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第3章 1段落から

Chapter Three Liberation from Material Planets
第3章 「物質的な天体からの解放」

第1段落
The jnanis and yogis are generally impersonalists,
ジナーニーとヨギーは、一般に非人格主義者です。

and although they attain the temporary form of liberation by merging into the impersonal effulgence, the spiritual sky,
霊的な天空という非人格的な光輝の中に同化することによって一時的な形の解放を獲得しますが、

according to Srimad-Bhagavatam their knowledge is not considered pure.
シュリマッド・バーガヴァタムによれば彼らの知識は純粋とは見なされません。

By penances, austerities, and meditations they can rise up to the platform of the Supreme Absolute,
苦行と禁欲生活と瞑想によって彼らは至高完全存在の水準に上ることができますが、

but as has been explained, they again fall down to the material world,
すでに説明したように、彼らは再び物質世界へと墜落します。

because they have not taken Krsna's personal features seriously.
クリシュナの人格的な特徴を真剣にとらえていないからです。

Unless one worships the lotus feet of Krsna, he again has to descend to the material platform.
クリシュナの蓮の御足を崇拝しないかぎり、人は再び物質の水準へと落ちるしかないのです。

The ideal attitude should be,
理想的な姿勢とは、次のようなものです。

"I am Your eternal servitor.
「私はあなたの永遠の僕です。

Please let me somehow engage in Your service."
何とかしてお役に立たせてください。」

Krsna is called ajitah-- unconquerable--
クリシュナは「アジター」、すなわち「征服され得ない者」と呼ばれます。

for no one can conquer God,
神を征服できる者はいないからです。

but according to Srimad-Bhagavatam, one with this attitude easily conquers the Supreme.
しかし、シュリマッド・バーガヴァタムによると、このような姿勢を持つ者は簡単に至高存在を征服します。

Srimad-Bhagavatam also recommends that we give up this futile process to measure the Supreme.
また、シュリマッド・バーガヴァタムは、至高存在を推し量ろうという無駄な努力をやめるように薦めています。

We cannot even measure the limitations of space,
私たちは宇宙の限界でさえ測り知ることができません。

what to speak of the Supreme.
ましてや至高存在であれば、何をか言わんや。

It is not possible to measure the length and breadth of Krsna by one's minuscule knowledge,
クリシュナの大きさを人の微小な知識で測ることは不可能です。
(訳注、the length and breadth of というのは慣用句で、縦横全部、隅々まで、というような意味です。直訳すると長さと幅ですが、つまりは大きさのことです。この文は、人間に神のすべてを測り知ることはできない、と訳してもいいと思います。)

and one who arrives at this conclusion is considered intelligent by Vedic literature.
そして、この結論に辿りつく者はヴェーダ文献によると知性ある者と見なされます。

One should come to understand, submissively, that he is a very insignificant segment of the universe.
自分が宇宙の大変小さな一部分であるということを、人は素直に理解するようになるべきなのです。
(訳注、insignificantは、とても小さくて取るに足らないことを指します。)

Abandoning the endeavor to understand the Supreme by limited knowledge or mental speculation,
限られた知識や精神的な推察で至高存在を理解しようとする努力を放棄し、

we should become submissive and hear of the Supreme through the authoritative sources such as Bhagavad-gita or through the lips of a realized soul.
謙虚になって、バガヴァッド・ギーターや真理を悟った魂(の口)などの正統的な源から至高存在のことを聞くべきなのです。

第2段落
In Bhagavad-gita Arjuna is hearing about God from the lips of Sri Krsna
Himself.
バガヴァッド・ギーターの中で、アルジュナは神についてシュリー・クリシュナご自身の口から聞いています。

In this way Arjuna set the criterion for understanding the Supreme by
submissive hearing.
このようにして、アルジュナは謙虚に聞くことによって至高存在を理解するための手本を示しました。

It is our position to hear Bhagavad-gita from the lips of Arjuna or his bona fide representative, the spiritual master.
私たちの立場は、バガヴァッド・ギーターをアルジュナや彼の正当な代理人である霊的指導者からから聞くことにあります。

After hearing, it is necessary to practice this acquired knowledge in daily life.
聞いたあとは、この知り得た知識を日々の生活の中で実行する必要があります。

"My dear Lord, You are unconquerable," the devotee prays,
「我が親愛なる主よ、何物もあなたを征服することはできません」と献身者は祈ります。

"but by this process, by hearing, You are conquered."
「しかし、聞く、というこの方法によって、あなたは征服されます。」

God is unconquerable, but He is conquered by the devotee who abandons mental speculation and listens to authoritative sources.
神は征服され得ない存在ですが、精神的な推察を捨てて正統な源から聞く献身者によって征服されます。

第3段落
According to Brahma-samhita there are two ways of acquiring knowledge
ブラーマ・サムヒターによると、知識を得るには2通りの方法があります。

--the ascending process and the descending process.
上昇方式と下降方式です。

By the ascending process one is elevated by knowledge acquired by himself.
上昇方式では、人は自分で得た知識で高みへと上っていきます。

In this way one thinks,
この方法では、人は次のように考えます。

"I don't care for any authorities or books.
「どんな正統な権威も本も、どうだっていい。
(訳注、care for というのは、何かを好むときに使う表現です。これは権威や聖典などを好まない反抗的な姿勢を表現した一文です。)

I will attain knowledge myself by meditation, philosophy, etc.
私は瞑想や哲学などによって自分で知識を身につける。

In this way I will understand God."
私はこうやって神を理解するだろう」

The other process, the descending process, involves receiving knowledge from higher authorities.
もう一つの方法である下降方式には、より高い権威者から知識を受け取るということが関わってきます。

Brahma-samhita states that if one takes to the ascending process and travels at the speed of mind and wind for millions of years, he will still end up not knowing.
ブラーマ・サムヒターには、人が上昇方式を取るならたとえ風や心の速度で何百万年進んでも(神を)知ることなく終わるだろう、と書かれています。

For him, the subject matter will remain elusive and inconceivable.
そのような人にとっては、(神という)主題は掴みどころがなくて不可解なままでいるでしょう。

But that subject matter is given in Bhagavad-gita: ananya-cetah.
しかし、その主題はバガヴァッド・ギーターの中に与えられています。「アタニャ・セター」。

Krsna says to meditate on Him without deviation from the path of devotional service in submission.
クリシュナは、「献身奉仕の道からそれることなく謙虚に私に瞑想しなさい」とおっしゃいます。

For one who worships Him in this way--tasyaham sulabhah: "I become easily available."
主をこのように崇拝する者にとって、「タシャーハム・スラブハー」、「私は簡単に手に入るようになります」。

This is the process: if one works for Krsna twenty-four hours a day, Krsna cannot forget him.
これがその(決定的な)方法なのです。もし人が一日24時間クリシュナのために働くなら、クリシュナはその人を忘れることができません。

By becoming submissive, he can attract the attention of God.
謙虚になることによって、その人は神の関心をひきつけるのです。

As Guru Maharaja Bhaktisiddhanta Sarasvati used to say,
尊師マハラジャ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティは、かねがね次のようにおっしゃっていました。

"Don't try to see God.
「神を見ようとしてはなりません。

Is God to come and stand before us like a servant just because we want to see Him?
私たちが神を見たいからといって、神が従者のようにやってきて私たちの目の前に立つものでしょうか。

That is not the submissive way.
それは謙虚な方法とはいえません。

We have to oblige Him by our love and service."
私たちは愛と奉仕によって神を喜ばせなくてはならないのです。」
by ammolitering4 | 2008-03-30 02:03 | 「生と死の彼方に」


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