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第16章 第11段落まで

第16章 サナータナ・ゴスヴァーミーへの教えの結論

第1段落
単に解放を望んでいる者、この物質的な存在の中にあってさえも既に解放されている者、そして実際に自己を認識している者が存在します。この世界には解放を望む多くの者が存在し、ときとして彼らはこの目的のために献身奉仕にいそしみます。

シュリマッド・バーガヴァタム(1.2.26)において、実際に解放を望む者は半神たちの崇拝を放棄し、妬むこと無くして彼らの心をナーラーヤナ、すなわち至高の人格神に集中させる、と裏づけられています。そのような人々が純粋な献身者に出会うとき、彼らはクリシュナへの献身奉仕にいそしみ、解放という考えを放棄します。ハリ・バークティ・スドーダヤには、次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

「おお、偉大な魂よ。この惨めな人生の中には多くの欠陥がありますが、それでも一つの栄光があります。純粋な献身者との関わりです。そのような関わりを望みなさい。それによって私たちの解放への欲求は消えます。」

第2段落
シュリマッド・バーガヴァタム(11.2.37)には、恐れは人が人生に対して持っている物質的な概念、および人が自分の至高主との永遠の関係を忘れていることが原因である、と述べられています。結果として、彼は自分が歪んだ記憶だけを持っていることに気がつきます。これは物質的なエネルギーの魔力のために生じます。

十分な知性を持っている者は、自らを完全な献身奉仕に携わらせ、至高主を自分の霊的指導者、および崇拝の対象となる神と見なします。結論は、誰も主への献身奉仕にたずさわることなくして意識における変革を得ることはできない、ということです。実際に物質的な汚染から自由であるとき、人はクリシュナ意識において完全に自分自身を携わらせることができます(訳注:人は完全にクリシュナ意識になることができます)。

第3段落
シュリマッド・バーガヴァタム(10.14.4)には、物事をありのままに理解するために霊的な人生に携わるけれど、クリシュナ意識に携わる意思が全く欠けている者は、その努力に対して単に労苦を得るに過ぎない、と再び明確に述べられています。(訳注:to engageを「携わる」と訳していますが、何かに関わる、従事する、などの意味です。)

彼の人生には実質がありません。すべての生命体は至高主の欠かすべからざる小片であり、そして、したがってその至高の全体に奉仕することはすべての生命体の義務です。そのような奉仕がないと、生命体は物質的な汚染に堕落します。

第4段落
主チャイタンニャは、6種類のアートマーラーマが何らかのクリシュナへの献身奉仕に携わるということを指摘することによって、サナータナ・ゴスヴァーミーへのご自分の教えを結論づけられました。言い換えると、遅かれ早かれ、すべての超越主義者は究極的にはクリシュナへ献身奉仕を捧げることの必要性を理解するようになり、完全にクリシュナ意識になります。たとえ人が非常に学識があったり、突飛であったりしても(extravagant、度を越えた、無茶な、浪費的な)であったりしたとしても、彼はそれでも主への献身奉仕にいそしむことができます。

第5段落
超越主義者は6つの基本的な型に分類され得ます。
1、初心者の超越主義者
2、(献身的な恍惚感に)浸った超越主義者(訳注:原文は単にabsorbed)
3、実際に超越性に位置している者
4、実際に解放を望んでいる者
5、実際に解放されている者
6、その本来の立場において実際に活動にいそしんでいる者

これらのすべてはアートマーラーマと呼ばれます。人がアートマーラーマ、すなわちクリシュナ意識における偉大な思索家になるとき、彼は完全に献身奉仕にいそしみます。文法的な規則によれば多くのアートマーラーマが存在しますが、その言葉の一つの意味は他のものを代表するのに十分です。集合的な意味において、すべてのアートマーラーマは至高主クリシュナを崇拝する傾向があります。

第6段落
自分の中の超魂を崇拝する神秘主義者もまた、アートマーラーマと呼ばれます。アートマーラーマ・ヨギーには2種類あります。サガルバーとニガルバーです。シュリマッド・バーガヴァタム(2.2.8)には、次のように述べられています。

「一部のヨギーは、4本の腕を持ち、ほら貝、円盤、こん棒、および蓮の花という4つの象徴を持つ、自分の心臓の中にいる局地的なヴィシュヌを瞑想します。」4本の腕を持つヴィシュヌのことを考えるヨギーは献身的な恍惚感に浸るようになり、その状態の徴候を示します。

時として彼は泣き、時として彼は別離を感じます。このようにして彼は超越的な喜びと一体化します。これらすべての結果は、彼は魚のように閉じ込められるというものです。

第7段落
サガルバーとニガルバーのヨギーは、さらに3つの部類に分けられます。初心者、中級者(ascendent、先祖、先に行く者)、そして既に完成を得た者です。これらのヨギーはバガヴァッド・ギーターの6章に描写されています。

神秘的なヨガの道に上がろうとしている者は、アールルクシュと呼ばれます。アールルクシュのヨガにおいては様々な座り方が練習され、心は集中しています。しかし、人が既にヨガの道に上ったときは、瞑想と放棄が目標となります。

そして人がもはや感覚の満足のために働くことに執着しなくなったとき、彼は徐々に自由になります。その時点で彼はヨガ・アールーダーと呼ばれる恍惚の状態にも至ります。もしもこれらの神秘主義的なヨギーが何らかの理由で聖なる人と出会えば、彼らはクリシュナの献身者になります。

ウルクラマという言葉は至高主を指します。すべてのアートマーラーマはウルクラマへの献身奉仕にいそしんでいます。献身奉仕にいそしむ前は、そのような超越主義者はシャーンタ、すなわち「平穏な状態に戻った(pacified、なだめられた、問題にかき乱されない)献身者」と呼ばれます。

