第21章

第21章 「非宗教的な政府(State)」

シュリーラ・プラブパーダとスウェーデンへのインド大使の間のこの会話は、1973年9月に(スウェーデンの)ストックホルムで交わされました。

SP:  アメリカとインドと世界中の他の非常に多くの国々では、彼らは「非宗教的な政府」を持っています。政府(government)の指導者たちは、自分たちはどの特定の宗教も優遇したくない、と言います。しかし、実際は彼らは非宗教を優遇しています。

大使:  しかし(Well)、私たちは問題を抱えています。私たちは多宗教社会を持っています。ですから、私たち政府内の者は、注意深くなければなりません。私たちは宗教に関してあまり強い立場をとることができません。

SP:  いいえ、いいえ。政府は強い立場をとらねばならないのです。(訳注:mustを斜体で強調。)もちろん、政府はすべての形の真正なる宗教に対して中立的であるべきです。しかし、政府には人々が本当に宗教的であるように取り計らう(to see)義務もあります。「非宗教的な政府」の名のもとに、政府は人々を地獄へ行かせるべきである、というのではありません。

大使:  まあ(Well)、それは本当です。

SP:  はい。もしもあなたがイスラム教徒であるなら、それならあなたが本当にイスラム教徒として行動しているように取り計らうのは政府の義務です。もしもあなたがヒンズー教徒であるなら、あなたがヒンズー教徒として行動しているようにするのは政府の義務です。

もしもあなたがキリスト教徒なら、あなたがキリスト教徒として行動するように取り計らうのは政府の義務です。政府は宗教を放棄することはできません。(サンスクリット引用)もしも人々が非宗教的になるなら、それなら彼らは単に動物です。ですから、市民が動物にならないようにするのは政府の義務です。

人々は様々に異なる形の宗教を信奉するかもしれません。それは関係ありません。しかし、彼らは宗教的でなければなりません。「非宗教的な政府」は、政府が無関心であるべきだということを意味するのではありません。「人々を、宗教無しで、猫や犬のようになるにまかせましょう。」もしも政府が気にしないなら、それならそれは良い政府ではありません。

大使:  私は、あなたのおっしゃることには大変重みがあると思います(there is a lot in what you say.)。しかし、お分かりでしょう?政治とは可能性の芸術です。(訳注:「政治とは可能性の芸術である」、ドイツ帝国ビスマルク宰相の言葉。)

SP:  いいえ。政治とは人々が発達するようにすることを、市民が霊的に発達するようにすることを意味します。彼らが後退するようにする(ことを意味する)のではありません。

大使:  はい。私は同意します。しかし私は、政府の主要な義務は、才能のある人々、あなたのような霊的な指導者が機能できるような状態を提供することだと思います。もしも政府がそれ以上のことをするなら、それは様々な宗教的な団体を堕落させることさえするかもしれません。私は、政府は試合の中の審判員のようであるべきだと思います。言論の自由のために状況を提供するということです。

SP:  いいえ。政府はそれ以上のことをしなければなりません。たとえば、政府(you)には通商部門があります。政府は交易と産業の企業がちゃんとやっている、正しく機能しているように取り計らいます。政府は許可証を発行します。政府には監督官と検査官がいます。

あるいは、例えば政府には教育部門があります。学生たちが正しく教育されているように取り計らう、訓練された検査官たち(がいます)。同様に、政府には、ヒンズー教徒が本当にヒンズー教徒のように振舞っているか、イスラム教徒がイスラム教徒のように振舞っているか、そしてキリスト教徒がキリスト教徒のように振舞っているかを調べる(to check)ことのできる、熟達した人々がいるべきなのです。

政府は宗教に関して無関心であるべきではありません。彼らは中立的であって良いのです(may)。「あなたがどのような宗教を信奉しようと、私たちは関知しません。」しかし、あなたがちゃんとしているように、あなたが(宗教的である)ふりをしているだけでないようにするのは、政府の義務です。

大使:  確かに、、、道徳的な振る舞いに関しては(そうです)。しかし、それ以上はどうやって可能でしょう?お分かりですか?

SP:  要点は、あなたが実際に宗教的な原則に従っていない限り、あなたは決して良い道徳的な振る舞いをすることはできない、ということです。(サンスクリット引用)「神へのひるむことのない献身の念を持つ者は、常にすべての、神のような性質を現します。

しかし、そのような献身の念を全く持っていない者は、常に主の物質的な外的エネルギーを搾取するための方策を作りだしていなければなりません。そしてそのため、彼は全く何の良い道徳的な性質も持つことができません。」(SB 5.18.12)

(改行)あなたが神への信仰を、神への献身の念を持っている限り、すべてはそれでよいのです(everything is all right)。結局、神は一つなのです。神はヒンズー教徒でもキリスト教徒でもイスラム教徒でもありません。神は一つです。そして、それがヴェーダ文献が私たちにこう言う理由です。(サンスクリット引用)「すべての人類の至高の義務は、至高主への愛情ある献身奉仕に至ることです。

下心が無く、途切れることのない、そのような献身奉仕だけが完全に自己を満足させることができます。」(Bhag 1.2.6)ですから、人は宗教的でなければなりません。宗教的であること無くしては、誰も満足することができません。なぜ世界中にこれほどたくさんの混乱と不満があるのですか?なぜなら、人々が非宗教的になったからです。

大使:  モスクワでは、非常に多くの人が宗教に対して冷淡で、完全にそれに反対しています。

SP:  なぜあなたはモスクワと言うのですか?どこもかしこもです(訳注:斜体で強調)。少なくともモスクワでは彼らは正直です。彼らは正直に「私たちは神を信じません」と言います。

大使:  それは本当です。それは本当です。

SP:  しかし、他のところでは、彼らはこう言います。「私はヒンズー教徒です」、「私はイスラム教徒です」、「私はキリスト教徒です」、「私は神を信じています」。そして、それでも彼らは宗教について、全く何一つとして(訳注:anything、斜体で強調)、知りません。彼らは神の法律に従いません(訳注:斜体で強調)。

大使:  あいにく、私たちの私たちのほとんどはそんなふうです。それは本当です。

SP:  (笑う)私は、モスクワでは少なくとも彼らは紳士だ、と言うべきです。彼らは宗教を理解しません。ですから彼らは「私たちは信じません」と言います。しかし、これらの他の悪者たちは、「はい、私たちは宗教的です。神を私たちは信じます(訳注:”In God We Trust.” 「神を我らは信じる」、アメリカ合衆国のモットー)」と言います。

そして、それなのに彼らは非常に非宗教的な行いをしています(to commit、罪や過失を犯す)。何度も私はキリスト教徒に尋ねました。「あなたの聖書は「汝、殺すなかれ」と言います。なぜあなたは殺しているのですか?」彼らは満足のいく答えを与えることができません。それは明らかに述べられています。「汝、殺すなかれ」。そして、彼らは屠殺場を維持しています。これは何ですか?
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by ammolitering4 | 2011-04-24 14:33 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


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