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簡単な宇宙旅行 20

2.天体系の多様性

人類が月を目指している現在にあって、人々はクリシュナ意識が何か古臭いものをどうこう言っているのだと考えるべきではありません。世界が月に至ろうとして進歩しているとき、私たちはハレ・クリシュナを唱えています。しかし、人々は私たちが現代の科学的な進歩に取り残されているのだと誤解すべきではありません。私たちはすでにあらゆる科学的な発展を終えてしまったのです。バガヴァッド・ギーターには、人が高位の天体を目指すのは新しいことではない、と書かれています。新聞の見出しには「人類が初めて月に降り立った」と書かれていますが、記者たちはすでに何百万人もの人がそこに行って帰ってきたことを知らないのです。これは初めてのことではありません。古くから行われていることなのです。バガヴァッド・ギーターには、はっきりと「アルジュナ、たとえあなたがブラーマロカと呼ばれる最高位の天体に行ったとしても、戻ってこなければならない。」と書かれています。したがって、天体間の旅は新しいことではないのです。クリシュナ意識の献身者には知られていることです。

私たちはクリシュナ意識なので、クリシュナの言葉を絶対真理として受け取ります。ヴェーダ文献によれば、宇宙には多くの天体系が存在します。私たちが住んでいる天体系はバールロカと呼ばれます。この上にあるのはバーヴァルロカで、その上はスヴァルロカです。(月はスヴァルロカに属します。)スヴァルロカの上はマハルロカ、その上がジャナロカ、その上がサテャロカです。同様に、低位の天体系も存在します。このように、この宇宙には14の天体系が存在し、太陽は主たる天体です。太陽はブラーマ・サムヒターに以下のように描写されています。

「私はゴヴィンダ(クリシュナ)を、太古の主を礼拝します。主の命令によって太陽は巨大な力と熱を持ち、軌道を回ります。すべての天体系の筆頭である太陽は至高主の目です。」実際、太陽なくして私たちは見ることができません。私たちはずいぶんと目を誇りにしていますが、隣の家の人を見ることもできないのです。人々は「私に神を見せてくれませんか」と挑戦してきます。しかし、彼らに何を見ることができるというのでしょう。彼らの目にどれほどの価値があるでしょう。神は安くありません。太陽の光なくしては、私たちには神はおろか、何一つ見えないのです。太陽の光がないと私たちは盲目です。夜には何も見えないので、私たちは電気を使います。太陽がないからです。

宇宙の中には、太陽は一つだけではありません。何百万何千万という太陽があります。これもブラーマ・サムヒターに述べられています。
(サンスクリット引用)
至高の人格神クリシュナの霊的な体の光輝はブラーマジョティと呼ばれ、その中には無数の天体があります。太陽の光の届くところに無数の天体があるのと同様に、クリシュナの体の輝く光の中にも無数の天体と宇宙があるのです。私たちは多くの宇宙に関して知識を持っており、それぞれの宇宙には太陽があることを知っています。このように、何百万何千万という宇宙があり、何百万何千万という太陽と月と惑星があるのです。しかし、クリシュナは人がこれらの天体のどれかに行こうとするならそれは単なる時間の無駄にしかならないと言います。

先ごろ人間が月に行きましたが、人間社会はそれから何の得るところがあるでしょう。莫大なお金とエネルギーを使って10年もの努力を重ね、誰かが月に行って手を触れてきたら、それが何の益になったでしょう。そこに長居して友達を呼ぶことができますか。たとえ月に長いこといたとしても、それが何の役に立つでしょう。私たちがこの物質世界にいる限り、この天体であれどの天体であれ、生老病死という同じ悲惨さが付きまとうのです。私たちはそれから逃れることはできません。

もしも私たちが月に住むなら、それが可能だと仮定して、ということですが、酸素マスクを付けていたとしても、どれほどの間そこにいることができるでしょうか。さらに、たとえそこに住む機会があったにしても、それで何を得ることができるでしょう。少しは寿命が長くなるかもしれませんが、永遠に住むことはできません。そんなことは不可能なのです。それに、長い寿命があったとしても、それが何の益になるでしょう。
(サンスクリット引用)
木は何年も何年も生きているではありませんか。私はサンフランシスコの近くで7、000年もの樹齢の木が生えている森を見ました。でも、それが何になるでしょう。同じ場所に7千年も突っ立っていてそれを誇りに思っていても、そんなことは大した業績ではありません。
by ammolitering4 | 2008-01-27 11:03 | 「簡単な惑星旅行」


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