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第7章 前半

第7章 グルへの信頼(faith)とクリシュナへの服従としての知識

第1段落
バガヴァッド・ギーターの第4章でシュリー・クリシュナは、すべての犠牲のうちで最良のものは知識を得ることである、と結論なさいます。

(サンスクリット引用)

「おお、敵を懲らしめる者よ。知識の犠牲は物質的な所有物の犠牲よりも偉大です。おお、プリターの息子よ。結局、仕事の犠牲はついに超越的な知識になります。(to culminate in、~で最高に達する)」(Bg.4.33)

(訳注:「犠牲」とはクリシュナのために、あるいはクリシュナという方向へ向けるすべてのエネルギーを指します。日本語での英語でも、一般的な用法としての「犠牲」とは意味が異なりますのでご注意ください。この場合は、”クリシュナを知るために努力すること、つまりエネルギーの「犠牲」は、クリシュナのために何かの物を差し出す、あるいは放棄することよりも優れている”、という意味になると思います。)

第2段落
知識は最良の犠牲です。なぜなら、この制約された人生は無明によるものだからです。犠牲、苦行、ヨガ、そして哲学的な議論の目的は、知識を得ることです。人が神の非人格的な側面(ブラーマン認識)、心臓の中とすべての原子の中の神の局地的な側面(パラマートマー、すなわち超魂認識)、および至高の人格神(校正:the realization ofは不要)(バーガヴァーン認識)を認識するための、超越的な知識の3つの段階があります。

しかし、知識を得ることにおける一番最初の段階は、「私はこの体ではない。私は霊魂であり、私の人生の目的はこの物質的な呪縛から抜け出すことだ」ということを理解するようになることです。要点は、何であれ私たちが行う犠牲は、私たちが本当の知識という地点に至ることを可能にすることを目的としているということです。

知識の最高の完成は、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナへの服従として与えられています。(サンスクリット引用)(Bg.7.19)愚か者ではなく、ジニャーナヴァーンが、クリシュナに服従します。そしてそれが知識の最高の水準です。同様に、バガヴァッド・ギーターの終わりでシュリー・クリシュナはアルジュナに助言なさいます。

(サンスクリット引用)

「すべての種類の宗教を放棄し、ただ私に服従しなさい。私はあなたをすべての罪深い反応から救います。恐れてはなりません。」(Bg.18.66)

第3段落
これは知識の最も内密な部分です。すべての観点から、もしもヴェーダ文献の分析的な研究を行うなら、私たちは「知識の究極の頂点はクリシュナに服従することである」ということを見出します。そして、どのような種類の服従が勧められているのでしょうか?

完全な知識における服従―――人が完成の地点に来るとき、彼は必ず、ヴァースデヴァ、クリシュナがすべてである、と理解します(he must understand)。これはブラーマ・サムヒターにおいても確認されています。

(サンスクリット引用)

「ゴヴィンダとして知られるクリシュナは至高の人格神です。主は永遠で喜びに満ちた霊的な体をお持ちです。主はすべてのものの源です。主は他の何の源も持たず、そして主はすべての原因の根本的な原因です。」(ブラーマ・サムヒター5.1)

第4段落
サルヴァ・カーラナという言葉は、クリシュナがすべての原因の原因である、ということを示します。もしも私たちが、自分の父親の父親が誰であるか、そして彼の父親が誰であるか、そしてさらにその先は、と知るために探すなら、もしもどうにかして時間を遡って自分の先祖を辿ることが可能なら、私たちは至高の父、至高の人格神に至るでしょう。

第5段落
もちろん、誰もが直ちに神を見たいと思います。しかし私たちは、自分が資格を得て、そして完璧な知識にあるとき、神を見ることができます。私たちは神を面と向かって(eye to eye)見ることができます。ちょうど、私たちが互いを見ているようにです。

