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最後まで

8-6 バークティだけがクリシュナを魅了することができる

第1段落
シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、献身奉仕はクリシュナさえも魅了すると述べられました。クリシュナはすべてのものを魅了しますが、献身奉仕はクリシュナを魅了します。献身奉仕の最も高い程度における象徴はラーダーラーニーです。

クリシュナはマダナ・モハナと呼ばれ、それは、主は非常に魅力的なので何千人ものキューピッドの魅力(attraction、吸引力)を打ち負かすことができる、ということを意味します。しかし、ラーダーラーニーはそれよりもっと(still more)魅力的です。

なぜなら、彼女(She、大文字)はクリシュナさえも魅了することができるからです。したがって、献身者は彼女(Her、大文字)をマダナ・モハナ・モヒニ---キューピッドを魅了する者を魅了する者、と呼びます。

第2段落
マダナは性的な魅力を意味します。ですから、クリシュナはマダナ・モハナであるため、もしもクリシュナに魅了されているなら、人は性的な魅力さえも放棄(to neglect、軽んじる、無視する)ことができます。性は、この物質世界の中のすべての者を魅了します。

実に、物質世界全体が性を基に成り立っており(is running on sex)、そしていわゆる幸せは性交から始まります。一般に、人は自分の性的な欲求を満足させるために結婚します。そのようにして、彼は子供たちを得ます。子供たちが成長したとき、彼らは結婚して、さらなる子供たちを得ます。

それはすべて同じ目的、性のためです。物質的な幸せは、これらの3つのことを意味します。シュリー(美しい女性)、アイシュヴァリャ(富)、そしてプラジャー(子供、offspring)です。一般に、人々は良い妻と良い銀行残高と良い家庭を望みます。もしも人がこれらのものを持っていれば、彼は成功していると考えられます。

第3段落
妻、子供、友人、そして富を得て維持するための努力を通して、この物質世界への執着(attraction、魅了され、吸引される様子)はますます強くなります(tighter and tighter)。私たちはこの物質世界の煌きによって魅了されることを避け、クリシュナによって魅了されるようになろうとすべきです。このことに関して、シュリー・ヤームナーチャーリャはこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「クリシュナの美しさによって魅了され、主の蓮の御足に奉仕をし始めて以来、私は、常に新しい(ever-new)味わいを経験しています。したがって、性交のことを考えれば直ちに私の唇は嫌悪(distaste)で曲がり、私は唾を吐きたくなります。」

人がクリシュナによって魅了されるとき、キューピッドは打ち負かされ、人はこの物質世界を征服します(to conquer over~、克服、打破)。そうでなければ、物質世界は乗り越える(to surpass)のが非常に困難です。

しかし、もしも誰であれクリシュナの蓮の御足を非常に強く掴んで「クリシュナ、私を救ってください!」と叫ぶ(to call out、大声で呼ぶ)なら、クリシュナは「私はあなたを助けます。心配しないでください」と約束なさいます。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナはアルジュナに「あなたは世界に、私(訳注:クリシュナ)は自分の純粋な献身者を守る、と宣言することができます」とおっしゃいます。

人々は、自分の唯一の仕事はクリシュナの蓮の御足の庇護を求めて、そうして物質世界の呪縛(clutches、掌握、掴むこと)から逃れるという人間の人生の目的を達成することである、ということを知りません。他のどの仕事も、私たちがこの物質世界の中で呪縛されるようになってきている(we are becoming entangled)ということを意味します。

8-6-A シュリーマティー・ラーダーラーニー、バークティの女王

第1段落
献身奉仕を行うことはラーダーラーニーの足跡を辿ることを意味し、ヴリンダーヴァンの献身者たちは自分の献身奉仕において完成を得るために、自らをラーダーラーニーの保護(care、世話、監督)の下に置きます。

言い換えると、献身奉仕は物質世界の活動ではありません。それは直接ラーダーラーニーの統御の下にあります。バガヴァッド・ギーターにおいて、マハートマー、すなわち偉大な魂はダイヴァ・プラクリティ、内的なエネルギー---ラーダーラーニーの保護の下にある、と確認されています。そのため、直接クリシュナの内的エネルギーの統御の下にあるので、献身奉仕はクリシュナご自身さえも魅了します。

第2段落
この事実は、クリシュナによってシュリマッド・バーガヴァタムの11巻(11.14.20)において確証されています(to be corroborated、陳述などをさらなる証拠を挙げて堅固にする)。そこで主はこうおっしゃいます。

