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第2部 後半

第14段落
さて、バガヴァッド・ギーターにおいて描写されている過程全体は、目覚めているためのものです(~is to be awake)。あなたは純粋な意識―――霊魂です。そして、目覚めているためだけでなく、それに応じて活動するためでもあります(訳注:to act accordingly、この場合は「目覚めている者として、目覚めている状態で」などの意味)。

これは、それによって、究極の最後のときにあなたの純粋な意識がこの身体的な呪縛から解放されるようになるためです(訳注:原文は前の「そして~」から繋がる長い一文)。そのときあなたは健康な人生を得るでしょう。これは、この物質的な人生は、病です(This is a disease, this material life)。

この身体的な体は、私の人生の病んだ形(my diseased form of life)のしるしです。私は実際は誕生と死の影響下にはありません(subject to~)。私は永遠です。私は決して生まれません(I never take my birth)。私は決して死にません。これが私の本当の立場です。それなら、この誕生と死とは何でしょうか?それはこの体によるものです(due to~、原因)。衣服(dress)のように体を替えることが誕生と死と呼ばれます。しかし実際は私は純粋な魂です。

第15段落
今、人々は神が死んだと言っています。この理論は人気があります。彼らは、主がお亡くなりになったというプロパガンダを広めています(to make)。しかし、神も私たちも決して死にません。また、私たちは生まれもしません。バガヴァッド・ギーターにおいて、バーガヴァーン、至高の人格神シュリー・クリシュナは、こうおっしゃいます。

「アルジュナよ、なぜあなたは戦うことを恐れているのですか?私自身、あなた自身、私たちの前に集まったこれらすべての王たちと兵士たち―――彼らすべて―――彼らは以前、存在していて、そして今、存在していて、そして未来も存在し続けるでしょう。誕生と死はありません。

ですから、この戦争(warfare)は身体上のものです(訳注:This warfare should be on the condition of the body、体の状態に関するもの。この場合のshould は単に未来のことを表す)。それを恐れてはいけません。」

第16段落
この点を私たちは既に論じました。人はこの点を理解しなければなりません:私は純粋な魂である。純粋な魂としての私の存在は、私の意識がそのしるしです(to be symptomatized、特徴づけられる)。私は人生で過去に何が起こったか(what has happened in my past life)を知っています。

そして、今起こっていること(what is happening)、それも私は覚えていることができます。そして、私は自分の未来の人生(my future life)について推測する(to guess)ことができます。少なくとも、私は自分の未来のために計画を立てます。未来を持たないなら(unless、~でない限り)、なぜ私は計画を立てるべきでしょうか?

しかし、私はこの過去、現在と未来を超えています(beyond)。私は永遠です。主は永遠であり、至高神の欠かすべからざる小片として私も永遠です。したがって、私の自己利益はその永遠の人生を得る(to attain)ことです。完全な喜びの人生。完全な知識の人生。

それが私の人生の使命(mission、任務、役目)です。そして、その立場を真剣に受け止める者、この人生の使命を果たし始めた(訳注:who has taken up this mission of life、to take upは「申し出や約束に応じる、問題を取り上げる、特定の能力を要する仕事を始める」など)者、そしてその完成のために努力している者、彼は実際に目覚めています。

そして、この地点にいない他の者たち、彼らは眠っています。これが眠っている者のしるし(mark)です。一日中、熱心に(strenuously)働いている者、彼は実際には目覚めていません。彼の本当の知性が眠っているので、彼は眠っています。彼は自分の自己利益を失ってしまっています(he has lost)。彼は、人間の人生の本当の利益は何であるかを知りません。

第17段落
すべてのヴェーダ文献はこのように私たちに嘆願しています(to implore)。「眠ってはいけません!眠ってはいけません!目覚めていなさい!目覚めていなさい!起き上がりなさい(to get up)!この眠りから起き上がりなさい!あなたが今持っている恩恵(boon)を活用しなさい。愚かであってはいけません。」

第18段落
人々は一所懸命に働き、食べるのに十分なお金を稼いでいます。特に皆さんの国では、食べることのために十分な手段(means)があり、誰も飢えていません。それは良い(That's all right)のですが、彼らはそれでも(still)満足していません。私はこれを非常に注意深く研究しました(to study)。

