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第2章 第15段落まで

第2章 カルマ・ヨガ―――超越的な結果を伴う仕事

第1段落
学識ある賢人たちは私たちに、「人はインド、すなわちバーラタヴァルシャという聖なる地に、90万の水中の種、200万の野菜などの動かない種、110万の爬虫類と虫の種、100万の鳥の種、300万の獣の種、そして40万の人間の種を含む840万の生命の種を通った、段階的な進化の過程の後に生を受ける」と教えます。

生きた霊は一つの生命の種から別のそれへと転生し、そして彼(霊)は巨大な宇宙の中空の中を、何百万年も何百万年も、そのようにして動いています。この理由により、霊魂は「あまねく存在する」と描写されます。

第2段落
既に述べたように、「シュリー・チャイタンニャ・チャリタームリタ」は、「長い時間の後でようやくバーラタヴァルシャという聖地に生を受けた者は、自分自身が自己認識によって啓蒙された後で、他の人たちに至高の恩恵を授けるべきである」と述べています。

偉大な賢人たちが霊なる自己(spirit self)の認識のためにそれほどの努力をしたことは、他のどの国ででもありませんでした。西洋の国々では、人々は物質的な体と心を中心とした物質的な科学の文化を発達させるために最善の努力をしたのは事実です。

しかし、西洋におけるすべてのそのような物質的な知識の発達にも関わらず、一般の人々は霊的な科学の文化(culture、培うこと)についてほとんど気にかけなかったので、彼らは物質主義の有害な影響に苦しんでいます。西洋の国々の偉大な思索家たちは、したがって、至高神の教えが彼らの耳に届くようにするためには、インドに目を向けねばなりません。

第3段落
物質主義の火を消して人類の未来を明るくするために、至高の人格神シュリー・クリシュナはバガヴァッド・ギーターにおいて、カルマ・ヨガ、すなわち超越的な結果を伴う仕事を詳しく議論なさいました。カルマ、すなわち物質的な利益を求める仕事と、カルマ・ヨガ、すなわち超越的な結果を伴う仕事の間には、大きな違いがあります。

バガヴァッド・ギーター全体を通して、数箇所で、至高の人格神は「超越的な結果を伴う知性的な仕事」を意味するブッディ・ヨガという言葉を使われます。そして私たちはまた、ブッディ・ヨガが「超越的な献身の活動」を意味すると理解することができます。

なぜでしょうか?なぜなら、至高の人格神クリシュナは、自分はいつも自分の献身者を特に好み(to favor)、彼らに献身活動を行う知性を授け、最後には彼らが自分のところに至ることができるようにする、とおっしゃるからです。

他の箇所でも、神へは献身活動を通してのみ到達し得る、と述べられています。結論は、私たちは(訳注:原文は誤字で大文字になっている)ブッディ・ヨガあるいはカルマ・ヨガにいそしむことによってのみ自分の仕事(カルマ)の結果を捨てることができる、ということです。

第4段落
バガヴァッド・ギーターの2章において、至高の人格神シュリー・クリシュナは次のように助言なさいます。「これまでのところ、私はあなたに超越的な知識を説明しました。これから私は、超越的な結果を伴う仕事を説明します。このようにして働くことによって、あなたは普通の仕事によって生じる呪縛を捨てることができます。この過程には損失や減少はありません。たとえこの仕事をほんの少し行っても、それは人を最も深刻な問題(trouble)から救うことができます。」

第5段落
超越的な結果を伴って働くことは、主クリシュナへの献身奉仕の活動にいそしむことを意味します。そして、これらの献身の活動がいかにして私たちの日々の活動的な人生に組み込まれ得るかが、バガヴァッド・ギーターにおいて説明されています。

この組み込みは、厳密にはカルマ・ヨガとして知られています。知識を培うことと組み合わせられるとき、同じ献身の活動は厳密にはジニャーナ・ヨガと呼ばれます。しかし、そのような献身の活動がそのような仕事と知識のすべての限界を超越するとき、この物事の状態は、純粋で超越的な献身、すなわちバークティ・ヨガと呼ばれます。

第6段落
私たちがこの世界で行う様々な行為は、様々な特定の結果を生じさせます。私たちがこれらの結果―――私たちの働きの結果―――を楽しみ始めるとき、これらの楽しみという行為もまた、順次(in their turn)、当然更なる結果を作り出します。

