第4章 第2段落続きより

paras tasmat tu bhavo 'nyo
'vyakto 'vyaktat sanatanah
yah sa sarvesu bhutesu
nasyatsu na vinasyati

"Yet there is another nature,
「そして、さらに別の自然があります。

which is eternal and is transcendental to this manifested and unmanifested matter.
それは永遠で、顕現したり消滅したりする物質を超越しています。

It is supreme and is never annihilated.
それは至高であり、決して破壊されません。

When all in this world is annihilated, that part remains as it is." (Bg. 8.20)
この世界のすべてが破壊されるとき、その部分はそのままで変化しません。」

We cannot calculate the extent of the material universe,
私たちは物質宇宙の広がりを測ることはできませんが、

but we have Vedic information that there are millions of universes within the entire creation,
ヴェーダの情報を持っています。(それによれば)創造全体の中には無数の宇宙があり、
(訳注、しょっちゅう出てくるmillions of というような表現ですが、これはhundredsでもthousandsでもtrillionでも、意味はすべて同じ「数え切れないほどたくさん」なのです。multitudeとかhostも同様。使われている数が違うのは、程度の問題に過ぎません。)

and beyond these material universes there is another sky, which is spiritual.
これらの物質的な宇宙の彼方にはもうひとつの宇宙が、霊的な宇宙があります。

There all the planets are eternal, and the lives of all the beings on them are eternal.
そこではすべての天体は永遠であり、そこに住む生命体の命も永遠です。

In this verse the word bhavah means "nature,"
この句では、「バーヴァー」は「自然」を意味し、

and here another nature is indicated.
ここでもう一つの自然が示されています。

In this world we have experience also of two natures.
この世界でも、私たちは二つの自然を経験することができます。

The living entity is spirit, and as long as he is within matter, matter is moving,
生命体は霊であり、それが物体の中にいる限り、物体は動きます。

and as soon as the living entity, the spiritual spark, is out of the body, the body is immovable.
そして、霊的な火花である生命体が体を去ると同時に、体は動かなくなります。

The spiritual nature is called Krsna's superior nature,
霊的な自然はクリシュナの優性な自然であり、

and the material is called the inferior.
物質的なそれは劣性と呼ばれます。

Beyond this material nature there is a superior nature,
この物質自然の彼方には優性な自然があり、

which is totally spiritual.
それは完全に霊的です。

It is not possible to understand this by experimental knowledge.
このことを実験的な知識で理解することはできません。

We can see millions and millions of stars through a telescope,
私たちは望遠鏡を通して無数の星々を見ることができますが、

but we cannot approach them.
それらに近づくことはできません。

We have to understand our incapabilities.
私たちは自分の非力さを理解しなければなりません。

If we cannot understand the material universe by experimental knowledge,
もし私たちが実験的な知識によって物質宇宙を理解することができないならば、

what is the possibility of understanding God and His kingdom?
神と神の王国を理解できる可能性があるでしょうか。

It is not possible experimentally.
実験的には不可能なのです。

We have to understand by hearing Bhagavad-gita.
私たちはバガヴァッド・ギーターを聞くことで理解しなければなりません。

We cannot understand who our father is by experimental knowledge;
私たちは、自分の父親が誰なのか、実験的な知識で知ることはできません。

we have to hear the word of our mother and believe her.
母親の言葉を聞いて信じなければなりません。

If we do not believe her, there is no way of knowing.
母親を信じないなら、知る方法はありません。

Similarly, if we just stick to the Krsna conscious method, all information about Krsna and His kingdom will be revealed.
同様に、私たちがクリシュナ意識の方法を固守すれば、クリシュナと主の王国に関するすべての情報は明かされるのです。

第3段落
Paras tu bhavah means "superior nature,"
「パラス・トゥ・バーヴァー」は「優性の自然」を意味し、

and vyaktah refers to what we see manifested.
「ヴャクター」は顕現したものを指します。

We can see that the material universe is manifested through the earth, sun, stars, and planets.
私たちは、物質宇宙が地球と太陽と星々と惑星という形で顕現しているのを見ることができます。

And beyond this universe is another nature, an eternal nature.
そして、この宇宙の彼方には別の永遠なる自然があります。

Avyaktat sanatanah.
「アヴャクタート・サナータナー」

This material nature has a beginning and an end,
この物質自然には始まりと終わりがあります。

but that spiritual nature is sanatanah--eternal.
しかし、霊的な自然はサナータナー、永遠です。

It has neither beginning nor end.
始まりも終わりもありません。

How is this possible?
どうしてそのようなことが可能でしょうか。

A cloud may pass over the sky, and it may appear to cover a great distance,
雲は空を渡り、はるかに大空を覆うように見えるかもしれません。

but actually it is only a small speck covering an insignificant part of the whole sky.
しかし、実際にはそれは空全体のほんの一部を覆っている小さな点に過ぎないのです。

Because we are so small, if only a few hundred miles is covered by cloud,
私たちはとても小さいので、雲がほんの何百キロメートルでも覆っていれば、

it appears that the whole sky is covered.
空全体が覆われているように見えます。

Similarly, this whole material universe is like a small, insignificant cloud in
the vast spiritual sky.
同様に、この物質宇宙全体も、広大な霊的天空に浮かぶ小さくて取るに足らない雲のようなものなのです。

It is encased by the mahat-tattva, matter.
それは「マハット・タットヴァ」すなわち物体に閉じ込められています。

As a cloud has a beginning and an end, this material nature also has a beginning and an end.
雲に始まりと終わりがあるように、この物質自然にも始まりと終わりがあります。

When the clouds disappear and the sky clears, we see everything as it is.
雲が消えて空が冴え渡るとき、私たちはすべてをありのままに見ることができます。

Similarly, the body is like a cloud passing over the spirit soul.
同様に、体は霊魂の上を渡る雲のようなものです。

It stays for some time, gives some by-products, dwindles, and then vanishes.
それはしばらくの間留まり、副産物を生み、だんだん小さくなって、やがて消えます。

Any kind of material phenomenon that we observe is subject to these six transformations of material nature--
私たちが観察するすべての物質的な減少は、これらの物質自然の6つの変転を運命づけられています。

it comes into being, grows, stays for a while, produces some by-products, dwindles, and then vanishes.
現れ、育ち、しばらくの間留まり、副産物を生み、衰え、やがて消えます。

Krsna indicates that beyond this changing, cloudlike nature there is a spiritual nature, which is eternal.
クリシュナは、このような変転する雲のような自然の彼方に永遠なる霊的な自然があると指し示しています。

In addition, when this material nature is annihilated, that avyaktat sanatanah will remain.
加えて、この物質自然が破壊されるとき、その「アヴャクタート・サナータナー」はそのまま留まります。
by ammolitering4 | 2008-04-11 02:40 | 「生と死の彼方に」


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