第12章 前半

第12章 献身者

第1段落
主への超越的な愛情ある奉仕に完全に身を捧げているクリシュナ意識の人は、半神たちのすべての神聖な性質を発達させます。多くの神聖な性質がありますが、主チャイタンニャはそのうちのいくつかだけをサナータナ・ゴスヴァーミーに描写なさいます。

主の献身者はいつも誰もに親切です。そして彼は喧嘩を吹っ掛けません。彼の興味は人生の真髄にあり、それは霊的です。彼はすべての人に平等です。そして誰も彼に欠点を見つけることができません。彼の度量の大きな心はいつも生き生きして清らかであり、物質的な執着(obsession、妄想などが取り付いた状態)がありません。

彼はすべての生命体に恩恵を与える者であり、温和で、いつもクリシュナに服従しています。彼は何らの物質的な欲望も持ちません。彼は非常に謙虚で、自分の目的にしっかりと心を定めています。彼は欲や怒りなどの6つの物質的な性質に勝利しており、彼は必要以上に食べません。

彼は常に正気であり(sane、正気、分別・良識がある)、他者を尊重します。(訳注:この場合の saneは、マーヤーに惑わされた「狂った」状態ではない、ということを指すのではないかと思います。)しかし彼は自分自身への敬意は必要としません。彼は落ち着きがあり、慈悲深く、友好的で、詩的で、(訳注:霊的な事柄に)熟達しており、物静かです。

第2段落
シュリマッド・バーガヴァタム(3.25.21)にも、主の献身者の描写があります。そこでは、彼は常に忍耐強く慈悲深いと言われています。すべての生命体の友人として、彼には敵がいません。彼は温和で、すべての良い性質を持っています。これらはクリシュナ意識の人の性質のほんの一例です。

第3段落
シュリマッド・バーガヴァタムには、もしも偉大な魂、すなわちマハートマーに奉仕をする機会を得るなら、人の解放への道は開かれる、とも書かれています。しかし、物質的な人々に執着している者は、闇への道の上にあります。

実際に聖なる人は、超越的であり、平静であり、温和であり、すべての生命体に対して友好的であり、怒りの影響を受けません。単にそのような聖なる人々と関わることによって、人はクリシュナ意識の献身者になることができます。

実に、至高神への愛を育むためには、聖なる献身者との関わりが必要とされます。霊的な人生における上達の道は、聖なる人と出会う誰もに開かれています。そして、献身者の道を辿ることによって、人は必ず完全な献身奉仕においてクリシュナ意識を育みます。

第4段落
シュリマッド・バーガヴァタム(11.2.28)において、クリシュナの父ヴァスデヴァがナーラダ・ムニにすべての生命体の幸福について尋ね、返答としてナーラダ・ムニはマハーラージャ・ニミの9人の賢人たちとの議論から一節を引用します。

「おお、聖なる賢人たちよ」とニミ王は言いました。「私はただ、すべての生命体のための幸福の道を見つけようとしています。聖なる人々との一瞬の関わりは、人生において最も価値あるものです。なぜなら、その一瞬が霊的な人生における発達の道を開くからです。」

これはシュリマッド・バーガヴァタムの他のところ(3.25.25)においても確認されています。聖なる人々と関わり、彼らと超越的な事柄について議論することによって、人は霊的な人生の価値を納得するようになります。ほどなくして、クリシュナについて聞くことは耳に心地よくなり、人の心を満足させるようになります。

そのような霊的な伝言を聖なる人や純粋な献身者から受け取った後、もしも人がそれらを自分自身の人生にあてはめようとするなら、クリシュナ意識の道は自然に信念と絆(attachment、執着)と献身奉仕において発達します。(訳注:クリシュナ意識の信念が強まり、愛着が生まれ、熱心に奉仕をするようになる、ということだと思います。)

