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第4部 第2章途中まで

第2章 超越的な献身奉仕は主の本当の姿を明らかにする


第1段落

私たちはシュリマッド・バーガヴァタムから、生命体が霊的な実践から堕落するようにさせるマーヤーが原因で、一部の(certain)不快な(obnoxious)無神論者たちは、主を一般大衆(generalpopulace)から隠し続けておくために、至高主のまわりに哲学的な専門用語(jargon、普通の人には分からないような難しい用語)の煙幕を作ろうとして大変な努力をする、ということを知ります(tolearn)


(訳注:「無神論者の中には、生命体を霊的な道から堕落させるマーヤーに惑わされて、無駄に難しい言葉を多用して庶民を煙にまき、わざわざ主を理解できないようにしようとする鼻持ちならない者たちがいる」とSBに書いてあります。)


この努力の結果もまた、バーガヴァタム(12.3.43)に描写されています。


(サンスクリット引用)


「おお、主よ!カリの時代において(in→In)、人々の知性は無神論によって(訳注:霊的な道から)逸らされるでしょう(tobe diverted)。そして彼らは、宇宙の至高の霊的指導者である至高の人格神に、ほとんど全く犠牲を捧げないでしょう。


三つの世界を統御する偉大な名士たちが皆、至高主の蓮の御足にひれ伏すにも関わらず、この時代の取るに足らない(petty、劣った)、惨めな人類はそうしないでしょう。」


第2段落

民衆(thepublic)を惑わすことを目的としたそのような哲学的な専門用語の良い例が、ラーダークリシュナン博士が「アーヌクーリャシャ・サンカルパー」を、正しい意味である「至高主に服従する」の代わりに「すべてのものへの好意」と訳したことです。


そのような解釈(interpretation説明、通訳)は、私たちが俗的な学者から期待することのできるものです(訳注:俗的な学者のすることです)。


第3段落

献身奉仕における最初の言葉は服従です(訳注:何よりも大事なこと、という意味)。服従の唯一の意味は、人が神の従者であると受け入れることです。ラーダークリシュナン博士のような偉大な学者や哲学者でさえ、(彼らが)服従の過程に従う(toyield to ~、身をゆだねる、この場合は「始める」という意味)前に、たくさんの(heapsof、山ほどの)禁欲(austerities、修行)や苦行(penances)を行わなければなりません。


これがバガヴァッド・ギーターの結論です。ラーダークリシュナン博士の、服従の6つの根幹(limbs、手足にあたるもの、主題)の説明は表面的(superficial)です。もともとはヴァイシュナヴァの文書(text)において定義された、服従のこれらの6つの根幹(limbs)は、主ヴィシュヌ、すなわちクリシュナに関わっています(topertain to ~)


アヌクーリャは「主クリシュナへの愛情ある奉仕」を意味します。バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーは、(サンスクリット引用)と述べます。「人は好意的に(favorably)主クリシュナに超越的な愛情ある奉仕をすべきです。それは純粋な献身奉仕と呼ばれます。」


第4段落

世界のすべての人は、何らかの形で(inone way oranother)主クリシュナに奉仕をしています。ある者たちは好意的にそれをしており、そして他の者たちは相反して(antagonistically、矛盾して、この場合は「非好意的に、悪意を持って」)そうしています。


悪意を持って(unfavorably)奉仕をしている者は有害な(inimical、敵意のある)無神論者、愚かな非献身者です。一方、喜んでそれをする者は、本当に知性的です。言い換えると、クリシュナの献身者は非常に知性的であり、一方で俗的な学者たちはカムサやジャラーサンダーを筆頭とした(ledby、~に率いられる)非献身者の無神論者と同じ区分の内にあります。


第5段落

バガヴァッド・ギーターにおける主要な教えは、完全に主クリシュナの庇護の下に入ることです。それなのに、主クリシュナご自身の蓮の唇から発せられたこの極めて重要な(cardinal、基本的な、主要な)結論は、ラーダークリシュナン博士が人は人格としてのクリシュナではなく「クリシュナを通して語る、生まれず、始まりがなく、永遠の存在」に服従すべきであると書くとき、彼によってさかさまにされています(tobe reversed、この場合は「完全に否定されている」という意味)