しかし資格が必要とされ、そしてその資格はクリシュナ意識です。クリシュナ意識は、シュラヴァナム、すなわちバガヴァッド・ギーターおよび他のヴェーダ文献を通してクリシュナについて聞くこと、そしてキールタナム、すなわち私たちが聞いたことを繰り返して、主の御名を唱えることによってクリシュナを讃えることで始まります。

クリシュナ(の御名)を唱え、聞くことによって、私たちは実際に主と関わることができます。なぜなら、主は完全であって、ご自分の御名、性質、形および娯楽と異ならないからです。私たちがクリシュナと関わると、主は私たちが主を理解するのを助け、そして知識の光で無明の闇を消してくださいます。

クリシュナは、グルとして活動しながら私たちの心臓の中に座っていらっしゃいます。私たちが主に関する話を聞き始めるとき、多年に渡る物質的な汚染によって私たちの心の上にたまった埃が徐々に清められます。クリシュナはすべての者の友(friend to everyone)ですが、主はご自分の献身者にとって(to)特別な友です。

私たちが少し主に傾けば直ちに、主は私たちの心(heart)の中から好ましい教えを与え始められます。私たちが徐々に発達できるようにするためです。クリシュナは最初の霊的指導者であり、そして私たちが主にもっと興味を持つようになるとき、私たちは外から霊的指導者として働く(to serve)サードゥー、すなわち聖なる人のところに行かねばなりません。これはシュリー・クリシュナご自身によって次の節で命じられています。

(サンスクリット引用)

「ただ、霊的指導者に近付くことによって真実を学ぼうとしなさい。彼から従順に聞き(inquire from him、知ろうとして問い、答えを聞く)、そして彼に奉仕をしなさい。自己を認識した魂はあなたに知識を授けることができます。なぜなら、彼は真理を見たからです。」(Bg.4.34)

第6段落
私たちが服従することのできる人を選ぶことが必要です。もちろん、誰も誰にも服従することを好みません(No one likes to surrender to anyone)。私たちは、何であれ自分が持っている知識で驕り高ぶっており、そして私たちの態度は「おお、誰がこの私に知識を与えることができるだろうか?」というものです。

一部の人々は、霊的な知識のためには霊的指導者の必要はない、と言います。しかし、ヴェーダ文献に関して言えば、そしてバガヴァッド・ギーター、シュリマッド・バーガヴァタム、そしてウパニシャッドに関して言えば、霊的指導者の必要はあります。

物質世界においてさえ、もしも人が音楽家になるために学びたいなら、彼は自分に教えてくれる音楽家を探さねばなりません。あるいは、もしも人が技師になりたいなら、彼は技術学校(technological college)に行って、技術を知っている者から学ばねばなりません。

また、誰も単に市場から本を買ってきてそれを家で読むことによって医者になることはできません。人は、医学校への入学を許されて、免許のある医者の下で訓練を経なければなりません。単に本を買ってそれらを家で読むことによっては、どの主要な学問も学ぶことは可能ではありません。

本の中に見出される知識をどうやって応用するかを私たちに見せるために、誰かが必要とされます。神の科学に関して言えば、シュリー・クリシュナ、至高の人格神ご自身が私たちに、私たちが服従することのできる人のところに行くように助言なさいます。

これは、ある人がバガヴァッド・ギーターおよび神認識の他の文献の中の教えを与えることができるかどうかを知るために、私たちが査定(to check)しなければならない、ということを意味します。私たちが気まぐれに霊的指導者を探し求めなくてはならない、というのではありません。

私たちは、実際に主題の知識のうちにある(訳注:この主題に精通している)人を見つけるのに、非常に真剣であるべきです。

第7段落
バガヴァッド・ギーターの初めに、アルジュナはクリシュナにちょうど友人のように話していました。そしてクリシュナは、彼が軍人としてどうして戦うことを放棄できるのか、と問いかけていました(to question)。しかし、アルジュナが友人としての(friendly)会話は自分の問題への解決をなさないということを見て取ったとき、彼はこう言ってクリシュナに服従しました。