こうして私たちは、行為と反応、そしてそれぞれの結果、という大きな木を育みます。そしてこれらの実を楽しむ者として、私たちは働きの木とその実の網の目にぐるぐる巻きになります。何度も生まれ変わって、霊魂はそのような実を作り出して、それらを楽しむ過程にぐるぐる巻きであり続けます。

第7段落
私たちには、この行為と反応―――働きとその結果(fruitive results)の呪縛から逃れる機会はほとんどありません。すべての仕事を捨ててサンニャースィー、すなわち出家者の人生を受け入れた後でさえも、人はまだ、自分の空腹を満たすためだけにであっても、働かねばなりません。ですから、たとえ腹のためだけであっても、逃れる術はありません―――仕事をすることを避けることはあり得ません。

第8段落
結果的に、至高の人格神シュリー・クリシュナは、アルジュナに助言なさいます。「おお、アルジュナよ。あなたはいつも自分の義務を果たさねばなりません。何かをすることは、何もしないより、はるかに優れています。あなたは、何らかの仕事をすること無くしては、日々の糧を得ることさえできません。」

第9段落
「義務」とは、聖典と聖なる法典に定められている仕事を意味します。そのような仕事は、出家者や神秘的なヨギーであるという気取りの下での怠惰よりも(訳注:~を気取って怠惰であるよりも)、はるかに優れています。

生計を立てるために、人は名誉をもって道路の清掃をする職業につくことができますが、人は単に自分の空腹を満たすために出家者のサフラン色(訳注:黄色がかったオレンジ色)の衣に衣装を着替えてはいけません。これが、偉大なる一元論者の哲学者であって宗教改革者である、シャンカラーチャーリャの教えです。

現在の争いと偽り(pretension、見せかけ、うぬぼれ、など)の時代にあっては、人は出家者の人生を送るよりも普通の定められた義務を果たすことを好むべきです。本当に俗世を捨てた者は、社会的な秩序の中の自分の定められた日々の義務を行うことを放棄してはならない、ということを理解しています。

そうすることは破滅をもたらします。単純明快なことです。私たちが何らの仕事をすることもなく自分の日々の糧を得ることができないとき、どうして自分の定められた義務を放棄することが可能でしょうか?そしてそれでも人は、自分が霊魂を物質的な存在に縛り付けている行為と反応の網の目の中にいる、という難しい立場を忘れてはなりません。

第10段落
そのため、この葛藤を解決するため、至高の人格神シュリー・クリシュナは、私たちに次のように助言なさいます。「仕事をするための最善の方針は、すべての定められた義務をヤジニャ、すなわち至高存在であって完全真理であるヴィシュヌの満足のために為すことです。そうでなければ、すべての行為は呪縛を生じさせる反応を生みます。もしも仕事がヤジニャのためになされるなら、人はすべての呪縛から自由になります。」

第11段落
いかなる呪縛をも生じさせないこの働き方は、超越的な結果を伴う仕事、すなわちカルマ・ヨガと呼ばれます。このようにして働くことによって、人は仕事の呪縛をまぬがれることになるだけでなく、至高の人格神への超越的な献身の念も育みます。

自分の働きの結果を自分で楽しむのではなく、人はそれを至高の人格神への超越的な愛情ある奉仕のために捧げるべきです。これが献身奉仕のハシゴの最初の段です。主チャイタンニャは、この献身奉仕の方法をプラヤーガのダシャーシュヴァメダー・ガータにおいて、シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーに教えられました。

そこで主は、至高の人格神シュリー・クリシュナの慈悲と霊的指導者の慈悲によってのみ、幸運な魂は超越的な愛情ある献身奉仕の種を得ることができる、とおっしゃいました。カルマ・ヨガは、この純粋な献身奉仕の最初の段階です。

この科学は、シュリー・クリシュナご自身、あるいは主の真正なる内密な従者たちによってのみ教えられます。そのような源から教えを受けるのでない限り、しばしば自分をカルマ・ヨガの達人だと宣伝する普通の俗人がそうするように、人は必ずカルマ・ヨガの意味(訳注:import、「重要性」という意味もある)を誤解します。

