第11章

第11章 仕事はいかにして崇拝たり得るか。(どうしたら仕事を崇拝にすることができるか)

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブでの早朝の散策において交わされました。

弟子:  バガヴァッド・ギーターにおいて、私たちが欲望を失くすべきであるとおっしゃるとき、クリシュナは何を意味していらっしゃるのですか?

SP:  私たちが主に奉仕をすることだけを望むべきである、ということを主は意味していらっしゃいます。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブはおっしゃいました。(サンスクリット引用)「私は富は望みません。私は信者(follower)は望みません。私は美しい女性は望みません。」

それでは、主は何を望んでおられるのでしょうか?「私はクリシュナに奉仕をすることを望みます。」主は「私はこれを望みません。私はあれを望みません。私は無になりたい」と言っておられるのではありません。違います。

弟子:  非献身者もまた、「自分は自分の望むものを知っている」と言います。しかし、彼は「私はクリシュナ無しで同じ良い結果を得ることができる」と言います。

SP:  それなら彼は愚か者です。なぜなら、彼は良い結果とは本当は何なのか知らないからです。今日は彼は、ある「良い結果」を求めて大変な苦労をしていますが、明日は彼は違う何かを欲するでしょう。なぜなら、彼は死ぬときに体の変化を経験しなければならないからです。

時として彼は犬の体をとって、ある「良い結果」を求め、そして時として彼は、半神の体をとって別の「良い結果」を望みます。ブラマターム・ウパリ・アダーハ、「彼は宇宙を上へ下へとさまよっています。ちょうど、、、あれは何ですか?」

弟子:  大観覧車です。

SP:  そうです。時として彼は高位に上げられ、それから再び下りてきて犬や豚の姿にならねばなりません。これが続いているのです。

(サンスクリット引用)

「何度も生まれ変わって宇宙を上へ下へとさまよったあと、非常に幸運な者は、霊的指導者とクリシュナの慈悲によって献身生活に至ります。」(チャイタンニャ・チャリタームリタ、マデャー19.151)

弟子:  非献身者はこう言うでしょう。「私たちもまた、良い奉仕をしています。あなた方は食べ物を配っており、私たちもまた食べ物を配っています。あなた方は学校を開いており、私たちもまた学校を開いています。」

SP:  はい。しかし、私たちはクリシュナ意識を教える学校を開いており、他方であなた方の学校は幻想を教えています。問題は、悪者たちはバークティ(献身奉仕)とカルマ(物質的な活動)の違いを理解することができないということです。バークティはカルマのように見えますが、カルマではありません。バークティにおいて、私たちもまた働きますが、クリシュナのためです。それが違いです。

(改行)例えば、アルジュナはクルクシェトラの戦いで戦いましたが、クリシュナのために戦ったので、彼は偉大な献身者として受け入れられています。クリシュナは彼に言いました。(サンスクリット引用。BG4.3)「アルジュナ、あなたは私の親愛なる献身者です。」

アルジュナは何をしましたか?彼は戦いました。それだけです。しかし彼はクリシュナのために戦いました。それが秘密です。彼は戦士としての戦闘の役割(capacity、機能、役割、能力)は変えませんでしたが、自分の精神性を変えました。最初は彼はこう考えていました。

「なぜ私は自分の親族を殺すのでしょう?戦場を去り、森へ行って物乞いになろう。」しかし、クリシュナは彼に戦うことを望みました。ですからついに彼は服従し、クリシュナへの奉仕としてそれ(戦うこと)を行いました。自分の感覚の満足のためではなく、クリシュナの感覚の満足のためです。

弟子:  では、感覚の満足は献身奉仕の中にさえあるのですか?

SP:  そうです。カルミー(物質主義者)は自分の感覚の満足のために働き、そしてバークタはクリシュナの感覚の満足のためにはたらきます。それが非献身者と献身者の違いです。どちらの場合でも感覚の満足はありますが、あなたが自分の個人的な感覚の満足のために働くとき、それはカルマであり、あなたがクリシュナの感覚の満足のために働くとき、それはバークティです。バークティとカルマは似ているように見えますが、質は違います。

(改行)もう一つの例はゴピーたち(クリシュナの牛飼いの女友達)の振る舞いです。クリシュナは美しい少年で、ゴピーたちは主に魅了されていました。彼女らは主を自分の恋人として欲しており、そして彼女らは夜中に主と踊るために家を出ていきました。

ですから、彼らは罪深く振舞ったように見えます。しかしそうではありません。なぜなら、中心はクリシュナだったからです。したがって、チャイタンニャ・マハープラブはお勧めになります。(サンスクリット引用)「ゴピーたちによってなされたよりも優れた崇拝の相はありません。」

(改行)しかし、悪者たちは考えます。「おお、これは非常によろしい。クリシュナは夜中に他の男たちの妻と踊った。だから私たちもまた、何人かの娘たちを集めて踊ろう。そして私たちもまた、クリシュナのように楽しもう。」これはクリシュナのゴピーたちとの娯楽のひどい誤解です。

この誤解を防ぐために、(シュリマッド・バーガヴァタムの著者である)シュリーラ・ヴャーサデヴァは、クリシュナの至高の人格神としての立場を描写するために9巻を捧げました。それから彼はクリシュナのゴピーたちとの振る舞いを描写します。しかし、悪者たちは直ちに10巻へ、クリシュナのゴピーたちとのやりとりへ飛びます。このようにして彼らはサハジヤー(クリシュナを真似る者)になります。

弟子:  そのような人々は、何らかの方法でクリシュナと関わっているので、心の変化を経験しますか?

SP:  いいえ。カムサもまたクリシュナと関わりましたが、敵としてです。それはバークティではありません。バークティは好意的な献身奉仕(サンスクリット引用)でなければなりません。人はクリシュナを真似したり、主を殺そうとしたりするべきではありません。それもまたクリシュナ意識ですが、それは好意的ではなく、したがってバークティではありません。それでも、クリシュナの敵は解放を得ます。

彼らは何らかの方法でクリシュナのことを考えたからです。彼らは非人格的な解放を得ますが、彼らは霊的な世界においてクリシュなの娯楽に入ることは許されません。その恵みは、クリシュナへの純粋な愛情ある奉仕をするものだけに与えられます。
by ammolitering4 | 2011-04-09 01:41 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


<< 第12章 第10章 >>