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第5章 前半

第5章 至高存在に向けて舵を取る

第1段落
(サンスクリット引用)

「これらすべての献身者たちは疑いもなく寛容な(magnanimous、高貴で寛大な様子)魂ですが、私に関する知識のうちに位置する者(訳注:~を持っている者)は、たしかに(verily)私の内に住む(to dwell in Me)と私は考えます(he who is ~ I consider~)。」(Bg.7.18)

第2段落
ここでクリシュナは、主のもとにやってくるすべての者―――苦しんでいる、お金を必要としている、好奇心がある、など何であれ(whether they be~)―――は歓迎されるが、彼らのうちで、知識のある者が主にとって最も愛しい、とおっしゃいます。

しかし一般的に、人が利益を求めて教会に行き、お金が得られないとき(the money doesn't come)、彼は神に近付くことは無意味(non-sense)であると結論し、そして彼は教会とのすべての関わりを放棄します。それが隠された動機(ulterior motive、下心)で神に近付くことの危険です。

例えば、第2次世界大戦の間、多くのドイツ兵の妻たちが夫の無事な帰還のために祈るために教会に行ったと報告されましたが、彼らが戦いで殺されたことを知ったとき、彼女らは無神論的になりました(訳注:構文の関係で、「~と報告されました」が前の部分だけにかかるのか全体にかかるのか、よく分かりません。このような構文は頻繁に見られ、どちらでもそれほどの違いはない場合が多いので、読むときにはご自分で適宜ご判断ください。)

このように私たちは神に、私たちの命令を遂行する者(order-supplier、注文の品を提供する人)となることを望み、そして主が私たちの命令を遂行しないとき(訳注:願いを叶えてくださらないとき、という意味)、私たちは神はいないと言います。それが物質的なものを求めて祈ることの効果(effect、影響)です。

第3段落
このことに関して、5歳ほどでドゥルヴァという名前の、王族に属する小さな男の子の話があります。時が経つうちに、彼の父親、王は、彼の母親に嫌気が差し(tired of~、うんざりする)、彼女を彼の妃(の地位)から退けました(to depose、高い位から退ける)。

彼はそれから別の女性を妃として迎え、そして彼女は男の子の継母になりました。彼女は彼を非常に妬んでおり(envious)、そしてある日、ドゥルヴァが父の膝(knee、単数)に座っていると、彼女は彼を侮辱しました(to insult)。

「おお、あなたはあなたのお父さんの膝の上に座ることはできません」と彼女は言いました。「なぜなら、あなたは私から生まれたのではないからです。」彼女はドゥルヴァを彼の父親の膝から引きずり下ろし、そして男の子は非常に立腹しました。

彼はクシャトリヤの息子であり、そしてクシャトリヤはカッとしやすいこと(quick temper、短気)で知られています(notorious、悪名高い)。ドゥルヴァはこれを重大な侮辱(great insult)として受けとり、そして彼は退けられていた自分の母親のところに行きました。

第4段落
「お母さん(校正:M→ m)」と彼は言いました。「私の継母は、私をお父さんの膝から引きずり下ろすことによって私を侮辱しました。」

「愛しい息子よ」と母親は答えました。「私に何ができるでしょうか?私は無力(helpless)で、あなたのお父さんはもはや私を好きではありません(to care for)。」

「では(Well)、私はどうやって仕返しができるでしょうか(to take revenge)?」と少年は尋ねました。

「我が愛しい子よ、あなたは無力です。神様が助けてくださるなら、それで初めてあなたは仕返しをすることができます(Only if Good helps you can ~)。」

「おお、神様はどこにいらっしゃるのですか?」とドゥルヴァは熱心に尋ねました。

「非常に多くの賢人たちが神様を見るために密林や森に行くそうです(I understand~)」と母親は答えました。「彼らはそこで神様を見つけるために大変な苦行(penances)と禁欲(austerities、耐乏生活)をします(to undergo、苦難に耐える)。」

