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犬の体

こんばんは。皆様お元気でいらっしゃいますか。今日はうちに子犬が来ていたので膝に乗せてなでていたら、寝てしまいました。気持ち良さそうに一時間くらい寝てました。かわいいものですね。ときどき姿勢を変えてましたが、これでどうして寝られるのだろうと思うような姿勢のときもありました。寝ている犬にでまかせの子守唄を歌っていたのですが、そのうちに思いついてマハ・マントラを聞かせてあげました。小さいのに生きている犬を見ていると、なぜこの魂は犬の体の中で生きることになったのだろう、などと考えてしまったのです。

私はときどき、ちょうど自分がこの小さな犬を見ていたように、私を天井の辺りから見ている人がいるような気がします。いつもいつもそう思っているわけではないのですが、なんとなくそういう気がすることがあるのです。血管とホネと筋肉と皮と、そんなふうなものでできている私を見ている誰か。この体が魂の住みかなのですね。それは一種の屈辱のようなものです。私は子供の頃、食べることと声を出すことがあまり好きではありませんでした。もちろんちゃんと料理上手の母が作ってくれる手料理を食べて成長したので問題が起こるほどではありませんでしたが、それはなんとなく屈辱的な行為だったのです。人前で食べることはもっと苦手でした。声を出すことに関しては、自分の声で内心の平穏が乱されるような感じがするときがあり、頭の中で響く声で空想上の人々と話したり彼らの声を聞いたりするほうが馴染み易かったのです。

今日は災害のことをあれこれとテレビでやってました。私は12歳のときからテレビを全く見ないで育ったので、今でもあまり好きではないのですが、今は家でずっとテレビがついているのです。テレビでは建前に沿ったことしかいえないのかもしれませんが、疑問に思うことがよくあります。被災した人たちに「この苦しみを乗り越えれば必ずいいことがあるよ。それを信じてがんばって。私は信じてる」などと言う人がいます。努力すればきっと良くなる、というのは聞こえの良い台詞です。そんな台詞が毎日毎日聞こえます。でも実際には「泣きっ面に蜂」とか「踏んだり蹴ったり」とかの表現があるわけで、自然は人間の復興への思いとか全然関係なく、独自のスケジュールで物事を遂行します。「幸せが待ってることを信じてがんばろう」と無責任なことを言って励ましても、そうならない可能性だって否定できないのです。人類の歴史を見ても、ただ悲惨で無残としか言いようのない運命を辿った個人や文明は幾らでもあります。今後もそれは変わらないし、東北の被災地だって例外ではないかもしれません。

根拠のない未来の幸せを感傷的に約束しても、それは聞こえの良い虚言でしかありません。たとえ次なる大災害が起きなくても、個人の体は確実に老化し、病み、やがて死にます。テレビにはときどきお坊さんも出てきますが、わたしはいまだかつて一言も彼らが体を越えた魂に言及するのを聞いたことがありません。体やそれに伴う物質的なものがいかに簡単に滅びるか、あるいは痛めつけられるかをこれだけはっきりと見せ付けられたというのに、いったいなぜ人々は未来の幸せなどという単なる一時的な可能性に過ぎないものに信頼を置くことができるのでしょう。その無邪気な信頼が裏切られたとき、彼らの絶望を今度はどんな空約束で慰められるというのでしょう。なぜだかこの頃はこういう気持ちが募る日々なのです。
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by ammolitering4 | 2012-01-17 22:31 | Comments(2)
Commented by acha at 2012-01-18 20:03 x
全く同感です・・・。
子犬、かわいいですね。マントラ聞けて、幸せな子。
Commented by 葉子 at 2012-01-19 09:56 x
物質界は救いのないところだなと思います。垂らしてくださったクモの糸に気づいた私たちは幸せですね。それでもなお執着が切れない自分を見てると驚きますけど。。。
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