第15章 前半 (第3段落に修正あり)

第15章 シュリマッド・バーガヴァタムの中のアートマーラーマの節の解説

第1段落
主チャイタンニャは次に、アートマーラーマとして知られる非常に有名な節を解説なさいました。それはシュリマッド・バーガヴァタムに次のように現れています。

(サンスクリット引用)

第2段落
この節は、解放された魂であり完全に自己満足している者は、やがて主の献身者になる、ということを示しています。この教え(injunction、通常は禁止命令を指す)は、特に非人格主義者のためのものです。非人格主義者たちは至高の人格神について何の情報も持たないからです。

彼らは非人格的なブラーマンで満足し続けようとしますが、クリシュナはとても魅力的でとても強いので、主は彼らの心を惹きつけます。これがこの節の解説です。

第3段落
この節は以前にサールヴァボーマ・バーッターチャーリャとして知られる偉大なヴェーダ学者(vedantist)に説明されていました。主チャイタンニャから教えを授かった後、サナータナ・ゴスヴァーミーはこの出来事に触れ、主に再びアートマーラーマの節を説明してくださるように祈りました。

チャイタンニャ・チャリタームリタの著者であるカヴィラージャ・ゴスヴァーミーも、アートマーラーマの節の主による解説を喜び、自分の祈りの中で主チャイタンニャを讃えています。主チャイタンニャの足元にひれ伏して、サナータナ・ゴスヴァーミーは主に、主がかつてそれをサールヴァボーマ・バーッターチャーリャに説明したように、その節を説明してくださるように頼みました。

サナータナは、同じ説明を聞くことへの自分の熱意を、悟りを開けるかもしれないからだと説明しました。(訳注:in order that = so that) (He explained~ so that he might be enlightened. このままだと厳密には「悟りを開けるように、自分の熱意を説明した」となります。よく意味が分からないので、このようにしています。)
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修正:「サナータナは、教えてもらえるように、同じ説明を聞くことへの自分の熱意を説明しました。」(to enlightenは「教え導く」という意味なので、ややこしく考えなくてもよかったのです。なぜ気がつかなかったのでしょう。)

サナータナによってこのように頼まれて、主はお答えになりました。「なぜサールヴァボーマ・バーッターチャーリャが私の説明をそれほど喜んだのか、私には分かりません。私について言えば、私は自分が彼に何を言ったかさえ覚えていません。

しかし、あなたが私にこれを頼んでいるので、私はあなたと協力して(with the help of your association:あなたとの関わりを助けとして)、何であれ自分が覚えていることを説明しようとしてみます。」このように、聞き手と話し手は非常に親密に繋がっています。話し手は聞き手の存在によって啓蒙されます(to enlighten)。

話し手、すなわち師は、理解のある聞き手の前で超越的な事柄について非常によく話すことができます。したがって主チャイタンニャは、自分はどうやってそのサンスクリットの節を説明したらいいか分からないが、サナータナが一緒にいるので、説明しようと試みてみる、とおっしゃいました。

第4段落
それから主は続けて、アートマーラーマの節には11の項目がある、と指摘なさいました。
1、アートマーラーマー(訳注:長音)
2、チャ
3、ムナヤー
4、ニルグランターハ
5、アピ
6、ウルクラメ
7、クルヴァンティ
8、アハイトゥキム
9、バークティム
10、イッタームブータ・グナハ
11、ハリヒ

それから主は、これらの項目のそれぞれを説明し始めました。アートマーラーマという言葉に関して言えば、主は、アートマーという言葉は次のようなことを指すのに使われる、と説明なさいました。
1、至高の完全真理
2、体
3、心
4、努力
5、信念
6、知性
7、自然

アーラーマという言葉は「楽しむ者」を意味します。したがって、これらの7つの事柄に関する知識を培うことに喜びを感じる者は誰でも、アートマーラーマとして知られます。主はそれから、異なる種類のアートマーラーマ、すなわち超越主義者たちについて説明しました。

