第10段落 この物質世界に降臨し、それによって影響されないままでいて、それから離れているのは、至高主の特別な特権(prerogative)です。そして、主のように、主の純粋な献身者たちもまた、現象の(phenomenal)世界の華々しさ(glare、まぶしい光)によって惹きつけられないままで留まります(訳注:~に惑わされないでいることができます)。 至高主が永遠で、解放されていて、そして純粋であるように、主の献身者もまた、どのような状況にあっても同様です。これは単純な例を通して簡単に理解され得ます。技術的な発達は、自然が既に提供する(~has to offer、これは「~のすべて」を意味する熟語であり、義務などを表すhas to の意味はない)魅力的なもののすべて(attractions)に映画などを加えました。 (訳注:自然は既に様々な素晴らしいものを与えてくれていますが、技術的な発達によって、それに映画などの新しい魅力が加わりました。) そしてそれでも不思議なことに、今日に至るまで、これらの幻想的な誘惑(enticements)は本当の聖人や隠遁者(hermits、仙人)を魅了し損ねています。そして、私たちは一部のいわゆる現代の聖人たちや托鉢僧たち(mendicants)が大麻(cannabis)や煙草に中毒しているのを見るにも関わらず(訳注:~が見受けられますが)、彼らでさえ多くの他の現代の感覚的な、気を散らすようなもの(distraction)を跳ねつけています(tobe repulsed、拒絶、退ける)。 もしも幻想的な物質世界が主の献身者にほとんど何の(little or no)魅力もないなら、主ご自身はさらにどれほど少なくそれに魅了されておいででしょうか!したがって、無明のせいで人は単なる死を運命づけられた者(mere mortals)が神であると主張するかもしれませんが、それは現実を変えません---人はいつも人であり、神はいつも神であり、決してそうではないということはない(never otherwise)という現実を。 第11段落 かつて、私たちのアーシュラマのブラーマチャーリーの1人が、一種の霊性主義者(a spiritualist of sorts)であり博学な(erudite)学者であるサルヴァパリ・ラーダークリシュナン博士に会いました。ラーダークリシュナン博士は、私がこの随筆を書いている現在、インドの副大統領です。 彼に会ったとき、私たちのブラーマチャーリーは彼から贈り物としてバガヴァッド・ギーターを一冊受け取りました。ラーダークリシュナン博士はこのギーターを英語に翻訳し、それに解説を書いており、そしてそれは当時(1954年)、市場で10ルピーでよく売れました。 第12段落 そのブラーマチャーリーはその本を読み、その本自体は大変深遠であった(deeply esoteric)のですが、やや不満に感じて私たちのところに来ました。彼の不満の理由は、ラーダークリシュナン博士の文章が霊的な洞察(insight)に欠けていたということでした。 多くの箇所で、彼は文(text)を誤って扱ったり(to mishandle)、誤って解釈したり(to misinterprete)していました。そしてそのため、彼は自分の本を、純粋な献身を受け継ぐ(in the line of pure devotion)霊性主義者たちにとって受け入れられないものにしていました。 これは、「主によって、もっとも偉大な賢人たちや半神たちでさえ幻想の中に入れられます」(ムヒャンティ・ヤット・スーラヤー)というシュリマッド・バーガヴァタムの言明(1.1.1)の完璧な例です。主がいかにも簡単に主ブラーマー、主シヴァ、主インドラ、そして他の偉大な宇宙の統御者たちを惑わすとき、ラーダークリシュナン博士が幻想に入れられる(訳注:惑わされる)のは全く驚くべきことではありません。 第13段落 そのブラーマチャーリーは、彼の本の254ページに現れる、第9章第34文節(Text 34)の、ラーダークリシュナン博士の誤解釈によって特に衝撃を受け、傷つきました。彼は非常に陰鬱として、この一文(passage)を論じたいと思って私たちのところに来ました。 その本には、次のような言葉が書いてありました。「私たちが自分自身を完全に捧げるべきは(to whom we have to give ourselves up utterly)人格的な(personal)クリシュナではなく、クリシュナを通して話す、生まれたことのない、始まりのない、永遠の神です(the Unborn, Beginningless, Eternal)。」 第14段落 私たちは、ラーダークリシュナン博士のような世界的に有名な哲学者に議論を突きつける(to confront ~ with arguments)気は毛頭ありませんが、それでも、ブラーマチャーリーが再三頼むので、私たちは文を詳しく調べて(to scrutinize)矛盾(discrepancies)を指摘しなければなりません。 私たちは、ラーダークリシュナン博士に大いなる敬意を持っています。彼が私たちの国の副大統領であるからだけではなく、彼の学識と、ヒンズー教の哲学の博学な(erudite)師匠(master、指導者、熟練者)としての彼の立場のためでもあります。 さらに、彼は自分の出自(to hail from、出身)であるブラーマンの(brahminical)伝統に忠実で、マーヤーヴァーダの学派の学徒(follower)です。愚かな友よりも学識のある敵を持つほうが良いという、 たびたび引き合いに出される言葉(oft-quoted dictum)に照らすと(going by、基づく)、私はこの事柄に関して勇気づけられます。 知性的な敵(opponent、対抗者)は合理的な(reasonable、筋の通った)反証(rebuttals)を挙げますが、無知な友は彼のもがき(floundering、不器用にもがき苦しむ様子)をもって大きな災難(disaster)をもたらすかもしれません(訳注:訳の分からないことを言ってひどい結果をもたらすかもしれない)。 したがって、私たちはラーダークリシュナン博士がバガヴァッド・ギーターの解説において論じる事柄(to make points)に対して強く反論することに関して何の呵責(compunction、良心の咎め)も感じません。 第15段落 有名なベンガル地方の諺があります。「ラーマーヤナ全体を読んだあとで、あなたはシーターは誰の父かと尋ねるのか?」この問いは馬鹿げています(ludicrous)。