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第3章

第3章 何の難しいことがあるでしょうか

第1段落
科学者の心の中の一番大きな病は、何かが科学的な実験によって証明されない限り、彼らがそれを事実として認めないというものです。科学者が何かを述べて、彼がその発言を科学的な実験で支えるとき、誰もが完全に納得し、そして何らの問いも発せられません。

私たちがこれらの科学者たちに霊魂について語るとき、彼らの通常の反応は「どうやって人は魂の存在を探知することができるのか?」というものです。機械を使って働くことに慣らされているので、彼らは魂が科学的な実験によって探知され得るかどうかと考えます。

しかし科学者たちは、彼ら自身の科学的な領域においてさえ、実験で証明され得ない多くの事実があることに同意せねばなりません。事実は、魂は存在するというものです。しかし、その存在を理解するためには、私たちは知識を正しい人、シュリー・クリシュナ、すなわち神から、そして主の師弟継承においける代理人である霊的指導者から受け入れなくてはなりません。

第2段落
科学的な共同体の中のすべての人は、数学者がマイナス1の平方根である”i”という想像上の数字(√ -1=i)を使って仕事をするということを知っています。この数字は、自然数(1,2,3など)の中には現れません。

しかし、数学の重要な部門、例えば分析機能理論は、この虚数単位に基づいています。この数学の部門の助けがなくては、様々な複雑な理論や問題は解決され得ません。このように、この数字の存在は否定され得ません。それなのに、それを証明する実験はありません。

同じように、統計力学の分野の科学者も、自分たちの理論と議論を証明するために、例えばアンサンブルなどの様々な概念モデルを使います。これらはすべて実験的な科学の領域を超えています。もしも科学者たちがこれらの想像上で概念的なモデルを受け入れる意思があるなら、主クリシュナ、至高の科学者によって与えられた完璧な知識を受け入れることに何の難しいことがあるでしょうか?

第3段落
実験的な科学の限界を超えているもう一つの科学的な理論は、ハイゼンベルグ(訳注:Werner Karl Heisenbergドイツの理論物理学者。1901~1976)の不確定性原理です。この原理の言明は、ある物体の位置と運動量を同時に測定することは不可能であるというものです。

数学的な言語では、「位置と運動量の測定された値における不確定性の(掛け算の)積(大きさと速度の積)は、プランク(訳注:Max Karl Ernst Ludwig Planck 、ドイツの物理学者。量子論の創始者。1858~1947)の定数よりも小さいということはありえない」と述べられています。

現存するいかなる実験的な技法も、この原則を証明することはできません。しかし、世界中の科学者が、実験的な証明は彼らの能力を超えていると知りつつ、この言明を事実として受け入れます。同様に、熱力学の第三の法則を証明する科学的な実験もありません。

プランクによって定式化されたこの法則は、絶対零度における完全結晶のエントロピーはゼロに等しい、と述べます。実際には、完全なエントロピーを直接測るための手段はありません。したがって、この法則の証明は実験的な科学の領域を超えています。

第4段落
また、いわゆる科学的な理論が常に変化していることにも言及すべきです。例えば、19世紀初め(1808年)、原子理論を組み立てているときに、ジョン・ドルトン( 訳注:John Dalton、イギリスの化学者、物理学者。1766~1844)は、原子はこれ以上分けられ得ない、と述べました。

しかし、19世紀の終りから20世紀の初めにかけて、ドルトンの原子理論は、もはや正しいとは考えられないことが分かりました。原子はさらに、電子、陽子、中性子などの基本的な粒子に分けられることが観察されました。

また、一部の原子はアルファとベータの粒子を放射し、そうして新しい原子を作り出す、などのことが発見されました。同様に、18世紀と19世紀において、ニュートンの力学は化学者たちの心に大変な影響を持ちました。それが肉眼的な物質的な物体に当てはめられ得たからからです。

しかし、20世紀初め、基本的な粒子の発見に伴って、ニュートンの力学はこれらの粒子の動きを描写するのに失敗することが気づかれました。こうして、それらが示す現象を説明するために量子力学が開発されました。これらの理論は推量に満ちており、そしてそれらは変化してもいます。ちょうど過去と現在の科学的な理論が変化しているように、そのため私たちは、未来の科学的な理論もまた変わると理解することができます。

第5段落
これは単に、高い評価を得ている物質主義的な科学者たちの脳は不完全であり、そしてその結果として、これらの脳によって提供される理論はいつも不完全である、ということを表します。実際は、完璧な知識は変えられ得ません。

完璧な知識を得るためには、人は完璧な科学者、主クリシュナと、主の真正なる代理人、霊的指導者から知識を得なければなりません。クリシュナはおっしゃいます。「私はすべての霊的および物質的な世界の源です。

すべてが私から放射します。これを完璧に知っている賢い者は、私への献身奉仕にいそしみ、全身全霊で私を崇拝します。」(脚注1)さらに、(こうあります)。「すべての創造の中で、私は初めと終わりであり、その間でもあります。おお、アルジュナよ。すべての科学の中で、私は自己(Self、大文字)の霊的な科学です。そして、論理学者たちの中では、私は最終的な真実です。」(脚注2)

第6段落
科学者たちは、彼らが持っている知識と能力は非常に限られており、事実、実に取るに足らないものであることを理解せねばなりません。この取るに足らなくて限られた知識を持って、どうして物質的な領域を超えた知識を理解することが可能でしょうか?

