8-3-Bまで

8-2 クリシュナ意識は全く縁起が良い(All-Auspicious)

第1段落
シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、縁起の良さの定義を与えています。彼は、実際の縁起の良さは、世界のすべての人々のための福祉の(welfare、繁栄、幸福、福利)活動を意味するとおっしゃいます。現時点では、社会、共同体、あるいは国の立場から(in terms of、~の立場・見地から)、ばらばらのグループ(groups of people、人々の複数の集団)が福祉の活動に携わっています。

世界を助ける(world-help)活動のための、国際連合という形における試みさえあります。しかし、限られた国家的な活動の短所(shortcomings、欠点)が原因で、世界全体のためのそのような全般的な集団福祉計画(general mass welfare program)は現実的には可能ではありません。

しかし、クリシュナ意識運動はとてもすばらしい(nice)ので、人類全体に最高の利益を与える(to render)ことができます。誰もがこの運動に魅了されることができ、そして誰もが結果を感じることができます。したがって、ルーパ・ゴスヴァーミーと他の学識ある学者たちは、世界中での献身奉仕というクリシュナ意識運動のための幅広いプロパガンダ(訳注:主義主張の宣伝)計画は、最高の人道主義的な(humanitarian)福祉の活動であるということに同意します。

8-2-A すべての苦しみの終わり

第1段落
私たちは、自分の罪深い活動のために(because of)苦しみ、自分の徳のある活動のために楽しみます。しかし、この物質の世界では、私たちが楽しむのであれ、苦しむのであれ、共通する要素(factor)は苦しみです。

たとえば、来世において、今回の人生(this life)における徳のある活動が原因で、私が良い誕生を得ると仮定しましょう---私は十分な富、良い教育、そして身体的な美しさを持つかもしれません。しかし、たとえ私が金持ちの家庭に生まれたとしても、生まれてくる苦しみ(suffering of taking birth)は貧しい家庭に生まれる子供のそれと同じでしょう。

生まれてくる苦しみは、貧しい者にも豊かな者にも平等です。同様に、何らかの病気---たとえば熱があるとき、貧しい者よりも豊かな者のほうが痛みが少ない(less painful for ~than ~)というのではありません。痛みは同じです。

したがって、物質的な存在がある限り、この苦しむことと楽しむことは同じ水準に留まります:究極的に痛みがあるのです。しかし、もしも私たちがクリシュナ意識を習慣づけるなら、クリシュナは私たちに保証なさいます(to assure)。アハム・トヴァーム・サルヴァ・パーペブヒョ・モクシャイシャーミー、「私はあなたをすべての罪とすべての苦しみから解放します。」それが本当の縁起の良さです。

第2段落
クリシュナが私たちの面倒をみられるとき、主は私たちを徐々に内と外から教育なさり、私が家へ、至高神のもとへ戻れるように(may)なさいます。物質的な視点からは、富、教育、美、身分の高い両親(high parentage)などを得るのは縁起の良いことですが、これらすべては非常に多くの苦しみが混ぜられています(to be adulterated、不純物が混じって品質を落とす)。

したがって、それらは実際には縁起が良くありません。本当の縁起の良さは、喜びと知識の永遠の人生のために家へ、至高神のもとへ帰ることです。そしてそれは、何らの物質的な動機もなく主クリシュナへの純粋な献身奉仕に携わることによってのみ得られます。

そのため、純粋な献身奉仕に携わることは全くの縁起の良さ(all auspiciousness、または「すべての~」)の始まりです。そして、それを得るためには私たちは規則と規律に従い、日々ハレ・クリシュナ・マハー・マントラを唱え、いつも主への奉仕に携わらなくてはなりません。

8-3 クリシュナ意識は至高の幸せを作り出す

第1段落
シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは幸せの様々な(different)源を分析しました(to analyze)。彼は幸せを次のような3つの区分に分けました。
(1)物質的な楽しみから得られる幸せ
(2)自己を至高のブラーマンと同一視すること(to identify)によって得られる幸せ、そして
(3)クリシュナ意識から得られる幸せです。

第2段落
タントラ・シャーストラにおいて、主シヴァはご自分の妻サティーにこのようにお話しになります。「我が親愛なる妻よ、ゴヴィンダの蓮の御足の下に(at)服従した者、そしてそのようにして純粋なクリシュナ意識を育んだ者は、非人格主義者によって欲せられる(訳注:~が欲する)すべての完成を非常に簡単に授けられ得ます(to be awarded、報いとして与えられる)。そしてさらに(beyond this、これより先)、彼は純粋な献身者によって得られる幸せを(も)楽しむことができます。」

第3段落
純粋な献身奉仕から得られる幸せは永遠なので、最高のものです。他方で、物質的な完成から、あるいは自分自身をブラーマンであると理解することから得られる幸せは、一時的なので、劣っています。

人が物質的な幸せから落ちることを阻むものはなく(there is no preventing)、そして自己を非人格的なブラーマンとして認識することから得られる霊的な幸せからさえも、落ちる可能性は幾らでもあります(there is even every chance)(訳注:この場合、「落ちる」は「失う」と同義)。

第4段落
偉大なマーヤーヴァーディーのサンニャースィーたち---非常に高い教育を受けていて、ほとんど自己を認識した魂たち---が、時として政治的な活動や社会的な福祉の活動をする(to take to、習慣的に何かをし始める)ことが見られています(訳注:~の中には、時として~をする人々がいます)。

理由は、彼らは実際には非人格的な理解において究極の超越的な幸せを得ず、したがって物質的な水準(platform)に下りてきて、そのような俗的な事柄(affairs)に頼らねばならないからです(to take to、~に頼る、習慣的に何かをし始める)。