ムナヤー、あるいはムニという言葉に関して言えば、偉大な思索家である者はムニと呼ばれます。時として、ムニという言葉は、非常に荘重である人に対しても当てはめられます。偉大な賢人、偉大な禁欲者、偉大な神秘主義者、および造詣の深い学者もまたムニと呼ばれます。

第5段落
次の言葉、ニルグランターは、幻想の呪縛からの自由を指します。ニルグランターはまた、「霊的な禁止命令(教え)と何の関係もない者」も意味します。グランターは明かされた聖典を指し、ニルは「無関係」、「積み重ねる(constructing、建設する)」、および「禁止する」を指す接頭語です。

霊的な自己認識のための多くの教えがありますが、そのような霊的な禁止命令と何の関係もない者は、ニルグランターとしても知られます。愚かであり、身分の低い家庭に生まれ、不正を働く(misbehaved、行儀の悪いことをする)者、そして明かされた聖典や禁止命令に何の入場権もない多くの者がいます。(訳注:この場合の「禁止命令」も広く「教え」を指すものと思われます。「何の入場権もない」は、それらを知る機会が与えられていない、という意味であると思います。)

そしてそのため彼らはニルグランターと呼ばれます。グランターは富を集めるという目的のためにも使われるので、ニルグランターは、すべての富を失っており、富を集めようとしている貧しい者も指します。(訳注:先の「積み重ねる」という意味はこれに関わる。)

第6段落
ウルクラマという言葉は、大いに力強い人を指すのに使われます。クラマという言葉は歩を進めるという行いを指すのに使われ、ウルクラマという言葉ははるか遠くまで歩を進めることのできる者を指します。最大の一歩は主ヴァーマナデヴァによってなされました。主は全宇宙を二歩でまたがれました。

そのためウルクラマは至高主ヴァーマナデヴァを指します。主ヴァーマナデヴァのこの非凡な特性は、シュリマッド・バーガヴァタム(2.7.40)において次のように説明されています。

(サンスクリット引用)

「誰も主ヴィシュヌの計り知れない力を推測することはできません。たとえ誰かがこの物質世界の中の原子の組み合わせの数を数えることができたとしても、その人はそれでも至高主の様々なエネルギーを数えることはできません。

ヴァーマナデヴァとして、主は非常に強力でいらしたので、単に歩を進めることによって主はブラーマロカから下はパーターラロカまで宇宙全体をまたがれました。」

第7段落
主の計り知れないエネルギーは創造全体を通して広がっています。主は偏在であり、ご自分のエネルギーによって主はすべての惑星系を維持なさいます。それでもご自分の喜びの力を通して主はゴロカとして知られるご自分の個人的なお住まいに留まり続けられます。

ご自分の富を拡張することによって、主はすべてのヴァイクンターの惑星にナーラーヤナとして存在なさいます。ご自分の物質的なエネルギーを拡張することによって、主は中に無数の惑星を含む無数の宇宙を創造なさいます。

このため、誰も至高主のすばらしい活動を推測することはできません。そしてそのため、至高主はウルクラマ、すなわちすばらしい俳優して知られます。ヴィシュヴァプラカーシャ辞書の中で、クラマという言葉は「エネルギーの熟達した顕示」、さらに「非常にすばやく歩を進める」として定義されています。

第8段落
クルヴァンティという言葉は、「他者のために働く」ということを意味するために使われます。人の活動が自分の個人的な感覚の満足のためになされるときに使われる、これと似た別の言葉があります。しかし、クルヴァンティという言葉は、活動が至高存在の満足のためになされるときに使われます。このため、この節においてはこの言葉は主へ超越的な奉仕をすることだけを示すことができます。

第9段落
ヘトゥという言葉は、理由あるいは原因を示すのに使われます。一般的に人々は3つの理由のために超越的な活動にいそしみます。ある者は物質的な幸せを望み、ある者は神秘的な完成を望み、またある者は物質的な呪縛からの解放を望みます。