実際は、魂の存在については疑問の余地がありません。生命体は小さな部品のような霊魂であり、他方で主クリシュナは至高の魂、至高の人、そして至高の科学者です。クリシュナはおっしゃいます。「この制約された世界の中の生命体は、私の永遠の小さな部品のような部分(fragmental parts)です。制約された人生が原因で、彼らは心を含む6つの感覚をもって大変な苦労をしています。」(脚注3)

次のようにも(おっしゃいます)。「おお、クンティーの息子よ。すべての生命の種(しゅ)は、誕生によってこの物質自然の中に現れ、そして私が種(たね)を与える父であると理解されるべきです。」(脚注4)

(訳注:下線部の原文はall species of life ~ are made possible by birth in this material natureです。直訳すると、「すべての種は誕生によって物質自然の中に可能とさせられる」となります。これはどういう意味なのだろうかと前から考えているのです。私の知る限りでは、これはpossibleやby birth という言葉の一般的な使い方ではないので、そのまま訳したら全く意味が分からないと思っていました。

でも、ふと思ったのですが、すべての種は同時に作られた、ということと考え合わせると、存在はしているけれど物質的に存在しているわけではない、という状態が背景にあるのかもしれません。つまり、いわゆる絶滅した種や、まだ現れていない種などは、「誕生によって」物質自然の中に形を取って「現れる」、すなわち「(物質的な存在が)可能とさせられる」という意味なのかもしれません。

プラブパーダは、繰り返し「絶滅はない」とおっしゃいます。ただ物質世界の現在という時空に現れていないだけなのです。それに気がつくと納得のいく表現だなと思います。異論はあることと思いますが、これが直訳に基づいた現時点での私の解釈です。)

第7段落
空気の存在が感触によって、そして特定の分子の存在が芳香(fragrance and aroma)によって感じられるように、同様に、意識は魂の存在の明らかな徴候です。「おお、バーラタの息子よ。太陽だけがこの宇宙全体を照らすように、体の中にいる生命体は体全体を意識によって照らします。」(脚注5)

生物学者たちもまた、バクテリアなどのこの上なく小さな微生物でさえ意識を持っていると確信しています。意識が物質的な体に入るとき、私たちはそれを生きた体と呼びます。しかし、体の中に意識がないとき、言い換えれば霊魂が体を去るとき、単に物質の塊が残されます。

この現象を私たちは死と呼びます。したがって、霊魂は決して死なず、決して生まれません。それは永遠です。私たちが生と死と呼ぶものは、異なる物質的な体の交換、すなわち古い体を新しい体と取り替えることに他なりません。「物質世界の中の生命体は、空気が香りを運ぶように、自分の様々な人生の考えを一つの体から別の体へと運びます。」(脚注6)このように、生、死、老い、そして病は、物質的な体の変化の合図です。

第8段落
私たちの科学的な友人たちが、いずれも実験的な科学を超えているハイゼンベルグの不確定性原理、統計力学の虚数単位と様々な概念モデルをたやすく受け入れるとき、霊魂の存在を受け入れるのに、何の難しいことがあるでしょうか?至高の科学者、クリシュナはおっしゃいます。

「魂には決して生も死もありません。また、存在しなくなるということもありません(訳注:原文はNor, having once been, does he ever cease to be. これもまた、直訳すれば「いったん存在したので、彼は存在するのをやめることは決してしない」というところでしょうか。)魂(he)は生まれず、永遠であり、常に存在し、死なず、太古(の存在)です。体が死ぬとき、魂(he)は死にません。」

その大きさは、このように描写されています。「髪の毛先(原語はupper point。これについて「上というのは毛根か毛先か」と深く悩むのはたぶん私の考えすぎなのでしょう。)が百に分けられ、そして再びそれぞれのそのような部分が百に分けられたとき、それぞれのそのような部分は霊魂の大きさの寸法です。」(脚注8)

第9段落
科学者たちは、「エネルギーは作られることもなく、滅ぼされることもない」と述べるエネルギー保存の法則をよく知っています。生命体は至高主シュリー・クリシュナの優性エネルギーです。したがって魂は永遠です。「体全体に偏在するものは不滅であると知りなさい。

誰も不朽の魂を滅ぼすことはできません。」(脚注9)霊魂の性質は、バガヴァッド・ギーターの第2章および第13章に、綿密に描写されています。人は単に、至高の科学者シュリー・クリシュナ、バガヴァッド・ギーターを語った方から受け取らねばならないだけです。

脚注:
1、(BG 10.8)
2、(BG 10.32)
3、(BG 15.7)
4、(BG 14.4)
5、(BG 13.34)
6、(BG 15.8)
7、(BG 2.20)
8、(シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッド 5.9)
9.(BG 2.17)
by ammolitering4 | 2011-05-11 13:14 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)
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