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第10章

第10章 「あなたは至高存在ではない」

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の何人かとの間の次の会話は、1975年9月、インドのヴリンダーヴァンで早朝の散策において交わされました。

SP:  生命体と主クリシュナは、どちらも意識に満ちています。生命体の意識は自分の中にあり、クリシュナの意識は偏在です。それが違いです。

弟子:  マーヤーヴァーディー(非人格主義者)たちは、解放されたときは私たちもまた偏在すると言います。私たちはブラーマンに同化し、私たちの個々の自己認識を失います。

SP:  それはあなたがすべてを忘れることを意味します。あなたが持っていた少々の意識は、すべて終わってしまいます。

弟子:  しかし、私たちが忘れてしまうものは、どのみち幻想です。

SP:  もしもそれが解放なら、今、私があなたを殺してあげましょう。あなたはすべてを忘れます。解放です。(笑)

(改行)(通りすがりの人がヒンディー語で歌っている。)彼は歌っています。これが解放です。「おお、我が主クリシュナよ。私はいつ、あなたの蓮の御足に服従するのですか?」これが解放です。ちょうど、完全に自分の両親に服従した子供のようです。彼は解放されています。

彼には不安はありません。彼は自信を持っています。「おお、僕の両親がここにいます。彼らがすることは何であれ、僕にとって良いことです(all right for me、構わない、それでよい)。誰も僕を傷つけることはできません。」

弟子:  非人格主義者たちは、解放はすべての悲惨さを捨てることだと言います。

SP:  そうです。あなたが不安に満ちているなら、あなたの解放はどこにありますか?(訳注:それのどこが解放ですか?)

弟子:  彼らは、これは私たちが至高存在と一つになるなら達成できると言います。

SP:  クリシュナは至高の意識です。もしもあなたが自分の意識を失うなら、どうやってあなたは主と一つになるのですか?

弟子:  それは必ずしも私たちが自分の意識を失うというわけではなく、私たちが至高の意識と同化するということです。

SP:  それはあなたが神になりたいということを意味します。しかし、なぜ今あなたは神とは違うのですか?

弟子:  それは私のリーラー(娯楽)です。

SP:  しかし、もしもそれがあなたのリーラーなら、なぜあなたは解放を得るためにそれほどの苦行をしているのですか?

弟子:  要点は、至高の意識は体に入っていませんが、私たちはたった今、体に入っている、ということです。ですから、至高の意識を得るとき、私たちもまた体から出ます。

SP:  しかし、もしもあなたが至高存在なら、どうしてあなたは体に入ったのですか?何があなたを体に入れたのですか?あなたは体の中にいることを好みません。体は非常に多くの苦しみをもたらします。ですから、あなたは解放を望みます。しかし、誰であれ、あなたを体に中に入れた者、その方が至高存在です。あなたは至高存在ではありません。

弟子:  私は自分で自分を幻想の中に置いたのです。解放されることを楽しむことができるようにするためです。

SP:  なぜ、どの正気の人が生老病死という形で物質自然によって繰り返し蹴られる状態に自分を置くでしょうか?(訳注:正気の人が~をすると思いますか?)(そうすることの)楽しみは何ですか?

弟子:  痛み無くして、どうしてあなたは喜びを経験できるでしょう?

SP:  では、私があなたを蹴ってあげましょう。そうすれば、私が止めたときにあなたは喜びを経験することができます。

弟子:  要点は、私たちがこの世界の苦しみを経験した後で、解放は非常に甘い、ということです。

SP:  しかし、なぜ苦しみがあるのですか?もしもあなたが至高存在であるなら、なぜあなたに苦しみがあるのですか?この無意味なことは何ですか?「苦しみは私のリーラーである」?

弟子:  それは、自分が至高存在であるということを理解していない者だけのための苦しみです。苦しむのは彼らです。しかし、私は苦しみません。

SP:  それでは、あなたはちょうど豚や犬のようなものです。彼らは、これが苦しみであると理解していません。しかし、私たちは理解することができます。したがって、マーヤーヴァーディーたちはムーダー、すなわち苦しみとは何であるか、あるいは楽しみとは何であるかを知らない愚か者と悪者です。(サンスクリット引用)(BG7.25)クリシュナはおっしゃいます。「愚か者たちと悪者たちは、私が至高存在であると知りません。」

(改行)したがって、何度も生まれ変わって苦しみ、様々な無意味なことを語ったあと、本当の知識を持つ者はクリシュナに服従します。(サンスクリット引用)(BG7.19)それが知識です。「私は単に苦しんできました。そして私は言葉を操ることによって自分を惑わそうとしてきました。」人がこの認識に至ったとき、そのとき彼はクリシュナに服従します。

弟子:  では、マーヤーヴァーディー哲学は実際は至高の幻想なのですか?

SP:  そうです。(サンスクリット引用)(Cc.マデャー 6.169)「マーヤーヴァーディー哲学に従う者は絶望的である。」彼は破滅を運命づけられているのです。彼は誤った哲学にのめりこみ、決して本当の哲学を受け入れることができません。マーヤーヴァーディーたちは無礼を犯しています。したがって彼らは永久に無明のうちに留まり、自分たちを神であると考えます。彼らは堂々と布教します。「なぜあなたは自分が罪深いと思っているのですか?あなたは神です。」

弟子:  キリスト教徒は罪の概念を持っています。マーヤーヴァーディーがアメリカへ行ったとき、彼らはキリスト教徒に言いました。「この、罪という考えを忘れなさい。あなたがすることは何であれ、それはそれでよいのです。あなたは神だからです。」

SP:  キリスト教徒の神父たちは、マーヤーヴァーディーの哲学を好みませんでした。マーヤーヴァーディーは仏教徒よりももっと無神論者です。仏教徒はヴェーダの権威を受け入れません。したがって彼らは無神論者と考えられています。

しかし、マーヤーヴァーディーの悪者たちはヴェーダを受け入れ、無神論を説きます。仏教徒たちは、無神論でありながら主ブッダを崇拝します。主はクリシュナの化身です。ですから、いつか彼らは解放されます。しかしマーヤーヴァーディーは決して解放されません。

(改行)クリシュナはバガヴァッド・ギーター(18.66)において、私たちにこう保証なさいます。「ただ私に服従しなさい。そうすれば私はあなたをすべての危険から自由にします。」そして私たちはクリシュナを受け入れます。それだけです。私たちの方法はとても簡単です。子供が歩こうとしていますが、彼はそうできず、転んでいます。父親が言います。「愛しい我が子よ。ただ、私の手をとりなさい。」そうすれば子供は安全です。

(改行)これらのマーヤーヴァーディーは、神の言葉(verdict、表決、意見)に逆らいます。神は「生命体は私の欠かすべからざる小片です」と言い、マーヤーヴァーディーは「私は神です」と言います。それは彼らの愚かさです。もしも彼らが神と等しいのであれば、なぜ神は「私に服従しなさい」と言うのですか?彼らは神ではありません。彼らは単に、主に服従したくないので自分は神と同等であると主張している悪者です。(校正:him→Him)

(改行)ですから、「私は神に服従しなければならない」というこの知識は、何度も生まれ変わった後でのみ得られます。そのとき人はこの愚かな言葉の操りを放棄し、クリシュナ意識において本当の解放を得ます。
by ammolitering4 | 2011-04-04 02:35 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


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