第12段落
私たちは、単に自分の物質的な存在を続けていくためだけにでも、幾らかの富を稼がねばなりません。その富と引き換えに私たちは、主として自分の空腹のためのものですが、生活に必要なものを得ます。食べるとき(訳注:食事をすれば)私たちは健康な体を保ち、そして健康な体を保つとき(訳注:体を健康に保てば)私たちは自分の生計を立てます(訳注:立てることができます)。

これが仕事の車輪であり、私たちはそれに乗って宇宙全体を巡ります。何度も何度も生まれ変わって、きつね火のような幻想の物質的な幸せのための苦闘から生じる、付き物の困難に苦しみながら、私たちがどれほど遠くまで、そしてどれほど長い間こうして巡っているか、推定することはできません。

偽りの享楽者の能力の範囲内で、至高に強力な主に全く従うことなく、魂は何度も生まれ変わって永遠の幸せを探しますが、彼(魂)は本当の幸せがどこにあるか知りません。プラーラーダ・マハーラージャはおっしゃいます。「自分の至高の利益はヴィシュヌ、万能の至高神に至ることであるのを、誰も知りません。」

第13段落
自分の本当の利益(が何なのか)を知らず、私たちは何度も生まれ変わっては目的も無く物質的な存在の海の上を航海しています。そして、行為と反応の波に翻弄され、私たちはそのような不吉な旅をすることによる苦しみの大きさを確かめることができません。

私たちは、自分の旅の目的は完全真理、ヴィシュヌ、あまねく存在する至高神に到達することであるのを知らねばなりません。シュリー・クリシュナはこれを、すべてのことはヴィシュヌ、すなわちヤジニャの満足のために行われなければならない、と言って確認なさいます。

リグ・ヴェーダの中で同じ真理が描写されています。「ヴィシュヌは至高の神であり、そのためすべての従属的な神々はヴィシュヌと主の蓮の御足に依り頼む。」ヴェーダの著者は至高の人格神ご自身です。したがって、主のバガヴァッド・ギーターはヴェーダのすべての教えの最良の要約です。

それに関して疑いの余地はありません。したがって、シュリー・クリシュナの教えは、もしも私たちが仕事の車輪の呪縛から自由になりたいと望むなら、私たちはすべてのことをヴィシュヌとヴィシュヌの満足だけのためにしなければならない、ということです。

第14段落
かつて、インドの人(今では「ヒンズー」と誤って名付けられている)は、ヴァルナーシュラマ・ダールマ、あるいはサナータナ・ダールマ、すなわち人間の社会(affairs:状況、業務など)を4つの社会的な秩序と4つの霊的な秩序に従って組織するシステムに従っていました。

社会の秩序の上の3つの階層に属する者―――すなわちブラーマナ(指導的な階層)、クシャトリヤ(管理的な階層)、そしてヴァイシャ(生産的な階層)―――は皆、ヴァイシュナヴァ主義、すなわちすべての行為を至高神、ヴィシュヌに捧げる(centering every action upon the Supreme Deity, Vishnu)生活を送ります。

4つの霊的な秩序のすべて―――学生、家庭人、引退者、そして放棄階層者―――において、特に家庭人の階層において、ヴィシュヌが崇拝されていました。特にブラーマナの家庭人は例外なくヴィシュヌを崇拝します。そして今でもなお、それらのブラーマナたちの子孫は、自分の家庭の神(像)としてヴィシュヌを崇拝し続けています。

第15段落
これらの霊的に文化的な人々は、すべてのことをヴィシュヌのために行います。それぞれの能力に応じて彼らは食べ物を買い、それをヴィシュヌの崇拝のために料理します。そして、彼らがヴィシュヌを満足させるために捧げた食べ物の残りはプラサーダム―――「主の慈悲」、すなわち主の食事の残り物―――になり、彼らによって食べられました(訳注:彼らはそれを食べました)。

過去において可能であり、今日でさえあちこちでまだ行われていることは、時間と場所と人々に合うように多少の都合をつけることによって、人生のすべての側面で為され得ます。このようにして、すべての人が行為と反応の呪縛的な網の目から自由になることができます。
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ほんの少しですけど、今日はこれだけ載せます。
by ammolitering4 | 2011-12-27 23:42 | 「至高神の教え(メッセージ)」 | Comments(0)
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