第5章 第6段落より

第6段落
It has already been ascertained that at the time of death, if one can think of Krsna, he is immediately transferred to the abode of Krsna.
もしも死のときにクリシュナのことを考えることができれば人は直ちにクリシュナのお住まいに移行されるということは、すでに確認されています。

anta-kale ca mam eva
smaran muktva kalevaram
yah prayati sa mad-bhavam
yati nasty atra samsayah
abhyasa-yoga-yuktena
cetasa nanya-gamina
paramam purusam divyam
yati parthanucintayan

"And whoever, at the time of death, quits his body remembering Me alone, at once attains My nature.
「そして、死のときに私だけを思い出して体を去るものは、ただちに私の自然に至ります。

Of this there is no doubt.
このことに疑いの余地はありません。

He who meditates on the Supreme Personality of Godhead, his mind constantly engaged in remembering Me, undeviated from the path,
至高の人格神を瞑想する者、道からそれることなく、その心で常に私を思い出している者は、

he, O Partha [Arjuna], is sure to reach Me." (Bg. 8.5, 8.8)
おお、パルサ(アルジュナ)よ、その者は必ず私のもとに至ります。」

Such meditation on Krsna may seem very difficult, but it is not.
クリシュナへのそのような瞑想は、とても難しいように見えるかもしれません。しかし、そうではないのです。

If one practices Krsna consciousness by chanting the maha-mantra,
もし人が(以下に挙げる)マハーマントラを唱えることでクリシュナ意識を培えば、

Hare Krsna, Hare Krsna, Krsna Krsna, Hare Hare. Hare Rama, Hare Rama, Rama Rama, Hare Hare,
ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ・クリシュナ、ハレ・ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ・ラーマ、ハレ・ハレ。

he will be quickly helped.
その人は迅速に助けを得られます。

Krsna and His name are nondifferent,
クリシュナと主の名前は異なるものではありません。

and Krsna and His transcendental abode are also nondifferent.
そして、クリシュナと主の超越的なお住まいもまた、異なるものではありません。

By sound vibration we can have Krsna associate with us.
音の振動によって、私たちはクリシュナと関わることができます。

If, for instance, we chant Hare Krsna on the street,
たとえば、もしもハレ・クリシュナを路上で唱えるなら、

we will see that Krsna is going with us,
私たちはクリシュナが私たちと一緒に来ておられるのが分かります。
(訳注、seeは「見る」という言葉ですが、「(見るように)理解する」という意味もあります。)

just as when we look up and see the moon overhead, we perceive that it is also going with us.
ちょうど、空を見上げて月を見るとき、月が一緒に来ているように見えるようなものです。

If Krsna's inferior energy may appear to go with us,
もしクリシュナの劣性のエネルギーが私たちと一緒に来ているように見えるなら、

is it not possible for Krsna Himself to be with us when we are chanting His names?
私たちが主のお名前を唱えるとき、クリシュナご自身が私たちと共にいることが可能でないはずがあるでしょうか。

He will keep us company,
主は私たちと共にいてくださいます。

but we have to qualify to be in His company.
ただ、私たちは主と共にいる資格を得なければならないのです。

If, however, we are always merged in the thought of Krsna,
しかし、もしも私たちが常にクリシュナへの思いに浸っていれば、

we should rest assured that Krsna is always with us.
クリシュナは常に必ず私たちと一緒にいらっしゃいます。

Lord Caitanya Mahaprabhu prays,
主チャイタンニャ・マハープラブは、次のように祈りました。

namnam akari bahudha nija-sarva-saktis
tatrarpita niyamitah smarane na kalah
etadrsi tava krpa bhagavan mamapi
durdaivam idrsam ihajani nanuragah

"O my Lord! Your holy name alone can render all benediction upon the living beings,
「おお、我が主よ、あなたの聖なるお名前だけが、生命体にすべての祝福を与えることができます。

and therefore You have hundreds and millions of names, like Krsna and Govinda.
だからあなたにはクリシュナやゴヴィンダなど無数の名前があります。

In these transcendental names You have invested all Your transcendental energies,
これらの超越的な名前にあなたはご自身のすべての超越的なエネルギーを注がれました。

and there is no hard and fast rule for chanting these holy names.
そして、これらの聖なる名前を唱えるのに、決まった難しい規則などはありません。

