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第12章 後半

第12章 後半

第1段落
献身奉仕は規律的であるかもしれず、あるいは愛情に基づいた(affectionate)ものであるかもしれません。クリシュナへの超越的な愛情を育んでいない者は、聖典および霊的指導者の指示と規律に従って自分の人生を送るべきです。シュリマッド・バーガヴァタム(2.1.5)において、スカデヴァ・ゴスヴァーミーはマハーラージャ・パリスィットに助言なさいます。

(サンスクリット引用)

「おお、バーラタのうちで最良の者よ。至高の人格神ハリについて聞き、主について唱え(訳注:「主の聖なる御名を唱え」ということだと思います)、いつも主を思い出していることは、恐れ無き者になりたいと望む者の主要な義務です。常に主ヴィシュヌを思い出していなさい。実に、一瞬たりとも忘れてはなりません。主はすべての規律的な原則の要点です。」

結論は、聖典において明かされているすべての規則、規律、勧められる活動および禁止されている活動をまとめると、至高主を思い出していることが常に変わらず(それら)すべてのものの真髄です。心の中で至高の人格神を思い出していることは、献身奉仕の目的地です。

献身奉仕が純粋に、そして愛情をもってなされるとき、規律的な原則が入る余地はありません。これをしろ、これをするな、ということはありません。

第12段落
しかし、人は一般的に、正しく献身奉仕を行うために、次の原則を受け入れるべきです。
1、真正なる霊的指導者の庇護を受ける。
2、霊的指導者から洗礼を受ける。
3、霊的指導者に奉仕する。
4、霊的指導者に愛について問い、学ぶ。
5、主への超越的な愛情ある奉仕に身を捧げている聖なる人々の足跡を辿る。
6、クリシュナの満足のために、あらゆる楽しみと苦しみを放棄する準備をする。
7、クリシュナが娯楽をなさった場所に住む。
8、何であれ体の維持のためにクリシュナによって与えられたもので満足し、それ以上を求めない。
9、エカーダシーの日に断食をする。(これは満月の11日後と新月の11日後に起こります。そのような日には、穀物、加工された穀物、豆類は食されません。単に野菜と牛乳が控えめに食され、いつもよりもハレ・クリシュナが多く唱えられ、聖典が多く読まれます。)
10、献身者、牛、およびバンヤンの木などの聖なる木に敬意を示す。

第13段落
献身奉仕の道を辿り始めている初心者の献身者にとって、これらの十個の原則を守ることは非常に大切(essential、絶対必要、基本的、本質的)です。人はまた、主に奉仕をするにあたり、そして主の聖なる御名を唱えるにあたり、無礼を避けようとすべきです。聖なる御名を唱えている間に犯しうる無礼には十種類あり、それらは避けられるべきです。

これらの無礼は以下のようなものです。
1、主の献身者を侮辱する。
2、主と半神たちを同じ水準にあると考える、あるいは多くの神がいると考える。
3、霊的指導者の指示をないがしろにする。
4、聖典(ヴェーダ)の権威を軽視する。
5、神の聖なる御名を独自に解釈する。(to interpret)
6、聖名を唱えることの力に乗じて罪を犯す。
7、主の御名の栄光を不信心な者に教える。
8、聖名を物質的な言葉(piety、信心深い言葉)と比べる。
9、聖名を唱えるときに心ここにあらずとなる。
10、聖名を唱えるにも関わらず物質的なものに執着し続ける。

さらなる十個の規律は次のようなものです。
1、人は主に奉仕をするにあたって、および主の聖なる御名を唱えるにあたって、無礼を避けようとすべきである。
2、人は不浄な非献身者との関わりを避けるべきである。
3、人は多くの弟子を持とうと試みるべきではない。
4、人は多くの本を理解しようとしたり、何か特定の本を部分的に理解しようと試みるヴぇきではなく、人は異なる教義を議論することを避けるべきである。
5、人は得をしても損をしても(訳注:喜びにも悲しみにも)平静であるべきである。
6、人はいかなる嘆きにも支配されるべきではない。
7、人は半神や他の聖典に不敬であるべきではない。
8、人は至高主と主の献身者に対する侮辱を我慢すべきではない。
9.人は世俗的な(ordinary)内容の小説や物語を避けるべきである。しかし、人が世俗のニュースを聞くのを避けるべきであるという禁止命令はない。
10、人は、小さな虫を含め、いかなる生命体にも苦痛を与えるべきではない。

第14段落
シュリー・ルーパ・ゴスヴァーミーによって編纂されたバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーには、人は振る舞いにおいて非常に寛容(liberal、公平な、自由な、気前の良い)であるべきであり、あらゆる望ましくない活動を避けるべきである、と述べられています。(訳注:前後の脈絡が不明なので、この場合の liberalが具体的にどういう意味であるのかははっきりしません。)

最も重要な点(affirmative points、肯定的な点)は、人が真正なる霊的指導者の庇護を受け、彼によって洗礼を受け、彼に奉仕をすべきである、というものです。