第5段落
主はそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに献身者の振る舞いについて教えられました。ここで、要点は、人はいつも不浄な関わりから遠ざかっているべきであるということです。それが献身者の振る舞いの要点です。そして、不浄な関わりとは何でしょうか?それは女性に過度に執着した者、および主クリシュナの献身者でない者です。

これらは不浄な人々です。人は、主の聖なる献身者と関わり、注意深く不浄な非献身者との関わりを避けるように助言されています。クリシュナの純粋な献身者である者は、2種類の非献身者から遠ざかっていつづけるために、細心の注意を払います。シュリマッド・バーガヴァタム(3.31.33-35)には、人は女性たちの遊び相手である人との一切の関わりを断つべきであると述べられています。

それは、そのような不浄な人と関わることによって、人は正直さ、清潔さ、慈悲、落ち着き、知性、奥ゆかしさ、美しさ、名声、寛容さ、心と感覚の統御、および献身者によって自動的に身につけられるすべての富を失うことになるからです。人は決して、女性に過度に執着した人と関わるときほど堕落することはありません。

第6段落
このことに関して、主チャイタンニャはカーテャーヤナ・サムヒターからも一節を引用なさいます。「人は、主の献身者でない者と関わるくらいなら、むしろ火の燃え盛る檻に閉じ込められる悲惨さを耐えるべきです。」

人はまた、非宗教的な人、あるいは至高主への献身の念がない人の顔を見ることさえしないように助言されています。主チャイタンニャは、人が望ましくない人々との関わりを慎重に放棄して、完全に至高主クリシュナの庇護のもとに入ることを勧めていらっしゃいます。

この同じ教えはバガヴァッド・ギーターの最後の節でアルジュナに与えられています。そこでクリシュナはおっしゃいます。「ただすべてを放棄し、私に服従しなさい。私はあなたの面倒をみて、あなたを罪深い行いの反動から守ります。」(Bg18.66)

主はご自分の献身者に非常に親切でいらっしゃり、そして主は非常に感謝の気持ちが強く、能力があり、そして寛大です。主の言葉を信じるのは私たちの義務であり、もしも私たちが十分に知性的で教養があるなら、私たちは躊躇なく主の教えに従うでしょう。シュリマッド・バーガヴァタム(10.48.26)において、アクルーラはクリシュナに言います。

(サンスクリット引用)

「誰があなた以外の誰かに服従できるでしょう?誰があなたほど愛しく、正直で、友好的で、そして感謝の気持ちが強いでしょう?あなたはとても完璧で完全なので、ご自分の献身者にご自身をお与えになるにも関わらず、あなたはそれでも完全で完璧です。あなたはご自分の献身者のすべての望みを満足させることができ、ご自分を彼に引き渡すことさえなさいます。」

知性的でクリシュナ意識の哲学を理解できる者は、自然にすべてを放棄してクリシュナの庇護のもとに入ります。このことに関して、主チャイタンニャはシュリマッド・バーガヴァタム(3.2.23)において、ウッダーヴァによって語られた節を引用なさいます。

「人はどうしてクリシュナ以外の誰かの庇護のもとに入れるでしょう?主はとても親切でいらっしゃいます。クリシュナが赤ん坊のとき、バカースラの姉は自分の乳房に毒を塗り、それをクリシュナが吸って死ぬように、とクリシュナを殺す計画を立てました。しかし、それでもその極悪な女は救いを授かり、クリシュナの本物の母親(Krishna's own mother)と同じ水準に上げられました。

この節は、プータナがクリシュナを殺そうとしたときを指しています。クリシュナは、その悪魔的な女の毒を塗った乳房を受け入れました。そして、彼女から乳を吸ったとき、主は彼女の命も吸い取りました。それでもプータナはクリシュナの本物の母親と同じ立場に上げられました。

第7段落
完全に服従した魂と放棄階級にある人との間には、本質的な違いはありません。唯一の違いは、完全に服従した魂は完全にクリシュナに依存しているということです。服従のためには、六つの基本的な原則があります。

