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第1章 14段落から26段落まで

「至高神の教え」第1章 26段落まで

第14段落
しかし現時点では、思想の指導者たちは一般の人々を、「私たちが住んでいる世界以外に世界はない」、そして「ここですべての平和と繁栄が得られる」と信じるように誤って導いてしまいました。そのような指導者たちによれば、物質的な体が本当の自己であり、体に関わるすべてのことを理解するということが自己認識を構成し(訳注:「自己認識とは体に関わるすべてのことを理解することであり」)、そして私たちは、体の感覚を満足させて、なんとしても体を維持すること以上の義務を持ちません。

これらの指導者たちによれば、神と、主に哲学的に近づくことは、単に脳を運動させるための娯楽的な追及、あるいは室内ゲームに過ぎません。しかし、この種の理解によっては、世界は何ら実体のあるものを得ません。

第15段落
ですからアルジュナは、自分を物質世界において幻惑されている普通の人々の部類に置き、弱さを表しました。そして、この行動によってアルジュナはバガヴァッド・ギーターが至高の人格神の超越的なくちびるから顕現するのを助けました。

至高の人格神が死を運命づけられたこの世界に降臨なさるときはいつでも、主はご自分の内密な従者につき従われています。アルジュナは至高の人格神シュリー・クリシュナのそのような永遠の内密な従者の一人であり、そのためバガヴァッド・ギーターの哲学は一般の人々の利益のために彼に直接教えられました。

第16段落
至高の人格神の純粋な献身者であるため、アルジュナはクルクシェトラの戦場においてさえバガヴァッド・ギーターの超越的な哲学を議論することができました。私たち現代人は、自分の通常の日常的な義務の間にあって、バガヴァッド・ギーターの哲学の詳細を論じる時間がないことになっています。

しかし、私たちに教えるためだけに、アルジュナはただ一瞬でさえ無駄にするのが不可能であるように見えたときにバガヴァッド・ギーターの哲学を熟考しました。これらすべてを彼は私たちのような人々のために行い、そして彼はいったんバガヴァッド・ギーターの哲学を理解すると、精力的に戦いました。

第17段落
アルジュナを典型的な現代人と同じように圧倒したように見える家族関係の親和性は、超越的な知識が欠落していることのしるしです。しかし、超越的な知識を得ることは、必ずしも普通の生活の義務を放棄することを意味するのではありません。

アルジュナがバガヴァッド・ギーターの哲学を理解したあと、至高の人格神シュリー・クリシュナは、決して彼に自分の普通に見える義務を放棄することは助言なさいませんでした。対照的に、シュリー・クリシュナによって授けられた超越的な知識を得たあと、アルジュナは前よりももっと精力的に戦いました。

私たちが超越的な知識を通して得る本当の精神は、自己を服従させることと、至高の人格神に超越的な奉仕を捧げる決意です。バガヴァッド・ギーターの趣旨はこれであり、他の何でもありません。

第18段落
アルジュナが切迫したクルクシェトラの戦いによって自分に呈された問題を解決できないでいたとき、自分の問題の解決策を尋ねるために、彼は全くの従順さをもってシュリー・クリシュナに主の弟子として服従しました。

最初は、至高の人格神はアルジュナと、友人同士が語り合うように話しました。しかし、そのような友人同士としての議論は、普通、実りのない話し合いに終わります。そのためアルジュナはシュリー・クリシュナの弟子として服従しました。弟子は自分の霊的指導者の命令に逆らうことはできないからです。それが弟子と彼の師との関係です。

第19段落
至高の人格神シュリー・クリシュナは、アルジュナが自分自身の学識に関する何らのうぬぼれもなく、そして全く無条件でご自分に服従したのを見てはじめて、バガヴァッド・ギーターの極めて重要な教えを授けました。

服従する前のアルジュナのように、私たちは一般に自分の問題を、自分の俗世的な経験から集めた独自の手段によって解決しようとします。しかし、一時的な手段によって自分の日々の身体的および精神的な困難を取り除こうとするこの試みは、いつも誤って導かれます。