(サンスクリット引用)「今、私はあなたの弟子であり、あなたに服従した魂です。どうか私に教えてください(to instruct、教え導く)。」(Bg.2.7)これが過程です。私たちが盲目的に服従すべきであるというのではありません。そうではなくて、私たちは知性をもって問うことができるべきです。

第8段落
問うことなくして、私たちは発達することはできません。学校では、教師に質問をする生徒は普通、知性的な生徒です。小さな子供が自分の父親に「おお、これは何ですか?あれは何ですか?」と問うとき、それは一般に知性のしるしです。

私たちは非常に良い霊的指導者を持つかもしれませんが、もしも問う力を持たないなら、私たちは発達することができません。また、問いは挑戦的な性質のものであるべきではありません。人は、「さて、彼がどのような類の霊的指導者であるのか見てみよう。私は彼に挑戦しよう(will)」と考えるべきではありません。

私たちの問い(パリプラシュネナ)は、奉仕という主題(セヴャヤー)に関するものであるべきです。奉仕なくしては、私たちの問いは無益です。しかし、問いかけをする前にさえ、私たちは何らかの資格を持つべきです。もしも私たちがいくらかの金、あるいは宝飾品を買うために店に行って、宝石や金について何も知らないなら、私たちはおそらく騙されます(likely to be cheated)。

もしも私たちが宝石商のところに行って「ダイヤモンドをくれませんか?」と言えば、彼は「この人は愚か者だ」と理解するでしょう。彼は私たちに何でも言い値で売りつけることができます(He could charge us any price for anything)。そのような類の探求は何の役にも立ちません(will not do at all)。私たちはまず、多少、知性的にならねばなりません。なぜなら、そうでなければ霊的な発達をするのは可能ではないからです。

第9段落
ヴェダーンタ・スートラの始まりの命令は、アタート・ブラーマ・ジニャーサーです。「今がブラーマンについて問うときです。」アターという言葉は、「知性的である者、物質的な人生の基本的な苦しみ(frustration、挫折、失望、いらだち、など)を認識する地点に来た者は、問いかけをする能力がある」ということを意味します。

シュリマッド・バーガヴァタムの中で、「人は霊的指導者に(from)『この闇を超えた』主題について問うべきである」と述べられています。この物質世界は本質的に暗く、そしてそれは火によって人工的に明るくされています。私たちの問いは、この宇宙を越えたところにある超越的な世界に関してであるべきです。

もしも人がこれらの霊的な世界について知りたいと望むなら、彼は霊的指導者を探し求めるべきです。そうでなければ、探求することに意味はありません。もしも私が物質的な向上をするためにバガヴァッド・ギーターあるいはヴェダーンタ・スートラを学びたいなら、霊的指導者を見つけることは必要ではありません。

人はまず、ブラーマンについて問いたいと思うべきであり、そしてそれから完全真理(ジニャーニナス・タットヴァ・ダルシナー)に関して完璧な見識を持つ指導者を探し求めるべきです。クリシュナは至高のタットヴァ、完全真理です。バガヴァッド・ギーターの第7章において、シュリー・クリシュナは述べられます。

(サンスクリット引用)

「人の中の何千人もの者のうち、一人が完成のために努力するかもしれません。そして、完成に至った者のうち、ほとんど誰も私を本当には知りません(hardly one knows Me in truth)。」(Bg.7.3)

第10段落
このように、多くの完成した心霊主義者(spiritualist)のうち、一人がクリシュナが実際は何であるかを知るかもしれません。この節が示すように、クリシュナという主題はそれほど簡単ではありません。そうではなく、非常に難しいものです。それでもバガヴァッド・ギーターは、それが簡単であるとも示します。

(サンスクリット引用)

