第20章

第20章 霊的な光の中で科学技術を見る

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間のこの対話は、1975年7月にシカゴでの朝の散策の折に交わされました。

弟子:  さきほどあなたは、西洋の世界は霊的に盲目であり、インドは科学技術的に足が不自由であるが、もしも彼らがそれぞれの資源を合わせるなら、そうすればインドの西洋の両方が利益を受ける、とおっしゃっていました。

SP:  はい。もしも西洋世界、盲目の人がインド、足が不自由な人を肩に乗せるなら、そうすれば足が不自由な人が霊的に方向を示し、そして盲目の人は自分たちを物質的、技術的に支えることができます。もしもアメリカとインドが彼らの技術的および霊的な資源を合わせるなら、この組み合わせは世界中に完全な幸せと繁栄をもたらすでしょう。

(改行)これらのアメリカ人たちの何と盲目なことか!彼らは生命の人間の体を、とても知性的な生命の体を得ました。そして、それなのに彼らはそれを湖でモーターボートに乗るために使っています。分かりますか?人間はすべての瞬間を自分の神意識を取り戻すために使うべきです。一瞬たりとも無駄にされるべきではありません。そして、これらの人々は単に時間を無駄にするための新しい方法を見つけ出しています。

(改行)もちろん、アメリカ人たちは物事を非常に良いように、すばらしい技術的な発展をもって行っています。しかし、彼らが行っていることは盲目的です。あなたはとても上手な運転手であるかもしれません。しかし、もしもあなたが盲目であるなら、それならどれだけ上手にあなたは運転しますか?あなたは災害を引き起こすでしょう。

ですからアメリカの人々は霊的に自分たちの目を開けなければなりません。彼らの上手な運転能力が正しく使われるようにするためです。今では彼らは顕微鏡を通して見ようとしています。しかし、彼らが自分の霊的な正体について盲目である限り、彼らは何を見るでしょうか?彼らは顕微鏡や、あの機械やこの機械を持っているかもしれません。しかし、彼ら自身は盲目です。それを彼らは知りません。

弟子:  私は、ほとんどのアメリカ人は自己認識よりも家庭を育むこと(raising a family、子供を育てること)のほうに興味があると思います。

SP:  クリシュナ意識は、家庭生活によってどんなふうにも(one way or the other)妨げられることはありません。アハイトゥキー・アプラティハター。神意識は、いかなるものによっても、妨害され得ません。もしもあなたが誠実であるならば。(訳注:「いかなるものによっても」が強調されている。「もしも~」の部分も、但し書きとして末尾において強調されている。)

どのような状況においても、あなたは(クリシュナ意識に)携わることができます。あなたは4つの方法でクリシュナ意識を遂行することができます。(サンスクリット引用)あなたの人生によって、あなたのお金によって、あなたの知性によって、そしてあなたの言葉によって。

ですから、もしもあなたが家庭人でありたいなら、、、もしもあなたが毎日24時間を捧げることができないなら、それならお金を稼いでそれをクリシュナ意識を広めるために使いなさい。そしてもしもあなたがお金を稼ぐことができないなら、それならあなたの知性を使いなさい。非常に多くの知的な仕事があります。出版、研究などです。

もしもあなたがそれをすることができないなら、それなら人々にクリシュナについて語るためにあなたの言葉を使いなさい。どこにいようと、単に誰かに「クリシュナが至高の人格神です。ただあなたの敬意をクリシュナに捧げてください」と説明しなさい。それだけです。(Finished.)

(改行)ですから、どこに機会の不足がありますか?あなたが奉仕をしたいという望みを持っている限り、あなたはいかなる能力(の程度)においてもクリシュナに奉仕をすることができます。しかし、もしもあなたが自分への奉仕のためにクリシュナを使おうと思うなら、それは馬鹿げた間違いです。人々は教会へ通っています。「神よ。私たちに奉仕をしてください。私たちに日々の糧を与えてください。」

(改行)人々は自分たち自身の問題を作り出します。実際には問題はないのです。(サンスクリット引用)神がすべてを配剤なさいました。主はすべてを完璧で完全に作られました。あなたは鳥のための非常に多くの実を見ます。(訳注:「鳥のためには、非常に多くの実があります。」)

非常に豊富に供給されています。プールナム・イダム。クリシュナは既にすべてを十分な量だけ供給なさっています。しかしこれらの悪者たちは盲目です。彼らはこれを見ません。彼らは調整しようとしています。なぜ彼らは調整する必要があるのですか?

すべては既に十分にあります。単に人々が物を誤用しているというだけなのです。しかしそうでないなら(訳注:誤用しないなら)、彼ら(人々)は既に十分な土地、十分な知性を持っています。すべては十分なのです。

(改行)アフリカとオーストラリアでは、彼らは非常に多くの土地を持っています。(訳注:非常に広い土地があります。)しかし、自然の豊かな作物の恵みに依り頼む代わりに、彼らはそれを殺すために家畜を育てています。これが彼らの知性です。

人々はコーヒーと茶とタバコを育てています。彼らはこれらのものが自分たちの健康を害すると知っているにも関わらずです。世界のある部分では、穀物の不足によって人々が死んでいます。そして、それでも世界の他のところでは人々はタバコを栽培しています。それはただ病気と死をもたらすだけです。これが彼らの知性です。