「我が親愛なるウッダーヴァよ、私の献身者によって捧げられる(to be rendered)献身奉仕に私が感じる魅力は、神秘的なヨガの実践、哲学的な推量、儀式的な犠牲、ヴェダーンタの研究、厳しい禁欲の実践、あるいはすべてのものを慈善において与えることによってさえ得られないと、あなたは私から知るでしょう(訳注:あなたに言いますが、献身者が捧げてくれる奉仕に対して私が感じる魅力は、~によってさえ得られません)。

もちろん、これらは非常に良い(nice)活動ですが、それらは私にとって、私の献身者によってなされる超越的な愛情ある奉仕ほど魅力的ではありません。」

第3段落
クリシュナがどのようにご自分の献身者の奉仕によって魅了されるようになるかは、ナーラダ・ムニによってシュリマッド・バーガヴァタムの7巻(7.10.48-49)に描写されています。そこでナーラダは、ユディーシュティーラ王がプラーラーダ・マハーラージャの性質の栄光を称えている(to appreciate、真価を認める、鑑賞する、感謝する)間に、王に話しかけます(to address)。

献身者はいつも他の献身者の活動を称えます。ユディーシュティーラ・マハーラージャはプラーラーダの性質を称えており、そしてその賞賛(appreciation、真価を認めること)は純粋な献身者の一つのしるしです。純粋な献身者は、決して自分自身を偉大だと考えません。

彼はいつも、他の献身者は自分より偉大だと考えます。王は「プラーラーダ・マハーラージャは実際に主の献身者であり、他方で私は無である(訳注:I am nothing、遠く及ばないという意味を極端に表現したもの)」と考えており、これを考えている間に彼はナーラダによって次のように話しかけられました(訳注:ナーラダが彼に次のように話しかけました)。

「我が親愛なるユディーシュティーラ王よ、あなた方(パーンダヴァ家の兄弟たち)は、この世界で唯一の幸運な人々です。至高の人格神はこの惑星の上にお現れになり、ご自分をあなた方に普通の人間として表しておいでになります。

主はどんな状況でも(in all circumstances)いつもあなたがたと共にいらっしゃいます。主はあなた方と一緒に住んでおられ、ご自分を他の者たちの目から覆っておられます。他の者たちは主が至高主であると理解することができませんが、主はそれでもあなた方の従兄弟として、あなた方の友として、そしてあなた方の使者としてさえも、あなた方と共に住んでおられます。

したがって、あなた方は、この世界の誰もあなた方よりもっと幸運ではないと知らねばなりません(訳注:あなた方はこの世の他の誰よりも幸運であると知っておいてください)。」

第4段落
バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナがご自分の普遍的な(universal)姿でお現れになったとき、アルジュナはこう祈りました。「我が親愛なるクリシュナよ、私はあなたのことを自分の従兄弟(訳注:cousin-brother、男性のいとこを指すインド英語。欧米で一般的な表現ではない)と考えていました。

そしてそのため、私はあなたを「クリシュナ」や「友」と呼び、あなたに非常に多くの不敬を表しました。」ですから、それがパーンダヴァ家の人々(the Pandavas)の立場です。クリシュナは至高の人格神、すべての偉大な者の中で最も偉大な者ですが、主はそれらの気高い(royal、王家の、高貴な、堂々として立派な)兄弟たちの献身、彼らの友情、そして彼らの愛によって魅了され、彼らと共に留まられました。

それが、この献身奉仕の過程がいかにすばらしいかということの証明です。それは至高の人格神さえも魅了することができます。神は偉大ですが、献身奉仕は神よりも偉大です。なぜなら、それは主を魅了するからです。献身奉仕の内にない人々(訳注:~をしない人々)は、主に奉仕をすることにどれほどすばらしい価値があるかを決して理解することができません。
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以上で本書の翻訳を終わります。末尾にある「家庭でのバークティ・ヨガ」以下、すべて省略します。

小さい本なのですぐに終わってしまいました。この後は途中で挫折してしまっていた「英知による放棄」に再度挑もうと思います。本の厚みが1.5センチもあるから、という情けない理由でくじけてしまったのです。安楽で安直な方向に流れる自分の性格が悲しいです。何でも大変そうで絶対終わりそうにないほど膨大に見えたら避けてしまうのです。本一冊と考えず、一ページが続いているだけと考えれば、いつかは終わるんですけどね。人生のようなものです。何か勉強して資格など取るために学校に行きなおすということを時々考えるのですが、2年だの3年だのの学生生活は、高い授業料が出せないということを抜きにしても、絶対に不可能な長い時間に見えます。でも、そうするうちに日めくりカレンダーが一枚、また一枚と薄くなっていき、気がついたら学校に行ってたくらいの時間が無為に過ぎていってしまっています。

