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第1部 20段落まで

第10段落
自分の最後のカルマ、すなわち活動に応じて、人(訳注:one、ここでは「人」としていますが、生命体全体を指します)は楽しむために、あるいは苦しむために、この体を得ます。それが誕生と死の過程です。そして、この人生を終えたあと、再び人は死に、そして再びある母親の子宮に入ります。それからもう一つの種類の体が出てきます。これが輪廻転生の過程です。

第11段落
私たちは、どうやってこの繰り返す誕生と死と体の交代(change of body)という過程を止める(to discontinue)ことができるかということについて、非常に熱心に学ぶ(diligent、熱心に学ぶ様子)べきです。それが生命の人間の形の特典(prerogative)です。

私たちは、誕生と死を通した繰り返す変化(repeated change through birth and death)というこの過程を止めることができます。私たちは自分の本当の霊的な形を再び得て、喜びに満ちた状態、知識に満ち、そして永遠の生命(訳注:のある状態)になることができます。(訳注:原文は説法の文字起こしであるため、やや文法の乱れがある。)

それが進化の目的です。私たちはこれを得損なう(to miss)べきではありません。解放の過程全体が、ちょうど今、私たちがこの唱えることと聞くことを始めたことで始まります(~ begins just as we have now begun~)。私は、この、神の聖なる御名を唱えること(ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ」と、ギーターの真実を聞くことは、クリシュナとの身体的な関わりと同じくらい良いのであるということを指摘したいと思います。

それはギーターの中に述べられています。この過程はキールタナと呼ばれます。たとえ人が言語(the language、この場合はマントラのサンスクリット語)を理解しなくても、それでも単に聞くことによって、彼は何らかの信心(piety、祈り、敬虔さ)を得ます。たとえ彼が理解しなくても、彼の財産(訳注:assets、貴重なもの、この場合はマントラを聞くことによって得られた信心を指す)は彼を敬虔な(pious)人生に導きます―――それはそのような力を持っています。

第12段落
クリシュナに関して2つの話題(topics)があります。正しくは2種類の話題です。一つの話題はこのバガヴァッド・ギーターです。それはクリシュナによって(訳注:byを斜体で強調)話されます。そしてクリシュナに関するもう一つの話題はシュリマッド・バーガヴァタムです。

それはクリシュナについて(訳注:aboutを斜体で強調)話されます。ですから(So)2種類のクリシュナ・カター(話題)があり、どちらも同じく力があります(both of them are equally potent)。なぜなら、それらはクリシュナと結びついているからです(to be connected)。

第13段落
バガヴァッド・ギーターはクルクシェトラの戦場で語られているので、一部の人々は私たちが戦場と何の関係があるのか(what we have to do with the battlefield)と尋ねました。私たちはどの戦場とも何の関係もありません。私たちは霊的な領域(sphere、分野)の知識を探し求めています(we are after~)。

それなら、なぜ私たちはこの戦場に関心を持つべきでしょうか(why should we bother about~)?クリシュナが戦場にいらっしゃるので、そしてそのため、戦場全体がクリシュナ化しました(to have become Krishna-ized)。ちょうど、何かの金属に電流が流れるとき、金属全体が電力で満たされる(訳注:to be surcharged、過度に入る、という意味だが、この場合は単に「帯びる」という意味だと思われる)ようなものです。

そのため同様に(so too)、クリシュナが何かの物体(matter、事柄)に興味を持たれるとき、その物体はクリシュナ化します。そうでないなら、クルクシェトラの戦場を論じる必要はありません。それが主の万能性です。

第14段落
この万能性はシュリマッド・バーガヴァタムにおいても描写されています。多くのクリシュナ・カターが存在します。ヴェーダ文献はそれらに溢れています。ヴェーダ(複数)は、それらがクリシュナ・カターであることを意味します。

ヴェーダを含め、聖典(訳注:文法的には整合しない単数となっているが、「一つの聖典は他のものから」、すなわち互いに違うという意味)は異なっているように見えるかも知れませんが、それらはすべてクリシュナ・カターのためにあります(they are all meant for~、用途、目的、意図)。もしも私たちが単にクリシュナに関するこれらの話題を聞くなら、それならそれなら結果は何でしょうか?それは純粋な超越的な振動であり、そして結果は霊的な意識です(will be)。

第15段落
たくさん、たくさんの誕生の間の(during the course of~)物質的な汚染によって(due to~)、私たちは心(hearts)の中にたくさんの縁起の悪い(inauspicious、忌まわしい)ものを溜め込みました(to accumulate)。たくさん、たくさんの誕生―――この(訳注:今回の)誕生だけでなく、過去の誕生もです。