第15段落
これらに加え、献身奉仕の35の要素があり、それらは以下のように分解され得ます。
1、聞くこと。
2、(聖名を)唱えること。
3、思い出すこと。
4、崇拝すること。
5、祈ること。
6、奉仕すること。
7、従者として仕えること。(to engage)
8、友好的であること。
9、すべてを捧げること。
10、神像の前で踊ること。
11、歌うこと。
12、知識を与えること。(to inform) (訳注:初心者の献身者に?)
13、敬意を捧げること。
14、献身者に敬意を示すために立ち上がること。
15、献身者が立ち上がって戸口に向かうとき、彼についていくこと。
16、主の寺院に入ること。
17、主の寺院の周りを歩き回ること。
18、祈りを読むこと。
19、聖歌を歌うこと。(to vibrate、響かせる)
20、サンキールタン、すなわち集合的なチャンティングを行うこと。
21、神像に捧げられた香と花の匂いをかぐこと。
22、プラサーダ(クリシュナに捧げられた食べ物)を受け入れること。
23、アーラートリカの儀式に参列すること。
24、神像を見ること。
25、主においしい食物を捧げること。
26、瞑想すること。
27、トゥラスィーの木に水を捧げること。
28、ヴァイシュナヴァ、すなわち高度に発達した献身者に敬意を捧げること。
29、マトゥーラーあるいはヴリンダーヴァンに住むこと。
30、シュリマッド・バーガヴァタムを理解すること。
31、クリシュナのもとに至るために最善の努力をすること。
32、クリシュナの慈悲を期待すること。
33、クリシュナの献身者と共に儀礼的な行事を行うこと。
34、あらゆる面で服従すること。
35、異なる儀礼的な行事を行うこと。

これらの35項目に加え、さらに4つが加えられ得ます。
1、ヴァイシュナヴァであることを示すために自分の体に白檀(サンダルウッド)の粉の水溶きで印をつける。
2、体に主の聖なる御名を書く。
3、神像を覆っていたものの残り(お下がり)で自分の体を覆う。
4、神像を洗う水、すなわちチャラナームリタを受け入れる。

これらの4つの追加の項目を加えると、献身奉仕は全部で39項目となり、これらすべての中で次の5つが最も大切です。
1、献身者と関わる。
2、主の聖なる御名を唱える。
3、シュリマッド・バーガヴァタムを聞く。
4、マトゥーラーやヴリンダーヴァンなどの聖なる場所に住む。
5、大いなる献身の念を持って神像に奉仕をする。

これらの項目は、ルーパ・ゴスヴァーミーによって彼の本バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーの中で特に言及されています。上記の39項目にこれらの5つの項目を加えると合計44項目になります。これらに加え、20の基礎的な振る舞い(訳注:preliminary occupation、直接的には「予備的な仕事」となる)があり、献身奉仕を遂行するためには合計64の異なる項目があります。

人は自分の体と心と感覚をもって64項目を実行し、そうして徐々に自分の献身奉仕を浄化することができます。いくつかの項目は全く異なり、いくつかは同一であり、他のものは混じっているように見えます。

第16段落
シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、人が同じ精神性を持った人々との関わりの中で暮らすことを勧められました。したがって、クリシュナ意識のための何らかの組織をつくり、クリシュナに関する知識と献身奉仕を育むために一緒に住むことが必要です。

そのような関わりの中で暮らすための最も大切な項目は、バガヴァッド・ギーターとシュリマッド・バーガヴァタムの共通の理解です。信念と献身の念が発達するとき、それらは神像の崇拝、聖名を唱えること、そしてマトゥーラーやヴリンダーヴァンなどの聖地に住むことに変化するようになります。

第17段落
はじめの39の後に言及された最後の5項目は、非常に大切で必要不可欠です。もしも単にこれらの5つの項目を遂行するなら、たとえそれらを完全に遂行しなくても、人は最高の完成の水準に上げられ得ます。人は自分の能力に従って、一つか、あるいは多くの項目を遂行できるかもしれません。

しかし、その道において人を上達させるのは、献身奉仕への完全な愛着という主要な要素です。歴史上には、単に一つの項目の義務を遂行することによって献身奉仕の完成に至った多くの献身者がいます。そして、マハーラージャ・アムバリーシャのように、すべての項目を遂行した、他の多くの献身者がいます。

ただ一つの項目だけを遂行することによって献身奉仕の完成に至った献身者には、次のような人々がいます。(訳注:原文には番号は振ってありません。また、原文はいずれも「~した誰それ」という文型になっています。)
1、マハーラージャ・パリークスィットは、単に聞くことによって解放され、完全に完成しました。
2、スカデヴァ・ゴスヴァーミーは、単に聖名を唱えることによって解放され、献身奉仕の完成に至りました。
3、プラーラーダ・マハーラージャは、ラクシュミーを思い出していることによって完成を得ました。
4、ラクシュミーは、主の蓮の御足に奉仕をすることによって完成を得ました。
5、プリトゥー王は、単に崇拝することによって完成を得ました。
6、アクルーラは、単に祈ることによって完成を得ました。
7、ハヌマーンは、単に主ラーマの従者となることによって完成を得ました。
8、アルジュナは、単にクリシュナの友人であることによって完成を得ました。
9、バリ・マハーラージャは、単に持っていたすべてのものを捧げることによって完成を得ました。

