第10段落
このことに関して、聖なる町への巡礼の旅に出た泥棒の話があり、途中で彼と他の巡礼者たちは宿屋で一晩泊まって休むために歩を止めました。盗む癖があったので(being addicted to stealing)、泥棒は他の巡礼者たちの荷物を盗む計画を立て始めましたが、彼は考えました。 「私は巡礼の旅に出ている。だから、私がこの荷物を盗むのは正しい(appropriate)ようには見えない。いや、私はそれをすまい(No, I shall not do it)。」それでも、習慣によって、彼は荷物を触らずにはいられませんでした。 そのため彼は、ある人の袋を取り上げて他の場所に置き、そしてそれから別の人の袋を取ってそれを他の所に置きました。彼は一晩中たくさんの袋を様々に置き換えて過ごしましたが(placing different bags in different places)、良心が彼を苦しめたので、彼はそれらから何も取ることができませんでした。 朝、巡礼者たちが目覚めたとき、彼らは自分の袋を探して辺りを見て(looked around for~)、それを見つけることができませんでした。大きな声が上がり(there was a great row、rowは驚きや怒鳴り声などの騒々しさを指す)、そしてやがて、一つ、また一つ、彼らは袋を様々な場所で見つけ始めました。 それらがすべて見つかったあと、泥棒は説明しました。「皆さん、私は泥棒を生業としています(I am a thief by occupation)。夜に盗む習慣があるので、私は皆さんの袋から何か盗みたいと思いました。しかし、私はこの聖なる場所に向かっているので、盗むことは可能ではないと考えました。 そのため私は荷物を置き換えたかもしれませんが(I may have rearranged)、どうか許してください。」これが悪い習慣の特徴です。彼はもはや盗みを働きたくありませんが、習慣があるので、時として彼はそうします。 そのためクリシュナは、自分の不道徳な習慣から離れて(to refrain from ~)クリシュナ意識において発達する決心をした者は、たとえ過去の習慣あるいは偶然によって自分の欠陥に負ける(to yield to his fault)としても、サードゥーであると考えられる、とおっしゃいます。次の節において、私たちはシュリー・クリシュナがこうおっしゃるのを見ます(~は~とおっしゃいます)。 (サンスクリット引用) 「彼は素早く正しく(righteous)なり、永続的な平和を得ます。おお、クンティーの息子よ、私の献身者は決して滅びないと、高らかに宣言しなさい(declare it boldly that)。」(Bg 9.31) 第11段落 人がクリシュナ意識を決意したので(to commit himself to)、シュリー・クリシュナによってここに、ごく短い間に彼は聖人的になると宣言されています(to proclaim)。(訳注:~は、~を決意すると人は~になる、と宣言なさいます。) 人は扇風機のコンセントを抜くかもしれず、そして扇風機は電源を抜かれても動き続けるかもしれませんが、扇風機はすぐに止まる(come to a stop)と理解されます。いったんクリシュナの蓮の御足の庇護の下に入ると、私たちは自分のカルマ的な活動のスイッチを切り、そしてこれらの活動はそれでも回る(to revolve)かもしれませんが、それらはすぐに消えると理解されるべきです(it is to be understood)。 クリシュナ意識を習慣づける(to take to~)者は誰であれ、良い人になるために別に(independently、それとは別に)努力をする必要はないというのは事実です。すべての良い性質(qualifications)は自動的に来ます。 シュリマッド・バーガヴァタムにおいて、クリシュナ意識に至った者は同時にすべての良い性質(qualities)を得たのであると述べられています。一方で、もしも人が神意識を持たず、それでも多くの良い性質を持っているなら、彼の良い性質は役に立たない(useless)と考えられます。 なぜなら、彼は望ましくないことをすることから全く禁じられていない(he will not in any way be prohibited from~)からです(訳注:彼を止めるものが何もないからです)。もしも人がクリシュナ意識を持たないなら、彼はこの物質の世界において必ず悪事を犯します。 (サンスクリット引用) 「私の顕現と活動の超越的な性質を知る者は、体を去るとき(upon leaving the body)、この物質世界に再び生まれず、そうではなく(but)私の永遠の住処に至ります、おお、アルジュナよ。」(Bg 4.9) 第12段落 クリシュナがお現れになる目的(mission、使命)は、ここでさらに説明されます。