簡単な宇宙旅行 26

ヨガ体系によって魂を月に転生させることができれば、寿命は長くなります。高位の天体にあっては、私たちの6ヶ月が一日に当たります(180年=1年)。そして、そこに住む生命体は一万年生きます(180年x一万年なので、地球の時間だと180万年)。ヴェーダ文献にはこのように記されています。したがって、疑いようもなく人は大変長い寿命を得ますが、しかし、それでも死が存在します。一万年なり2万年なりの後に、あるいは何百万年もの後に(長さはどうでもいいのです)、死がやってきます。

実際には、私たちは死ぬ運命にはありません。そのことは、バガヴァッド・ギーターの始め(2.20)に断言されています。(サンスクリット引用)私たちは霊魂であり、したがって永遠です。それならなぜ自らに生と死を運命付けるのでしょう。このように考えてみるのが知性というものです。クリシュナ意識の者は大変知性的です。どんなに寿命が長くても死の待つ天体へ上げられることには興味がないからです。そんなことより、彼らは神のそれのような体を得たいのです。(サンスクリット引用)(ブラーマ・サムヒター5.1)神の体はサック・スィッド・アーナンダです。サット(サックは音便変化)は「永遠」、スィット(スィッドは音便変化)は「知識に溢れている」、アーナンダは「快楽に満ちている」という意味です。

私たちが発行した小冊子「喜びの源泉クリシュナ」で述べたように、もしも霊的世界に移行できれば、それがクリシュナの惑星であれ他の惑星であれ、私たちは神のと似た体を得ます。サック・スィッド・アーナンダ、永遠で、知識と喜びに満ちた体です。つまり、クリシュナ意識であろうとする者は、この物質世界のより良い天体に上ろうとする者とは人生の目的が異なるのです。主クリシュナは次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「ヨガの完成は自分を霊的世界に移行させることです。」(Bg.8.12)

霊魂は体の中にいる大変小さな微粒子です。私たちには見えません。人は魂を頭の頂上に上げようとしてヨガを修練します。この修練は生きている間続き、人が(魂である)自分を頭の頂上に置いて(頭蓋を)突破したときに完成に達します。それから人はどんな上位の天体にでも、好きなところに行けます。それがヨギーにとっての完成です。

もしヨギーが月を見たいという探究心を持っているなら、「そうだ、月がどんなところか見てこよう。それからもっと高位の天体に行ってみよう」と言えるのです。旅人が地球上でヨーロッパやカリフォルニアやカナダや、他のいろいろな国に行くのと同じことです。人はこのヨガ体系でいろんな天体に行けますが、どこに行くにも査証や税関のシステムがあります。他の天体に行くにはそれなりの資格が必要なのです。

クリシュナ意識の人は、どんなに長い寿命が得られるところであっても一時的な天体には興味がありません。もしヨギーが死のときに超越的な振動の簡明な形であるオームを発音することができて、同時にマーム・アヌスマラン、ヴィシュヌであるクリシュナを思い出していることができれば、完成を得ることができます。ヨガ体系全体の目的は心をヴィシュヌに集中させることです。非人格主義者はヴィシュヌすなわち主の姿を見ているのだと想像しますが、人格主義者はそういう想像をしません。彼らは実際に至高主の姿を見るのです。どちらにしても、つまり、想像によって、あるいはよらずしても、心をヴィシュヌの姿に集中させなくてはなりません。マームとは、「至高主ヴィシュヌに」という意味です。この体を離れるときに心をヴィシュヌに集中させる者は誰でも、死後は霊的な王国に入ることができます。本物のヨギーは一時的な天体では人生も一時的であることを知っているので、他のどの天体にも行こうとは思いません。興味がないのです。それが知性というものなのです。

一時的な幸せ、一時的な人生、および一時的な設備で満足している者は、バガヴァッド・ギーターによるとあまり知性的ではありません。(サンスクリット引用)「脳の内容物が大変貧弱な者は一時的な物に興味があります。」それがシュリーマッド・バガヴァッド・ギーターで述べられている見解です。私は永遠です。ではなぜ私が非永遠のものに興味をもたねばならないのでしょう。誰が非永遠の存在を欲しがるでしょう。そんなものが欲しい人はいません。もし私たちがアパートに住んでいて、家主に「出て行って欲しい」と言われたら悲しいでしょう。けれど、もっといいアパートに引っ越すのなら悲しくはありません。つまり、私たちにはそういう傾向があるのです。私たちは永遠なので、死にたくはないのです。
by ammolitering4 | 2008-01-27 11:10 | 「簡単な惑星旅行」


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