第2章

第2章 感覚の満足は鳥のためである

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子の間の次の会話は、1974年5月のローマでの朝の散策の間に交わされました。

SP:(サンスクリット引用)何度も生まれかわって、人々は単に自分の感覚を楽しもうとしています。何度も生まれかわって、同じことを何度も何度も。同じ食べること、同じ眠ること、同じ性交、そして同じ身を守ること。あるいは人として、あるいは犬として。(サンスクリット引用)何度も何度も、既に噛まれたものを噛む。

半神になろうが、犬になろうが、物質的な世界ではすべての者が、食べること、眠ること、性交をすること、そして身を守ることという、これらの4つのことのための設備を与えられています。実際は、もしも今、何らかの危険が訪れるなら、私たち人間は犠牲者になるかもしれませんが、鳥は直ちに飛び去るでしょう。ですから、鳥は身を守るためのより良い設備を持っています。

そうではありませんか?例えば、突然、私たちに向かって車がまっすぐ突っ込んでくると仮定しましょう。私たちは殺されます。私たちは何もできません。しかし、最も小さな鳥でさえ、「はっ!逃げよう!」彼にはそれができます。ですから、彼の防衛手段は私たちのより優れています。

(改行)  同様に、もしも私たちが性交をしたいなら、私たちは誰かしら相手を見つけ、適切な時間と場所を見つけるなど、そのために手はずを整えなければなりません。しかし、メスの鳥はいつもオスの周りにいます。いつでもです。スズメやハトを見なさい。見たことがありますか?

彼らは直ちに性交する準備ができています。そして、鳥は食べることについてはどうしますか?「おお、果物がある。」直ちに鳥は食べることができます。そして眠ることも簡単(convenient)です。

(改行) ですから、これらの設備は、、、これらがあなたの高層ビルの中にだけあると考えてはいけません。それらは鳥や獣に(も)得られます。高層ビルの中に非常に良いアパートを持っているのでないかぎり、食べること、眠ること、身を守ること、そして性交することなどの、これらすべての設備を持つことができない、というのではないのです。

あなたはそれらをいかなる物質的な体においても、いかなる種においても持つことができます。(サンスクリット引用)「ヴィシャヤ」は、物質的な感覚の楽しみのための設備を意味します。私たちの方法は(サンスクリット引用)です。人は、この満足し得ない物質的な楽しみを放棄し、超越的な喜び、霊的な楽しみの味を味わわねばなりません。それは異なる水準における楽しみです。

(改行) しかし今日では、人々は人生の身体的な概念によってすっかり騙されているので、彼らの唯一の楽しみはこの物質的な、いわゆる「楽しみ」です。ですから、聖典は助言します。「この一時的で劣性な楽しみは、人としてであれ、鳥としてであれ、あるいは獣としてであれ、物質的な生命のいかなる形においても得られます。」

なぜあなたは、これらすべての異なる生命の種において、この同じ満足し得ない楽しみを繰り返し求め続けるのですか?(サンスクリット引用)「これらすべての異なる形において、あなたは何度も何度も同じ馬鹿げた、満足し得ないことをしています。」

(改行) しかし、(サンスクリット引用)物質的な感覚の楽しみによって騙されている者は、自分自身の努力によっても、あるいは霊的指導者からの教えによってさえ、クリシュナ意識になることができません。そして、(サンスクリット引用)これらの愚かな人々は、「人生の問題とは何か」と問うために多くの会議や話し合いをしますが、それでも彼らはクリシュナ意識の方法を習慣づけることができません。

(改行) なぜでしょうか?グリハ・ヴラターナーム。「私たちは、この物質世界で幸せになろう」という決意を持っている限り、彼らはクリシュナ意識を習慣づけることはできません。「グリハ」は「家」、また、「体」も意味します。この物質的な体の中で幸せになろうとしている者は、クリシュナ意識を習慣づけることができません。

なぜなら、アダーンタ・ゴビーハ。彼らの感覚はあまりにも統御がされていないからです。したがって、これらの人々は、繰り返し繰り返し、噛まれたものを噛むという厳しい試練を経験しなければなりません。何度も何度も、同じ感覚の楽しみ、、、食べること、眠ること、性交すること、そして身を守ること。

弟子:では、私たちに課せられた仕事は、人々に彼らはこの物質世界では幸せになれないと納得させることですか?

SP:そうです。そして、彼らは既に非常に納得のいく経験をしています。日々、彼らは非常の多くの政党を設立しており、非常に多くの方法や計画やあれやこれやを作り出していますが、それでも彼らは幸せではありません。それでも彼らは大変な愚か者なので、繰り返し挫折させられるにも関わらず、既に噛んだものを噛み続けています。多少違う形において、同じことを何度も何度も。

(改行) 共産主義者と資本主義者の違いは何ですか?結局、どちらのグループも単に自分たち自身の感覚の満足のために、いかに物事をより良いふうにしつらえるかということを求めています。二つのグループは戦っていますが、すべての人の目標はグリハヴラターナム、「私たちはこの物質世界の中に留まって、ここで幸せになろう」です。

弟子:つまり、もしも十分な食べ物と性交を得られるなら、私たちは幸せになる、ということですね。

SP:それだけです。そしてそれから、人々は性的不能になります。そして彼らは医者に乞います。「私に性の薬を下さい。」分かりますか?(サンスクリット引用)同じ古くてくたびれたものを噛んでいるのです。そして、家での性交にうんざりすると、「売春婦のところへ行こう。裸の踊りに行こう。」彼らには他に考えがないのです。

ですから、この階層の人々はクリシュナ意識を習慣づけることができません。何よりもまず、人は知識を持たねばなりません。「私はこの物質世界とは全く関係がない。私は霊魂である。私の幸せは霊的な世界にある。」そうすれば、彼は本当の人間であり、霊的な発達をすることができます。

(改行) ですから、次の問いは、どうしたら人は霊魂とクリシュナ意識に興味を持つことができるか、ということです。どうやって?これが問いです。動物、および動物のような人々は、興味を持つようになることができません。(サンスクリット引用)

(改行) シュリマッド・バーガヴァタム(7.5.32)には、「これらの悪者たちと愚か者たちの意識は、素晴らしい行いをなさる主シュリー・クリシュナの蓮の御足に向けられることができません。ニシュキンチャナであり、この物質世界において得るものが何もなく(訳注:何も得ようと思わず)、単にクリシュナ(だけ)に興味がある、主の献身者の蓮の御足に彼らがその頭をつけるまでは。」とあります。

もしもあなたがそのような偉大な献身者の蓮の御足や、蓮の御足の埃にさえ、自分の頭をつける機会を得るなら、あなたの霊的な進歩は可能です。そうでなければ、可能ではありません。偉大な献身者の蓮の御足の埃は、あなたを助けることができます。
by ammolitering4 | 2011-03-25 13:10 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


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