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第10章 前半

こんにちは。ずいぶん長いことお待たせいたしました。さんざん待たせた上にほんのちょっとだけですみません。例によって、文体や語法の不自然さはご了承いただけますようお願いいたします。

第10章 クリシュナの美しさ

第1段落
クリシュナはマダナ・モハナとして知られています。主はキューピッドの心を征服なさるからです。主はまた、主がマダナ・モハナとして知られているのは、ヴラジャの高貴な娘たちの献身奉仕を受け入れて彼女らに恩恵を施したからでもあります。

キューピッドの誇りを征服したあと、主は新しいキューピッドとしてラーサの踊りを踊られます。主はまた、形(form:姿)、味、匂い、音、および触れることというご自分の5本の矢をもって女たちの心を征服することによっても、マダナ・モハナとして知られています。

クリシュナの首にかけられた首飾りの真珠はアヒルのように白く、主の頭を飾る孔雀の羽は虹のような色をしています。主の黄色の衣服は空の稲妻のようであり、そしてクリシュナご自身は新しく現れた雲のようです。

ゴピーたちは主の足を飾る鈴のついた飾りのようであり、そして雲が畑の穀物に雨を降らせるときは、クリシュナがご自分の恵みの雨を戯れに降らせることによってゴピーたちの心を潤すかのように見えます。
訳注1.(pastime rain of mercy:娯楽として降らせる恵みの雨)
訳注2.(to call down:通常は「何かを求めて祈る」という意味の熟語)

実に、アヒルは雨季に空を飛びます。そしてそのときに虹も見られます。クリシュナはヴリンダーヴァンにおいて牛飼いの少年として自由にご自分の友人たちの間を動き回ります。そして主がご自分の笛を吹くと、動くもの動かぬもの、すべての生命体が恍惚感で圧倒されます。

彼らはぶるぶると震え、彼らの目から涙が流れます。クリシュナの様々な財産(opulence:富裕さ)の中で、主の恋人としての愛は最高のものです。主はすべての豊かさとすべての力とすべての名声とすべての美しさとすべての知識とすべての放棄の主人です。

そして、これらのうちで主の完全な美しさは、主の恋人としての魅力です。クリシュナの形、恋人としての美しさは、永遠にクリシュナの中だけに存在しています。他方、主の他の財産は主のナーラーヤナの形の中に存在しています。

第2段落
クリシュナの恋人としての魅力のこの上ない素晴らしさを描写したとき、主チャイタンニャは超越的な恍惚感を感じられました。そして主はサナータナ・ゴスヴァーミーの両手をとって、シュリマッド・バーガヴァタム(10.44.14)から節を引用し、ヴラジャの高貴な娘たちがいかに幸運であるかを述べ始められました。(to proclaim:宣言する)

(サンスクリット引用)

「ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちは、どんなにか素晴らしい(great:大変な)苦行と禁欲を行ったに違いありません。彼女たちはクリシュナの甘露を飲むことができるからです。主はすべての美しさ、すべての力、すべての富、すべての名声であり、主の体の光沢はすべての美しさの中心です。」

第3段落
若さ(youth:若者、若さ)の永遠の美しさの海であるクリシュナの体は、美しさの波になって動くのが見られます。主の笛の音にはつむじ風があり、そしてそれらの波とつむじ風は、ゴピーたちの心を木の上の乾いた葉のように舞わせます。

そしてそれらの葉がクリシュナの蓮の御足の元に落ちるとき、それらは決して再び立ち上がれません。クリシュナのそれと比べる美しさはありません。クリシュナよりもすばらしい、あるいはクリシュナと同じ程度の美しさを持っている者は誰もいないからです。

主がナーラーヤナの形を含むすべての形の源であるので、ナーラーヤナと常に一緒にいる幸運の女神は、ナーラーヤナのそばを離れ、クリシュナのそばにいられるようになるために苦行を行います。すべての美しさの永遠に尽きない宝庫であるクリシュナの、この上ない美しさの偉大さはそれほどのものです。すべての美しいものが放射するのは、その美しさからです。(訳注:すべての美しさの源は、クリシュナのその美しさである)

