第8章 8-1まで

第8章 純粋なバークティの6つの特徴

次にルーパ・ゴスヴァーミーは純粋な献身奉仕の6つの独特の特徴を挙げられます。
(1)純粋な献身奉仕は、あらゆる物質的な苦しみからの瞬時の解放をもたらす(訳注:~から直ちに解放する)。
(2)純粋な献身奉仕は、すべての縁起の良さの始まりである。(訳注:all auspiciousness、これはハイフンが入っていないが、「完全な縁起の良さ」という熟語とも取れる。)
(3)純粋な献身奉仕は、自動的に人を超越的な喜びに置く。(訳注:~に~をもたらす)
(4)純粋な献身奉仕は、滅多に得られない。
(5)純粋な献身奉仕のうちにある者(訳注:~をしている者)は、解放の概念(conception)さえあざ笑う(to deride)。
(6)純粋な献身奉仕は、クリシュナを魅了するための唯一の方法である。

(校正:ここで一行空ける。)クリシュナはすべてのものを魅了しますが(all-attractive)、純粋な献身奉仕は主さえも魅了します。これは、純粋な献身奉仕はクリシュナご自身さえよりも超越的に強いことを意味します。なぜなら、それはクリシュナの内的な力だからです。

8-1 クリシュナ意識はすべての物質的な苦しみからの解放をもたらす

第1段落
バガヴァッド・ギーターにおいて、主は、人は他のすべての仕事(engagements、携わっていること)を放棄してご自分に服従すべきである、とおっしゃいます。主はまた、そこで、服従した魂をご自分がすべての罪深い活動の反応から守る、というお言葉も与えられます。

シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、罪深い活動からの苦しみは、今の自分自身の罪(訳注:the sins themselves、「罪そのもの」という意味ですが、それでは意味が通じないのでこうしています。今の生において犯した罪、という意味だと考えられます)と、自分の過去生において犯した罪が原因である、とおっしゃいます。

一般に、人は無明が原因で罪深い活動をします(to commit、罪を犯す)。しかし、無明(ignorance、無知)は、反応---苦しみを避ける(to evade、敵などを巧みに避ける、かわす)言い訳(excuse)にはなりません。罪深い活動には2種類あります。

時が満ちたもの(mature、成熟、満期)と、時が満ちていないものです。それを原因として私たちが現時点で苦しんでいる罪深い活動は、時が満ちていると呼ばれます。私たちの中に蓄えられており、私たちがまだそのために苦しんでいないものは、時が満ちていないと考えられます。

例えば、ある人は犯罪を犯して、まだそのために逮捕されていないかもしれません。ところが(Now)、見つかれば直ちに、逮捕が彼を待っています。同様に、自分の罪深い活動の幾つかに対して、私たちは未来における苦しみを待っており、そして時が満ちているその他のものに対しては、私たちは現時点で苦しんでいます。

第2段落
このように、罪深い活動とそれらに付随する(concomitant)苦しみの鎖があり、制約された魂はこれらの罪が原因で何度も生まれ変わって(life after life)苦しんでいます。彼は現在の人生で自分の過去の人生(訳注:his past life、この場合はこの人生の過去も含む)からの罪深い活動の結果に苦しんでおり、そして彼はその間に、自分の未来の人生のために、さらなる苦しみを作り出しています。時の満ちた罪深い活動は、もしも人が何らかの慢性的な病気に苦しんでいるなら、もしも人が何らかの法的な問題(implication、係わり合い)に苦しんでいるなら、もしも人が身分が低くて堕落した(degraded)家庭に生まれたか、あるいは教育がないか、非常に醜いなら、現されています。

第3段落
それを原因として私たちが現時点で苦しんでいる過去の罪深い活動の多くの結果があり(訳注:私たちは、数多くの過去の罪深い活動の結果に今現在、苦しんでおり)、そして私たちは未来において、自分の現在の罪深い活動が原因で苦しんでいるかもしれません。

しかし、罪深い行い(deeds)へのこれらの反応のすべては、もしも私たちがクリシュナ意識を習慣づけるなら、直ちに止められ得ます。このことへの証拠として、ルーパ・ゴスヴァーミーは、シュリマッド・バーガヴァタム(11.14.19)から節を引用なさいます。

その節は、主クリシュナのウッダーヴァへの教えに関するもので、そこで主は「我が親愛なるウッダーヴァよ、私への献身奉仕は、ちょうど、それに注がれる無限の燃料を燃やして灰にする、燃えさかる火のようなものです」とおっしゃいます。

解説は、燃えさかる火がどれだけの量の燃料でも燃やして灰にできるように、クリシュナ意識における主への献身奉仕は、罪深い活動という燃料のすべてを燃やし尽くす(to burn up)ことができる、というものです。

たとえばギーターにおいてアルジュナは戦うことは罪深い活動だと考えましたが、クリシュナはご自分の命令の下で彼を戦場において働かせ(to engage him on~)、そしてそのため、戦うことが献身奉仕になりました。したがって、アルジュナはいかなる罪深い反応の影響下にもありませんでした。

第4段落
シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、シュリマッド・バーガヴァタムの第3巻(3.33.6)から節を引用なさいます。そこでデヴァフーティ(訳注:女性)は、サーンキャと呼ばれる種類のヨガを教えた自分の息子カピラデヴァ、クリシュナの化身に呼びかけ(to address)、こう言います。