実は来週からスターバックスで働くことになりました。前も4年ほど働いていたので、支店こそ違うものの、古巣に戻るような感じです。今回の仕事探しで履歴書も作り直したりしてましたが、一応だいたい正直に主だった仕事を書き出してみると、ということはつまり細かいものは省いたり、思い出せなかったりするわけですが、なんともはや、呆れ果てるほどいろいろと脈絡なく、行きあたりばったりに日銭を稼いで生き延びてきたもんだなと思います。

高校生の頃から地元のミニ新聞社でアルバイトを始め、「何月何日にどこそこで何とかというイベントがあります」という記事を書いたりしていました。校正や編集の真似事を教わったのはこの頃です。広告スペースを売るために地元のお店に営業に行ったりもしたし、下手くそな取材をして化け物のような写真を撮ったり、人数増やしのために地元のお祭りに出て浴衣で踊ったり、トラックの荷台に乗って踊ったり、選挙の手伝いをしたり、その他なんでもかんでも、言われたことは何でもやる雑用係をしていました。大学のときにもいろんな単発のアルバイトをやってたので、それはもはや思い出せませんが、、、そうそう、エレベーターガールをやったり、遊園地でアンケート調査をやったり、英検の受付をやったり、というのがありました。無責任な家庭教師もやってました。留学生に日本語を教えるアルバイトというのもありましたが、その後、クラスを持たされたら3回くらいで首になりました。違法ぎりぎりの会社で電話営業をやって1日で辞めたこともあります。

それから古着のバイヤーを3年ほどやって、パナソニックの機械のマニュアルを書き、ベビーシッター、年寄りの世話、ウェイトレス(すぐ首になりました)、ロボットの会社の論文の翻訳、グラフィックソフトの会社の製品パッケージデザイナー(兼、翻訳・校正その他)、フリーで翻訳、お歳暮だったかお中元だったかの発送アルバイトなどやって、、、

それからお土産屋さんの店員、ファストフードの店員、お茶やメープルシロップの専門店の店員、スタバのお姉ちゃん、皿洗いの少女、山小屋掃除のモモレンジャー(レンジャーという職名だったのです)、ゲストハウスの掃除のおばさん、露天の絵描き、改装工事の手伝い、よその家の掃除、ロシア公民館のイベントの手伝い(主に台所スタッフ)、英語と日本語の家庭教師、日本人留学生の論文の添削、日本から来た心理学者の通訳、ガラス絵の講習会、粘土絵の講習会(ユダヤ人のお年寄り向け)、紫外線対策商品のリサーチ、、、ほんの数えるほどですが、ガラス絵を売ったこともあります。ああ、そういえばクリスマスの頃など、商店の窓に絵を描く商売もやってました。ゆっくり思い出せば、他にもいろいろあると思います。めちゃくちゃですね。

資格らしい資格は何一つありません。英語に関しては昔々に英検2級に合格した覚えがあります。翻訳の勉強をしたこともないし、翻訳ソフトも使ったことがありません。21世紀にして、私が使うのは紙とペンなのです。辞書はオンラインのを使いますけれど。タイプをすることはできるけど、表計算ソフトとかフォトショップとか、面倒で難しいことは何もできず、オフィスでは使い物にならないと思います。車の運転もできないし、ガラス絵も独学だし、貯金も何もありません。すべてがこうやって中途半端な私が今までなぜか生き延びているのは、一つの奇跡と言えるのかもしれません。そしてそうやって綱渡りをしながら、お金にならない絵を描いたり、お金にならない翻訳をしたり、お金にならない公民館活動をしたりして生きてきました。

そして今再びスタバのお姉ちゃんとして返り咲くことになりましたが、厳密に言えばやはりこれはスタバのおばちゃんであり、確実に人生の時間が(かなり無為に)過ぎていっていることは否めません。これではいけない、とは思うものの、この齢まで無計画にやってきた私がこれから急に堅実な人生に方向転換することがありえるだろうかと思うのです。しかも、この間にいったい何度の引越しを重ねたことか。生まれてくるときに人は人生の青写真を持ってくるなどと言いますが、私はきっとどこかに置き忘れてきたのでしょう。クリシュナ、助けて、と思います、ほんとに。

どんなに計画を立てても、私たちには未来は分かりません。どんなに立派なものを作っても一瞬で壊れるし、溜め込んだものは失われるし、生きていた体は死にます。掴んだと思った幸せは消えるし、ほっと一息ついた足元は崩れるし、自分だと思っていた心さえも狂います。天を仰ぐより他はないところにいるんだな、と思うのです。
by ammolitering4 | 2014-04-12 13:36 | 「永遠の愛の術」


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