人気ブログランキング |

第1章

1.不完全な世界において完全な知識を見つける

シュリーラ・プラブパーダと、アーヴィンにあるカリフォルニア大学の物理学教授グレゴリー・ベンフォード博士との間のこの会話は、1973年10月にロサンゼルスのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

ベンフォード博士(以下、Dr.B): あなたはおそらく、「邪悪の問題」という西洋の神学理論をご存知であると思います。なぜ邪悪さは存在するのですか?

シュリーラ・プラブパーダ(以下、SP): 邪悪さは善良さの欠如です。ちょうど、闇が太陽光の欠如であるようなものです。もしもあなたが自分自身をいつも光の中に置いておくなら、どうして闇があり得るでしょう?神は完全な善良さです。ですから、もしもあなたがいつも自分自身を神意識の中に置くなら、そうすれば邪悪さはありません。

Dr.B: しかし、なぜ世界は邪悪な人々を含んで作られたのですか?

SP: なぜ警視庁が作られたのですか?なぜなら、必要性があるからです。同様に、一部の生命体はこの物質世界を楽しみたいと思っています。そのため、神はそれをお創りになりました。主はちょうど、自分のいたずらな子供に、遊ぶための別の部屋を与える父親のようなものです。そうでなければ、いたずらな少年たちはいつも彼の邪魔をします。

Dr.B: この世界は、それでは、刑務所のようなものですか?

SP: そうです。刑務所です。したがって、ここには苦しみがあります。刑務所では、あなたは快適さを期待することはできません。苦しみがなければ、囚人たちに教訓がないからです。それはバガヴァッド・ギーターに述べられています。(サンスクリット引用)

「ドゥーカーラヤム」は「苦しみのための場所」を意味します。そして「アシャーシュヴァタム」は「一時的」を意味します。あなたは妥協をして「いいでしょう、私は苦しんでいます。でも、私はそれを気にしません。私はずっとここにいます」と言うことはできません。あなたはここに留まることはできません。

あなたは蹴り出されるでしょう。今、あなたは、自分はアメリカ人だ、偉大な科学者だ、幸せだ、いい給料を得ている、と考えています。それは構いません。しかし、あなたはこの立場に留まることはできません。あなたが蹴り出される日が来るのです。そして、あなたはアメリカ人か、科学者か、猫か、犬か、あるいは半神になるか分かりません。あなたには分からないのです。

Dr.B: 私は多分、無になると思います。

SP: いいえ。それはもう一つの種類の無明です。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.13)において説明しています。(サンスクリット引用)まず、あなたは少年の体に中に、そして若者の体の中にいて、そして未来には老人の体の中にいます。。。

Dr.B: しかし、老人になった後には、私は無になるかもしれません。

SP: いいえ、いいえ。(サンスクリット引用)死の後で、あなたは別の体に移ります。ですから、あなたは「私は無になります」と言うことはでいません。もちろん、あなたは何を言っても良いでしょう。しかし、法則は違います。あなたは法則を知っているかもしれず、知らないかもしれません。

それは関係ありません。法則は作用します。例えば、もしあなたが「私は火を触ります。それは私に火傷をさせることはありません」と考えるなら、それは事実ではありません。火傷するのです。同様に、あなたは死の後には無があると考えるかもしれませんが、それは事実ではありません。

Dr.B: なぜ私のような者は、、、世界を合理主義的に理解しようとしている者は、そうする方法を全く見出せないように見えるのですか?

SP: あなたは物事を合理主義的に知ろうとしていますが、あなたは正しい教師のもとへ行っていません。

Dr.B: しかし、世界を研究することによって私は知識を得ることができる、と感じますし、その知識を確かめる方法があります。仮説を組み立て、実験を行い、自分の考えを証明し、それからこれらの考えを実際的な世界で使うことができるかを判断します。

SP: それはもう一つの種類の無明です。なぜなら、あなたは自分が不完全であることを知らないからです。

Dr.B: おお、私は自分が完璧でないことを知っています。

SP: それでは、あなたがこの方法やあの方法で世界を研究することが何の役に立つのですか?もしもあなたが不完全なら、結果は不完全です。

Dr.B: それはその通りです。

SP: では、なぜ時間を無駄にするのですか?

Dr.B: しかし、他に知識を見つける方法があるように見えません。

SP: 物質的な知識のためでさえ、あなたは大学に行って教授から学ばねばなりません。同様に、霊的な知識、、、完璧な知識を学びたいときは、あなたは完璧な教師に近づかねばなりません。そうすれば、あなたは完璧な知識を得られます。

Dr.B: しかし、教師が完璧であるとき、人はどうやって(それを)知るのですか?

SP: それは難しくありません。完璧な教師は、もう一人の完璧な教師から学んだ者です。

Dr.B: しかし、それは単に問題を一段階取り除くに過ぎません。

SP: いいえ。すべての階層の教師たちによって受け入れられている一人の完璧な教師、クリシュナがいるからです。インドでは、私たちは今でもヴェーダ文化を見出します(訳注:インドには今でもヴェーダ文化があります)。そして、これらすべてのヴェーダの教師たちは、クリシュナを至高の教師として受け入れます。彼らはクリシュナから教えを受け、それを教えます。

Dr.B: それでは、私が出会う、クリシュナを完璧な教師として受け入れる者は誰であれ、、、その人は完璧な教師なのですか?

SP: そうです。クリシュナの教えを教えているあらゆる人、、、その人は完璧な教師です。

Dr.B: それなら、ここにいるすべての献身者たちは完璧な教師ですか?

SP: そうです。彼らはクリシュナの教えだけを教えているからです。それだけです。彼らは完璧ではないかもしれません。しかし、彼らが話していることは何であれ完璧です。なぜなら、それはクリシュナによって教えられているからです。

Dr.B: それなら、あなたは完璧ではないのですか?

SP: そうです。私は完璧ではありません。私たちのうちの誰も、自分は完璧であると主張することはできません。私たちは非常に多くの欠陥を持っています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことは何も語らないので、私たちの教えは完璧です。

私たちはちょうど、千ドル(訳注:感覚としては10万円)の郵便為替を持ってくる郵便配達夫のようなものです。彼は金持ちではありません。しかし、もしも彼があなたに封筒をそのままに届けるなら、あなたは利益を受けます。彼は金持ちではありません。

しかし、彼の完璧な行い、彼の正直な行いは、完璧です。同様に、私たちは完璧ではありません。私たちは不完全さに満ちています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことを教えません。それが私たちの方法です。そして、そのため私たちの教えは完璧です。
by ammolitering4 | 2011-03-24 15:18 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」


<< 第2章 「ハレ・クリシュナの挑戦」 はじめに >>