第1章後半

第8段落
私たちはヴリンダーヴァンの牛飼いの娘たちとのクリシュナのラーサ・リーラーのことをしばしば耳にしました。それはこれらの物質的な体の間で行われる(to take place)普通の触れ合い(exchange、交換)のようではありません。

むしろ(Rather)、それは霊的な体を通した感情(feelings、気持ち、感覚)の交換です。これを理解するためには、人はある程度(somewhat)知性的でなければなりません。なぜなら、本当の幸せとは何かを理解することができない愚かな者は、この物質的な世界の中に幸せを求める(to seek happiness in~)からです。

インドには、サトウキビとは何かを知らず、それは噛むととても甘いと教えられた者の話があります。「おお、それはどのように見えますか?(What does it look like?)」と彼は尋ねました。「それはちょうど竹の節(bamboo rod)のように見えます」と誰かが言いました。

そのため、愚かな者は様々な竹の節を噛み始めました。どうして彼はサトウキビの甘さを経験し始めることができるでしょうか?同様に、私たちは幸せと喜び(happiness and pleasure)を得ようとしていますが、私たちはこの物質的な体を噛むことによってそれらを達成しようとしています(to try for)。

したがって、何の幸せも喜びもありません。一時的には(for the time being)少々の喜びの感覚(some little feeling of pleasure)があるかもしれませんが、それは本当の喜びではありません。なぜならそれは一時的だからです。

それは、空で光っているのを見ることもある(we may see)稲妻(a show of lightning)のようなものです。それは一時的には稲妻のように見えるかもしれませんが、本当の稲妻はそれを超えたところにあります。幸せとは何かを本当には知らないので、人は本当の幸せから逸れます。

第9段落
自分を本当の幸せにおいて確立する過程は、このクリシュナ意識の過程です。クリシュナ意識によって、私たちは徐々に自分の本当の知性を育むことができ、そして霊的な発達をするに伴って自然に霊的な幸せを味わうことを楽しむことができます。

霊的な幸せを味わい始めるにつれて、私たちはそれに比例して物質的な幸せを放棄します。完全真理を理解することにおいて発達するにつれて、私たちは自然にこの偽りの幸せから離れ始めます。もしもどうにかして(somehow or other、どういうわけか、どうにかこうにか、など)人がそのクリシュナ意識の水準に上げられるなら、その結果は何でしょうか(訳注:どんな結果になるでしょうか)?

(サンスクリット引用)

「これを得ると、彼はそれに優る得はないと考えます。そのような立場に位置すると、人は決して、大変な(greatest、”the”を伴わないので、この場合の”est”は比較級ではない)困難の只中にあってさえ揺るぎません。」(BG 6.22)

第10段落
人がその水準に達するとき、他の達成(achievements)は取るに足らないように見えます。この物質の世界において、私たちは非常に多くのものを得ようとしています―――富、女、名声、美、知識、など―――しかし、クリシュナ意識に位置すれば直ちに、私たちは「おお、他のどの達成も、これより優れてはいない」と考えます。

クリシュナ意識は非常に強い(potent、効果や効能が強い)ので、ほんの少し味わうこと(a little taste)が(訳注:ほんの少し味わっただけでも)人を最も大きな危険から救うことができます。人がクリシュナ意識の味を味わい始めるにつれて、彼は他のいわゆる楽しみと獲得(attainments)を無味乾燥(flat and tasteless)だと見なし始めます。

そしてもしも人がクリシュナ意識にしっかりと位置しているなら、最も大きな危険は(訳注:~も)彼をかき乱す(to disturb、平穏を妨げる)ことはできません。物質の世界は危険の場所(place of danger)なので、人生には非常に多くの危険があります。

私たちはこれに目をつぶりがちであり、そして私たちは愚かなので、これらの危険を調整しようとします。私たちは人生において多くの危険な目に遭う(to have many dangerous moments)かもしれませんが、しかしもしも自分をクリシュナ意識において訓練し、自分を家へ、至高神のもとへ帰るように準備しているなら、私たちはそれを気にしないでしょう。

私たちの態度は、それなら、「危険はやって来ては去る―――だから、起きるに任せよう」というものになるでしょう。人が物質主義的な水準にあって、やがて滅びる要素でできている肉体(the gross body)を自分だと思っている(to identify with)限り、この種の調整をするのは非常に困難です。