第5段落
ドゥルヴァは直ちに森に行き、虎や象に「おお、あなたは神様ですか?あなたは神様ですか?」と尋ね始めました。このようにして彼はすべての動物に尋ねていました。ドゥルヴァが非常に知りたがっている(very much inquisitive)のを見て、シュリー・クリシュナは状況に対処する(to see about、取り計らう、処置をする)ためにナーラダ・ムニを遣わしました。ナーラダはすぐに森へ行ってドゥルヴァを見つけました。

第6段落
「我が親愛なる少年よ」とナーラダは言いました。「あなたは王家に属しています。あなたはこれらすべての苦行と禁欲(penances and austerities)に苦しむことはできません(cannot、この場合は禁止の意味。こんな苦行や禁欲をしていてはいけません)。家に帰ってください。あなたのお母さんとお父さんは、あなたのことを大変心配しています。」

「そのように私(の心)をそらそうとしないでください(to divert)」と少年は言いました。「もしもあなたが神様について何か知っているなら、あるいはもしもあなたが、私がどうやって神様を見る(to see、会う)ことができるかを知っているなら、教えてください。そうでなければ、去って、私を邪魔しないでください。」

第7段落
ドゥルヴァが非常に決意が固い(determined)ことを見て取ったとき、ナーラダは彼を弟子として入門させ(to initiate)、彼に「オーム・ナモ・バーガヴァテ・ヴァースデヴァーヤ」というマントラを与えました。ドゥルヴァはこのマントラを唱えて完璧になり、そして神様が彼の前に現れました。

第8段落
我が親愛なるドゥルヴァよ、あなたは何が欲しいですか?あなたは私から何であれあなたが欲しいものを取ることができます。」

「我が親愛なる主よ」と少年は答えました。「私は単に私の父の王国と土地のために大変厳しい苦行をしていましたが、今、私はあなたを見ました。偉大な賢人や聖人でさえ、あなたを見ることができません。私の利益は何でしょうか?

私は、ただ(merely)幾らかのガラス片とゴミ(some scraps of glass and rubbish)を見つけるために家を出て、そしてその代わりに私は大変価値のあるダイヤモンドを見つけました。今、私は満足しています。私はあなたから何も求める必要はありません(I have no need to ask anything of You)。」

第9段落
このように、たとえ人が非常に貧しくても(poverty-stricken)、あるいは苦しんでいたとしても(one may be~)、もしも彼がドゥルヴァと同じ決意を持って、神を見て主の恩恵を受けることに熱心になって(intent on~、一心に、没頭して)神のところに行くなら(訳注:何が何でも~しようとして)、そしてもしも彼がたまたま神を見るなら、彼はもはや何らの物質的なものも欲しません。

彼は、物質的な所有の愚かさを理解するようになり、そして彼は本当のもののために幻想を脇に置きます。人がドゥルヴァ・マハーラージャのようにクリシュナ意識に位置するようになるとき、彼は完全に満足するようになり、何も欲しません。

第10段落
ジニャーニー、賢人は、物質的なものはうつろいやすい(flickering、不安定に光る、ちらつく)と知っています。彼はまた、すべての物質的な益(gain)を複雑にする(to complicate、事を紛糾させる)3つの側面があることを知っています―――

人は自分の仕事から利益を欲すること、人は自分の富(riches)のために(because of)他者から崇敬(adoration)を欲すること、そして人は自分の富(wealth)のために名声を欲することです。どの場合でも、彼はこれらすべては体だけにあてはまるのであり(all of these apply but to the body)、そして体が終わるときそれらもまた去る、ということを知っています。

体が死ぬとき、人はもはや金持ちではなく霊魂であり、そして自分の仕事に応じて彼は別の体に入らなくてはなりません。ギーターは、賢人はこれによって惑わされないと言います。なぜなら、彼は物事をありのままに知っているからです(he knows what is what、何が何かを心得ている)。

それなら、なぜ彼はわざわざ物質的な富を得ようとすべきでしょうか(why ~ bother himself attaining)?彼の態度は次のようなものです。「私は、クリシュナ、至高神と永遠の繋がりを持っている。今、クリシュナが私をご自分の王国に連れ帰ってくださるように、その関係を確かなものにしよう(establish ~ firmly)。」