(改行)問題は、これらの悪者たちが人生は神を理解するためにあるということを知らない、ということです。誰でもいいから、尋ねてみなさい。誰も知りません。彼らは大変な愚か者です。あなたは、彼らが犬のためにどれほどの世話をしているか、見えませんか?彼らは盲目です。

彼らは自分たちが神(GOD)意識になるか犬(DOG)意識になるか知りません。犬は4本の脚で走ります。しかし人々は、自分たちは車で、4つの車輪で走ることができるので、自分たちは発達したと思っています。彼らは、自分たちは文明化したと考えます。しかし彼らがしていること(business)は、走ることです。それだけです。

弟子:  そして、走ることの目的は同じです。食べること、眠ること、性交すること、そして身を守ることです。

SP:  そうです。もしも目的が犬と同じなら、それなら車で走ることが何の役に立ちますか?もちろん、あなたはクリシュナ意識のメッセージを携えて人々のところにたどり着くために車を使うことができます。あなたはすべてをクリシュナのために使うことができます。それが私たちが教えることです。もしも素晴らしい車があるなら、なぜ私はそれを非難すべきでしょうか?それをクリシュナのために使いなさい。

そうすれば、それは構いません(all right)。私たちは「それを放棄しなさい」とは言いません。いいえ。あなたが自分の、神によって与えられた知性を使って何か作ったとき、それは構いません。もしもあなたがそれを神のために使うならば。しかし、あなたがそれをクリシュナ以外の目的のために使うとき、そうすればそれは無意味なこと(nonsense、無意味な、馬鹿げた、意味をなさない)です。

(改行)この車を見なさい。非常に素晴らしく飾られています。もしも私が「それはすべて無意味です」と言うなら、それは非常に知性的ですか?いいえ。あなたがこの車を作った目的、それは無意味です。ですから、私たちは単に人々に彼らの意識を変えて欲しいのです。私たちは彼らが作り出したものを非難することはありません。

(改行)例えば、包丁を使ってあなたは野菜や果物を切ることができます。しかし、もしもあなたがそれを自分の喉を切るのに使うなら、それは悪です。ですから、今は人々は科学技術という包丁を自分たち自身の喉を切るために使っています。自己認識、クリシュナ意識について、すっかり忘れているからです。これは悪です。

(改行)(サンスクリット引用)私たちの人間の体はちょうど、良い船のようなものです。私たちの人間の知性をもって、私たちは無知(nescience)の海、この物質世界における、繰り返す生と死の海を横切ることができます。そして、(サンスクリット引用)、私たちにはヴェーダ文献の中のクリシュナの教えという追い風(favourable wind、好ましい風)があります。

さらに、私たちには、私たちを導いて啓蒙してくれる良い船頭、真正なる霊的指導者がいます。これらすべての設備をもってして、もしも私たちが無知の海を横切ることができないなら、それなら私たちは自分の喉を切っています。船がここにあります。船頭がここにいます。追い風がここにあります。しかし、私たちはそれを利用していません。それは、私たちが自分自身を殺していることを意味します。

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このサイトをご覧くださっている数少ない皆様に、もう一度お願いします。どうぞプラブパーダのお言葉を広めてください。特にこの章は、今の私たちの姿を鏡に映して見ろと言わんばかりです。方向性を見失って、たどり着いたところは放射能にまみれた小さな島国。逃げ場のない星。。。

昨日、ある方とお話しをしていました。彗星について話していたのです。何かというと彗星について話している私です。しつこい、と思われるかもしれませんが、ご存じないという方は私の彗星サイトをご覧ください。こちらです。

彼はフレンドリーで優しいおじさんです。日本の被災者のために、ビタミンCや大事な切手のコレクションも寄付してくださいました。(私が日本にビタミンCなど送るのに使いました。)彼は科学者ではありませんが、理知的で論理的です。彗星を壊すのは何となく嫌だ、どうしても嫌だ、因果応報で絶対ろくなことにならない、という議論にならない私の意見に対して、彼はとうとうと自説を述べてくださいました。

「宇宙とは膨大で、果てしがなく、この上ない神秘だ。その素晴らしい宇宙の中に、自己に気がついている(self-aware)人間という存在がいる。生命とは素晴らしい神秘だ。中でも人間の知性は、至高であると自分は思う。人間の知性、意識、美を感じる心、、、その価値は例えようもない。この広大な宇宙の中に人間が存在しているという奇跡は、いや、自分は全く宗教的ではないので「奇跡」という言葉は使いたくはないのだが、とにかくそれはかけがえのないことなのだ。宇宙は素晴らしい。人間の存在は素晴らしい。

だから、私たちには宇宙を知る責任がある。(We owe to the universe to know it)それがどうなっているのか、どういう働きをするのか。そのためには、小さな彗星を一つ犠牲にすることは、仕方のないことだ。必要なことでさえある。もしも彗星や月に生命がいるのなら、それなら話はまったく別だが、どっちもただの岩だ。それに、宇宙の中ではいつも物が互いにぶつかっている。人間が一つや二つ岩を壊したって、それは取るに足らないことだ。」

それは確かにそうなのでしょう。宇宙には気の毒なくらい物ががんがんぶつかっている天体もあるそうです。そういう大きなスケールで物事を見るのは小さな私にはなかなか難しいことなのですが、まあ、それはそれ。私は私のいるところから見えることや感じることを眺めていこうと思うのです。
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by ammolitering4 | 2011-04-23 12:52 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


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