自分の博識(erudition)を仰々しく(ostentatiously、これ見よがしに)ひけらかす(todislay)ために、ギーターを議論のためだけに取り上げ(totakeup)、そしてそのため愚かにも、バガヴァッド・ギーターの話者である主クリシュナが、単なる、死を運命づけられた存在であると結論するほどまでに文章を誤解するというのは、徒労(anexercise in futility、無駄に終わることが決まりきっている行為)です。


神は存在しないと宣言する(topronounce)ため、という、ヴェーダの知識のこの使い方は、悪意をもってクリシュナに奉仕することの明らかな例です。


第6段落

ヴェーダの名において無神論を広めるラーダークリシュナン博士のような学者を、主クリシュナはどのように描写なさるでしょうか。バガヴァッド・ギーター(7.15)において、私たちはこの言明を見出します(訳注:~には~と書かれています)。


(サンスクリット引用)


「全く愚かであり、人類のうちで最も低く、その知識が幻想によって盗まれていて、そして悪魔の無神論的な性質を持つ(topartake)それらの悪者たち(miscreants)は、私に服従しません。」


第7段落

カムサやジャラーサンダーのような主の敵たちは、いつもクリシュナのことを瞑想しますが、悪意を持ってです。これらの悪魔たちに似ているのが、いつもバガヴァッド・ギーターの本当の教えに挑戦し、それを誤って解釈する無神論的な学者たちです。


彼らは主について考えますが、(彼らは)敵意(enmity)を持ってそうします。なぜなら、彼らの知性はマーヤーによって覆われてしまっているからです。カムサとジャラーサンダーもまた、博識な(erudite)学者でしたが、敵意においてクリシュナに執着していた(obsessed)ので、彼らは悪魔でした。


第8段落

主チャイタンニャの教えと模範的な行動から、私たちは、バガヴァッド・ギーターの教えに好意的に従うのが私たちの義務であると理解します。主チャイタンニャの南インドの旅の間に、主がシュリー・ランガナーター寺院の構内(premises、建物あるいは敷地の中)に入ったとき、主は、バガヴァッド・ギーターを読むことに没頭していた(tobeengrossed)1人の単純な(simple、純真、お人好し、愚か、身分の低い、などの意味がある。この場合は「朴訥」か?)ブラーマナに出会いました。


主は、そのブラーマナがいかに注意深く(attentively)読んでいるか、そしていかに涙が彼の頬を伝って流れているかを見て、大変喜ばれました(overjoyed)。近くに座っていた他のブラーマナたちは、彼が文盲であることを知っていたので、いったいどうして彼がギーターを読むことができるのかと不思議に思いました。


第9段落

主チャイタンニャは、この問題を簡単に解決なさいました。主は、(もしも彼が)完全に服従した魂であるなら、教育のない人でさえ超越的な言葉を理解することができる、とおっしゃいました。しかし、服従の気持ち(mood)がなければ、バガヴァッド・ギーターは理解できないままです(toremain incomprehensible)


第10段落

ブラーマナが泣いているのをご覧になったとき、主チャイタンニャは彼に、ギーターのどの部分に泣くほど感動したのかとお尋ねになりました。正しいヴァイシュナヴァの謙遜をもって、ブラーマナは答えました。


「私は単にギーターを読む振りをしているだけです。本当は私は文盲です。しかし、私のグルは、(私が)文字が読めなくても(unlettered)バガヴァッド・ギーターを定期的に読むようにと、(私に)お教えになりました。


(私の)グルに背き(todisobey)たくないので、私は自分の義務を遂行しようとします。そしてそのため、私はギーターを読んでいる振りをするのです。」


第11段落

主はそれから彼に、なぜ泣いていたのかとお尋ねになりました。ブラーマナは答えました。「私がギーターを読むために座るといつでも、パールター・サーラティー(アルジュナの戦車の運転手)としての主クリシュナの姿が私の心に現れます。


そしてこの姿を見たらすぐに、私は直ちに、いかに主がバークタ・ヴァツァラ(主の献身者に特に親切である)であるかを思い出します。この考えが私を泣かせます。」


第12段落

マーヤーヴァーディーはいつでも、非二元論的な(nondual)至高のブラーマンと同化して神になることに大変熱心です。しかし、彼らの小さな脳は、どうやって(how)至高の人格神がご自分の献身者の運転手(charioteer、戦車の運転手)になって彼の命令を実行するのかを理解することができません。


本当は、至高主とジーヴァは永遠に関係があり(related)、そしてこの関係のため、多くの素晴らしいことが可能です。しかしマーヤーヴァーディーはこの真実を理解することができず、彼らに理解させようと試みた多くの人々が惨めに失敗しました。


