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第3章 後半

第28段落
これが起こった多くの例があります。インドには、サークシ・ゴパーラと呼ばれる、あるお寺があります(クリシュナはしばしばゴパーラと呼ばれます)。ゴパーラ・ムールティ、すなわち(訳注:クリシュナの)彫刻が、かつてヴリンダーヴァンのある寺院にありました。

あるとき、一人の年老いた者と一人の若者の二人のブラーマナが、巡礼でヴリンダーヴァンを訪れました。それは長い旅でした。そして当時は鉄道がなかったので、旅人は多くの困難を経験しました。老人は、旅の途中で自分を助けてくれたことに対して若者に深く感謝していました(be obliged to)。

そしてヴリンダーヴァンに着いたとき、彼は若者に言いました。「我が親愛なる少年よ。あなたは私に非常に多くの奉仕をしました。そして私はあなたに深く感謝しています。私はぜひともその奉仕に報い、あなたに何らかの褒美を与えたいと思います。」

第29段落
「我が親愛なる方よ(My dear sir,)」と若者は言いました。「あなたはちょうど私の父のような老人です。あなたに奉仕をするのは私の義務です。私は何の褒美も必要としません。」

第30段落
「いいえ、私はあなたに恩があり(I'm obliged to you)、そして私はあなたに褒美を与えねばなりません」と、老人はあくまで主張しました。彼はそれから、若者に自分の若い娘を結婚において与えると約束しました。

第31段落
老人はとても裕福な人でした。そして若者は、学識のあるブラーマナではありましたが、非常に貧乏でした。これを考えて、若者は言いました。「これを約束しないでください。なぜなら、あなたの家族は決して同意しないだろうからです。私は大変貧乏な男です。そしてあなたは貴族的です。ですから、この結婚は成立しないでしょう。神像の前でこれを約束しないでください。」

第32段落
会話は寺院の中で、ゴパーラ・クリシュナの神像の前でなされていました。そして若者は神像に無礼をしないようにと心配していました。しかし、若者の懇願にも関わらず、老人は結婚をあくまで主張しました。しばらくの間ブリンダーヴァンに留まったあと、彼らはとうとう家に帰りました。

そして老人は自分の長男に、彼の若い妹(his young sister)が貧しいブラーマナの若者と結婚することになったと告げました。長男は非常に立腹しました。「おお、どうしてあなたはあの貧乏人を私の妹のための夫として選んだのですか?これは許されません(This cannot be.「そうであってはならない」)。」

第33段落
老人の妻も彼のところに来て言いました。「もしもあなたが私たちの娘をあの少年と結婚させるなら、私は自殺します。」

第34段落
老人はこうして当惑しました。しばらくして、ブラーマナの若者は非常に心配になりました。「彼は自分の娘を私と結婚させると約束した。そして彼は神像の前でその約束をした。今、彼はそれを守りに来ていない(He is not coming to fulfil it.)。」それから彼は、約束を思い出させるために老人に会いに行きました。

第35段落
「あなたは主クリシュナの前で約束なさいました」と若者は言いました。「そして、あなたはその約束を守っていません。それはどうしてですか?(How is that ?)」

第36段落
老人は無言でした。彼はクリシュナに祈り始めました。なぜなら彼は当惑していたからです。彼は自分の娘を若者と結婚させて自分の家族の間にそれほど大変な問題を起こすことを望みませんでした。その間に、長男が出てきてブラーマナの若者を責め始めました。

「あなたは巡礼の地で私の父を略奪しました。あなたは彼に幾らかの(some、何らかの)陶酔物を与え、彼のすべてのお金を盗り、そして今、あなたは、彼があなたに私の一番若い妹を与えると約束したと言っています。悪者め!(You rascal!)」

第37段落
このようにして大声がしたので(there was much noise)、人々が集まり始めました。若者は、「老人はまだ賛成であったけれど家族が彼にとって物事を難しくしている」と理解することができました。人々は長男の大声のせいで集まり始めました。

そしてブラーマナの若者は彼らに、「老人が神像の前でこの約束をしたが、家族が反対しているので彼はそれを守ることができない」と声高に反論(to exclaim)し始めました。無神論者であった長男は、突然若者の話を遮って言いました。

「では(Well,)、もしも主が来て私の父のこの約束を証言する(to bear witness)なら、あなたは結婚において私の妹を得ることができます。」

第38段落
若者は答えました。「はい、私はクリシュナに証人として来てくださるように頼みます。」彼は、神が来てくださるという自信がありました。皆の前で、「もしもクリシュナがヴリンダーヴァンから老人の約束の証人としておいでになったなら、娘は結婚において与えられる」という同意がなされました。

第39段落
ブラーマナの若者はヴリンダーヴァンに戻り、ゴパーラ・クリシュナに祈り始めました。「親愛なる主よ、あなたは私と一緒に来なければなりません。」彼は非常に筋金入りの献身者だったので、彼はクリシュナに、ちょうど人が友人に話すように話しました。

彼は、ゴパーラは単なる彫刻あるいは像であるとは考えていませんでした。そうではなく、彼は主(訳注:神像)を神ご自身と考えていました。突然、神像が彼に話しかけました。