「我が親愛なる主よ、聞くことと唱えることから始まり、9つの異なる種類の献身奉仕があります。あなたの娯楽について聞く者、あなたの栄光について唱える者、あなたに敬意を払う者(to offer obeisances、敬意、服従)、あなたのことを考える者、そしてこのようにして9種の献身奉仕のいずれかを遂行する者は誰でも---たとえ彼が犬食い(人類のうちで最も低い階層)の家庭に生まれたとしても---直ちに犠牲を行う資格を得ます。」

そうであれば(As such、しかるに)、誰であれ完全なクリシュナ意識において実際に献身奉仕に携わっている者が清められるようにならないということが、どうして可能でしょうか?それは可能ではありません。クリシュナ意識と献身奉仕に携わっている者は、疑いなく、物質的な罪深い活動のすべての汚染から解放されました(has become freed)。

したがって献身奉仕は実際に罪深い行いへのあらゆる(all kinds of)反応を無にする(to nullify)力を持っています。それでも(nevertheless)、献身者はいつも、どんな罪深い活動も行わないように(to commit)気をつけています(alert)。これが献身者としての彼の特定の性質です。

このように、シュリマッド・バーガヴァタムは、献身奉仕を行うことによって、犬食いの家庭に生まれた者でさえヴェーダにおいて勧められている儀式(ritualistic ceremonies)に参加する資格が得られる(to become eligible)と述べます。

この言明において、犬食いの家庭に生まれた者は一般的にヤジニャ、すなわち犠牲を行うのにふさわしくない(not fit for~)ということが暗に示されています(implicit)。ヴェーダにおいて勧められているこれらの儀式を行うことを司る(to be in charge of~)僧侶階級(priestly caste)は、ブラーマナ階層(order)と呼ばれます。ブラーマナでない限り、彼はこれらの儀式を行うことはできません。

第5段落
人は、自分の過去の活動に応じて、ブラーマナの家庭、あるいは犬食いの家庭に生まれます。もしも人が犬食いの家庭に生まれたなら、それは彼の過去の活動がすべて罪深かったことを意味します。

(訳注:all sinfulは「全く罪深かった」ともとれる。allはall-attractive, all-powerfulというふうに、「全く、完全に」という使い方をされる場合があります。普通はハイフンでつながっていますが、この本はレクチャーを文字にしてあるので、どちらとも取れます。意味はほぼ同じです。)

しかし、もしもそのような人でさえ献身奉仕の道を習慣づけ(to take to~)、主の聖なる御名---ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ---を唱え始めるなら、彼は直ちに儀式を行うのにふさわしくなります(he is at once fit to~)。これは、彼の罪深い反応が直ちに無効になった(to be neutralized、中和)ことを意味します。

(第6段落)
パドマ・プラーナにおいて、罪深い活動を原因とする4種の結果(effects、原因causeの反対語)があると述べられており、それらは以下のように挙げられています。
(1)まだ実を結んでいない(to be fructified)結果、
(2)種として横たわっている結果、
(3)既に時が満ちている結果、そして
(4)ほとんど時が満ちている結果です。

また、至高の人格神に服従し、完全なクリシュナ意識において主への献身奉仕に携わるようになる者にとって、これらの4つの結果のすべてはただちに克服される(to be vanquished、征服、打ち負かす)とも述べられています。

(第7段落)
「ほとんど時が満ちている」と描写された結果は、人が現在それが原因で(from)苦しんでいるものを指し(?)(訳注:これは間違いと思われます。「ほとんど」は不要)、そして「種として横たわっている」結果は、種のような罪深い欲望のある程度の蓄積(certain stock)がある、心臓の中心にあります(訳注:「種~」は心臓の中心にあり、そこには罪深い欲望がある程度溜まっていて、それは種のようなものだ)。

クータムというサンスクリットの単語は、それらがほぼ種を、あるいは種の結果(the effect of the seed)を作る準備ができていることを意味します。「時が満ちていない結果」は、芽生えが始まっていない場合(case)を指します。

パドマ・プラーナのこの言明から、物質的な汚染は非常に精妙(subtle)であると理解されます。その始まり、その結実(fruition)と結果、そして人がどのようにそのような結果を苦しみ(distress)という形で味わう(to suffer、苦しむ)のかは、巨大な連鎖(great chain)の一部です。

人が何らかの病気になるとき(to catch disease)、往々にして病気の原因、それがどこから来たか(to originate)、そしてそれがどのように発達しているか(to mature)を確かめる(to ascertain)のは非常に困難です。しかし、病気の苦しみは突然現れることはありません。それは実際に時間がかかります。

そして、医学の分野において、予防を目的として(for precaution's sake)医者が汚染の拡大(growing)を防ぐためにワクチンを打つのと同様に、私たちの罪深い活動の種のすべての結実(fructifications)を止めるための実際的な(practical)注射は、単にクリシュナ意識への携わりです。

(訳注:医学の分野では汚染が広まるのを防ぐために医者がワクチンを打って予防するように、私たちの罪深い活動という種が育って実を結ぶのを防ぐためには、クリシュナ意識になるという注射が現実的で有効です。)
by ammolitering4 | 2014-04-06 14:00 | 「永遠の愛の術」


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