特にインドでは、これらのマーヤーヴァーディーのサンニャースィーたちが再び物質的な水準に下りてくる多くの例(instances、場合)があります。しかし、完全にクリシュナ意識にある者は、決して何らの物質的な水準にも戻りません。それらがどんなに誘惑的(alluring)で魅力的であっても、彼はいつも、どんな物質的な福祉の活動もクリシュナ意識の霊的な活動には比べられないと知っています。

8-3-A 非献身的なヨガからの幸せは劣っている

第1段落
実際に成功したヨギーによって得られる(訳注:~が得る)神秘的な完成には8つあります。アニマー・スィッディーは、それによって人がとても小さくなって石に入ることができる力を指します。しかし、現代の科学的な発達(improvement)もまた、私たちが石に入るのを可能にします。

なぜなら、それらは非常に多くの地下鉄を掘る(to excavate)こと、丘を貫くことなどを提供する(to provide for、この場合は「可能にする」のような意味)からです。そのため、アニマー・スィッディー、石に入ろうとする神秘的な完成は、物質科学によっても得られています。

同様に、ヨガ・スィッディー、すなわち完成のすべては物質的な術です。たとえば、あるヨガ・スィッディーにおいては、非常に軽くなって空中や水の上に浮くことができる力の発達があります。それもまた物質的な科学によって得られています。それは私たちが空中を飛んだり、水の表面に浮いたり、水の下を移動したりする(to travel)ことを可能にしました。

第2段落
もちろん、神秘的な完成の区分(categories)の中には、物質的な科学者がまだ開発し得ていない特定の過程もあります。たとえば、神秘的なヨギーは単に太陽光(the rays of the sunshine)を使うことによって太陽(the sun planet)に入ることができます。この完成はラギーマーと呼ばれます。

同様に、ヨギーは指で月に触ることができます。現代の宇宙飛行士は、宇宙船の助けによって月に行きますが、彼らは多くの困難を経験します。一方で、神秘的な完成を持った人は、自分の手を伸ばして指で月に触ることができます。

このスィッディーは、プラープティ、すなわち取得(acquisition)と呼ばれます。このプラープティ・スィッディーによって(with)、完全な神秘的なヨギーは月に触れるだけでなく、どこにでも手を伸ばして好きなものを何でも取ることができます。彼は特定の場所から何千マイルも離れたところに座っているかもしれませんが、もしもそうしたいなら、彼はそこにある庭から果物を取ることができます。これがプラープティ・スィッディーです。

第3段落
現代の科学者たちは、それによってこの惑星の取るに足らない(insignificant、ほんの少し)部分を滅ぼすことのできる核兵器を作り出しましたが、イーシターとして知られるヨガ・スィッディーによって、人は単に意思するだけで(simply at will)惑星全体を作ったり滅ぼしたりすることができます。

もう一つの完成はヴァシターと呼ばれ、この完成によって人は誰もを自分の統御の下に置くことができます。これはほとんど抗し難い(irresistible)催眠術の一種です。時として、このヴァシターの神秘的な力において少しの完成を得たらしい(may)ヨギーが人々の間に出てきて様々な無意味なことを言い、彼らの心を統御し、彼らを搾取し、彼らのお金を取って去っていくことが見られます。

第4段落
プラーカーミャ(magic、魔法)として知られるもう一つの神秘的な完成があります。このプラーカーミャの力によって、人は何であれ好きなものを得ることができます。例えば、人は水を自分の目に入らせ、再び目から出てこさせることができます。単に自分の意思によって彼はそのようなすばらしい活動を行うことができます。

第5段落
神秘的な力の最高の完成はカーマーヴァサーイターと呼ばれます。これもまた魔法ですが、プラーカーミャが自然という範囲の中で(within the scope of nature)すばらしい効果を作り出すために活動する一方で、カーマーヴァサーイターは人に、自然と矛盾する(to contradict)ことを許します---言い換えると、不可能なことを行うことです。もちろん、人はそのようなヨガの物質主義的な完成を得ることによって大変な量の一時的な幸せを得ることができます。

8-3-B 物質的な幸せ:最高でも一時的

愚かにも、現在の物質主義的な発達のきらめきに夢中になった(enamored)人々は、クリシュナ意識運動はあまり知性的でない(less intelligent)人のためのものだと考えています。「私は自分の物質的な快適さ---良いアパート、家族、そして性生活を維持することに忙しくしているほうがいい(I am better off~)」。

これらの人々は、自分がいつでも自分の物質的な状況から追い出され得るということを知りません。無明が原因で、彼らは本当の人生は永遠であるということを知りません。体の一時的な快適さは人生の目的(goal)ではなく、そして人々が物質的な快適さのかすかな(glimmering、ちらちらとかすかに光る様子)発展に惹きつけられるようになるのは、ひとえに、最も暗い無明が原因です。

したがって、シュリーラ・バークティヴィノダ・タークラは、物質的な知識の発達は人をもっと愚かにする(renders a person more foolish)、なぜならそれは人にその煌き(glitter、ぴかぴかと光る様子)によって自分の本当の自己を忘れさせるからだ、とおっしゃいました。

これは彼(訳注:人)にとって破滅(doom、悪い運命)です。なぜなら、この人生の人間の体は、物質的な汚染から出て行くためにあるからです。物質的な知識の発達によって、人々はますます物質的な存在に絡まってきています。彼らはこの災難(catastrophe、破局、破滅)から解放されるための何の希望も持ちません。
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by ammolitering4 | 2014-04-09 10:05 | 「永遠の愛の術」


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