シュルティ(シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッド6.23)において、私たちはこの言明を見出します(~と書いてあります)。


(サンスクリット引用)


主と霊的指導者の両方に絶対的な(implicit、盲目的な)信頼(faith)を持つ偉大な魂だけに、ヴェーダの知識のすべての意味(imports、重要性)が自動的に明かされます。


13段落

ギーターを読んでいたときの南インドのブラーマナの献身を見て(uponseeing ~ as he read theGita)、主チャイタンニャは彼を抱擁し、それから彼に、彼はギーターを読むことを完成したとおっしゃいました。


主チャイタンニャの認定が何百万もの大学の博士号(doctorates)よりも遥かに優れていることを、どの愚か者が否定するでしょうか?(訳注:~であることを誰が否定するでしょうか?いくらなんでもそんな馬鹿なことは言う者はいません)。


主からのこの賞賛(accolade)は、バガヴァッド・ギーターは物質的な知性によって研究され得ない、ということを証明します。ギーターの知識は、師弟継承において伝わっている、アーチャーリャ、すなわち霊的指導者の鎖(chain)を通して受け取られなければなりません。


これが唯一の方法です。そうでなければ、ギーターを学ぶことは徒労に終わります(anexercise infutility)。聖典の結論は、至高主は超越的であるので主の言葉もまた超越的であり、そしてそのため、バガヴァッド・ギーターの深遠な(esoteric)主題は、等しく超越的である師弟継承を通してのみ受け取られ得る、というものです。パドマ・プラーナには次のように述べられています。


(サンスクリット引用)


「誰も自分の物質的に汚染された感覚を通してシュリー・クリシュナの名前、形、性質、そして娯楽の超越的な性質を理解することはできません。主への超越的な奉仕によって人が霊的に位置するようになるときだけ(訳注:~になって初めて)、主の超越的な名前、形、性質、そして娯楽が彼に明かされます。これはバガヴァッド・ギーター(5.38)において確認されています。


(サンスクリット引用)


「私は太古の主ゴヴィンダを崇拝します。主はシャーマスンダラ、クリシュナご自身であられ、計り知れない(inconceivable)無数の特質(attribute)をお持ちであり、純粋な献身者は彼らの心の中に愛の軟膏(salve)が薄く塗られた(tinge)献身の目で主を見ます。」


(訳注:軟膏うんぬんというのはときどき使われる表現で、ちょっと違いますが「色眼鏡」、または「媚薬」に当たるかと思います。これが塗られると心がその色や気持ちに染まる、というような意味で、物質としての軟膏とは関係ありません。)


14段落

したがって、聖典の結論は、ラーダークリシュナン博士のような俗的な哲学者は霊的な主題を探求する(todelveinto~)資格がない、というものです。主の献身者だけが、主クリシュナを理解する資格があります。他の誰にも(その)資格はありません。バガヴァッド・ギーター(18.55)において、クリシュナご自身が次のように述べておられます。


(サンスクリット引用)


「人は、献身奉仕によってのみ、私をありのままに、至高の人格神として理解することができます。」


15段落

ラーダークリシュナン博士のような学者は、主クリシュナの内には主クリシュナだけがある(onlyLord Krishna and nothingelse)ということを理解すべきです。主クリシュナの体と魂は同じです。ギーターの結論は、非二元論的な(nondual)真実はクリシュナ、完全至高存在である、というものです。


しかしラーダークリシュナン博士は、どういうわけかクリシュナの中にもう一つの、第二の存在を見つけました。それでは、この発見はラーダークリシュナン博士を二元論(dualism)の信者に変えます(toconvert)


すべてのジーヴァの心臓の中に住む完全真理の顕現は、主クリシュナによってバガヴァッド・ギーターの中に明瞭に(lucidly)描写されています。バガヴァッド・ギーター(10.8)において、主クリシュナは、すべてのジーヴァの心臓の中に住んでいる存在が誰であるかを説明なさいます。


(サンスクリット引用)


「私はすべての霊的および物質的な世界(worlds)の源です。すべてのものは私から放射します。これを完璧に知っている賢者は私への献身奉仕にいそしみ、心のすべてをもって(withall their hearts、心から)私を崇拝します。



by ammolitering4 | 2016-03-07 06:54 | 「英知による放棄」


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