1、人は献身奉仕の遂行にとって好ましいすべてのものを受け入れるべきであり、(その)過程を受け入れる決心をしているべきです。

2、人は献身奉仕の遂行にとって好ましくないすべてのものを放棄すべきであり、それらをすべて放棄する決心をしているべきです。

3、人はクリシュナだけが自分を守れるということを納得しているべきであり、主がその保護を与えてくださるという完全な信念を持っているべきです。非人格主義者は、自分の本当の自己認識はクリシュナと一つであることにある、と考えますが、献身者はこのようにして自分の自己認識を滅ぼすことをしません。彼はクリシュナがあらゆる側面において自分を親切に守ってくださるという完全な信念をもって生きます。

4、献身者はいつもクリシュナを自分を維持してくださる方として受け入れるべきです。活動の成果に興味のある者は、一般に半神たちからの庇護を期待しますが、クリシュナの献身者は庇護を求めていかなる半神に頼ることもしません。彼はクリシュナが自分をすべての好ましくない状況から守ってくれるということを完全に納得しています。

5、献身者は常に自分の望みは独立したものではないことを意識しています。クリシュナが叶えない限り、それらは叶えられ得ません。

6、人はいつも、クリシュナが面倒を見てくださるように、自分のことを魂の中で最も堕落したものだと考えるべきです。

第8段落
そのような服従した魂は、ヴリンダーヴァン、マトゥーラー、ドゥヴァーラカー、マーヤープルなどの聖地の庇護を受けるべきです(訳注:それらの地に住む、あるいは訪れるべきである、ということだと思います)。

そして、「我が主よ。今日から私はあなたのものです。あなたはお好きなように私を守ったり殺したりすることができます」と言って主に服従すべきです。純粋な献身者はそのようにしてクリシュナの庇護を受けます。そしてクリシュナは非常に感謝の気持ちが強いので、主は彼を受け入れ、彼に様々な保護を与えます。

これはシュリマッド・バーガヴァタム(11.29.34)で確認されています。そこでは、もしも死に掛けている人が至高主の完全な庇護のもとに入り、自分自身を完全に主の庇護のもとに置くなら、彼は実際に永遠の命を得て、至高主と関わって超越的な幸福を楽しむ資格を得る、と述べられています。

第9段落
主はそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに、「実際的な(practical、現実的な、実用的な)献身奉仕」の様々な種類と特徴を説明なさいました。私たちの現在の感覚をもって献身奉仕がなされるとき、それは「実際的な献身奉仕」と呼ばれます。

実際は、献身奉仕は生命体の永遠の生命であり、すべての人の心臓の中に潜在的に存在しています。その潜在的な献身奉仕を呼び覚ます活動が「実際的な献身奉仕」と呼ばれます。つまり(The purport is、その意味は)、生命体は本来的に至高主の欠かすべからざる小片であるということです。

主は太陽に比べられ、生命体は太陽光の分子に比べられ得ます。幻惑的なエネルギーの魔力のもとで、霊的な火花はほとんど消えかけています。しかし、「実際的な献身奉仕」によって、人は自分の本来の立場を蘇らせることができます。

人が献身奉仕を実行するとき、彼は自分のもともとの正常な解放された立場に戻っているのであるということが理解されるべきです。献身奉仕は、真正なる霊的指導者の指示のもとで、人の感覚をもって実行され得ます。

第10段落
人は、クリシュナ意識における発達のための霊的な活動を、「聞く」ということによって始めます。聞くことは発達にとって最も重要な方法であり、人はクリシュナについて好意的に聞くことに非常に熱心であるべきです。すべての推量と結果を求める活動を放棄し、人は単に崇拝し、神への愛に到達するように望むべきです。

その神への愛は永遠にすべての人の内にあります。それは単に聞くという方法によって呼び起こされなければならないだけなのです。聞くことと唱えることは、献身奉仕の主要な方法です。
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by ammolitering4 | 2010-12-08 06:50 | 「主チャイタンニャの教え」


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