」と言い、眠らせました―――殺したのです。
SPガンジーも生涯で一度子牛か牛を殺しました。それはとても苦しんでいたのです。だからガンジーは「苦しませる代わりに殺しなさい」と命令しました。
G昨日、霊的指導者はその弟子の罪深い行いのために苦しまねばならないとおっしゃいましたね。罪深い行いというのはどういう意味ですか?
SP罪深い行いというのは、「私は規律的な原則に従います」と約束して、もしもそれに従わないなら、それは罪深いことです。それは約束なのです。大変簡単なことです。あなたは約束を破って悪いことをします。したがってあなたは罪深い。そうではありませんか?
Gそうです。(時間が少し空く)しかし、私たちがしろと言われていることがありますが、、、
SPふむ?
G他にしろと言われていることがあって、しようとしてはいるのですが、まだちゃんとできません。
SPどういうことですか?しようとするけれどできない?どういうことですか?
G意識を集中してマントラを唱えることなどです。時々はそうしようとするのですが、でも―――
SPああ、それは過ちではありません。例えば、あなたが何かをしようとしているとします。経験が浅いので、時々は失敗します。それは過ちではありません。あなたは努力しているのです。バーガヴァタムに書いてあります―――ふむ―――もし献身者が最善を尽くしているにも関わらず能力が足りなくて時に失敗するなら、クリシュナは許してくださいます。そしてバガヴァッド・ギーターにも同じく書いてあります。(サンスクリット引用)時として、わざとではなく過去の悪い習慣によって―――習慣は第二の本能です―――人は何か下らないことをします。しかしそれはその人の過ちではありません。しかしその人はそれを悔い改めねばなりません。「私はこういうことをしてしまいました」そして、可能な限りそれを避けようとすべきです。しかし習慣は第二の本能です。時として、あなたがいかに最善を尽くしていようと、マーヤーはとても強いので、落とし穴を作って待っています。それは許されます。クリシュナが許してくださいます。しかし、わざとしている者は許されません。私が献身者だからといって、もしも「私はマントラを唱えているのだから、どんな馬鹿げたことをしたって許される」と考えるなら、それは最もはなはだしい冒涜です。
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by ammolitering4 | 2008-09-09 07:28 | 「完璧な問い、完璧な答え」


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