物質的な楽しみに関して言えば、非常に多くの種類があるので、誰もそれらを列挙することができません。神秘的な力の完成に関して言えば、18個あります。そして物質的な呪縛からの解放の種類に関して言えば、5つあります。

これらすべての種類の楽しみ(訳注:上記の3種類をすべて含む)がその欠如によって際立っている状態は、アハイトゥキーと呼ばれます。(訳注:何かが無いことによってそれ自体が際立っている状態、というのは、例えば「月のない夜に、月がないことによって月が際立っている」というようなものだと思います。)

アハイトゥキーの資質が特記されているのは、主へのアハイトゥキーの奉仕によって人は恩寵を得ることができるからです。

第10段落
バークティという言葉は、10の異なる方法で使われ得ます。これらの10個の中に、サーダーナ・バークティ、すなわち職業的な(occupational)献身奉仕があります。(訳注:義務としての、という意味?)他の9つはプレマ・バークティ、すなわち至高神への愛と呼ばれます。

中立的な立場に位置している者は、至高神への愛に至るまでの完成を得ます。同様に、主人と従者の関係に位置している者は、愛着の段階に至るまで至高神への愛を得ます。友情において関わっている者は、友愛の地点まで神への愛を得ます。

主の親として主を愛している者は、超越的な感情の地点まで上げられます。しかし、至高存在と恋愛関係において関わっている者だけが最高の恍惚感を経験することができます。このように、バークティという言葉には様々な意味があります。

第11段落
主は次に、イッタームブータグナの様々な意味を説明なさいました。イッターム・ブータは、その前ではブラーマーナンダとして知られる超越的な喜びが麦わらのようになる、完全に超越的な喜びを指します。ハリ・バークティ・スドーダヤ(14.36)において、ある献身者が言います。

(サンスクリット引用)

「我が主よ。おお、至高存在よ。単にあなたを理解することによって、あるいはあなたを知ることによって私たちが得る喜びはとても大きいので、ブラーマーナンダの喜びは取るに足らないものになります。」言い換えると、クリシュナをありのままにーーーすべての者を魅了する、すべての喜びの宝庫、そしてすべての超越的な資質を備えたすべての喜びを与える味わいの宝庫としてーーー理解することによって得られる喜びは、人を魅了して主の献身者にします。

そのような魅力の美徳によって、人は結果を求める活動と解放のためのすべての努力を放棄することができ、ヨガの神秘的な力において成功を得たいという強い望みさえ放棄することができます。クリシュナの魅力は非常に強力なので、人は自己認識の(ための)他のすべての方法への敬意を失うことができ、単に至高の人格神に服従します。

第12段落
主はまた、そのすべての異なる意味においてグナという言葉を説明なさいました。グナは、クリシュナの無限の超越的な性質を、おもに主のサク・スィッド・アーナンダの形を指します。主の超越的な喜びに満ちた知識と永遠性において、主は完全に完璧であり、そして主の完璧さは、主がご自分の献身者(の払う)注意(attention、好意、思いやり、世話など)によって統御されるときに増します。

神はとても親切で慈悲深いので、献身者の献身奉仕と引き換えに、主はご自分自身をお与えになることができます。主の超越的な性質はそれほどであるので、主の美しさの完成、主ご自身と主の献身者の間の愛への主の完全な報い(reciprocation、お返し、やり取り)、そして主の超越的な性質の味わいは、様々に異なる種類の超越主義者たちと解放された魂を魅了します。

例えば、主は単に主に捧げられた花から発する香りによって、サナカ・クマーラの心を魅了しました。シュカデヴァ・ゴスヴァーミーの心は、主クリシュナの超越的な娯楽によって魅了されました。ルクミニーの注意は、主の身体的な特徴と超越的な性質によって惹きつけられました。

そして、幸運の女神の心は主の笛の演奏と他の超越的な特徴によって魅了されました。主クリシュナは、ご自分の子供らしい活動によって、すべての若い娘たちと年配の女性たちの心を魅了します。主はまた、ご自分の友好的な活動によって、ご自分の友人たちの心を魅了します。