「人は、ただ献身奉仕のみによって、至高の人格をありのままに理解することができます。そして、人がそのような献身(の念)によって至高主を完全に意識するとき、彼は神の王国に入ることができます。」(Bg.18.55)

第11段落
もしも私たちが献身奉仕の過程を受け入れるなら、私たちはクリシュナを非常に容易に受け入れることができます。それを通して私たちはクリシュナの科学を完璧に理解することができ、そして霊的な王国に入る資格が得られるようになることができます。

もしもバガヴァッド・ギーターが言うように、多くの誕生の後で私たちがやがてクリシュナに服従しなければならないなら、なぜ直ちに主に服従しないのですか?(訳注:~しませんか?)なぜ、たくさん、たくさんの誕生を待つのですか?

もしも服従が完成の最終地点であるなら、なぜ直ちに完成を受け入れないのですか?もちろん答えは、人々は一般的に確信がない、というものです。クリシュナ意識は一秒で到達され得て、あるいはそれは何千もの誕生と死の後でさえ持たれ得ません。

もしも私たちが(それを)選ぶなら、私たちはクリシュナに服従することによって直ちに偉大な魂になることができます。しかし、私たちはクリシュナが実際に至高存在であるかどうか疑いを持っているので(校正:コンマが抜けている)、聖典の学習を通してこれらの疑いを消すために時間をかけねばなりません。真正なる霊的指導者の導きの下でバガヴァッド・ギーターを学ぶことによって、私たちはこれらの疑いを取り除いて確実な発達をすることができます。

第12段落
すべての疑いと結果を求める活動を燃やして灰にすることができるのは、知識の力です。シュリー・クリシュナは、実際に真理を見た者から真理について問うことの結果について、次の情報を与えられます。

(サンスクリット引用)

「そして、こうして真理を学んだとき、あなたは、すべての生命体は私の部分に他ならないと―――そして彼らは私の中にあり、そして私のものであると、知るでしょう。たとえすべての罪人のうちで最も罪深い者と考えられているにしても、超越的な知識という船の中にあるとき、あなたは悲惨さの海を越えることができるでしょう。燃え盛る火が薪を燃やして灰にするように、おお、アルジュナよ、知識の火も物質的な活動へのすべての反応を燃やして灰にします。」(Bg.4.35-37)

第13段落
知識の火は、霊的指導者によって点火されます。そしてそれが燃えているとき、私たちの仕事へのすべての反応は灰に変えられます。私たちの仕事、すなわち私たちのカルマへの反応は、私たちの呪縛の原因です。良い仕事と悪い仕事があり、そしてこの節においてサルヴァ・カルマーニという言葉は両方を指します。

この物質的な呪縛から解放されたいと望む者にとって、良い仕事と悪い仕事の両方の反応が有害です。この物質世界において、もしも徳の相にあるなら、私たちは良い仕事を行うことに執着しています。しかし、もしも熱情と無明の相にあるなら、私たちは熱情と無明において悪い仕事をします。

しかし、クリシュナ意識になる(be going to)者にとっては、良い仕事も悪い仕事も必要ありません。良い仕事によって、私たちは貴族的あるいは裕福な家庭において、良い生を受けるかもしれません。そして悪い仕事によって、私たちは動物の王国あるいは堕落した人間の家庭に生を受けさえするかもしれません。しかし、どの場合でも誕生は呪縛を意味します。

そしてクリシュナ意識を求めて努力している者は、転生の呪縛からの解放を求めて努力しています。もしも人が自分の物質的な悲惨さを捨てないなら、富裕な、あるいは貴族的な家庭に生まれることの利点は何でしょうか?良い仕事の反応を楽しもうが、悪い仕事の反応に苦しもうが、私たちは物質的な体を取らねばならず、そしてそれによって物質的な惨めさを経験しなければなりません。