若者たち(younger people)は皆、不満があるように(to be frustrated、失望、挫折)見えます。国の未来の希望である若い世代が、希望がないと感じるのは、あまり良い状態ではありません。彼らの未来は暗黒(dark)です。なぜでしょうか?なぜなら、彼らは方向(direction、指導、指示)を持たないからです。

人生の目的(aim)は何でしょうか?彼らは何になるでしょうか?(訳注:彼らに与えられている)哲学は、一所懸命に働き、お金を稼ぎ、好きなように楽しむというものです。これは誤った導き(misguidance)です。したがって、若者たち(the young)は幸せではありません。

そのため彼らは満足のために、好ましくない何か(something which is objectionable)に頼ります(訳注:to take center of とあるが、レクチャーなのでto take shelter ofの聞き取り違いではないかと思われる。好ましくないものとは麻薬その他の退廃したものを指す)。しかし、それは完全な満足を与えることはできません。

第19段落
今、ここに機会があります。バガヴァッド・ギーターはあなたに、あなたの実際の人生を見せることができます。それを利用してください。特に若者たち(younger people)に(訳注:そうするように)頼んでください(to appeal、訴える、懇願する)。不満を持っていてはいけません(to be frustrated、挫折、失敗);落胆していてはいけません。

あなたの未来には完全な楽しみがあります。あなたがたは皆、至高存在の欠かすべからざる小片です。イーシュヴァラ・パラマ・クリシュナ、サック・チット・アーナンダ・ヴィグラハ。主は、こうおっしゃいます。「おお、これらの気の毒な生命体よ。彼らは非常に苦しんでいます。彼らは不満に感じています。おお、彼らは私の欠かすべからざる小片です。」

そのため主は、あなたを取り戻しに(to claim、返還を要求する)いらっしゃいます。「我が愛しい息子たち(boys)よ、なぜあなたたちは苦しんでいるのですか?私の言葉を聞いてください(Please hear me)。あなたのすべての仕事(engagement)を放棄しなさい。ただ、私の言葉を聞きなさい。

私の言うことに従おうとしなさい。私はあなたを罪のすべての反応から自由にします(shall)。」あなたはバガヴァッド・ギーターの中で、これが保証されているのを見るでしょう。単に主に服従しなさい。もちろん、シュリー・クリシュナだけではありません。

主イエス・キリストもまた、同じようにお話しになりました。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。 (『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年 )

(“Come unto me, all ye that labour and are heavy laden, and I will give you rest. Take my yoke upon you, and learn of me; for I am meek and lowly in heart: and ye shall find rest unto your souls. For my yoke is easy, and my burden is light.” (Matthew: 11/28-30))

それが霊的な世界から―――至高神の王国から来るすべての人のメッセージです。それが唯一のメッセージです。

第20段落
そのため実際には、このバガヴァッド・ギーターはあなたに幸せな人生への光を与えています。この機会を逃してはなりません。それを聞こうと、得ようと(to have)しなさい。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、それを非常に簡単になさいました。

私たちの人生の使命を果たすために(to fulfill the mission of our life)、献身奉仕の9つの異なる過程があります。聞くこと、唱えること、覚えていること、崇拝すること、受け入れること、奉仕をすること(service)、すべてを差し出すこと、友情、そして祈ることです。

これらの9つの中で、主たる、そして基本の(訳注:principal and primary、どちらも同じような意味で、基本的で主要なものを形容する)ものである最初の二つの過程は、シュラヴァナム・ナールタナム・ヴィシュヌです。聞き、讃えなさい。それは非常に多くの人生を通して(for so many lifetimes)溜まった埃をあなたの心(heart)から洗い落とし、そしてあなたは物事を非常にはっきりと見るようになるでしょう。

第21段落
スヴァーミンとゴスヴァーミンは、「感覚を完全に統御している者」を意味する同義(synonymous)語です。自分は感覚を統御することができない、と考えていてはいけません。誰もがそうできます。あなたはこの過程によって力を得るでしょう。

この、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ、ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えることは、あなたを助けるでしょう。自分には力がないと考えることによって落胆してはいけません(to be dejected)。あなたは力を得るでしょう。この過程を続けなさい。

キールタム・シュラヴァナムは、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレを唱えることを意味します。そして、バガヴァッド・ギーターとシュリマッド・バーガヴァタムからいくつかの節(passage)を聞きなさい(訳注:この場合は文脈上、「~を聞くことも意味します」という意味)。これらの二つの過程を利用しなさい。そうすれば(and)あなたは自分の霊的な人生のための力を見出すでしょう。人はその感覚の統御という立場に位置するようにならねばなりません。