そのため、私たちがクリシュナ・カターをもって(with)自分の心の中を調べる(to search into~、調査、詮索)とき、そのとき私たちが溜め込んだ汚染は洗い流されます。私たちの心からすべてのゴミ(rubbish)が洗い落とされます(to be cleansed of~)。そして、すべてのゴミが取り除かれれば直ちに、そのとき私たちは純粋な意識に位置します。

第16段落
自分自身からすべての偽りの呼称(designation)を根こそぎにする(to eradicate)のは非常に困難です。たとえば、私はインド人です。私はインド人ではなく純粋な魂だと直ちに考えるのはあまり簡単ではありません。同様に、これらの身体的な呼称との同一視(identification、身元確認)を終わらせるのは、誰にとってもあまり簡単な仕事(task、課題)ではありません。

しかしそれでも、もしも私たちがクリシュナ・カターを聞き続けるなら、それは非常に簡単になります(it will be)。実験をしてください(Make an experiment.)。どれほど簡単にあなたが自分自身をこれらすべての呼称から解放することができるかを見るために、実験をしてください。もちろん、突然、心(mind)からゴミを取り除く(to clear out)のは可能ではありませんが、私たちは物質自然の影響が弱まった(to be slackened、ゆるんだ)ことに直ちに気づきます。

第17段落
物質自然は、3つの相―――徳、熱情、および無明において働いています。無明は望みのない(hopeless)人生です。熱情は物質主義的です。熱情の相によって影響されている人は、物質存在のこの偽りの楽しみを欲します。

真実を知らないので、彼は単にこの物体を楽しむために体のエネルギーを搾り出したいと望みます。それが熱情の相と呼ばれます。無明の相の中にいる者に関して言えば、彼らは熱情も徳も持ちません。彼らは人生の最も深い暗闇の中にいます。

徳の相に位置すれば(Situated in the mode of goodness)、私たちは少なくとも理論上は(theoretically)、私は何であるか、この世界は何であるか、神は何であるか、そして私たちの相互関係(inter-relationship)は何かということを理解することができます。これが徳の相です。

第18段落
クリシュナ・カターを聞くことによって、私たちは無明と熱情の段階から自由になります。私たちは徳の相に位置するようになります(we will be situated~)。少なくとも、私たちは本当の知識―――私たちは何であるかという知識を持つようになります。無明は動物の存在のようなものです。

動物の人生は苦しみに満ちていますが、動物は自分が苦しんでいることを知りません。豚を例に取りましょう。もちろん、ここニューヨーク市では豚は見られません。しかしインドの村では豚を見かけます。おお、彼の人生の何と惨めなことか。非常に汚い(filthy)ところに住み、糞を食べ、いつも不潔です。

それでも豚は、糞を食べ、そして雌豚(she-hog)と絶え間ない性交をし、ただ太っていくだけで、とても幸せです。豚はそこにある楽しみの精神によって(because of the spirit of enjoyment which is there)大変太ります―――しかし(although)彼にとって、それは感覚的な楽しみです。(訳注:「そこにある楽しみの精神によって」太るというのは何のことか私は分かりません。)

第19段落
私たちは、誤って自分は非常に幸せであると考える豚のようであるべきではありません。昼も夜も(all day and night)熱心に働き、それからいくらかの性生活を持つ―――私たちはこのようにして自分は非常に幸せだと考えます。しかしこれは幸せではありません。これはバーガヴァタムにおいて豚の幸せと描写されています。人間の幸せは、彼が徳の相に位置しているときです。そのとき彼は本当の幸せは何であるかを理解することができます。

第20段落
私たちの日常の仕事(routine、決まりきった仕事)において、もしもこのクリシュナ・カターを聞くなら(訳注:毎日欠かさず~を聞くなら)、結果は、何度も生まれ変わって(life after life)溜まった、心の中のすべての汚れたものが取り除かれる(to be cleared out)というものです。事実、私たちは自分がもはや無明あるいは熱情の中におらず、そうではなく徳の相に位置しているのを見るでしょう(訳注:~に気づくでしょう)。その立場(position)とは何でしょうか?
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さあ、いったい何でしょうか!?来週をお楽しみに!、、、という連続ドラマのような展開になってきましたが、ここで終わったのは私のノートのページがなくなったから、という即物的な理由によります。案外早く前回の続きが来ましたね。仕事がなくてヒマですので、こういうときはやっぱり進みますね。しかし、喜んでばかりもいられないのが困ったところです。隕石に乗って何か降ってこないかなあ。今は仕事だけじゃなくて住むところも探さなくちゃいけませんので、どうぞ皆さん、気の毒な葉子さんに少々の現世利益があるように色づけしたマントラをお願いいたします。
by ammolitering4 | 2014-03-05 04:28 | 「クリシュナ、喜びの宝庫」 | Comments(0)
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