アートマー、すなわち自己という言葉は、時として「心」と翻訳されます。時として精神的な推量をする者たちは哲学的な理論を様々に提示しますが、彼らが献身奉仕にたずさわる聖なる人に出会うとき、彼らもまた献身者になります。

第8段落
シュリマッド・バーガヴァタム(10.87.18)は、2種類のヨギーたち(サガルバーとニガルバー)を次のように描写しています。「ヨギーたちは腹部を崇拝することによってヨガの修練を始めます。そして彼らは注意を自分の腸に集中しようとします。徐々に彼らの瞑想は心臓に上がり、心と心臓に集中します。

それから彼らの注意は頭のてっぺんに上がり、その位置に上がることのできる者は完全になり、もはや生と死の影響を受けない、と考えられます。」たとえそのようなヨギーたちが純粋な献身者と出会っても、彼らもまた主へのいわれなき献身奉仕を捧げます。

第9段落
アートマーという言葉は、「努力をする」ということを意味します。あらゆる修練において何らかの努力が存在し、究極の努力は献身奉仕の最高の完成した水準に至るための努力です。シュリマッド・バーガヴァタム(1.5.18)には、より高い惑星系においても、より低い惑星系においても到達し得ない、最も高い目標に至ろうとすべきである、と述べられています。

つまり、遅かれ早かれ(in the course of time、時間の流れの中において)物質的な幸せと悲惨さはすべての惑星系において得られるけれど、最高の達成、すなわち献身奉仕はどこであっても努力無しには得られないということです。

したがって、ブリハン・ナーラーディーヤ・プラーナにおいて、献身奉仕の最高の完成の水準を理解することに関して真剣である者は、単にその努力によってすべてのことにおいて成功することができる、と述べられています。人は、個人的な努力無くして献身奉仕の最高の完成の水準に至ることはできません。クリシュナはバガヴァッド・ギーターにおいて次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

「常に献身の念を持って、愛情を込めて私を崇拝する者に、私はそれによって彼らが私のところに来ることができるように、彼らに理解(訳注:理解力)を与えます。」(BG10.10)

第10段落
アートマーという言葉は忍耐と不屈(の努力)も意味します。(訳注:patience and perseverance、「忍耐と忍耐」という基本的に同じ意味の言葉を重ねてある。)忍耐と不屈の努力によって人は献身奉仕の最高の水準に至ることができます。

第11段落
ムニという言葉について言えば、さらなる意味があります。この言葉は鳥と大きな黒い蜂も指します。ニルグランターという言葉の別の意味は「愚かな人」です。このように、純粋な献身者の恩寵を受けるとき、鳥、蜂、および愚かな者でさえ至高主への奉仕にいそしみます。実に、シュリマッド・バーガヴァタム(10.21.14)には、鳥は至高主への奉仕に献身している、と述べられています。

そこには(10.15.6)、黒い蜂がいつもクリシュナとバララーマに従う、ということも述べられています。このことに関して、シュリー・クリシュナは、蜂(bees and wasps、後者は大型の蜂を指す)が至高の人格神に捧げていた献身奉仕を描写することさえしていらっしゃいます。主クリシュナはおっしゃいました。

(サンスクリット引用)

「おお、究極的に高潔な者よ。おお、至高の人格神(バララーマ)よ。いかにこれらの蜂たちがあなたに従い、あなたの超越的な名声を讃え、あなたを崇拝しているかをご覧なさい。実際は、これらの蜂たちは見かけのままではありません。彼らは至高の魂を讃えるためにこの機会を利用している偉大な賢人たちです。

あなたは一般の人々によっては知られていませんが、彼らはあなたを知っています。そして彼らはあなたに従い、あなたを讃えています。」シュリマッド・バーガヴァタム(10.15.7)にも同様の節があります。それはヴリンダーヴァンの孔雀によってバララーマとクリシュナに捧げられた歓迎を描写しています。

「おお、崇拝に値する者よ。巣に帰る途中の孔雀たちが完全な喜びをもってあなたを出迎えている様子をご覧なさい。これらの孔雀たちはちょうどヴラジャの高貴な娘たちのようです。木の枝の上のカッコウたちもまた、彼らなりにあなたをお迎えしています。ヴリンダーヴァンの住人たちはとてもすばらしいので、誰もが主への献身奉仕を捧げる用意があります。」

シュリマッド・バーガヴァタムの別の節(10.35.11)には、次のように述べられています。「おお、いかに水の上の鶴と白鳥が主の栄光を歌っているかをご覧なさい!実に、彼らは水の中に立って主を瞑想し、主を崇拝しています。」シュリマッド・バーガヴァタムの別のところ(2.4.18)には、次のように述べられています。

「原住民や、キラータ、フーナ、アンドラ、プリンダ、プルカシャ、アービーラ、シュムバー、ヤヴァナおよびカーサなどの非文明的な人々、そしてより低い種の中の他の多くの人類たちでさえ、単に純粋な献身者の庇護を受けることによって、皆、浄化されることができます。」したがって、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、その献身者がそれほど素晴らしい働きをすることができる主ヴィシュヌに心からの敬意を捧げました。
by ammolitering4 | 2011-03-03 04:15 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)
Commented by bvd at 2011-03-05 00:13 x
こういう文を書けるプラブパーダって、いったいどんな人だったんでしょうね。いつか精神界で彼とお話できるような人になりたいものです。
Commented by 葉子 at 2011-03-05 13:17 x
全くです。今回たまたまこういう用事があって地上にいらしていただけの方だったのでしょう。文章を通してだけでも、こういう方にめぐり合えた私たちは幸せ者です。
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