マハーラージャ・アムバリーシャについて言えば、彼は実際に献身奉仕のすべての項目を実行しました。彼はまず、自分の言葉、話す力を、至高の人格神の超越的な性質を描写することに使いました。彼は自分の手を神の寺院を洗うことに、耳をクリシュナの言葉を聴くことに、そして目を神像を見ることに使いました。

彼は自分の触る感覚を献身者に奉仕することに使い、自分の嗅覚をクリシュナに捧げられた花の香りを楽しむために使いました。彼は自分の舌をクリシュナの蓮の御足に捧げられたトゥラスィーの葉を味わうことに使い、自分の脚をクリシュナの寺院に行くことに使い、自分の頭をクリシュナの神像に敬意を捧げることに使いました。

彼のすべての欲求と野心はこのように主への献身奉仕に使われたため、マハーラージャ・アムバリーシャは献身奉仕を様々な方法で行うことにおいて最も優れた方と考えられています。

第18段落
完全なクリシュナ意識において献身奉仕に携わる者は誰でも、皆が一般的に負債を負っている賢人たちや半神たちや先祖たちへの負債から自由になります。(訳注:「誰もが一般的に賢人たちや半神たちや先祖たちに負債を負っています。しかし、完全なクリシュナ意識において献身奉仕に携わる者は誰でも、そのような負債から自由になります。」)これはシュリマッド・バーガヴァタム(11.5.41)において確認されています。

(サンスクリット引用)

「おお、王よ。主への奉仕に完全に携わる者は、もはや半神や賢人や他の生命体や自分の親族や先祖や、他の誰にも負債を負いません。」すべての人は誕生のすぐ後で、直ちに非常に多くの人々に負債を負います。そして人は、この負債のために、様々な儀礼的な行事を行うことを期待されています。

しかし、もしも人が完全にクリシュナに服従しているなら、何の債務もありません。人はすべての負債から自由になります。

第19段落
しかし、人が他のすべての義務を放棄して、単にクリシュナへの超越的な奉仕を習慣づけるとき、彼には欲望がなく、罪深い活動を行う可能性がほとんどない、ということが注意深く特記されるべきです。(訳注:he ~ is not subjected to or likely to perform sinful activities、下線部分は同じ意味を繰り返している)

しかし、もしも彼が(故意ではなく偶然によって)罪深い行いをすれば、クリシュナは彼にすべての保護を与えます。彼におっては自分を他のいかなる方法によって浄化する必要もなく、これはシュリマッド・バーガヴァタム(11.5.42)において確認されています。

「主への超越的な愛情ある奉仕に完全に携わっている者は、至高の人格によって守られています。しかし、彼が故意ではなく何らかの罪深い行いをした場合は、あるいは特定の状況のもとで罪深い行いを余儀なくされた場合は、彼の心の中に鎮座なさっている神が彼にすべての保護を与えられます。」

第20段落
推量的な知識、および放棄階級となるという方法は、実際は献身奉仕における上達のための主要な項目ではありません。他の方法においては非暴力と感覚の統御という性質を得るための規律や規則がありますが、人はそれらの原則を習慣づける必要もありません。

これらの方法を実践することさえ無くして、献身者は単に主への献身奉仕を遂行することによってすべての良い性質を発達させます。シュリマッド・バーガヴァタムの11巻(11.20.31)において、主ご自身が、もしも人が実際に主への献身奉仕に携わっているなら、推量的な知識を培ったり、放棄階級となったりする必要はない、とおっしゃいます。

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最近不眠症がひどくて。。。今は夜中の3時前。全く眠れないので起きてタイプなどしていました。まあ、12月は本のマラソン配布の月ですから、販売に参加しない私はマラソン翻訳で参加するということにしましょう。休み休みのマラソンですけど。

それにしても、第17段落の「しかし、その道において人を上達させるのは、献身奉仕への完全な愛着という主要な要素です。」という言葉が気になります。これって、何事においても同じですよね。完全な愛着を持って何かに打ち込んだことがあったでしょうか。最近ガラス絵もさっぱり描いてなくて、ただ生活費のための仕事に追われる日々。。。来年は日本にも帰りたいので、飛行機代を稼がねばなりません。掛け持ちしなきゃいけない状況なので、翻訳もまたまた滞るかもしれません。仕事しながら仕事探しをやってるのです。これって、、、ガラス絵にしっかりと愛着を持って可能な限りの努力をしなかった報いでしょうか。人生の時計の砂は淡々と落ちていき、このまま行けば最後の一粒が落ちるまでに幾つもの後悔と対面することになるのでしょうね。夜中に地雷の埋まった崖っぷちを歩いているような気分です。翻訳なんかしてますけど、悲しみにも喜びにも平常心で、という安定からは程遠いようです。ここはやはりクリシュナに助けを求めて、とりあえず夜は眠れるようにとお祈りしようと思います。
by ammolitering4 | 2010-12-11 20:04 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)
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