第22段落
さて、海を見たことがあるので、あなたは何の疑いも持ちません。なんと満ち溢れていることでしょう!(How full it is!)海はとても力強いので、もしもそれが上がったなら、ニューヨーク市全体が水の下に沈む(to be submerged)でしょう。しかしそれは私たちの心を乱しません(to disturb)。

それはその限界以上には行きません。例えば、ナロー水道(訳注:the Narrows、ニューヨーク港に通じる ロング・アイランドとスタテン・アイランドとの間の狭い海峡 )は、海の境界線(brink)です。海はナロー海峡の反対側には来ません。これが例です。感覚を統御したとき、私たちはちょうど大きな海のようになります―――霊的な知識に満ちていますが、誰の心も乱さず、そして(訳注:何者にも)心を乱されず、穏やかで静か。平安です。

第23段落
ベンガル地方にはおよそ500本の川があります。これらすべての川が水を海へ運びます(~flow down water, to the ocean)。しかしそれでも、海、ベンガル湾は穏やかで静かです。静かなのです。同様に、海と同じくらい満ちて大きくなった(as full and as big as the ocean)者にとって、物質的な欲望は来るかもしれませんが、彼らは心乱されません。

非常に多くの川が水を運んでいるにも関わらず、それ(訳注:海)は全く溢れることなく(訳注:you won't see an inch of water out of it、1インチの水さえ出てくるのを見出せない)、そしてどれだけでも水を注ぎいれることができます。水面の高さ(sea level)はいつも同じです。この例が与えられています。

欲望は、私たちは必ず持っています(Desires we must have)。私たちは欲望を消す(to extinguish、火を消す)ことはできません。自分は欲望を抑える(to subdue)ことができると考えるのは愚かさです。欲望は生命のしるしです。欲望は存在するに任せなさい(Let there be desires)。

もしも私が生命と意識を持っているなら、それなら欲望もまた、必ずそこにあります(desire must also be there)。ちょうど、水が川から海へ流れるときに海が乱されないように、人はこれらの欲望によって心乱されるには及びません(need not be、必要がない)。これが術(art、技量、技能、芸術、熟練)です。これがあなたの人生の完成の秘密です。

第24段落
欲望は来るかもしれませんが、もしもあなたが正しい理解をしっかりと持っているなら(to be fixed with~)、あなたは自分の欲望を転換します(to convert)。過程全体は、あなたの欲望を主のとぴったり合わせる(to dovetail、繋げる、緊密に結びつく)ことです。

例は、アルジュナは戦わないことを望みますが、バガヴァッド・ギーターを聞いた後で彼の欲望が変わったことです。彼は「はい、私は戦います!」と言いました。彼は戦うことを欲しました。ですから、欲望がありました。欲望の相(mode)が変わりました。それだけです。

同様に、私たちは欲することを止めることはできません。それは可能ではありません。しかし私たちは欲望の性質を変えなければなりません。それだけです。それはあまり難しくありません:私はこれをしよう、私はこれをすまい(I shall do this, I shall not do this)。

バガヴァッド・ギーターは、私たちにこれらのことを見せるためにあります。バガヴァッド・ギーターを聞く前に、アルジュナは何かを欲しており、そしてバガヴァッド・ギーターを聞いた後で彼は他の何かを欲しました。欲望の性質が変わりました。

同様に、ギーターを聞くことによってあなたは自分の欲望を変えることができます。あなたは自分の欲望を止める必要はありません。あなたは単に自分の欲望を浄化しなければならないだけです。そうすればあなたはそれらによって心乱されないでしょう。

自分の欲望があなたの心を乱すとき、あなたは、自分はまだ霊的に確立していないと知るでしょう(you may know)。そしてあなたの欲望があなたを啓発し(to enlighten)、あなたを元気づけ(to enliven)、あなたに幸せを与えるとき―――あなたはその欲望は霊的であると知るでしょう。ちょうどアルジュナのときのように(just as with~)、欲望は変えられねばなりません。

第25段落
欲望をあるに任せなさい。今、あなたは欲望を変えることができます。クリシュナのために欲しなさい(Desire for Krishna)。自分自身のために欲してはいけません。クリシュナのために欲しなさい。私はどうやってクリシュナのために欲することができるでしょうか?