しかし、人がクリシュナ意識において発達すればするほど、彼は身体的な区分(designations、日本人である、女性である、仏教徒である、などのアイデンティティー)とこの物質的な絡まりからもっと自由になります。

第11段落
シュリマッド・バーガヴァタムにおいて、物質的な世界は大変大きな海に例えられます。この物質的な宇宙の中には、空間の中に無数の(millions and billions)惑星が浮かんでおり、そしてそこに幾つの大西洋と太平洋があるか、想像してみてください(we can just imagine)。

事実、物質的な宇宙全体が悲惨さの巨大な海、誕生と死の海になぞらえられます。この無知の大海を横切るために、強い船が必要です。そして、その強い船がクリシュナの蓮の御足です。私たちは直ちにその船に乗るべきです。

私たちは、クリシュナの足はとても小さいと考えて躊躇すべきではありません。宇宙全体が単に主の脚(leg)に寄りかかっているのです(to rest on)。主の御足に依り頼む者にとって、物質宇宙は子牛の足跡にできた水溜りよりも大きな(significant)ものではないと言われます。そのような小さな水溜りを横切るのは、確かに難しくありません。

(サンスクリット引用)

「実に、これが物質的な接触から生じるすべての悲惨さからの本当の自由です。」(BG 6.23)

第12段落
私たちは、統御されない感覚のため、この物質の世界の中で絡まっています(entangled、動きが取れなくなっている、巻き込まれている)。ヨガの過程は、これらの感覚を統御するためにあります。もしも何とかして(somehow、どういうわけか)私たちが感覚を制御することができるなら(can manage to、何とかやってのける)、私たちは自分の顔を本当の霊的な幸せに向けて、人生を成功させることができます。

(サンスクリット引用)

「人は、逸れることのない決意と信仰(faith、信頼)をもってヨガの実践に携わるべきです。人は、例外なく、偽りの自我から生じるすべての物質的な欲望を放棄し、そしてそのようにして(and thus)、心によって、すべての側面におけるすべての感覚を統御すべきです。

徐々に、一歩一歩、完全な納得(conviction)をもって、人は知性によって(by means of)恍惚(trance)に位置するようになるでしょう(should)。そして、そのようにして心は自己(the Self、偽りでない本当の自己)だけに定まり、他の何も考えないでしょう(should)。

どこであれ、心がその落ち着きなく不安定な(flickering and unsteady、どちらも同じような意味)性質のためにさまよって行くところから(from whatever and wherever the mind wanders)、人は確かにそれを引き戻し、そしてそれを自己(the Self)の統御のもとに戻さねばなりません。」(BG 6.24-26)

第13段落
心はいつもかき乱されています。それは時としてこちらに行き、時としてあちらに行きます。ヨガの実践によって、私たちは文字通り心をクリシュナ意識に引きずり(こみ)ます。心は、クリシュナ意識から非常に多くの外部の対象(exterior objects)に逸れます。

なぜなら、記憶にないほどの昔から、何度も生まれ変わっても(life after life)、それが私たちの習慣(practice、実践)であるからです。これによって、人が自分の心をクリシュナ意識に定めようとするとき(to fix、固定する)、最初は大変な困難があるかもしれませんが、これらの困難はすべて乗り越えられ得ます。

第14段落
心が一つの考えから別の考えへと行くのは、心がかき乱されていて(agitated)、クリシュナに定まっていないからです。例えば、私たちが仕事にいそしんでいるとき、10年、20年、30年、あるいは40年前に起こった出来事の記憶が突然、何の明らかな(apparent)理由もなく私たちの心に来る(訳注:浮かぶ)かもしれません。

これらの考えは私たちの潜在意識から来て、そして、それらがいつも浮かび上がっている(to rise)ので、心はいつもかき乱されています。もしも私たちが湖や池をかき乱すなら、底の泥がすべて表面にやってきます。同様に、心がかき乱されているとき、何年もの間潜在意識に収められていた非常に多くの考えがそこから上がってきます。

