第3章 後半

第3章 後半

第11段落
わずか5歳ではありましたが、プラーラーダ・マハーラージャは非常に経験を積んだ、教育のある人のように話します。なぜなら、彼は自分の霊的指導者ナーラダ・ムニから知識を受け取ったからです。

それはシュリマッド・バーガヴァタムの次の章において明かされています。英知は年齢ではなく、より高い源から受け取った知識によります。人は単に年を重ねることによって賢人になることはできません。いいえ。それは可能ではありません。

より高い源から知識が受け取られねばなりません。そうすれば人は賢明になれます。人が5歳であろうが、50歳であろうが、関係ありません。諺にもあります(As it is said)。「知識によって人は老人になる。高齢にならなくても。」

第12段落
ですから、プラーラーダはわずか5歳でしたが、知識における発達によって、彼は自分の学友たちに完ぺきな教えを授けていました。ある者たちは、これらの教えを受け入れがたいと思うかもしれません。

たとえば、ある人が既に結婚していて、プラーラーダが「クリシュナ意識を習慣づけなさい」と言うと仮定しましょう。彼は「おお、どうして私は自分の妻のもとを去れるだろうか。私たちは一緒に、とても良く語り合い、共に座り、楽しむ。どうして私は去れるだろうか?」と考えます。家族の魅力はとても強いのです。

第13段落
私は老人です。72歳です。私は過去14年間、家族から離れています。それでも時々、私も自分の妻と子供たちのことを考えます。これはごく自然です。しかし、それは私が戻らねばならないことを意味するのではありません。これが知識です。心が感覚の満足の考えにさまようとき、人は直ちに「これは幻想だ」と理解すべきです。

第14段落
ヴェーダの方法によれば、人は50歳で強制的に家庭生活を放棄しなければなりません。人は去らねばなりません。他の方法はありません。最初の25年間は学生時代です。5歳のときから25歳のときまで、人はクリシュナ意識において非常に良く教育されねばなりません。

人の教育の基本的な原則は、他の何でもなく、クリシュナ意識であるべきです。そうすればこの世界においても次の世界においても、人生は喜ばしくて成功したものになります。クリシュナ意識の教育は、人が完全に物質的な意識を放棄することを意味します。それが完全なクリシュナ意識です。

第15段落
しかし、もしも生徒がクリシュナ意識の真髄を掴むことができないなら、それなら彼は良い妻と結婚して平和な家庭人の人生を送ることが許されます。そして、クリシュナ意識の基本的な原則において訓練されているので、彼は自分自身を物質的な世界に絡ませません。簡素に暮らす者、、、簡素な暮らしと高い思考、、、は、家庭生活においてさえ、クリシュナ意識において発達することができます。

第16段落
ですから、家庭生活は咎められません。しかし、もしも人が自分の霊的な自己認識を忘れて単に物質的な事柄に絡まるなら、そうすれば彼は迷います。彼の人生の使命は失われます。もしも人が「私は性的な欲求の攻撃から自分を守ることができない」と考えるなら、それなら彼を結婚させなさい。

それが指示されています。しかし、不正な性交をしてはなりません。もしもあなたが少女を求めるなら、もしもあなたが少年を求めるなら、結婚してクリシュナ意識において暮らしなさい。

第17段落
子供の頃からクリシュナ意識において訓練されている人は、自然に人生の物質的なあり方に傾かないようになります。そして50歳で彼はそれを放棄します。彼はどうやってそれを放棄し始めるでしょうか?夫と妻は家を出て、一緒に巡礼の旅をします。

もしも25歳のときから50歳のときまで家庭生活に留まっていれば、人は何人かの成人した子供たちを持っているはずです。ですから、50歳のときに夫は家族の事柄を家庭人である自分の息子たちの誰かに託し、そして彼と彼の妻は、家族の執着を忘れるために聖地への巡礼にでかけます。

紳士(夫)が完全に非執着において成熟すれば、彼は自分の妻に子供たちのもとへ帰るように頼み、彼は一人で留まります。それがヴェーダの方法です。私たちは自分自身に、徐々に霊的な人生において発達する機会を与えねばなりません。そうでなければ、もしも私たちが生涯を通して物質的な意識に留まるなら、私たちは自分のクリシュナ意識を完成させず、そしてこの人間の形の人生の機会を失います。

第18段落
いわゆる幸せな家庭生活は、私たちがとても愛情深い妻と愛情深い子供たちを持つことを意味します。このようにして私たちは人生を楽しみます。しかし、私たちはこの楽しみが偽りである、それが偽りの基盤の上にある、ということを知りません。

直ちに、まばたきをする間に、私たちはこの楽しみを放棄しなければならないかもしれません。死は私たちの統御の下にはありません。私たちはバガヴァッド・ギーターから、もしも人が過度に自分の妻に執着したまま死ねば、その結果、彼は次の世において女の体を得る、と学びます。

そして、もしも妻が自分の夫に非常に執着していると、彼女は次の世で男の体を得ます。同様に、もしもあなたが家庭人でなく、猫や犬に執着しているなら、それならあなたの次の世は猫か犬としてのものになります。これらがカルマ、すなわち物質自然の法則です。

第19段落
要点は、人はクリシュナ意識を直ちに始めるべきであるというものです。たとえば、人がこう考えると仮定しましょう。「快楽追求の人生を終えたあと、年をとって他に何もすることがないとき、そのとき私はクリシュナ意識協会に行って何か聞こう。」

たしかに、そのときに人は霊的な人生を習慣づけることができます。しかし、人が老年まで生きるという保証は何ですか?(訳注:何の保証がありますか?)人はいつ死ぬか分かりません。ですから、自分の霊的な人生を先延ばしにすることは非常に危険を伴うのです。

したがって、人はクリシュナ意識において発達するために、今、機会を掴むべきです。それがこの協会の目的です。クリシュナ意識を始める機会を、人生のすべての段階において人々に与えることです(訳注:どの段階ででも機会が得られるようにする)。

そして、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱える方法によって、発達は非常に急速です。即時的な効果があります。

第20段落
私たちは、非常に親切にも私たちの法話に参加したり、私たちの文献を読んだりしているすべての紳士淑女に、家で時間のあるときにハレ・クリシュナを唱え、私たちの本を読むようにお願いします。それが私のお願いです。この方法がとても心地よくてとても効果的であることを、あなたは必ずや知ることになる、と私たちは思います。
by ammolitering4 | 2011-06-24 16:15 | プラーラーダ・マハーラージャ


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