実際的な例を挙げましょう(Take a practical example)。クリシュナは私たちにこう呼びかけるためにこの物質世界においでになりました。「我が愛しい息子たちよ、あなたのすべての意味のない仕事(nonsensical engagement)を放棄してください。私の信者(follower)になりなさい。

そうすれば(and)私はあなたを守ります。」これがクリシュナのメッセージです。今、バガヴァッド・ギーターが存在します。クリシュナのメッセージです。もしもあなたがこのギーターのメッセージを世界の人々に布教したい(to preach)と望むなら、それはあなたが自分の欲望を変えたことを意味します。

そしてあなたはそれによって(thereby)自分自身を浄化することができます。欲望を遂行する(to execute)ための十分な活動があるでしょう(訳注:~ためにたくさんのことをするでしょう)。しかし、これらすべての活動は浄化されるでしょう。

第26段落
そのため、私たちは自分の活動も、欲望も、止める必要はありません。しかし私たちは、アルジュナがしたように、それらを主の欲望とぴったり合わせなければなりません。自分の欲望をシュリー・クリシュナのとぴったり合わせたあと、彼の活動はもっと責任のあるものになりました。

ちょうど臆病者(coward)のように、彼は戦うことを拒否していました。彼はクシャトリヤ、軍人でした。彼の義務は正義(a good cause、正当な理由)のために戦うことでした。そして、正義とは何でしょうか?シュリー・クリシュナは彼に戦うように命じました(to instruct、はっきりと指示する、教える)。

「これが私の計画です。」これより良い理由があるでしょうか(what can be a better cause than this)?至高の人格神がこれが私の望みであるとおっしゃるとき、何がもっと重要であり得るでしょうか?そして、何が至高の人格神から直接来ているものより良い目的であり得るでしょうか?

第27段落
私たちが至高主の欲望にぴったり合わせるとき、そのとき私たちの責任はもっと重要(imperative、ぜひとも果たすべき、緊急の、断固とした、必須の)になり、そして私たちはもっと(than we are otherwise)活動的になります。物質的な活動では、人は疲れます(you will get tired)。

これが物質的な活動と霊的な活動の違いです。霊的な活動に携わっているとき、人は疲れません。あなたは活動するためのますます新しい(newer and newer)力を得るでしょう。したがって、欲望は止められるべきではありません。

何であれあなたが自分の内に持っている力は、それは至高主によって与えられたものです。なぜならあなたは至高主の欠かすべからざる小片だからです。そして、もしもあなたがそれを至高主の目的のために活用するなら、それならあなたは主とぴったりと合うようになり、そしてあなたの人生は成功します(to become successful)。

あなたは物質的な欲望によって心乱されません;あなたは平和を得るでしょう。何度も生まれ変わって、いつもいつも求めていた平和(The peace for which you are hankering in life after life, moment after moment)―――あなたの欲望が浄化され、主のとぴったり合ったとき、そのときにあなたはその平和を得るでしょう。

感覚の満足、物質的な満足の楽しみを欲する者は、決して幸せになりません(will never be happy)。それは可能ではありません。もしもあなたが平和を望むなら、もしもあなたが幸せを望むなら、もしもあなたが人生における完成を望むなら、それなら、ただ、あなたの欲望、活動、そして力(potential、潜在能力、可能性)を至高の人格神にぴったり合わせ始めなさい。そうすればあなたは、本当の幸せとは何かを知るでしょう(you will see)。そして、誰が本当に(訳注:本当は誰が)狂っているのかを見分けることができるでしょう(will be able to tell)。
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以上で本書の翻訳を終わります。

今回のはほんとに小さな本でしたが、いつもながら学ぶところの多い内容でしたね。さて、こうして字面で眺めたことが実際に血となり肉となってくれるでしょうか。それは私の努力次第ということなのでしょうけれど、世の中には睡眠学習とか(今もやってる人がいるのかな)速読術とか、個人の努力とあんまり関係なく情報が染み込んでくるような現象もあるようですから、日々なんとなく見ているうちにいつのまにか立派な人になっている、というようなことを期待しております。

続きましては、同じく小さくてすぐに完成しそうな「Bhakti-Yoga、The Art of Eternal Love」を予定しています。他に翻訳があるかどうかは、あまり気にしないことにしました。自分の勉強として、気が向いたのを訳していこうと思います。まだ全然手をつけてませんので、のんびりお待ちください。
by ammolitering4 | 2014-03-14 13:03 | 「クリシュナ、喜びの宝庫」 | Comments(0)
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