第11段落
宇宙の状況(cosmic situation)は私たちに、クリシュナとのこの関係を再確立して至高神のもとに戻るためのすべての設備を与えています(訳注:宇宙には私たちが~するための手はずがすべて整っています)。これが人生における私たちの使命であるべきです。私たちが必要なものすべて―――土地、穀物、果物、牛乳、住まい(shelter)と衣類―――は、神によって与えられています。

私たちはただ、平和に暮らしてクリシュナ意識を育まねばならないだけです。それが人生における私たちの使命であるべきです。したがって私たちは、神が食べ物、住まい、防御(defence)、および性交の形で与えてくださったもので満足しているべきであり、もっと、もっと、もっと、と欲しがるべきではありません。

最良の種類の文明は、「簡素な暮らしと高い思考」という格言(maxim、金言、行動原理)に適う(to ascribe to ~、~に帰する)ものです。工場で食べ物と性を作り出すことはできません。これら、および他の何であれ私たちが必要とするものは、神によって供給されます。私たちの仕事は、これらのものを利用して神意識になることです。

第12段落
神が私たちに、この地上で平和に暮らし、クリシュナ意識を育み、そしてついに主のもとに至るためのすべての設備を下さったにも関わらず、この時代において私たちは不運です。私たちの寿命は短く(we are short-lived)、そして、食物、住まい、結婚した人生、あるいは自然の猛襲(onslaught)からの防御のない、非常に多くの人々がいます。

これはこのカリの時代の影響によるものです。したがって主チャイタンニャ・マハープラブは、この時代におけるひどい状況をご覧になって、霊的な人生を育むことの全くの必要性を強調なさいました。そして、私たちはそれをどのように行うべきでしょうか?チャイタンニャ・マハープラブは方法をお与えになりました。

(サンスクリット引用)

「ただ、いつもハレ・クリシュナを唱えなさい。」あなたが工場にいるか、あるいは地獄か、掘っ立て小屋(shack)か、あるいは高層ビルかを気にしてはなりません(Never mind)―――それは関係ありません。ただ、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレと唱え続けなさい。

お金はかからず、障害物(impediment)はなく、カースト(による区別)はなく、教義(creed)(による区別)はなく、色(訳注:肌や目の色)(による区別)はありません―――誰でもそれをすることができます。ただ、唱え、そして聞きなさい。

第13段落
どうにかして(somehow or other)、もしも人がクリシュナ意識に触れ、真正なる指導者(guide)の導きの下で過程を実践する(to execute the process)なら、彼は必ず神のもとへ戻ります。

(サンスクリット引用)

「多くの誕生と死のあとで、実際に知識のある者は、私をすべての原因の原因であり、存在するすべてである(all that is)と知って、私に服従します。」(Bg.7.19)

第14段落
神の科学への(into)哲学的な研究は、何度も生まれ変わって(for many births)なされねばなりません。神認識はとても簡単ですが、同時に非常に難しくもあります。それは、クリシュナの言葉を真実として受け入れる者には簡単ですが、研究(research work)を通して、知識の発達の力によって(by dint of)理解しようとする者は、非常に多くの研究を終えたあとで自分の信仰を作らねばならず、この過程は多くの誕生を必要とします(this process takes many births)。

完全真理を知っている、タットヴァヴィットと呼ばれる、異なる種類の超越主義者たちがいます(There are different types of transcendentalists, called tattvavit, who know the Absolute Truth、単数?)。超越主義者たちは完全真理を、「その中に二重性のないもの(that in which there is no duality)」と呼びます(訳注:原文はカッコなし)。

完全真理の中には二重性はありません―――すべては同じ水準にあります。これを本当に知っている者(one who knows this in truth)はタットヴァヴィットと呼ばれます。
by ammolitering4 | 2014-02-23 10:44 | 「クリシュナへの途上」 | Comments(0)
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