ヴリンダーヴァンにお現れになったとき、主は鳥、獣、木や草(plants)さえ魅了しました。実に、すべての者がクリシュナに愛と情愛をもって(in love and affection)魅了されるようになりました。

第13段落
ハリという言葉には異なる意味があり、その中で二つが主要なものです。ハリは、主が献身者の人生からすべての縁起の悪いものを取り除くということと、主が超越的な至高神への愛を(ほうびとして)授けることをもって献身者の心を魅了する、ということを意味します。

クリシュナは非常に魅力的なので、何らかのあり方で主を思い出していることのできる者は誰であれ、4つの種類の物質的な悲惨さから自由になります。主はご自分の献身者に特別な注意を払われ、献身奉仕の発達における障害物である献身者の様々な罪深い活動を消し去られます。

これは、無明の影響を完敗させること、と呼ばれます。単に主について聞くことによって、人は主への愛を育みます。それが主の贈り物です。一方では主は縁起の悪いものを取り払われ、そして他方では最も縁起の良いものを(ほうびとして)授けられます。それがハリの意味です。

至高神への愛において発達するとき、人の体、心、そして他のすべてのものは主の超越的な性質によって魅了されます。クリシュナの慈悲深い活動と超越的な性質の力はそれほどのものであるのです。主は非常に魅力的なので、超越的な愛着から献身者は霊的な生活の4つの原則ーーー宗教性、経済的な発展、感覚の満足の規制、および解放ーーーのすべてを放棄します。

第14段落
アピおよびチャという言葉は副詞であり、ほぼどのような目的にも使われ得ます。チャ、すなわち「および(and)」という言葉は構成(construction、この場合は「構文、文章」?)全体に7つの異なる読解を与え得ます。

第15段落
主はこうしてアートマーラーマの節における11の言葉の意味を確立なさり、そしてそれから主はそれぞれの項目の意味を次のように説明し始めました。ブラーマンという言葉は、すべての側面において最も偉大であるものを指します。主はすべての豊かさにおいて最も偉大です。

誰も富、力、名声、美しさ、知識および放棄において主に優ることはできません。このため、ブラーマンという言葉は至高の人格神クリシュナを指します。ヴィシュヌ・プラーナ(1.12.57)において、ブラーマンという言葉はすべてのものの中でも最も偉大なものを指すために与えられています。(訳注:使われています)

至高主は最も偉大であり、主が最も偉大なものとして拡張することには限りがありません。人はブラーマンの偉大さを知覚するかもしれませんが、それでもこの偉大さはそれほどに拡張する(to grow)ので、誰も主が実際どれほど偉大かを推測することはできません。

第16段落
至高の人格神は3つの側面において認識されますが、それらはすべて全く同じものです。完全真理、至高の人格神クリシュナは永遠です。シュリマッド・バーガヴァタム(2.9.33)において、主はこの宇宙世界の顕現の前に存在し、主はそれが持続している間存在し、そして主はそれが滅亡した後も存在し続ける、と述べられています。

したがって主はすべての偉大なものの魂です。主は偏在であり、すべてを見ておられ、そして主はすべてのものの至高の形です。

第17段落
ヴェーダ文献には、人が完全真理のその至高の完成を、理解して手に入れることが出来るようになるための、3つの異なる種類の超越的な方法が述べられています。それらは、知識の方法、神秘的なヨガの方法、そして献身奉仕の方法と呼ばれます。これらの3つの方法に従うものは、3つの異なる側面において完全真理を認識します。知識の方法に従う者は主を非人格のブラーマンとして認識します。

ヨガの方法に従う者は主を局所的な超魂として認識します。そして献身奉仕の方法に従う者は主を至高の人格神シュリー・クリシュナとして認識します。言い換えると、ブラーマンという言葉は他の何でもなくクリシュナ(だけ)を指しますが、それでも従われる方法に応じてシュは3つの異なる側面において認識されます。
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by ammolitering4 | 2011-02-13 13:36 | 「主チャイタンニャの教え」


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