第3章

第4段落
The proper process for approaching Krsna was given to humanity by Lord Caitanya Mahaprabhu,
主チャイタンニャ・マハープラブは、クリシュナに近づくための正しい方法を教えてくださいました。
(訳注、主語は「クリシュナに近づくための正しい方法」ですが、日本語の構文では「何かが誰かによって与えられました」という文は少々座りが悪いので、「誰かが何かをくれました」というふうに形を変えて訳します。でも、お気づきかと思いますが、このサイトでは基本的に逐語訳をしています。)

and Rupa Gosvami, His first disciple, appreciated it.
そして、主の最初の弟子であったルーパ・ゴスヴァーミーはそれに深く感謝していました。

Rupa Gosvami was a minister in the Muhammadan government, but he left the government to become a disciple of Caitanya Mahaprabhu.
ルーパ・ゴスヴァーミーはイスラム政権の大臣でしたが、チャイタンニャ・マハープラブの弟子になるために政府を去りました。

When he first went to see the Lord, Rupa Gosvami approached Him with the following verse:
初めて主に会ったとき、ルーパ・ゴスヴァーミーは次のような詩句を主に捧げました。

namo maha-vadanyaya
krsna-prema-pradaya te
krsnaya krsna-caitanyanamne
gaura-tvise namah

"I offer my respectful obeisances unto the Supreme Lord, Sri Krsna Caitanya,
「私は至高主シュリー・クリシュナ・チャンタンニャに尊敬をもって服従します。

who is more magnanimous than any other avatara, even Krsna Himself,
主は他のどのアヴァターラ(化身)よりも、クリシュナ御自身よりも寛大でいらっしゃいます。

because He is bestowing freely what no one else has ever given--pure love of Krsna."
他の誰も与えなかったクリシュナへの純粋な愛を惜しげもなく授けていらっしゃるからです。」

Rupa Gosvami called Caitanya Mahaprabhu "the most munificent, the most charitable personality,"
ルーパ・ゴスヴァーミーはチャイタンニャ・マハープラブを「最も気前が良くて最も情け深い人物」と呼びました。

because He was offering the most precious thing of all very cheaply--love of God.
神への愛という何よりも最も価値のあるものを、とても安く提供していらしたからです。

We all want Krsna and are all hankering after Him.
私たちは皆クリシュナを欲しており、クリシュナを得ようとしてがんばっています。

Krsna is the most attractive, the most beautiful, the most opulent, the most powerful, and the most learned.
クリシュナは最も魅力的で、最も美しく、最も豊かで、最も力強く、最も知恵のあるお方です。

That is the object of our hankering.
それが私たちの欲望の対象です。

We're hankering after the beautiful, the powerful, the learned, the wealthy.
私たちは美と力と知と富を求めています。

Krsna is the reservoir of all of this,
クリシュナはこれらすべての宝庫なので、

so we need only turn our attention toward Him,
私たちは関心を主に向けさえすればよいのです。

and we will get everything.
そうすればすべてを得られます。

Everything--whatever we want.
何もかも、欲しいものはすべてです。

Whatever is our heart's desire will be fulfilled by this process of Krsna consciousness.
私たちの心の望みは、すべてこのクリシュナ意識という方法で叶えられます。

第5段落
For one who dies in Krsna consciousness, as stated before, entrance into Krsnaloka, the supreme abode where Krsna resides, is guaranteed.
クリシュナを意識して死ぬ者は、前述したように、クリシュナの住む至高の住みかクリシュナロカに確実に入ることができます。

At this point one may ask what the advantage is in going to that planet,
この時点で、その天体へ行くことの利点は何かという疑問があるかもしれません。

and Krsna Himself answers,
それについては、クリシュナ御自身が以下のように答えていらっしゃいます。

mam upetya punar janma
duhkhalayam asasvatam
napnuvanti mahatmanah
samsiddhim paramam gatah

"After attaining Me, the great souls, who are yogis in devotion, never return to this temporary world, which is full of miseries,
「私を得た後は、献愛に溢れたヨギーである偉大な魂は、悲惨さに満ちたこの一時的な世界に戻ることはありません。

because they have attained the highest perfection." (Bg. 8.15)
彼らは最高の完成を得たからです。」

第6段落
This material world is certified by Sri Krsna, the creator, as duhkhalayam--
full of miseries.
この物質世界は、創造者であるシュリー・クリシュナによって「ドゥーカーラヤム」すなわち「悲惨さに満ちている」と断定されています。

How then can we make it comfortable?
それでは、どうやって私たちがここを居心地の良い場所にできるというのでしょう。

Is it possible to make this world comfortable by the so-called advancement of science?
いわゆる科学の進歩によってこの世界を快適にすることは可能でしょうか。

No, this is not possible.
それは不可能です。

As a result, we do not even wish to know what these miseries are.
結果として、私たちはこれらの悲惨さが何であるかを知りたいとも思いません。

The miseries, as stated before, are birth, old age, disease, and death,
前述したように、これらの悲惨さとは生、老、病、死です。

and because we cannot make a solution to them, we try to set them aside.
そして、私たちはこれらに解決策を見出すことができないので、見ないふりをしています。

Science has no power to solve these miseries that are always giving us trouble.
科学は、いつも私たちを困難な目にあわせるこれらの悲惨さを解決する力を持ちません。

Instead, they divert our attention to the making of spaceships or atomic bombs.
その代わり、彼ら(科学者たち?科学の非力さ?)は私たちの関心をそらして宇宙船や原子爆弾を作ることに向けさせます。

The solution to these problems is given here in Bhagavad-gita:
これらの問題への解決策は、バガヴァッド・ギーターの中に与えられています。

if one attains to Krsna's platform he does not have to return again to this earth of birth and death.
クリシュナの水準(領域)に達することができれば、その人は生と死のあるこの地上に再び戻る必要はありません。

We should try to understand that this place is full of miseries.
私たちは、この場所は悲惨さに満ちているということを理解しようとすべきです。

It takes a certain amount of developed consciousness to understand this.
このことを理解するには、ある程度発達した意識が必要です。

Cats and dogs and hogs cannot understand that they are suffering.
犬や猫や豚は自分が苦しんでいるのだということを理解できません。

Man is called a rational animal,
人間は「理性的な動物」と呼ばれますが、

but his rationality is being used to further his animalistic propensities instead of to find out how to get liberation from this miserable condition.
この悲惨な状態から抜け出す方法を見つけるためではなく、人間の動物的な性癖を深めるためにその理性が使われているのが現状です。

Here Krsna explicitly states that one who comes to Him will never be reborn to suffer miseries again.
ここでクリシュナははっきりと、「私のもとに来た者は二度と決して生まれ変わって苦しみをなめることはない」と述べていらっしゃいます。
(訳注、この構文も「苦しみをなめるために生まれ変わる」が直訳ですが、もうちょっと自然な日本語にしてみました。)

Those great souls who come to Him have attained the highest perfection of life,
主のもとに至った偉大な魂たちは、最高の完成を得ました。

which alleviates the living entity from the suffering of conditional existence.
その完成は生命体の制約された存在の苦しみを和らげてくれます。
by ammolitering4 | 2008-03-30 02:10 | 「生と死の彼方に」


<< 第3章7段落より 第3章 1段落から >>