なぜならシーターは主ラーマの妻であり、そしてそのため、そのような問い(query)は当然、皮肉(quips)と笑いを招きます(訳注:顰蹙を買う、嘲笑される)。 私たちは、ラーダークリシュナン博士のギーターの英語の解説において同じ不条理さ(absurdity、馬鹿馬鹿しさ)を見出します(訳注:~が見受けられます)。彼は、私たちは人格としてのクリシュナ(the person Krishna)ではなく、クリシュナの中の「生まれず、始まりがなく、永遠であるもの」に服従しなければならない、と書きます。 これは、主クリシュナと主の「内的な自己」が二つの異なる自己(identities)であることを暗示します(to imply)。ラーダークリシュナン博士によれば、クリシュナの体と主の魂の間には違いがあるので、私たちはクリシュナの体ではなく魂に服従しなければなりません。 宗教的な哲学の分野におけるこの新しい発見は、上で参照したラーマーヤナの「パンディタ」を私たちに思い起こさせます(訳注:彷彿とさせます)。バガヴァッド・ギーターを語ることにおける主シュリー・クリシュナの唯一の目的は、主の蓮の御足に服従することを私たちに納得させることです。 しかし、そもそもの最初から(right at the outset)、ラーダークリシュナン博士はこの点を受け入れる意思がありません。主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(18.66)において中心的な教えを与えられます。 (サンスクリット引用) 「すべての種類の宗教を放棄し、ただ私に服従しなさい。私はあなたをすべての罪深い反応から救います。恐れてはいけません。」 第16段落 主クリシュナは、アルジュナが主に服従するようにするために、これらの言葉を彼に語られました。このギーターの文におけるサラナムというサンスクリットの言葉は、「服従する(to surrender)」を意味します。彼の「入門的な随筆」の62ページで、ラーダークリシュナン博士は服従に関する考え方もやや詳しく論じました。彼は次のように書きます。 「プラパッティ(服従)の内訳は、以下のようなものです(to have the following accessories)。(訳注:サンスクリットは省略しました。) 1.(校正:(i)が抜けている)すべてのものへの愛情(goodwill to all) 2.悪意がないこと(absence of ill will) 3.主が守ってくださるという信頼(faith that the Lord will protect) 4.救い主(savior)としての主に拠り頼むこと(resort to Him as savior) 5.完全な無力感(absence of utter helplessness、非力) 6.完全な服従(complete surrender) 第17段落 これらの服従の6つの根幹(limbs、手足)は、クリシュナ、すなわちヴィシュヌに関連して従われるべきです。なぜなら、服従の過程に関するこれらの教えは、ヴァイシュナヴァの聖典の中に見られるからです(to appear in ~)。 ラーダークリシュナン博士は、最初の教え(limb)(サンスクリット省略)を「すべてのものへの愛情」と訳しました。問い:すべての者に服従することは可能ですか?服従は、至高主のみに向けられるべきです。ラーダークリシュナン博士の提案は非現実的(impractical)であり、実際、不可能です。 ラーダークリシュナン博士がこの(his)解説を書くずっと前に、有名なヴリンダーヴァンのゴスヴァーミーたちを含む、自己を認識した多くの霊的な先人たち(preceptors)が、「アーヌクーリャシャ・サンカルパーという言葉は、人は至高主クリシュナに好意的に(favorably)奉仕をすべきである、ということを意味する」(訳注:括弧は訳者)と説明しました。 他のすべての霊的な権威者を無視して(to disregard)ラーダークリシュナン博士の見解(version)を受け入れようという本物の学者はいません(訳注:まっとうな学者であれば~はしない)。 第18段落 ラーダークリシュナン博士が「主への信頼(faith)」という言葉を使うとき、彼は確かに至高の人格神を指しています。どのような論理によって、彼は「主」が非人格的なブラーマンだけを意味するというのでしょうか(By what logic does he say “Lord” but mean the impersonal Brahman? この場合のbutは「ほんの~だけ」という意味)? アルジュナは、(サンスクリット引用)(BG 2.7)「今、私はあなたの弟子であり、あなたに服従した魂です。どうか私を導いてください(to instruct)」と言うとき、確かに人格としての(person)クリシュナを意味します。これらの言葉をもって、彼はバガヴァッド・ギーターの初めにクリシュナを呼びます。 ギーターのこの段階において、非人格的なブラーマンはまだ論じられていません。非人格的なブラーマンという主題がとうとう提示されたとき、主クリシュナは明確に(unequivocally、疑いの余地なく)ご自分が非人格的なブラーマンの源であると宣言なさいます。 堅固たる論理は、人は非人格的なものや形のないものに服従することはできないと言います(訳注:~というのは論理的に確かなことです)。非人格的なブラーマンに過度に執着している者は、この形のない概念に服従することを非常に辛く(painful)、そして実に、不可能であると感じ、そしてもしも彼らがこの道に沿って歩み続けるなら(to persist along this path)、彼らは自分の妻、家族、そして親戚に服従する結果になるでしょう。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 どうも毎度お待たせいたしまして、、、ようやく第1章が終わりました。でもまだまだ手元には何十ページもある。。。まあそのうちにぼちぼちと続きをお届けいたします。皆様、どうか見捨てずに辛抱強くお待ちくださいませ。それにしても、今年もまた何かと荒れそうな気配が、のんびり漂ってるどころか充満して渦巻いて吹き荒れてますね。どうなりますやら分かりませんが、お手元の傘なりランプなりは手放さず、精神的な保身を第一にお過ごしくださいませ。ごきげんよう。
by ammolitering4
| 2016-02-14 08:05
| 「英知による放棄」
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