第4章

第4章 私は何よりもクリシュナを愛している!

第1段落
さて、プラーラーダ・マハーラージャは、物質的な人生のやっかいな問題について更なる言明をなさいます。彼は執着した家庭人をカイコと比べます。カイコは、そこから逃げ出せない牢屋の中に入ってしまうまで、自らを自分の唾でできた繭に包みます。

同じように、物質主義的な家庭人の絡まりは非常にきつくなり、彼は家族の魅力という繭から出てくることができません。物質主義的な家庭生活には非常に多くの悲惨さがあるにも関わらず、彼は自由になることができません。

なぜでしょうか?彼は、性交と、おいしい料理を食べることが、もっとも大切だと考えます。したがって、非常に多くの悲惨な状況にも関わらず、彼はそれらを放棄することができません。

第2段落
このようにして、人が家庭生活に過度に執着しているとき、彼は自分の本当の利益、すなわち物質的な人生から逃げ出すということを考えることができません。彼は、いつも物質主義的な人生の三重の悲惨さによって苦しんでいるにも関わらず、強い家族の愛情のため、出てくることができません。

彼は、自分の限られた寿命を単に家族の愛情のために無駄にしているということを知りません。彼は、自分の永遠の自己を認識するために、自分の本当の霊的な人生を認識するためにある人生を駄目にしています。

第3段落
「したがって」、とプラーラーダはご自分の悪魔的な友人たちにおっしゃいます。「単に物質的な楽しみだけを求める者たちとの関わりを絶ってください。」それが彼の助言です。彼はご自分の友人たちに、このクリシュナ意識は簡単に得られる、とおっしゃいます。

なぜでしょうか?クリシュナ意識は、実際は私たちにとってとても愛しいものです。しかし、私たちはそれを忘れています。したがって、クリシュナ意識を習慣づける者は誰でも、それによってもっともっと影響されるようになり、自分の物質的な意識を忘れます。

第4段落
もしもあなたが外国にいるなら、あなたは自分の家と、あなたにとってとても愛しい自分の家族や友人を忘れるかもしれません。しかし、もしもあなたが突然あなたの家と友人たちを思い出させられるなら、あなたは直ちに非常に心を奪われるでしょう。

「私はどうやって彼らに会えるだろうか?」サンフランシスコで、私たちの友人の一人が私に、ずっと昔に自分は幼い子供たちを残して外国に来た、と言いました。最近、彼の成人した息子から手紙が来て、直ちに父親は自分の(中にあった)息子への愛情を思い出し、幾らかのお金を送りました。

その愛情は、彼が自分の子供を非常に多くの歳月忘れていたにも関わらず、自動的に来ました。同様に、私たちのクリシュナへの愛情は非常に親密なので、幾らかのクリシュナ意識との接触があれば直ちに、私たちはすぐに主との自分の関係を取り戻します。

第5段落
誰もが、自分では忘れてしまっている、クリシュナ、至高主との特定の関係を持っています。しかし、私たちがクリシュナ意識になるにつれて、徐々に私たちのクリシュナとの関係の古い意識が蘇ります。

そして、私たちの意識が実際に透明な段階にあるとき、私たちはクリシュナとの自分の特定の関係を理解することができます。人は、息子あるいは従者として、友人として、親として、あるいは愛する妻または恋人として、クリシュナとの関係を持っているかもしれません。

これらすべての関係は、物質世界の人生において、歪んで反映されています。しかし、私たちがクリシュナ意識の水準に至れば直ちに、私たちのクリシュナとの古い関係が蘇ります。

第6段落
私たちは愛します。私たち一人一人、誰もがです。まず、この体の中に自分の自己があるので、私は自分の体を愛します。ですから、実際は私は体よりも自分の自己を愛しています。

しかし、自己はクリシュナの欠かすべからざる小片なので、その自己はクリシュナとの親密な関係を持っています。したがって、私は何よりもクリシュナを愛しています。そして、クリシュナはあまねく存在するので、私はすべてを愛しています。

第7段落
不幸にして私たちは、クリシュナ、神はあまねく存在するということを忘れてしまいました。この記憶が蘇らせられねばなりません。自分のクリシュナ意識を取り戻せば直ちに、私たちはすべてをクリシュナとの関係で見ることができ、そしてそうすればすべては愛しくなります。

今は、私があなたを愛していたり、あなたが私を愛していたりしますが、その愛はこのはかない体の水準にあります。しかし、クリシュナへの愛が育まれるとき、私はあなただけでなく、すべての生命体を愛します。

なぜなら、外側の区分、すなわち体が忘れられるからです。人が完全にクリシュナ意識になるとき、彼は「ここに人間がいる、ここに動物がいる、ここに猫がいる、ここに犬がいる、ここにミミズ(訳注:worm、毛虫も指す)がいる、とは考えません。

彼はすべてをクリシュナの欠かすべからざる小片として見ます。これはバガヴァッド・ギーターにおいて非常にすばらしく説明されています。「実際にクリシュナ意識において学識のある者は、宇宙の中のすべての者の恋人になります。」人がクリシュナ意識の水準に位置しない限り、普遍的な兄弟愛の可能性はありません。

第8段落
もしも私たちが実際に普遍的な兄弟愛の考えを実行したいなら、それなら私たちは物質的な意識ではなくクリシュナ意識の水準に来なければなりません。私たちが物質的な意識にある限り、私たちの愛しい対象は限られています。

しかし、私たちが実際にクリシュナ意識にあるとき、私たちの愛しい対象は普遍的です。それはプラーラーダ・マハーラージャによって述べられています。「動かない草(plants)や木に始まり、最も高位の生命体であるブラーマーに至るまで、至高の人格神は、すべての者の心臓におられる主の特性(feature)であるパラマートマーとしてのご自分の拡張体によって、どこにでも存在しておられます。

私たちがクリシュナ意識になれば直ちに、その至高の人格神の拡張体、パラマートマーは、すべての対象をクリシュナとの関係において愛するように私たちを仕向けます。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-06-27 21:05 | プラーラーダ・マハーラージャ


<< 第5章 前半 第3章 後半 >>