O my Lord!
おお、我が主よ。

You have so kindly made approach to You easy by Your holy names,
あなたは慈愛深くもあなたへ近づくことを簡単にしてくださいました。あなたの聖なる名前という方法によって。

but unfortunate as I am, I have no attraction for them." (Siksastaka 2)
しかし、不幸な私はそれらに魅力を感じません。」

第7段落
Merely by chanting we can have all the advantages of personal association with Krsna.
単に聖なる御名を唱えることで、私たちはクリシュナと個人的に関わることによる利益のすべてを得ることができます。

Lord Caitanya Mahaprabhu, who is not only considered to be a realized soul but an incarnation of Krsna Himself, has pointed out
覚醒した魂であると考えられているだけでなく、クリシュナご自身の化身でもある主チャイタンニャ・マハープラブは、次のように指摘しています。

that in this age of Kali, although men have no real facilities for self-realization,
このカリの時代には、人は自己認識のための本当の方法を持たないが、

Krsna is so kind that He has given this sabda (sound incarnation) to be utilized as the yuga-dharma, or way of realization of this age.
クリシュナは慈悲深くも、ユガ・ダーマ、すなわちこの時代の認識方法として利用するために、このサブダ(音の化身)を与えられました。

No special qualification is necessary for this method;
この方法には、何ら特別な資格は要りません。

we need not even know Sanskrit.
サンスクリットを知っている必要もありません。

The vibrations of Hare Krsna are so potent
ハレ・クリシュナの振動はとても強力なので、

that anyone can immediately begin chanting them, without any knowledge of Sanskrit whatsoever.
全然サンスクリットを知らなくても、誰でもすぐに唱え始めることができます。

vedesu yajnesu tapahsu caiva
danesu yat punya-phalam pradistam
atyeti tat sarvam idam viditva
yogi param sthanam upaiti cadyam

"A person who accepts the path of devotional service is not bereft of the results derived from studying the Vedas, performing austere sacrifices, giving charity, or pursuing philosophical and fruitive activities.
「献身的な奉仕の道を受け入れる者は、ヴェーダを学ぶことや禁欲的な犠牲をなすことや、喜捨をすることや、哲学的および物質的な益を求める活動をすることによって得られる結果を得ることができないわけではありません。

At the end he reaches the supreme abode." (Bg. 8.28)
最終的に、献身者は至高の住まいに至ります。」

Here Krsna says that the purpose of all Vedic instructions is to achieve the ultimate goal of life--to go back to Godhead.
ここでクリシュナは、ヴェーダのすべての指導の目的は人生の究極の目的地に至ること、すなわち至高神のもとへ帰ることであると述べていらっしゃいます。

All scriptures from all countries aim at this goal.
すべての国のすべての聖典はこの目的を目指しています。

This has also been the message of all religious reformers or acaryas.
これはすべての宗教改革者のメッセージでもあります。

In the West, for example, Lord Jesus Christ spread this same message.
例えば西洋では主イエス・キリストがこの同じメッセージを広めました。

Similarly, Lord Buddha and Muhammad.
主仏陀やムハンマド(モハメッド)も同様です。

No one advises us to make our permanent settlement here in this material world.
この物質世界に永遠の住みかを作るようにと助言する人はいません。

There may be small differences according to country, time, and circumstance, and according to scriptural injunction,
国や時代や状況によって、そして聖典によって、内容や禁止事項にわずかな差異はあるでしょう。

but the main principle that we are not meant for this material world but for the spiritual world is accepted by all genuine transcendentalists.
しかし、私たちはこの物質世界にいるべきではなく、霊的世界にいるべき存在であるという主な原理は、すべての真正な超越主義者たちによって受け入れられています。

All indications for the satisfaction of our soul's innermost desires point to those worlds of Krsna beyond birth and death.
私たちの魂の最も深いところにある望みを叶えるためのすべてのしるしは、どれも生と死の彼方にあるクリシュナの世界を指し示しているのです。
by ammolitering4 | 2008-04-11 03:23 | 「生と死の彼方に」


<< 完璧な問い、完璧な答え 第5章 >>