主が何かの目的を持っておいでになるとき、何らかの活動があります。もちろん、神が化身としておいでになるということを信じない哲学者もいます。彼らは、「なぜ神がこの腐った世界に来るべきだろうか?」と言います。 しかし、バガヴァッド・ギーターから私たちは、そうではないと(otherwise)理解します。私たちはいつも、バガヴァッド・ギーターを聖典として読むということを覚えているべきです。そして、何であれバガヴァッド・ギーターにおいて語られていることは受け入れられねばなりません。 そうでなければ、それを読む理由はありません。ギーターの中でクリシュナは、自分は目的を持って化身として来たのだ、とおっしゃいます。そして主の目的に伴って、何らかの活動があります。例えば私たちは、クリシュナはアルジュナの戦車の運転手として活動的であり、そしてクルクシェトラの戦場で非常に多くの活動にいそしまれるのを見ることができます。 ちょうど、戦争があるとき、ある人あるいは国は別の人あるいは国に味方して偏向(partiality、ひいき、偏愛)を見せるかもしれないように、戦場での主クリシュナは幾らかの偏向を見せ、アルジュナに味方なさいます。実際はクリシュナは誰にも偏向してはいませんが(partial)、外的には主は偏向的であるように見えます。しかしこの偏向性は普通の意味で受け入れられるべきではありません。 第13段落 この節において、クリシュナはまた、ご自分の物質世界への降臨は超越的であると指摘なさいます。ディヴャムという単語は超越的を意味します。主の活動は全く(not in any way)普通(ordinary)ではありません。 今日でさえ、インドでは8月の終わりに人々は宗派(sect)を問わずクリシュナの誕生日を祝う習慣があります(are accustomed to~)。ちょうど西洋世界ではイエス・キリストの誕生日がクリスマスに祝われるようなものです。 クリシュナの誕生日はジャンマースタミーと呼ばれ、この節においてクリシュナは「私の生誕」を指してジャンマという単語をお使いになります。誕生があるので、何らかの活動があります。クリシュナの誕生と活動は超越的であり、それは、それらが普通の誕生や活動のようではないということを意味します。 人は、どうして主の活動が超越的なのか(how it is~)と尋ねるかもしれません。主はお生まれになり、種はアルジュナと共に戦いに参加し、主は(校正:he →He)ヴァスデヴァという名の父親とデヴァキーという名の母親と家族をお持ちです―――何が超越的だと考えられるでしょうか? クリシュナは、エヴァム・ヨ・ヴェッティ・タットヴァターとおっしゃいます―――私たちは主の生誕と活動を正しく(in truth)知らねばなりません。人がクリシュナの生誕と活動を正しく知るとき、結果はテャクトヴァー・デハム・プナー・ジャンマ・ナイティ・マーム・エティ・ソ・ルジュナ―――この物質の体を去るとき、彼は再び生まれず、そうではなく、直接クリシュナのところに行きます。 これは彼が解放された魂になることを意味します。彼は永遠の霊的な世界に行き、喜びと知識と永遠性に溢れた彼の本来の立場に至ります(to attain)。これらすべてが、単にクリシュナの誕生と活動の超越的な性質を正しく知ることによって得られます。 第14段落 普通は、人が体を去るとき、彼はもう一つの体を取らねばなりません(to take up)。生命体の人生(lives)は、単に生命体がその働きに応じて一つの体から別のそれへと衣服を変えること―――魂の転生―――によって続いています。 現在では、私たちはこの物質の体が自分の本当の体であると考えるかもしれませんが、それは衣服のようなものです。現実には、私たちは本当の体、霊的な体を持っています(we do have)。この物質の体は、生命体の本当の霊的な体に比べると表面的です。 この物質の体が古くなって擦り切れると(old and worn out)、あるいは何らかの事故によって使い物にならなくなるとき(rendered useless)、汚れた、あるいは駄目になったスーツを捨てるように(as we might put aside)、私たちはそれを捨てて別の物質の体を取ります。 (サンスクリット引用) 「人が古いものを捨てて新しい衣服を着るように、同様に、魂は古くて役に立たないものを捨てて新しい物質的な体を受け入れます。」(Bg 2.22) 第15段落 初めに、体はエンドウ豆の大きさです。それからそれは育って、赤ん坊、それから子供、少年、若者、大人、そして老人となり、そして最後にそれが役に立たなくなるとき、生命体は別の体に変わります(to change into、着替える)。したがって、体はいつも変化しており、そして死は単に現在の体の究極的な変化です。 (サンスクリット引用) 「体に入った魂がこの体の中で少年時代から青年時代(youth)から老年へと絶え間なく通り過ぎるように(to pass)、魂は同様に死のときに別の体へと移ります(to pass into)。自己を認識した魂は、そのような変化によって惑わされません(bewildered)。」(Bg 2.13) 第16段落 体は変わっていきますが(is changing)、体の中に住んでいる者は同じままです。少年は大人へと育ちますが、体の中の生命体は変わっていません(is not changed)。少年のときにそこにいた(who was there as a boy)自己が去ってしまったというのではありません。 医学は、毎瞬間、物質の体が変わっているということに同意します。ちょうど、生命体はこれによって惑わされないように(bewildered)、悟りを開いた(enlightened)人は体が死のときにその究極の変化をする(to undergo、変化や苦しみを経験する)とき、惑わされません。 しかし、物事をありのままに理解しない者は嘆き悲しみます(to lament)。物質的な状態において、私たちはいつでも単に体を変えています。それが私たちの病気です。私たちはいつも人間に変わるのではありません。私たちは自分の活動に応じて、動物の体、あるいは半神の体に変わるかもしれません。 パドマ・プラーナによれば、840万種の生命があります。私たちは死のときにそのどれでも取る可能性があります(We can take on any of them)。しかしクリシュナは、主の誕生と活動を正しく知る者はこの転生の循環から解放されると約束なさいます。 第17段落 人はどうやってクリシュナの誕生と活動を正しく理解することができるでしょうか?これはバガヴァッド・ギーターの18章において説明されています。 (サンスクリット引用) 「人は献身奉仕によってのみ至高人格をありのままに理解することができます。そして人がそのような献身によって至高主を完全に意識するとき(in full consciousness of~)、彼は神の王国に入ることができます。」(Bg 18.55) 第18段落 ここで再びタットヴァター、「正しく」という単語が使われています。人は献身者になることによって、クリシュナの科学を正しく理解することができます。献身者でない者、クリシュナ意識を求めて努力しない(to strive for)者は、理解することができません。 第4章の初めにおいても、クリシュナはアルジュナに、アルジュナは「私の献身者であり、私の友人」であるからご自分はこのヨガの古代の科学(ancient science of yoga、ヨガという太古の科学)を彼に説明しているのだ、とおっしゃいます。(Bg 4.3) 単にバガヴァッド・ギーターの学究的な研究をする者にとっては、クリシュナの科学は神秘のままで留まります。バガヴァッド・ギーターは、人が単に書店で買って学究だけによって理解することのできる本ではありません。 アルジュナは偉大な学者(scholar)ではなく、ヴェーダ学者(Vedantist)、哲学者、ブラーマナ、また放棄階級者でもありませんでした。彼は家庭人であり、軍人でした。しかしそれでもクリシュナは彼をバガヴァッド・ギーターの受取人として、そして師弟継承の最初の権威者として選びました。 なぜでしょうか?「なぜならあなたは私の献身者だからです」それがバガヴァッド・ギーターをありのままに理解するための資格です―――人はクリシュナ意識にならねばなりません。 第19段落 そして、このクリシュナ意識とは何でしょうか?それは、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ / ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えることを通して心の鏡から埃を取り除く過程です。 このマントラを唱えることによって、そしてバガヴァッド・ギーターを聞くことによって、私たちは徐々にクリシュナ意識に至ることができます。イーシュヴァラー・サルヴァー・ブーターナーム―――クリシュナはいつも私たちの心臓の中にいらっしゃいます。 個々の魂と超魂はどちらも体の木の中に座っています。個々の魂(ジーヴァ)は木の果実(fruit)を食べており、そして超魂(パラマートマー)は見守っています(to witness)。個々の魂が献身奉仕の過程を始めて徐々に自分のクリシュナ意識を育み始めるとき、内に座っている超魂は、彼が心の鏡からすべての不純物を取りさる(to dust)のを助け始めます。
by ammolitering4
| 2013-11-26 14:40
| 「クリシュナへの途上」
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