第1章 第6段落途中まで

クリシュナへの途上 (On the Way to Krishna)

第一章 幸せへの高速道路(Throughway)

第1段落 
私たち一人一人が幸せを追い求めていますが、私たちは本当の幸せとは何かを知りません。幸せについて非常に多く宣伝されているのを見ますが、実際的に言えば(practically speaking、実際には、実際問題として)幸せな人はほとんど見ません。

これは、本当の幸せの水準(platform、足場、台、段)は一時的なものを超えたところにあるということを知っている人がほとんどいないからです。バガヴァッド・ギーターの中で主クリシュナによってアルジュナに描写されているのは、この本当の幸せです。

第2段落 
幸せは一般的に私たちの感覚を通して知覚されます。たとえば、石は感覚を持たず、幸せと苦しみ(distress、苦痛、悩み)を知覚することができません。発達した意識は、発達していない意識よりももっと強く幸せと苦しみを知覚することができます。

木は意識を持っていますが、それは発達していません。木は様々な天候の中で長い間立っているかもしれませんが、彼らは悲惨さを知覚する術がありません。もしも人間がわずか3日、あるいはそれ以下でも木のように立つように言われたなら(to be asked)、彼はそれを我慢することができないでしょう。結論は、すべての生命体は幸せあるいは苦しみを自分の意識の発達の程度に応じて感じるということです。

第3段落
私たちが物質の世界で経験している幸せは本当の幸せではありません。もしも人が木に「あなたは幸せに感じていますか?」と尋ねるなら、木は、もしもそうできるのであれば、「はい、ここに一年中立っていて、私は幸せです。私は風と降雪を大いに楽しんでいます」などと言うかもしれません。

これは木にとっては楽しめるものかもしれませんが、人間にとってはそれは非常に低い水準の楽しみです。様々な種類と程度(grades)の生命体があり、そして彼らの幸せの概念と知覚もまた、様々な種類と程度があります。

ある動物はもう一匹の動物が屠殺されているのを見るかもしれませんが、彼はそのまま草を噛み続けるでしょう(to go right on)。なぜなら、彼は自分が次かもしれないということを理解する知識を持たないからです。彼は自分は幸せであると考えていますが、次の瞬間には彼は屠殺されるかもしれません。

第4段落
このように、異なる程度の幸せがあります。それでも、それらすべての中で、何が最も高い幸せでしょうか?シュリー・クリシュナはアルジュナにおっしゃいます。
(サンスクリット引用)
「その喜びに満ちた状態(サマーディー)において、人は限りない超越的な幸せの中に位置し、超越的な感覚を通して楽しみます(to enjoy himself)。このように確立すると、人は決して真理から離れません(to depart from)。」(BG 6.21)

第5段落
「ブッディー」は知性を意味します。もしも楽しみたいと望むなら、人は知性的でなくてはなりません。動物はあまり発達した知性を持たず、そしてそのため人間が(そう)できるように人生を楽しむことができません。

手、鼻、目、他の感覚器官とすべての身体的な部分が死人に備わっているかもしれませんが、彼は楽しむことができません。なぜできないのでしょうか?楽しむエネルギー、霊的な火花が去ってしまい、そしてそのため体は力を持ちません。

もしも人がこの事柄(the matter)を多少の知性をもってさらに調べる(to look further into~)なら、彼は、楽しんでいたのは体ではまったくなく、中にあった小さな霊的な火花であったと理解することができます。人は自分は身体的な感覚器官によって楽しんでいると考えるかもしれませんが、本当の享楽者はその霊的な火花です。

その火花はいつも楽しみの力を持っていますが、物質的な幕屋(tabernacle、移動式の神殿。ユダヤ人がエジプトを脱出してからパレスチナに落ち着くまでの放浪の間に、その中に契約の箱を入れておいて仮の礼拝所とした)によって覆われているため、それは必ずしもいつも顕現してはいません。

私たちはそれに気づいていないかもしれませんが、体にとってこの霊的な火花の存在なくして楽しみを経験することは可能ではありません。もしも男性が美しい女性の死体を与えられたら(to be offered)、彼はそれを受け取るでしょうか?

いいえ、なぜなら霊的な火花が体から出て行ってしまったからです。それは体の中で楽しんでいただけではなく、体を維持してもいました。その火花が去るとき、体は単に崩壊します(to deteriorate、悪化する、損傷する、劣化する)。

第6段落
もしも霊が楽しんでいるなら、それは感覚も持っていなければならない(must、持っているに違いない)ということが導かれます(It follows that~)。そうでなければ、それはどうやって楽しむことができるでしょうか?ヴェーダは、霊魂は非常に小さい(atomic in size、原子ほどの大きさ)にも関わらず、実際の楽しむ行為者(the actual enjoying agent)であると確認します。

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ほんのちょっとだけ、しかも別の本の冒頭だけですみません。そのうち元の本に戻ります。最近ずっと仕事その他で忙しくしています。私は福島県にある某ホテル関係の翻訳をして生計(の一部)を立てています。原発事故の影響のことなど耳に入ってきますし、いろいろなニュースを聞くにつけても、私たちの住む世界はずいぶん変わってしまったものだなと思います。これからももっともっと変わっていくのでしょう。仕事の別の一部では、この世のものとも思えぬ贅沢な世界を垣間見ることもあります。原発事故で全てを失くした人の現実とパラレルで進行している世界です。
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by ammolitering4 | 2013-10-18 14:06 | 「クリシュナへの途上」


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