第40段落
「どうしてあなたは私があなたと一緒に行けると考えるのですか(How do you think that~)?私は彫刻です。私はどこにも行けません。」

第41段落
「でも(Well,)、もしも彫刻が話すことができるなら、彼は歩くこともできます」と少年は答えました。

第42段落
「では、いいでしょう」と神像はとうとう言いました。「私はあなたと一緒に行きます。ただし、一つ条件があります。決して、あなたは私を見るために振り向いてはなりません(In no case shall you~)。私はあなたについて行きます。そしてあなたは私がついて来ているということを、私の脚の足首飾りのたてるチリンチリンという音によって知るでしょう。」

第43段落
若者は同意し、そしてそのようにして彼らは別の町へ行くためにヴリンダーヴァンを去りました。旅がほとんど終わりかけ、ちょうど彼らが彼の故郷の村に入ろうとするとき、若者はもう足首飾りの音を聞くことができませんでした。そして彼は恐れ始めました。「おお、クリシュナはどこだろうか?」

もはや自制しきれず、彼は振り返りました。彼は彫刻がじっと立っているのを見ました。彼が振り返ったので、それはもはや先へ進みませんでした。彼は直ちに町に走っていき、人々に「出てきて、証人としておいでになったクリシュナを見るように」と言いました。

誰もが、そのように大きな彫刻がそれほど遠くから来たということに驚愕し、そして彼らは神像に敬意を表して(in honor of)その場に寺院を建てました。そして今日、人々は今でもサークシ・ゴパーラ、証人としての主を崇拝しています。

第44段落
したがって、私たちは「神はどこにでもいらっしゃるので、主はご自分の彫刻の中、ご自分の姿に作られた像(the image made of Him)の中にもいらっしゃる」と結論づけるべきです。非人格主義者でさえ認めるように、もしもクリシュナがどこにでもいらっしゃるなら、それならなぜ、主がご自分の像の中にいらっしゃらないことがあるでしょうか?

像あるいは彫刻が私たちに話しかけるか、そうでないかは、私たちの献身の念の程度によります。しかし、もしも私たちが像を単に一片の木あるいは石として見ることを選ぶなら、クリシュナはいつも私たちにとって木あるいは石であり続けるでしょう。クリシュナはどこにでもいらっしゃいます。

しかし、私たちが霊的な意識において発達するにつれて、私たちは主をありのままに(as He is)見始めることができるようになります。もしも私たちが手紙を郵便箱に入れるなら、それはその目的地に行きます。なぜなら、郵便箱は正式に認められている(authorized)からです。

同様に、もしも私たちが神の正式に認められた像を崇拝するなら、私たちの信仰は何らかの効果を持つでしょう。もしも私たちが様々な規則や規律に従う準備ができているなら---つまり、もしも私たちが資格を得れば---神をどこにでもいたるところに(anywhere and everywhere)見ることが可能です。

献身者がいるとき(present)、クリシュナはご自分の偏在のエネルギーによって、ご自分をどこにでもいたるところに顕現なさいます。しかし、ご自分の献身者がいないとき、主はこれをなさいません。これの多くの例があります。プラーラーダ・マハーラージャは、クリシュナを柱の中に見ました。

多くの他の例があります。クリシュナはそこにいらっしゃいます。必要とされるもののすべては、主を見るための私たちの資格です(訳注:必要なのは~だけです)。

第45段落
クリシュナご自身がこのようにしてご自分の偏在の例を挙げられます。

(サンスクリット引用)

「どこにでも吹いている強い風がいつもエーテルの空間にあるように(to rest in)、同じようにすべての存在(being)が私の中にある(to rest in)ことを知りなさい。」(Bg.9.6)

第46段落
誰もが風は空間(space)の中を吹くことを知っており、そして地上ではそれはどこにでも吹いています。空気も風のない場所はありません。もしも私たちが空気を追い出したいと望むなら、私たちは何らかの機械によって人工的に真空を作らねばなりません。ちょうど空間の中で空気がどこにでも吹いているように、おなじように(so)、すべてはクリシュナの中に存在しています。もしもこれがそうであるなら、物質的な創造が分解されるとき、それはどこに行くでしょうか?

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。時代(millennium)の終わりにすべての物質的な顕現は私の自然(nature)の中に入ります。そしてもう一つの時代の初めに、私の力によって、私は再び創造します。」(Bg.9.7)

第47段落
ちょうど人が時計のネジを巻くように、クリシュナはご自分の自然(プラクリティ)を始動なさいます(to set into motion)。そして自然が休止して安らかになる(to unwind)とき、それは主の中に吸収されます。しかし、霊的な創造はこのようではありません。なぜなら、それは永遠だからです。

物質的な創造の中では、すべては一時的です。ちょうど私たちの体が内にある霊的な火花が原因で成長しているように、創造全体が、内にある主の霊が原因で、存在し始め(to come into being)、成長しており、そして消えています(to pass out of being)。

ちょうど私たちの霊が体の中に存在している(present)ように、主は宇宙の中にパラマートマーとして存在していらっしゃいます。クシーロダカシャーイー・ヴィシュヌの存在が原因で、物質創造は存在します。ちょうど私たちの存在が原因で私たちの体が存在しているようにです。

時としてクリシュナは物質創造を顕現させ、そして時としてそうなさいません。どの場合でも、その存在(existence)は主の存在(presence)が原因です。
by ammolitering4 | 2012-03-08 15:59 | 「知識の王」


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