もしも私たちが池をかき乱さないなら、泥は底に沈むでしょう。このヨガの過程は、心を鎮めてこれらすべての考えが底に沈むようにさせる(to allow ~ to settle)方法です。この理由により、心がかき乱されるのを防ぐために守るべき非常に多くの規律や規則があります。

もしも私たちが規律と規則を守るなら、徐々に心は統御の下に来るでしょう。非常に多くの禁止事項(don't's)と非常に多くの順守事項(do's)があり、もしも人が心を訓練することに関して真剣であるなら、彼はそれらに従わねばなりません。

もしも彼が気まぐれに振舞うなら、心が統御される可能性はあるでしょうか(what is the possibility)?心がついにクリシュナのことだけを考えるところ(point)まで訓練されたとき、それは平和を得て、非常に平穏(tranquil)になるでしょう。

(サンスクリット引用)

「その心が私に定められたヨギーは、必ず(verily、「確かに」を意味する古い表現)最高の幸せを得ます。彼が自分をブラーマンであると認識することの力によって(By virtue of his identity with Brahman)、彼は解放されます。彼の心は平和に満ち、彼の熱情は鎮められ、そして彼は罪から解放されます。」(BG 6.27)

第15段落
心はいつも幸せのための対象(objects)を作り出しています(to concoct、でっち上げる)。私はいつも「これは私を幸せにするだろう」、あるいは「あれは私を幸せにするだろう。幸せはここにある。幸せはあそこにある」と考えています。このようにして、心は私たちをどこにでも(anywhere and everywhere)連れて行っています。

それはまるで、私たちが馬勒(「ばろく」。手綱、くつわなどの総称)をつけていない(unbridled)馬の後ろの馬車に乗っているようなものです。私たちは自分がどこに向かっているのかについて何の力も持たず、恐ろしい思いで座って、どうすることもできずに(helplessly)見ることができるだけです。

心がクリシュナ意識の過程に携われば直ちに―――特に、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ/ ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えることによって―――そうすれば、心の荒れ馬たちは徐々に私たちの統御の下に来るでしょう。

私たちは、一時的な物質の世界の中で幸せを求める無駄な(vain)探求において、落ち着きのない、荒れ狂った(turbulent)心が私たちを一つの対象から別のものへと引きずらないようにするために(in order to keep ~ from)、人生の全ての瞬間、クリシュナへの奉仕に携わらなければなりません。

(サンスクリット引用)

「自己において安定しており(steady in the Self)、すべての物質的な汚染から自由にされたため(being freed)、ヨギーは至高の意識との接触において(in touch with)幸せの最高の完成の水準に至ります。」(BG 6.28)

第16段落
クリシュナは、主に献身する者にとって、後援者(patron、パトロン、保護者)として奉仕します。人が困難にあるとき、彼の後援者が彼を救います。バガヴァッド・ギーターに述べられているように、クリシュナはすべての生命体の本当の友であり、私たちは主との私たちの友情を回復しなければなりません。

この友情を回復するための方法がクリシュナ意識の過程です。クリシュナ意識の実践(practice)によって、俗世の情熱的な熱望(hankering)はやがて止まるでしょう(will come to stop)。この情熱的な熱望が私たちをクリシュナから離れた(divorced)ままにします。

クリシュナは私たちの内におられ、私たちが主のほうを向くのを待っておられますが、私たちは情熱的に物質的な欲望の木の果実を食べるのに忙しくしています(too busy、忙しすぎて主のほうを向いていない)。これらの果実を楽しむこの情熱的な衝動(compulsion)が止まらねばならず、そして私たちはブラーマン―――純粋な霊としての私たちの本当の正体(identity、本性、身元、アイデンティティー)に位置しなければなりません(to situate ourselves in、純粋な霊という本来の自己認識を確かなものとしなければなりません)。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

例によってのんびり進んでおります。このところ私の人生には各種の危機と困難が、というほどでもありませんが、小規模な艱難辛苦が降りかかっています。自業自得という側面もなきしもあらず、という事情はありますものの、「来るなら来なさい」という大らかな心構えになるのはなかなか難しいものです。どうしよう~とおたおたしてしまうのが悲しい現実です。。。


[PR]
by ammolitering4 | 2013-11-13 15:52 | 「クリシュナへの途上」


<< 第2章 第9段落まで 第1章 第7段落まで >>