第14段落
クリシュナへの超越的な奉仕に携わることによって、私たちは実際に誕生と死の循環から逃れます。しかし、知識の火が私たちの心(mind)の中で燃えていないので、私たちは物質的な存在を幸福として受け入れます。犬や豚は、自分がどんなに悲惨な人生を送っているか、理解することができません。

彼は実際に自分は人生を楽しんでいると考え、そしてこれは物質的なエネルギーの、覆い隠すような、あるいは幻想の影響、と呼ばれます。バウアリー通り(訳注:ニューヨークのマンハッタンにある、ホームレスの多い安ホテル街)では、非常に多くの泥酔した人々が路上に倒れています。

そして彼らは皆、「私たちは人生を楽しんでいる」と考えています。しかし、彼らの横を通り過ぎる人々は、「おお、(校正:句読点が抜けている)彼らはなんと惨めなことだろう」と考えています。それが幻想エネルギーのあり方(way、方法、やり方)です。

私たちは悲惨な状況にあるかもしれませんが、私たちは自分は非常に幸せであると考えて、それを受け入れます。これは無明と呼ばれます。しかし、人が知識に目覚めるとき、彼はこう考えます。「おお、私は幸せではない。私は自由が欲しいが、自由がない。

私は死にたくないが、死がある。私は年を取りたくないが、老齢がある。私は病が欲しくないが、病がある。」これらは人間の存在の大きな問題です。しかし、私たちはそれらを無視し、非常に小さな問題を解決することに集中します。

自分がここ物質世界の中にどれくらい長く生きるかを忘れ、私たちは経済的な発展を最も大切なものと考えます。経済的な発展があろうがなかろうが、60年か100年かのあとで、私たちの人生は終わります。たとえ100万ドル蓄えても、私たちはこの体を去るときに、そのすべてを置いていかねばなりません。私たちは、物質的な世界では何であれ自分がしていることは物質自然の影響によって打ち負かされている、ということを理解するようになる必要があります。

第15段落
私たちは自由を望みます。そして私たちは世界中を、そして宇宙全体を旅したいと望みます。実に、それは霊魂としての私たちの権利です。バガヴァッド・ギーターにおいて霊魂はサルヴァ・ガターと呼ばれ、それは彼がどこであれ好きなところに行く能力を持っているということを意味します。

スィッダーロカには、飛行機や他の機械的な装置の助けなくして、どこであれ望むところに旅することのできる、完成した存在、あるいはヨギーがいます。いったん物質的な制約から解放されると、私たちは非常に強力になることができます。

実際は、私たちは霊的な火花として自分がいかに強力であるか、全く知りません。その代わり私たちは、この地上に留まり、いくつかの宇宙船を打ち上げることで、自分たちは物質的な科学において多いに発達したと考えて非常に満足しています。私たちは、自分がどこへでも望むところへ無料で旅する能力を持っていることを知らず、宇宙船を作るのに何百万ドルも何百万ドルも使っています。

第16段落
要点は、私たちは知識の力によって自分の霊的な力を培うべきである、というものです。知識は既にそこにあります。私たちは単にそれを受け入れなければならないだけです。以前の時代では、人々は知識を得るために非常に多くの苦行や禁欲を行いました。

しかし、この時代においては、この過程は可能ではありません。なぜなら、私たちの人生は非常に短く、私たちはいつも(訳注:心の平安や仕事など)妨害されているからです。この時代のための過程は、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブによって始められたクリシュナ意識の過程、ハレ・クリシュナを唱えることです。

もしも、この過程によって私たちが知識の火を燃え立たせることができるなら、私たちの活動のすべての反応は灰になり(will be reduced to ashes)、そして私たちは浄化されるでしょう。

(サンスクリット引用)

「この世界には、超越的な知識ほど荘厳で純粋なものはありません。そのような知識はすべての神秘主義の熟した果実です。そして、これを得た者は、やがて自分の中の自己(the self within himself)を楽しみます。」(Bg.4.38)
by ammolitering4 | 2012-04-05 17:14 | 「知識の王」


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