第4段落
ゴピーたちの心のありよう(attitude:態度、雰囲気など)は、クリシュナの美しさの反映が毎瞬現れる鏡のようです。クリシュナとゴピーたちは、どちらも毎瞬自分たちの超越的な美しさを増します。そして、彼らの間にはいつも超越的な競争があります。

自分の本質的な(occupational:職業的な)義務を正しく遂行すること、あるいは禁欲や神秘的なヨガを行ったり知識を培ったりすること、あるいは祈りによっては、誰もクリシュナの美しさを本当に認識する(to appreciate:真価を認める)ことができません。

神への愛という超越的な水準にある者、愛ゆえに献身奉仕に携わる者のみがクリシュナの超越的な美しさを本当に認識することができます。そのような美しさは、すべての富裕さの本質であり、他の場所でなくゴロカ・ヴリンダーヴァンにおいてのみ本当に認識されます。

ナーラーヤナの形において、慈悲、名声その他の美しさはすべてクリシュナによって体現されています(to establish:立証する、設立する、など)。しかし、クリシュナの優しさと寛大さはナーラーヤナには存在しません。それらはクリシュナの中にのみ見出されます。

第5段落
サナータナにご説明なさっていたシュリマッド・バーガヴァタムのすべての節を大いに味わいながら、主チャイタンニャはもう一つの節を引用なさいました。(Bhag.9.24.65)

(サンスクリット引用)

「ゴピーたちは、恒久的な楽しみの儀式としてクリシュナの美しさを味わっていたものでした。(訳注:儀式ででもあるかのように常にクリシュナの美しさを味わっては楽しんでいた、という意味か)彼女らは、クリシュナの美しい顔を、イヤリングをつけた主の美しい耳を、主の広い額と主の微笑みを楽しみました。

そして、このクリシュナの美しさの光景を楽しんでいるとき、彼女たちは瞬きをしてまぶたが閉じることで自分たちの目に映るクリシュナの姿が一時的に遮られることに対して、創造者であるブラーマーを非難していたものでした。」

第6段落
カーマ・ガーヤトリーとして知られるヴェーダの聖歌は、クリシュナのお顔をすべての月の王として描写しています。隠喩的な言語においては、多くの月が存在します。しかし、それらはクリシュナにおいて一つです。

主の口という月があり、主の頬という月があり、主の体の上の白檀の粉の水溶き(sandalwood pulp)という月の点があり、主の手の指先という月があり、主の足の指の先という月があります。このように、24.5個の月があり、クリシュナはそれらすべての中心的な人物です。

第7段落
クリシュナのイヤリング、目、そして眉の踊るような動きは、ヴラジャの高貴な娘たちにとって非常に魅力的です。献身奉仕における活動は献身奉仕の感覚を増します。二つの目にとって、クリシュナの顔の他に(beyond)何の見るものがあるでしょうか?(訳注:beyondには何かを越えて、という意味合いがあるので、 クリシュナの顔よりも見る価値の高いものがあるだろうか、という意味を含む)

人はたった二つの目ではクリシュナを十分に見ることができないので、自分には能力がないと感じ、そのため悲嘆にくれます(bereaved:肉親を失くした)。そのような悲嘆は、人が創造者の創造的な力を非難するとき、多少減ります。

クリシュナの顔を見る満ち足りていない者は、それでも嘆きます。「私には何千もの目がありません。たった二つだけです。そして、これらは私のまぶたの動きによって遮られます。したがって、この体の創造者はあまり知性的ではないと理解されます。

主(創造者)は、恍惚の業に精通していらっしゃいません。そうではなく、主は単なる平凡な創造者です。主は人がクリシュナだけを見ることができるように物事を正しく配置する方法をご存知ありません。」
by ammolitering4 | 2010-11-11 04:48 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)
Commented by bvd at 2010-11-11 09:46 x
この世を去る前になんとか日本語でバーガヴァタムとチャイタンニャ・チャリタムリタを読みたいものです。翻訳ありがとうございます。
Commented by ammolitering4 at 2010-11-11 14:52
どういたしまして。ずいぶん長いことさぼってしまいました。生活のための仕事に追われつつ絵を描いて、という状況は変わっていないというか、むしろ悪化しているのですが、漫画を読む時間があったりもするわけだし、「時間がない」という言い訳に逃げないで続けようと思います。
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