第20段落
人が自分の永遠の人生を取り戻すという問題を解決しようとしない限り、この人生においても死後の人生においても、何らの平和もありえません。それがバガヴァッド・ギーターの至高の教えです。

第21段落
私たちの至高の必要性は、物質的な体と心の切望を超越した活動に関わる主題を理解することです。この、活動の超越的な水準に(訳注:超越的な水準にある活動)に至らない限り、私たちは本当の平和を得ることができません。

この霊的で超越的な水準は永遠の人生の水準であり、それなくしては物質的な体と心は存在しません(would have no existance)。しかし、現在私たちは、自分たちの物質的な知識を大いに誇りに思っているにも関わらず、この永遠の人生に関する何の情報も持ちません。

第22段落
私たちは大なり小なり、永遠に生きている魂を今は覆っている外的で物質的な区分に浸っています。そして、自分をこれらの外的な区分に浸らせてしまったため、私たちは非常に多くの苦しみと苦闘に直面します。

私たちがそのような区分から自由になるとき___私たちの本当の性質が明らかになるとき___そのとき、そしてそのときだけ、私たちは本当の幸せと平和という、自分の夢を実現します。学識ある科学者たち、偉大な政治家、そしていわゆるマハートマーの自負を通して物質世界の困難を取り除こうとする私たちの現在の試みは、霊的で超越的な水準には至らず、単に魂に様々に色とりどりの身体的で精神的な区分という「衣装」をまとわせます。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは、これらの試みは必ず期待外れに終わる、と宣言なさいます。

第23段落
シュリー・クリシュナは、アルジュナが弟子としてご自分に服従したとき、言うなればアルジュナを非難しました。「アルジュナ、私はあなたが学識のある人のように語っているのを見ます。しかし、実際はあなたはほとんど知識を持ちません。本当に学識のある人は誰も嘆かないことを嘆いているからです。」

第24段落
学識のある人は、時間の流れの中で現れたり消えたりする物事を嘆くことは決してありません。私たちが自分の母親の子宮から得る物質的な体は、しばらくの時間の後で、場合によって灰、土、あるいは糞に変わります。

そして、偽りの自我、知性、そして心からなる希薄な物質の体は、魂が解放されるときに同様に消えます。したがって、本当に学識のある人は、物質的な体と心、あるいは物質的な体と心にだけ関係のある幸せと苦しみをあまり重視しません。

第25段落
他方、そのような学識のある人は、霊であるため体と心を超越している魂そのものの幸せと苦しみに多いに重要性を置きます。この主題に関する知識は超越的な知識と呼ばれます。アルジュナは、完全に物質主義的な愚か者である私たちに教えるためだけに、何の超越的な知識もない物質主義的な愚か者として振舞いました。

主のほうはと言えば、至高の人格神は、バガヴァッド・ギーターの超越的な知識をアルジュナに授けました。主はアルジュナがそれを聞くのに最もふさわしい人であると思われたからです。

第26段落
ちょうどアルジュナのように、ベンガルのナワブ・フセイン・シャーの下の首相 ---後の主チャイタンニャの主要な弟子たちの一人、サナータナ・ゴスヴァーミーとして知られたサーカラ・マッリカ ---は、ベナレスで主に会ったとき、主チャイタンニャの前で自分自身を物質主義的な愚か者として表しました。彼は主チャイタンニャの前で自分の立場を次のように表しました。

「超越性に関する知識を持たない普通の人々は、私を偉大な指導者、学者、マハートマー、パラマハムサなどと呼びます。しかし、私は自分が本当にそうなのかと疑っています。彼らは私を、(本当は)そうでないものと呼ぶことによって、私を間接的に嘲っているのかもしれません。(訳注:私はそのような偉人ではないのに、そうであるかのように呼ぶことによって、彼らは実は私を馬鹿にしているのかもしれません。)

私は自分がありのままの自分について何の知識も持たないということを知っています。しかし、それでも物質主義的な愚か者は私を学識がある(者)と呼びます。これは疑いもなく(悪い)冗談であって、嘲りです。
by ammolitering4 | 2011-09-28 13:39 | 「至高神の教え(メッセージ)」 | Comments(0)
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