第2章 途中まで

第2章 「私たちは自分たちの人生を無駄にしている!」

第1段落
したがって、物質的な幸せを増すために自分の感覚を刺激することに一生懸命になる代わりに、私たちはクリシュナ意識を実践することによって霊的な幸せを得ようとすべきです。プラーラーダ・マハーラージャはおっしゃいます。

「この人間の体におけるあなたの人生は一時的ではありますが、それは非常に価値があります。ですから、あなたの物質的な感覚の喜びを増そうとする代わりに、あなたの義務は自分の活動を何らかの形でクリシュナ意識に繋げることです。」

第2段落
私たちの、より高い知性は、この人間の体と共に来ます。私たちは、より高い意識を持っているので、人生におけるより高い楽しみ、すなわち霊的な楽しみを得ようとすべきです。そして、その霊的な楽しみはどうやって得られるでしょうか?人は解放の喜びを与えてくださる至高神に奉仕をすることに没頭すべきです。私たちは自分の注意を、この物質世界からの解放を与えてくださるクリシュナの蓮の御足を得ることに向けるべきです。

第3段落
しかし、私たちはこの人生で楽しんで、次の人生においてクリシュなへの奉仕にいそしむことはできないのでしょうか?プラーラーダ・マハーラージャはお答えになります。「今、私たちは物質的な世界でがんじがらめになっています。

今は私はこの体を持っていますが、すぐに(after a few years)この体を捨てて別の体を受け入れなければなりません。いったん、ある体を受け入れて、その体の感覚が指示するままに楽しむと、あなたはそのような感覚の喜びによって別の体を用意し、そしてあなたは自分の望むように別の体を得ます。」

あなたが人間の体を得るという保証はありません。それはあなたの行い(work)に基づいています。もしもあなたが半神のように振舞う(work)なら、あなたは半神の体を得ます。そしてもしもあなたが犬のように振舞う(work)なら、あなたは犬の体を得ます。死のときに、あなたの運命はあなたの手の中にはありません。

それは自然の手の中にあります。自分が次にどんな物質的な体を得るかと推量するのは私たちの義務ではありません。現時点では、単に、この人間の体は私たちの霊的な意識、私たちのクリシュナ意識を育むすばらしい機会であると機会であると理解しましょう。したがって、私たちは直ちにクリシュナへの奉仕にいそしむべきです。そうすれば私たちは進歩するでしょう。

第4段落
私たちは、どれくらい長くそうすべきでしょうか?この体が機能し続ける限りです。私たちは、いつそれが機能するのをやめるか分かりません。偉大な聖人パリークスィット・マハーラージャは、7日前に予告を受け取りました。「あなたの体は一週間で死にます(to fall)。」

しかし、私たちはいつ自分の体が死ぬか分かりません。路上にいるときはいつでも、急に事故が起こるかもしれません。私たちは常に準備をしておくべきです。死はいつもそこにあります。私たちは楽観的に「皆が死んでいるが、私は生き(続け)るだろう」と考えるべきではありません。皆が死んでいくとき、なぜあなたが生き(続け)るでしょうか?

あなたのおじいさんは死にました。あなたのひいおじいさんも死にました。あなたの他の親戚も死にました。なぜあなたが生き(続け)るでしょう?あなたもまた、死にます。そして、あなたの子供たちもまた、死にます。したがって、死が来る前に、私たちがこの人間の知性を持っている限り、クリシュナ意識にいそしみましょう。これがプラーラーダ・マハーラージャの教えです。

第5段落
私たちは、いつこの体が止まるか知りません。ですから、直ちにクリシュナ意識にたずさわり、それに応じた行いをしましょう。「しかし、もしも私が直ちにクリシュナ意識にたずさわるなら、私の生計の道はどうなりますか?」それも整えられています。

私は、私たちの支部の一つ(で修行している)一人の生徒の自信を喜んで皆さんに伝えます。(支部で)意見の相違がありました。別の生徒が言いました。「あなたはこの施設の維持の面倒をみていません。」すると彼は答えました。「おお、クリシュナが与えてくださいます。」

これは大変すばらしい納得(conviction、信頼)です。私はそれを聞いて嬉しく思いました。もしも猫や犬や豚が食べ物を得られるのなら、もしも私たちがクリシュナ意識で自分の奉仕を完全にクリシュナに捧げるなら、クリシュナが私たちの食べ物のための配剤をなさらないことがあるでしょうか?クリシュナには感謝の心がないのでしょうか?いいえ。

第6段落
バガヴァッド・ギーターにおいて、主はおっしゃいます。「我が親愛なるアルジュナよ。私はすべての者に平等です。誰も私の妬みの対象ではなく、誰も私の特別な友人ではありません。しかし、私はクリシュナ意識にいそしむ者に特別な注意を与えます。」

小さな子供は完全に自分の両親の慈悲に依存しています。ですから、両親はその子供に特別な注意を払います。両親はすべての子供に平等に良くします(be good to)が、いつも「お母さん!」と叫んでいる(to cry、泣く)小さな子供には、彼らはより大きな関心を持っています。「はい、我が愛しい子よ?はい?(Yes, my dear child? Yes?)」これは自然です。

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続きは後で、と思いましたが、済んでるところまで載せておきます。さて、みなさん、これだけ読んで「そうか、じゃあ果報は寝て待とう」と安直に結論づけてはいけません。後からちゃんと「だから言って怠慢に寝て待ってはいけない」と釘をさされますので、あらかじめお知らせしておきます。ごきげんよう。
by ammolitering4 | 2011-06-13 03:06 | プラーラーダ・マハーラージャ


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